第363話

 ランクアップ試験が終わってから数日。雨雲が空を覆って小雨が降っている中、レイを初めとしてランクアップ試験に参加した者達はギルムの街の裏通りにあるとある倉庫のような広さをもつ場所にやってきていた。


「うわっ、何だよこれ。裏通りにこんな場所があるとか、それなりに長期間ギルムで暮らしているけど全く知らなかったぞ」


 ロブレが物珍しそうに呟くが、それに同意するでもなくシュティーはその背を叩く。


「それよりもほら、さっさと倉庫の中に入るわよ。このまま雨に濡れて風邪を引いたりしたら大変じゃない」

「……」


 シュティーの言葉に、同じくこの場にいたオンズも頷き、レイの案内に従って建物の中へと入っていく。


「一応、ここの持ち主に言わせればここは解体小屋って名称らしいけどな」

「この広さで小屋って……」


 扉を開き、中に入りながら呟くロブレ。


「あははは。でも、解体倉庫っていうよりも解体小屋の方が何か響きが良く無いですか?」


 建物の中から、そんな風に声を掛けながら1人の男が姿を現す。

 その男が誰なのかを、ロブレとシュティーは知っていた。

 この街の冒険者では無いオンズは知らなかったが、いつものように黙り込んでいる為に特に目立った様子は無い。


「グルルルゥ」


 レイと共に建物の中に入ったセトが、久しぶりに会うその相手を見て嬉しそうに喉を鳴らす。


「ハスタ、急にここを借りて悪いな」


 その人物、冬にレイと共に巨大な肉食のウサギとも言えるガメリオンを狩った冒険者のハスタへと、レイも声を掛ける。


「ハスタ!?」

「え? じゃあここって満腹亭の……?」


 この街で暮らしていたロブレとシュティーの2人は低ランク時代に何度となく満腹亭へと通っており、その為にハスタのことを知っていた。


「ロブレさん、シュティーさん、お久しぶりです。ランクBへのランクアップ試験を受けたとか。おめでとうございます」


 小さく笑みを浮かべて頭を下げるハスタに、ロブレは笑みを浮かべて首を振る。


「やめろよ、まだ合格したって決まった訳じゃ無いんだから。合否発表の日までその言葉は取っておいてくれ」

「そうよね。ランクアップ試験を受けることは出来たけど、それが合格かどうかはまだ分からないんだし」

「ロブレさんやシュティーさんなら合格間違い無いと思いますけど。……っと、それよりもレイさんが今日ここを貸して欲しいと言ってたのは?」


 一旦挨拶が終わったと判断したのだろう。レイへと視線を向けて尋ねてくるハスタ。


「ああ。ランクアップ試験で狩ったモンスターの解体をな。わざわざ街の外にまで出向くのは面倒臭いし、何より雨も降ってきてるし。……そうそう、そっちで黙っているのはオンズ。俺達と一緒にランクアップ試験を受けた冒険者だ」


 レイの紹介にペコリ、と頭を下げるオンズ。


「あ、どうも。ランクD冒険者のハスタです。その……よろしくお願いします」


 頭を下げつつも、オンズの顔に見覚えのないハスタは内心で首を傾げる。

 勿論ハスタがギルムの街にいる冒険者全員の顔を覚えている訳では無い。だが、それでもランクBになろうかという人物なら、顔を覚えていてもいいと思ったのだ。

 まさかオンズがランクアップ試験の為だけに他の街から呼ばれた冒険者であるとは気が付かずに。


「じゃ、早速使わせて貰うけど構わないよな?」

「ええ。僕も今日の店で使う分はもう処理しておきましたので、片付けをきちんとして貰えれば構いませんよ。何しろ、夏ですから……」

「あー、なるほど。任せて、その辺はきちんとしておくから」


 シュティーが納得したと頷き、それを見て安心したハスタは小さく頭を下げる。


「じゃ、僕は店の方に手伝いがありますので。使い終わったら店の方にでも顔を出して下さい。父さんがレイさんに新しい料理を食べて貰いたいって言ってましたから」

「新しい料理?」

「はい、暑い夏に涼しく過ごすのに最適な料理だって自慢してましたよ」

「あー、確かに。夏は暑いと食欲も無くなるからな」

「ちょっと、ロブレが夏ばてしたことなんか無いでしょ。いっつも食欲旺盛なくせに」


 頷きながら告げるロブレの頭を、シュティーが背後から軽く叩く。

 その様子を見ていたハスタは、小さく笑みを浮かべながら建物の外へと向かう。


「じゃ、レイさんだけじゃなくて皆さんの分も用意しておきますので、終わったら店の方に寄って下さい」


 そう告げ、小雨が降っている中を走って行くのだった。


「……さて、じゃあ俺達は早速バイコーンの解体に掛かるとするか。面倒な仕事は早いところ終わらせておきたいしな」


 ミスティリングから29匹分のバイコーンを取り出して床へと並べるレイ。


「この人数だし、全員が自分の分を解体していくってことでいいよな?」


 そんなレイの言葉に、皆が頷く。

 ……何故かセトも頷いていたが。

 解体用に用意されているフックに4匹のバイコーンの死体を吊り下げ、それぞれが解体を開始する。 

 レイが持ち出したのは、いつも使っている解体用のナイフだ。胴体から皮に切れ目を入れて皮を剥ぎ、その後肉を切って内臓と共に心臓を取り出し、そこに埋まっている魔石を取り出しておく。

 その後は肉をブロックごとに切り分けていき、1匹目の剥ぎ取りと解体が終了する。

 さすがにそれなりに回数をこなしてきたこともあり、レイが1匹に要する時間は以前よりも少なくなっていた。

 もっともロブレの解体速度には到底及ばないのだが。

 レイがバイコーン1匹を処理している間に、ロブレは2匹を処理し……


「うわっ、オンズさん早いですね!」


 皆が黙って真夏の暑さに耐えながらバイコーンを解体していると、不意にそんな声が周囲に響く。

 声のした方へと視線を向けたレイは、驚きの表情を浮かべてオンズへと尊敬の視線を送っているシュティーの姿を見つける。

 だが、シュティーの驚きの声を上げるのも無理は無かったのだろう。レイが1匹処理している間にロブレは2匹。だが、オンズはその間に3匹を処理していたのだ。


「……確かにこれは凄いな」


 シュティーに続いて感嘆の声を口にするレイ。

 何しろ、速度だけの問題では無い。剥ぎ取られた皮にも無駄な傷は殆ど無く――倒した時に出来た傷はあったが――肉の部位に関しても見事に切り分けられていた。そして当然魔石に関しても傷1つ無く綺麗に取り出されて床へと並べられている。

 レイの剥ぎ取った皮と比べると、見ただけでその差が分かる程に綺麗な剥ぎ取り方。年期の差とでもいうべきものがそこにはあった。


「グルルゥ……」


 そんな切り分けられた肉を見ていたセトが、喉を鳴らしてオンズへと近寄っていく。


「……」


 その様子を見ていたオンズは、特に何か言葉を発するでもなくバイコーンの背中の部分、高級な部位であるヒレ肉の部分をセトへと与える。


「グルゥ?」


 いいの? と喉を鳴らしながら小首を傾げるセトだが、オンズは特に何を言うでもなくヒレ肉の部分をセトの前に置いた後は残りのバイコーンの処理を開始していた。


「悪いな、助かる」

「……」


 次のバイコーンの処理に掛かる前にレイが感謝の言葉を掛けると、オンズは一瞬だけ視線を合わせて小さく頷く。


「俺だって負けていられねえ!」


 そんなオンズに対抗心を抱いたのだろう。ロブレが3匹目のバイコーンから皮を剥ぎ取ろうとしてナイフを突き立て……


「馬鹿、速さよりも丁寧に剥ぎ取りなさいよ。売るにしても皮に傷が付いていれば安くなるんだから。特にギルドで買い取りをして貰う場合はその辺が厳しいのよ」

「……なら、どこかの店にでも売ればいいだろ?」

「確かにそれなら高く買い取ってくれるかもしれないけど、そうなれば交渉が必須でしょ。ロブレは交渉が苦手だし、私も別に得意って訳じゃないしね」

「むぅ、しょうがないな。ならもう少し丁寧にやるか」


 ロブレも恋人の言葉には逆らえずに頷き、速度よりもどれだけ綺麗に剥ぎ取れるように丁寧にナイフを動かす。

 そんな風にそれぞれが再び解体に集中し始め、昼を過ぎた頃にようやく全てのバイコーンの解体が終了する。

 勿論最初に解体を完了したのはオンズで、その次がロブレ、シュティーと来て、当然のようにレイが一番最後となっていた。

 ただでさえ他の者達よりもバイコーンの割り当てが1匹多く、更に剥ぎ取りや解体の速度も最も遅いのだから、当然なのだが。

 結局は最初に自分の分を終わらせたオンズが、そして次に自分の分が終わった後でシュティーの方に協力し、それも終わらせたロブレとシュティーの2人も協力し、結局は4人でレイの分の剥ぎ取りと解体を完了したのだった。


「……ふぅ、で、俺は肉やら皮やらはアイテムボックスの中に入れればそれでいいけど、お前達はどうするんだ?」


 ブロック肉として切り分ける際に余った肉をレイの魔法で焼いて貰い、クチバシで咥えては飲み込んでいるセトの姿を横目に尋ねるレイ。


「当然用意はしてあるわよ。肉を運ぶ為の荷車を借りる手配は済んでいるわ」

「え? ……あっ!?」


 シュティーの言葉に、自分の分は用意していなかったのを思い出したのか声を上げるロブレ。だが……


「安心しなさい、ロブレの分もきちんと手配してあるから」

「お、おお。悪いな。さすがシュティー」

「こういう手配についても、そろそろ自分で出来るようになって欲しいんだけどね。毎回私がしてるじゃないの」

「いや、俺がやるよりもシュティーがやった方が確実だろ?」


 そんな2人の、痴話喧嘩としか言えないようなやり取りを聞きつつオンズへと視線を向けるレイ。

 

「……」


 だが、オンズは特に何を口に出すでもなく、無言で頷く。


「どうやらオンズも大丈夫なようだな。なら、早速俺は自分の分を片付けさせて貰うか」


 呟き、普通の馬よりも一回り、あるいは二回り程も大きいバイコーンの身体から切り出した肉を、ブロックごとにミスティリングの中へと収納していく。皮や骨、あるいは内臓を取り除いたと言っても、それでもバイコーン7匹分の肉の量だけに数t単位の重量になっている。

 それでもレイは特に苦労した様子も無く次々にミスティリングへと収納していき、皮や魔石についても同様に収納していくのだった。


(魔石の吸収に関しては……今日は無理だろうな)


 そんな風に思いつつ。






 それぞれが肉の処理を終えた一行――レイ以外は全員肉屋に売り払い、素材は各自が持ち帰ることになった――は、ハスタとの約束通り、満腹亭へとやってきていた。

 昼食の時間を少し過ぎたくらいの時間である為か、客の姿はそれなりにいるが、それでも満席という程でも無い。

 そんな中で、セトはいつものように店の前で寝転がり、レイ達は店の中へと入る。


「あ、レイさん! 他の皆さんも! もう終わったんですか? 丁度良かったですから、こっちへどうぞ」


 店の中で接客をしていたハスタの言葉に促されるままに、レイ達はテーブルへと着く。


「あ、ハスタ。悪いがセトが店の前にいるから何か出してやってくれ。俺には……」


 そう告げ、セトの料金も合わせて銀貨を取り出そうとしたレイだったが、ハスタは小さく首を振る。


「今日は僕が皆さんにご馳走しますよ。勿論セトにも」

「うおっ、マジか!?」

「いいのかしら?」

「……」


 ハスタのその言葉にロブレが喜び、金銭的に大丈夫なのかとシュティーが心配し、オンズが無言で頷く。

 だが、ハスタはその言葉に笑みを浮かべながら口を開く。


「ええ、構いません。その代わりと言っては何ですが、ちょっと新メニューの感想をお願いします」

「新メニュー? それって解体小屋で言ってた……やっぱりうどんメニューなの?」


 うどん発祥の地として有名な満腹亭。それだけにシュティーもうどんを食べたことがあるし、新メニューと言われて想像したのも当然うどんであり、その予想は正しかった。


「はい、うどんです。ただし、夏に食べるのに丁度いいメニューですけどね。皆さんもそれで構いませんか?」


 ハスタの言葉にその場の全員が頷く。


「なぁ、うどんを食ったことってあるか? 最近かなり流行っているんだけど」


 誰がうどんを広めたのかを知らないロブレの言葉だったが、特に自分が広めたと言い触らしたい訳でも無いのでレイは頷き、ランクアップ試験の為に最近この街にやってきたばかりのオンズは首を横に振る。


「オンズは初めてか。うどんってのはだな……」


 そんな風にロブレがうどんの食べ方を説明しているのを、シュティーとレイは苦笑しながら眺めていた。

 基本的には直情径行にあるロブレだが、その意外な面倒見の良さを眺めながら。


「はい、おまちどうさま。夏のうどんです」


 ロブレのうどん講座の途中で、ハスタがお盆を持ってやって来る。

 そのお盆の上に乗っているのは見覚えのあるうどんの入った丼では無く、どちらかと言えば皿だった。うどんの汁の熱気も感じられない。


「……これは?」


 そう尋ねたレイだったが、その声には小さな驚きが混じっている。初めて見る料理……だからではない。見覚えのあるメニューだったからだ。それも、このエルジィンではなく日本で。


「冷たく冷やしたうどんに、冷たい汁を掛けて上に各種具材をトッピングしたものです。夏で食欲が無くなっている人でも食べられるようになっています」

「うわっ、美味しそう!」

「確かにこれは暑くても食べられそうだな」


 ぶっかけうどん、という料理名がレイの脳裏を過ぎる。

 勿論レイの知っているぶっかけうどんと違うところは多々ある。温泉卵や生卵の黄身が無いといったところや、鰹節、ネギ、ミョウガ、大葉といった薬味が存在しないところ。上に乗っているのが茹でてから冷やした肉や野菜といったところか。


「どうやってこんなに冷やしてるんだ?」


 フォークでうどんを巻き取って口に運びながら尋ねるロブレに、ハスタは笑みを浮かべて口を開く。


「実はちょっと高価でしたが、冷却用のマジックアイテムを買いまして。僕は正直やめておいた方がいいって言ったんですが、父さんがどうしてもこの料理には必要だっていうんですよ。それでしょうがなく……」


 照れ笑いを浮かべるハスタの言葉に、オンズも含めて驚きの表情を浮かべる。

 魔石を利用して作られるマジックアイテムは、基本的に火を付けるような、一般家庭で使うような物以外は高価である。

 そんな中で冷却用のマジックアイテムともなればその値段は当然相応なものになり、それ故にレイ達は驚いていたのだ。

 オンズは満腹亭の金銭事情は知らないが、それでも冷却用のマジックアイテムが高価であると言うのは理解出来ている。

 こうしてレイ達は満腹亭の新メニューを味わいつつも、それを作り出した満腹亭の店主でもあるディショットの決断に笑みを浮かべるのだった。

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