第387話
素材の買い取りを終了し、魔石についての話をしていたレイやエレーナの耳に聞こえてきた怒声。
まだ日が高くギルドでも冒険者の数がそれ程多く無かった為か、周囲にいる冒険者やギルド職員、あるいは依頼をしに来ていた住民や商人達の視線を集めるその集団は、当然レイやエレーナの視線をも集めていた。
まず目に入ったのは、先程の怒声を上げたのだろう戦士の男。そんな戦士の男の側にはパーティメンバーなのだろう、槍を持った女と弓を持った男の姿がある。3人全てが20代半ばに見える外見であり、それだけに3人の視線の先にいる1人だけが40代程の男の戦士なのが目立っていた。
更にレイには、40代程の男の戦士の着ている鎧に見覚えがあった。いや、それはレイだけではない。寧ろこのエグジルに長くいる者程その鎧には見覚えがあるだろう。
「おい、また聖光教の連中だぜ」
「大体総収入の3割を持っていくとか、ぼったくりすぎだろ?」
「けど、それを承知の上で雇ってるんだろ? それが終わってから文句を言うってのはどうかと思うが」
「それに、持っていくのはあくまでも総収入の3割だ。逆に考えれば、1人を雇って2人で潜れば7割は自分の収入になるってことだしな」
「捕らぬ狸の何とやらって奴だな。そもそも少人数でダンジョンに潜れるだけの実力があるのなら、わざわざ聖光教の人間を雇う必要も無いだろ」
「それに雇うのが1人で3割。2人なら6割、3人なら9割だしな。……確かにちょっとぼったくりすぎだろ」
「だが、奴等は基本的に値引きに応じないぞ。聖なる光の女神の信者である自分達の力を安売りする訳にはいかないってな」
そんな風に周囲から聞こえて来る声に、微かに驚くレイ。
聖光教という存在を雇うと得た収入のうち3割を持っていかれるというのは知っていたのだが、それでも肯定的に見ている者がレイが予想していたよりも多かったからだ。
これは、前もって聖光教が自分達を雇う際の値段を明言している為だろう。もし何も言わずに雇われ、その日の探索が終わった後に3割寄こせと言えば確実に騒ぎになるのだから。
そんな周囲の状況を他所に、注目を集めている4人の話はヒートアップしていく。
いや、聖光教の男は冷静に対応しているのだが、それが余計に気に入らないのだろう。3人組のリーダーだろう戦士の男が頭に血が上っているのだ。
「残念ですが、最初に私を雇う時に報酬の件は説明してあった筈です。聖なる光の女神の力を借りる以上、報酬を割り引くことは一切ありませんと」
「ふざけるなって言ってんだろ! お前のミスでこっちは余計なポーションを使う羽目になったんだ。それも、奥の手として隠してあったとっておきのポーションをな!」
「それは確かに悪いと思いますが、貴方達とパーティを組むときに約束したでしょう? 私も心苦しいですが、聖なる光の女神の名の下に約束をした以上、それを破ることは出来ません。理解して下さい」
そう告げ、ペコリと一礼する聖光教の男。
だが、そんな男の言い分に我慢の限界が超えたのだろう。3人組のリーダーと思われる戦士の男は、拳を握りしめ……
「聖光教を敵に回す気ですか?」
聖光教の男の言葉で拳の動きを止める。
男も理解しているのだ。ここ数年で急激にその勢力を増してきた聖光教。その信者には目の前の男のような戦士を多く抱え込んでいるということを。ある意味傭兵集団と表現してもいいような聖光教を敵に回すのがどれ程に危険なのかを。
そして……
「ちょっと、不味いよ。聖光教の後ろにはレビソール家が控えてるって話なんだから。このエグジルでレビソール家を敵に回すのは……」
槍を持った女の言葉を聞き、拳を握りしめた男は目の前にいる聖光教の男を強く睨みつける。
まるで、自分が殴りかかれないかわりに、せめて視線で睨みつけるとでもいうように。
だが、聖光教の男はそんな視線を柳に風と受け流しながら口を開く。
「どうやらこれ以上の言いがかりは無いようですね。では、私はこの辺で失礼します。汝に聖なる光の女神の加護があらんことを」
呟き、その言葉を最後に踵を返す。
その後頭部に突き刺されとばかりに睨みつけている男の視線は感じているのだろうが、かといって手を出してくることはないとも理解しているのだろう。悠然とその場を後にし、ギルドから出て行くのだった。
ギルドの中にいた者達は一連のやり取りが終わったとみるや、すぐに視線を逸らして自分達のやり取りへと戻っていく。
「聖光教か。今のやり取りを聞いている限りだと、それ程悪辣という訳でも無いのか?」
そんなレイの言葉に、素材の買い取りを担当するギルド職員の女が溜息を吐きながら首を横に振る。
「確かに言ってることは正しいですし、きちんとダンジョンに潜る前に報酬はその日の3割を貰うと言っているそうですが……それでも、今の様なやり取りは結構起きてますね」
「そもそも、何で宗教が迷宮都市にいるんだ? あの聖光教っていうのは、ギルムだと見かけなかったが」
「さあ? その辺は詳しく知りませんが、元々はミレアーナ王国の田舎にあった小さな宗教団体が女神の加護を受けたとかで、ここ数年急激に勢力を伸ばしてきてるとか」
その言葉を聞き、やはり首を傾げるレイ。
このエグジルより小さいとは言っても、ギルムは人口10万を超える規模の街だ。だというのに、それ程勢力を増している宗教を欠片すらも見たことが無かったのが不思議だった。
エレーナの方はと言えば、こちらはその美しい眉を微かに顰めている。
「どうやらエレーナの方は覚えがあるみたいだな」
「ああ。うちの領地でも確認されている。とは言っても、それ程に勢いがあるという訳では無いがな。知る人ぞ知るといった話だ」
「……となると、わざわざ布教する場所を選んでいるのか? そもそも、本気で聖光教とやらを布教するつもりがあるんなら、報酬を受け取らずに布教活動して無料奉仕すればいいだろうに」
「ええ、勿論冒険者の方で彼等にそう言った方もいます。ですが、教義として自らの力を無為に与えるというのは禁じているとか何とか」
溜息を吐きながら呟く女だったが、やがて我に返ると口元を覆って誤魔化すように笑い声を上げる。
「ホホホ。その、ギルドが冒険者の方の評判をどうこう言うのはあまりよろしく無いので、この辺で勘弁して下さいね。それでは、明日からもまたご利用をお待ちしています。魔石の件、くれぐれもお願いします」
「ん? ああ。分かった。まぁ、魔石云々にしてもダンジョンに慣れて、盗賊をどうにかしてからだな」
「うむ。罠をどうにかしないといけないからな。正直な話、戦闘だけであれば私やレイ、それにセトがいれば全く問題無い。だから欲しているのは純粋に盗賊としての技量の高い者だが……難しいな」
溜息を吐きながら呟くエレーナにレイが頷き、話を聞いていた女も内心で頷く。
そもそも迷宮都市であるエグジルは盗賊の需要その物が高い。普通に腕の立つ盗賊であればすぐにパーティに誘われるだろうし、腕の立たない盗賊であってもパーティで育てるという目的で誘われることも多い。
そんな中でソロで活動している盗賊というのは、何らかの性格的な問題があってパーティを組めないか、あるいはソロでも十分やっていけるだけの腕があるか。そして、ビューネのように何らかのパーティを組めない理由があるということもあるだろう。
(そういう意味では、この人達は聖光教の盗賊を雇うのはありかもしれないんだけど……主導権を握っているレイって子の方が妙に宗教を嫌っているように見えるのよね。前に何かあったのかしら?)
内心で首を傾げる女だが、ギルド職員としてそれを表に出すことは無い。
買い取りカウンターの前から去って行く2人を見送り、これからの忙しい時間帯に向けて素早く素材の買い取りを捌く準備を始めるのだった。
「聖光教……ね」
ギルドから出て来たレイが呟く声には、面倒臭そうな色が混じっている。それに気が付いたエレーナが尋ねようとするが、その前に2人がギルドから出て来たのを見つけたセトとイエロが近付いてくるのに気が付く。
もっとも、イエロの場合は定位置とでも言うようにセトの背の上にいるのだが。
「キュ!」
短く一声鳴き、セトの背を蹴ってエレーナの左肩へと着地する。エレーナもまた、自分の肩で短く鳴き声を上げているイエロの喉を掻く。
そんな1組の主従の横では、セトもまた喉を鳴らしつつレイへと顔を擦りつけていた。セトの鳴き声にどこか心配そうな色が浮かんでいるのは、レイの様子を感じ取ったからだろう。
「グルゥ?」
どうしたの? と鳴くセトに、レイは小さな笑みを浮かべて何でも無いと頭をコリコリと掻いてやる。
そのまま1分程。セトと戯れているうちにレイも気を取り直したのだろう。ギルドを出た時とは違い、フードの下で素直に笑顔を浮かべていた。
「さて、まだ夕方には随分とあるが……どうする?」
レイが気を取り直したのをその雰囲気で感じ取ったのだろう。エレーナもまた、レイにこれ以上面倒な思いはさせないようにと気を使いつつ尋ねる。
「そうだな、ちょっと腹が減ったけど……宿の食事はまだだよな?」
「うむ。さすがに少し早いだろうな」
時間で言えば、まだ午後3時を少し回ったというところだろうか。太陽は燦々と輝き、今は夏! というのをこれ以上ない程に表していた。
一応宿で用意して貰った弁当をダンジョンの中で食べはしたが、それはあくまでも普通の人間が食べる量でしかない。普通の人間に比べて酷く燃費の悪いレイとセト。そしてエンシェントドラゴンの魔石を吸収したエレーナにも不足だった。
今のエレーナは吸収した魔石の影響により幾ら食べても非常に太りにくくなっている。それでいて身体の成長は微妙にではあるがまだ止まっていないのだから、世の女達が聞けば嫉妬で言葉も出ないのは間違い無いだろう。
「あのレベルの宿だから、頼めば何か出してはくれるだろうけど……どうする? 俺としてはこのまま食べ歩きしたいって気持ちが強いな」
呟きながら自分に撫でられているセトを見るレイ。
勿論ギルムよりも大きいこのエグジルで食べ歩きをしたいというのも事実だが、住民にセトを慣れさせたいという気持ちも強い。
ダンジョンに入る前に利用した串焼きの屋台では、実際にセトが幸せそうに串焼きを食べている光景を見て周囲の者達がセトに向ける恐怖や畏怖といった感情が薄れ、少し大きいが可愛らしい動物という認識を持った者がいたのだから。
ギルムを初めとした色々な街や村で体験してきた経験上、セトを慣れさせるにはそれが最も手っ取り早いと判断したのだ。
そんなレイの気持ちを理解したのだろう、エレーナもまた問題無いと頷く。
「そうだな。私もイエロと共に食べ歩きというものをしてみたい。……立場上、そのような真似をしたことがなくてな」
「まぁ、それはしょうがないな。普通は公爵令嬢に買い食いとかをさせたりはしないだろ。なら、俺と買い食いの初体験といこうか」
「初体験……か。妙に心躍る言葉だな。よし、では初体験といこうか。レイ、作法とかがあったら教えてくれ」
「作法って言われてもな。敢えて言うなら、食い終わった串を道端に捨てたりしないくらいか?」
そもそも、買い食いに対する作法と言われても、ゴミをポイ捨てにしない、あるいは買った食べ物を振り回して周囲に肉汁なりタレなりを飛ばしたりはしないといった基本的なことをエレーナに教え、習うより慣れろとばかりに近くの屋台へと向かう2人と2匹。
最初に買ったのは買い食いということもあり、最もポピュラーな串焼き。その後はサンドイッチやホットドッグといったものを食べていく。
珍しいところでは、クレープのようなものだろうか。ただし、レイの知っている生クリームや果物を巻いたクレープではなく、中にハムやチーズ、あるいは煮込んだ肉といったものを包み込んでいるガレットのようなものだが。
以前にも何度か食べたことのある料理だったが、それでも串焼き程に一般的なものではないらしく珍しい料理と言えるだろう。
そのガレットもどきをあっさりと食べた後、レイの視線が近くにある食堂へと向けられる。
そこから食欲をそそる香ばしい匂いがしてきているのだ。
「ん? 次はあそこか? いいだろう。確かにいい匂いが漂ってるしな」
呟き、2人と2匹はその食堂へと踏み出しかけたところで……歩みを止める。すると次の瞬間、食堂の中から1人の男が吹き飛ばされてくるのだった。
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