第316話
「う、うわああああああっ!」
船の甲板でレイとセトを見た船乗りらしき男が悲鳴を上げる。
だが、レイはそんな悲鳴は関係無いとばかりに無理矢理セトを甲板の上へ着地させる。
「ほら、もう大丈夫だ。とにかく降りろ。それと、この船の奴等に説明を頼む。俺はまた救助に戻るからな」
「は、はい。助けてくれてありがとうございます。この子共々、もう駄目かと……」
そう言いながらセトの背から降りたのは20代程の女であり、手には赤ん坊が抱えられている。
海中に落とされた状態でも必死に赤ん坊を守っていたのか、海水で濡れてはいるものの特に怪我をしている様子は無い。母親の方は足に数ヶ所程モンスターに食い千切られたと思しき怪我があるが、数cm程度の噛み傷なので致命傷ではないだろう。
「お、おい! お前達は一体……それに、そのモンスターは……」
セトの姿を確認した水夫や冒険者達が近寄ってくる。その手には剣や槍、斧といった武器が持たれているが、それでも母親と子供を助けたというのもあって手を出してくる様子は無い。
もっとも、レイの側で周囲へと牽制するかのような視線を向けているセトの存在が迂闊に手を出させない雰囲気を発しているのだろうが。
グリフォンという存在を直接見た者はいなくても、その姿形は伝わっている。それだけに、より恐怖心が増しているというのもあるのだろう。
「悪いが話している時間は無いが、一応味方だと思ってもいい。俺は海に投げ出された奴等を拾い上げてくるから、受け入れの準備をしておいてくれ」
レイはそれだけを一方的に告げ、セトに合図して数歩の助走で再び空へと飛んでいく。
「あ、おい! もうちょっと説明を!」
「詳しい話はその女に聞け!」
背後から呼び止める声をそのままにセトは飛び立ち、先程まで自分がいた場所へと向かって行く。
その後ろ姿を呆然として眺めていた水夫や冒険者達だったが、やがて我に返ったのか毛布や温かい飲み物、怪我を治療する為の薬を準備し始める。
素早く船員達に指示を出し終え、船の責任者である船長は運ばれてきた母親から事情を聞くべく声を掛ける。
「今の坊主が連れていたモンスターは……グリフォンでいい、のか?」
自分で自分の言っている内容が信じられないとばかりに尋ねる船長。50代程の初老の男なのだが、その表情は面白い程に呆然としていた。もし女が今の様な目に遭っておらず、普通に船の上で今の船長の顔を見ていれば恐らく笑みを浮かべていただろう。それ程の呆然とした表情。
だが、女にしても命の危機にあったばかりであり、そんな余裕は無く、問われるままに首を縦に振る。
「はい、私とこの子が海に投げ出されたのを助けに来てくれた人です。他にもまだたくさん海にいるんですが、グリフォンの体力の関係で体重の軽い女子供から助けると言ってました」
「……そうか。グリフォンを従えている冒険者となると……この前の戦争で名を上げた深紅とかいう奴か? いや、今はそんなことはどうでもいいか。とにかくあいつが運んでくる奴等を保護するのを最優先にしないとな。おいっ、野郎共! すぐに今のグリフォンを連れた冒険者が海に投げ出された奴等を連れてくる。この天気だから病気になるようなことは無いと思うが、とにかく毛布や布、あるいは温かい飲み物の用意をしろ!」
船長の命令に、船員達はすぐに行動へと移る。その規律正しさは、並の軍隊よりも上だろう。
「船長、急いで出港したから飲み物の類は殆どありやせんが、どうしやすか?」
「……なら取りあえず出せる物を出すようにコック達に言え」
「船長、毛布を持ってきました!」
「そこに置いておけ。すぐに来るぞ」
「モンスターだ、モンスターがこっちにも来ているぞ!」
「ちぃっ、手の空いてる奴は迎撃を開始しろ。この船は巨大だからそうそうやられはしないだろうが、それでも損傷するのは面白くねえ!」
船長の指示に従い、手近にある弓や銛、あるいは投擲用の短い斧といった武器を持って迎撃態勢を整える。
そんな風に忙しく働く中、再び船長の耳に翼の羽ばたく音が聞こえてくる。
そちらへと視線を向けると、10歳程の子供2人を両手に抱えている先程の冒険者の姿があった。どこにしまったのか、先程まで持っていた巨大な鎌は存在していない。
レイがアイテムボックスを持っているという情報を知らない船長だったが、それを気にした様子も無く甲板へと降りてくるグリフォンへと大きく手を振って呼び掛けた。
「おい、こっちだこっち! ここに降りて来い!」
その言葉が聞こえたのだろう。レイはセトへと合図をし、まるで空を滑るかのように降下してくる。
「子供2人だ。もう少し子供がいるから、そのつもりでいてくれ。ほら、降りろ」
「うわああああああああん! 父ちゃんが、父ちゃんが!」
「えっぐえっぐ……お姉ちゃん……」
家族を目の前でモンスターにやられたのか、あるいは船と一緒に沈んだのか。とにかく子供2人はレイの腕の中で泣き喚いていた。
その様子を見ていた、最初に助けられた母親が素早く近寄ってきてレイから子供2人を受け取る。
「ほら、こっちにいらっしゃい。このお兄ちゃんは皆を助けてくれるんだから、邪魔しちゃ駄目よ。……お願いします」
自分へと頭を下げる女に頷き、再びセトを飛び立たせる。
その後ろ姿を見ながら、頭を下げる女。それは頼むというよりは、祈るといった方が正しい仕草だった。少なくてもその様子を眺めていた船長にはそう見えた。
「おう、兄ちゃん、こっちはいつでも受け入れ可能だ! この船もモンスター如きにゃ負けねえからどんどん連れてこい!」
そんな船長の呼びかけに後ろ向きに手を振り、ついでとばかりにセトも尾を振って1人と1匹はマジックアイテムの船がある場所へと戻っていく。
「透明度が高いからまだ敵の姿が見えるけど、海中ってのが厄介だよな。その分攻撃の威力も吸収されるし……なっ!」
移動中にもミスティリングから槍を取り出し、海中を泳いでいるモンスターへと狙いを定めて投擲する。だが……
「ちっ」
放たれた槍はレイ自身が口にしたように海水により大幅に威力を削られて、狙っていたモンスターには突き刺さらずに背負っている巨大な貝殻に弾かれた。
「威力が削られるのはともかく、海水に接触した影響で狙いが外れるってのも厄介だな」
苦々しげに呟いている間にもセトは真っ直ぐに目標地点へと飛び、船から5分と掛からずにマジックアイテムの船が集まっている場所へと到着する。
「おい、次はあそこにいる親子を頼む!」
レイが戻って来たのを見た冒険者の男、鮫のようなモンスターに襲われそうになっていたところをレイが間一髪で救った男の声に、手を振って了解の意を示して海面へと降りていく。
さすがに何度もセトが降りてきては海中に投げ出された人達を救助しているのを見ていた為だろう。差しのばされた手に脅えた様子も無く必死に掴まる中年の女。その背には10歳程の男の子供がしがみついていた。
「いいか、暴れると落としてしまうから身動きせずにじっとしていろ」
「はい!」
セトが周囲を警戒し、あるいは他の冒険者もレイとセトに近付いていくモンスターを警戒している中で、セトが身体を羽ばたきながら斜めにしてレイが伸ばした手を溺れていた女がしっかりと握ったのを確認して思い切り引き上げるレイ。
そのままセトの後ろへと乗せ、再び先程の大きい船へと向かって移動する。
(ちっ、セトの威圧を使えれば小物のモンスター程度は問題が無いんだろうが……広がりすぎているからな)
チラリ、と背後へと視線を向けるレイ。
複数のマジックアイテムの船や海中に投げ出された者達が広範囲に広がっているこの状況では、もしセトが威圧を使えば味方も巻き込むことになる。いや、寧ろ海中に投げ出された者達の殆どが一般人であることを考えると、味方の被害の方が大きくなるだろう。
セトの使う威圧というのは、指向性に関しては大まかな方向にしか設定できない。例えば今回のような場合は、海面へと向けて放てばモンスター以外にも被害が及ぶのだ。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
セトの背に乗りながら、レイへと感謝の言葉を紡ぎ続ける女。
正真正銘九死に一生を得たと言えるのだから、無理も無いのだろう。
だが、所詮レイとセトが助けることが出来るのは1度に1人か2人程度でしかない。そして、こうして運んでいる間にも運の悪い者は海中にいるモンスターの餌として、生きたまま海中に引きずり込まれて食われている。
マジックアイテムの船を持っている冒険者達も必死に牽制してはいるのだが、それでも数が違い過ぎて焼け石に水でしかない。
また、それを知っているからこその女の感謝の言葉なのだ。
(救助船も近づいて来てはいる。だが、それでもどのくらい助けられる?)
船が近づいて来ている影響もあり、セトの飛ぶ距離そのものが短くなってはいる。だが、それでも空を疾駆すると表現出来る程の速度を持つセトの速度を知っているレイにしてみれば亀の歩みの如き鈍さだった。
(元々今回の人助けは、エモシオンの街にいる者達に俺の好印象を与えるのが目的だったが、かと言って何の罪もないただの乗客がモンスターの餌になるのを見ているってのは気分が悪いな。どうにか……)
必死に対抗策を考えはするのだが、これといったものは思いつかない。
そんな風に頭を働かせている間にも、船との距離は縮み再び先程子供達を運んだ船の甲板へと到着した。
「2人だ!」
レイの声と共に、毛布を持った水夫が近寄ってくる。
同時にセトの背から崩れ落ちるようにして女は甲板へと降り立つ。
その様子を横目で眺めつつ、船長へと声を掛けるレイ。
「船の速度をもっと上げられないか? このままだと助けるにも限界がある。かなりの数が海中のモンスターの餌になってしまうぞ」
「分かっている! だが、この船の速度はこれが限界なんだ。すまないが、もう少し頑張ってくれ」
「……了解した」
分かってはいたのだ。港から出た救援船なのだから、最大速度で救援に向かっているというのは。だがそう口にするしか無い程、レイには現状の打開策を思いつくことが出来なかった。
船長にしてもそれは同じなのだろう。レイの言葉に乱暴に返事をしつつも、微かにだが悔しそうに表情を歪める。
「とにかく、少しでも救助をしてきてくれ。こっちも全力で向かっている。……頼む」
「ああ」
船長の言葉に頷き、セトが翼を羽ばたきながら空へと舞い上がって行く。
見る間に小さくなっていく船を視界の端に移しながら再び海に投げ出された乗客達のいる場所まで飛んでいた……その時。
「グルルルルゥッ!」
唐突にセトが高く鳴き、急激に身体を傾ける。
レイもまた、その動きに素早く反応してセトの身体から振り落とされないようにしっかりと跨がっている足へと力を込める。
何が起きたのか。それを理解したのは、斜めになっていたセトの身体がようやく水平に戻った時だった。つい一瞬前までセトの身体があった場所を、何かが貫いていたのだ。
「触手か? ……いや、違う。海水だと!?」
まるで急激に伸びてきた竹のように真っ直ぐ一直線に向けられている海水。そんな状態になるのは当然自然現象の筈は無く。何らかの手段によって意図的に行われたのは確実であった。そして、それだけでは終わらない。
「グルルゥッ!」
再び高く鳴き、翼を羽ばたかせながら急激に空中で位置を変えるセト。すると先程の繰り返しだとでもいうように、海水で出来た触手が一瞬前までセトのいた空間を貫いていた。
「ちっ、魔法か!?」
そう叫んで魔法を使ったと思しき存在を探すべく海中へと視線を向けるレイだが、いつの間にかつい先程まで海中に無数に存在していた筈のモンスターの姿が全て消えているのに気が付く。
(あれ程いたモンスターが全て消えている。まさか全部倒した筈は無いし、逃げたのか。……逃げた? 何故? それは当然、自分達よりも強い存在が……つまり)
「賞金首のお出ましって奴か! セト、しばらく回避を!」
「グルゥッ!」
海中から次々と自分を狙ってくる海水の触手……否、それは既に海水の槍とでも呼ぶべき物を回避しているセトがレイの声に高く鳴く。
そのままセトに回避に専念して貰いながら海中へと目を凝らすレイだが、どこにも標的と思われるモンスターの姿は見つけられない。
「ちっ、なら海底からこっちの位置を把握しているのか?」
幾ら透明度の高い海だとは言っても、海底まで見える訳では無い。現状で見える範囲にモンスターの姿が無い以上、見えない範囲……つまり海底に潜んだまま攻撃を仕掛けてきているというのがレイの考えだった。
「遠距離からこっちを把握出来て一方的に攻撃可能だとか、不利過ぎるだろう!」
その言葉と共に、前方に現れた海水の槍が空中で大きく曲がって先端をセトへと……正確にはレイへと向けて伸ばされる。
不機嫌そうに舌打ちをし、投擲用の槍と入れ違いに出したデスサイズを振るって海水の槍を斬り裂く。
先端を斬り落とされたその瞬間、海水の槍はただの海水へと戻って海面へと零れ落ちていった。
さすがに見えない敵に襲われたまま救助へ向かう訳にはいかず、セトの進行方向を変えながら襲撃現場の海域から離れて行き、そのまま5分程回避しながら敵の姿を探すも、結局見つけることが出来ずに海水の槍の攻撃も唐突に無くなる。
そう、まるで遊び疲れたからもういいや、とでも言うように。
一方的に攻撃されたことに眉を顰めつつ、救助を再開する為にマジックアイテムの船が留まっている場所へと戻っていくのだった。
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