第315話

「グルルルルゥッ!」


 セトの機嫌の良さそうな鳴き声が空へと響く。

 前日の大雨が嘘のように春の日差しが降り注ぐ中、空を飛んで目的地でもある港街エモシオンへと向かっていたレイとセト。

 そんな1人と1匹の視線の先にあるのは、どこまでも続くかのような広大な水平線だった。

 エモシオンの沖を何隻かの船が動いているのが見え、あるいは港へと停泊している船もある。船に関しても外洋船のような巨大な船から、ミレアーナ王国と同じ大陸にある港と行き来するような船、あるいは漁をする為の漁船のような多種多様な船が存在している。

 そんな光景を上空から眺め、レイもまたセトと同様にその光景へと魅入っていた。

 だが、そんな時……レイとセトの視界の先で海を渡っていた船の1隻から、突然海中へと向かって弓や魔法、その他にも樽や剣、槍といったあらゆる物が投げ込まれる。


「……何だ?」


 一瞬、海賊か何かに乗り込まれでもしたのかと思ったが、まさか港から見える場所で海賊が暴れる筈も無いとすぐに思い直す。そして次の瞬間には自分がこのエモシオンの街へと来た理由を思い出した。


「なるほど、あれが海中で暴れているモンスターの仕業か」


 視線の先では、雷の矢や炎球、水の槍といったものが次々と放たれているが、海中にいるモンスターには海水が盾となって魔法の威力の殆どを吸収し、ダメージが通らない。それでも諦めて堪るかとばかりに海中へと攻撃しているが、モンスターはその姿を海上に現すことは無く、やがて船底に穴が開いたのか、徐々に船が傾きながら沈んでいく。

 その船の救援に向かっているのだろう。あるいは賞金を求めてモンスターを倒すのを目的としている者もいるのか、港からは幾つもの船が沖へと向かっているのが見える。


「グルルゥ?」


 どうするの? とばかりに小首を傾げて尋ねてくるセトに、レイは悩む。

 救助という意味では、セトはレイ以外に乗せるとすれば子供、あるいは女が精々といったところだ。それも鎧のような重い装備を付けていればそんな相手でも難しくなる。

 前足の鉤爪で掴めば大丈夫だろうが、それだと溺れなくても鉤爪で怪我をしたり、下手をすれば死ぬ可能性が高い。


「けど……そうだな。ここで名前を売っておくのはいい機会、か。印象を良くしておけば絡んでくる馬鹿も少なくなるだろうし」


 人助けというより、完全に打算の産物でどうするのかを結論づけて視線を沖の方へと向ける。

 そこでは既に船底が完全に破壊されるか何かしたのだろう。船が急速に沈みつつあった。


「セト! 取りあえず俺達の名前を売る為の第1歩として救助に行くぞ。外壁を避けるようにして進め!」

「グルルゥッ!」


 レイの言葉に高く鳴き、そのまま翼を羽ばたかせて海へと向かって進んで行く。

 その際、ギルムの街と同様に外壁に空を飛ぶモンスター用の対策がされている可能性を考え、外壁を避けるように飛んでいくように指示するのを忘れない。

 勿論辺境であるギルムの街と同様の仕掛けがされているとも限らないが、それでも万が一を考えればそうせざるを得なかったのだ。助けに向かって街の仕掛けに引っ掛かって墜落して死亡。そんな風にならない為には。






 セトがエモシオンの街を迂回するようにして海へと向かっていた時、未だに港から出発した救助船の殆どは現場海域へと到着していなかった。

 基本的には手こぎや帆船である以上、どうしても速度に難が出るのはしょうがないのだが、それでも数少ないマジックアイテムの船は現場海域へと到着しており、海に投げ出された人々の救助を行いつつ海中を警戒している。

 先程船を沈めたモンスターだけではない。海には他にも数多くのモンスターが存在しており、それらのモンスターが海に投げ出された乗客達を狙っているのだ。


「くそっ、攻撃魔法をもっと濃密にしろ! モンスターを倒さなくてもいい、とにかく弱い魔法でもいいから数を撃って時間稼ぎに徹するんだ! もうすぐ港からの援軍が到着する! モンスターを仕留めるのはそれからでいい!」


 現場海域に存在している数隻のマジックアイテムの船のうちの1隻。その船は長さ3m程度の小型船であり、とてもではないが周囲の海に投げ出された人々を助けるような空間的余裕は存在していなかった。それ故に船に乗っていた冒険者達のリーダーは周囲の人々を救助するのではなく、必死に海中から乗客達を狙っているモンスターを牽制することに集中する。


「頼む、早く来てくれ……」


 祈るように港からこちらへと向かっている複数の船へと視線を向け、同時に手に持っていた銛を船の近くにいた乗客へと襲い掛かろうとしていた蟹の上半身と水母の下半身を持つモンスターへと投擲する。

 攻撃自体は海水と蟹の甲羅という2重の防御に阻まれてダメージを与えることは出来なかったが、それでも牽制にはなったのだろう。その場で反転して海の底へと引き返していく。


「リーダー! とにかくこの船の近くにいる奴等だけでも船の上に上げない!? このままじゃ敵の狙いが多すぎて、こっちの手数が追いつかない!」


 船に乗っている仲間の冒険者の声に、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべつつ首を振る。


「駄目だ。今船の上に人を上げたら、こっちが身動き出来なくなる。そうなれば、結果的により多くの被害が出る!」

「けど……ええいっ! しつっこいのよ!」


 叫びつつ、持っていた弓で矢を放つ女弓術士。

 放たれた矢が海中にいる人を丸呑みにしようとしていた体長2m程はあろうかという巨大な体躯を持つ魚の頭部へと突き刺さり、命を絶つ。

 命を絶たれたモンスターはそのまま海中へと沈んでいき、同時に小型のモンスターが集まってはその体へと食いつき、噛み千切って餌とする。


「ちょっとちょっとちょっと! あっちあっち! ウミヘビっぽい集団が来てる!」


 指揮を取っていたリーダーが仲間の声に振り向くと、確かに沖の方から自分達の方へと向かってきているウミヘビのようなモンスターの集団が存在していた。


「ぐっ、あの数は拙い。スオレ、広範囲魔法を! 確か雷系の奴があっただろ?」

「無理無理無理ー! 周りは海だよ! 海中にいる人にもダメージがいくって!」


 海にいるモンスターは基本的に雷系の魔法が弱点であるが、それを使えば当然海の中にいる人々にもダメージがいく。

 そのことを咄嗟に思い出したリーダーの男は、一瞬迷い……その迷いが致命的な時間の遅れを招く。


「ぎゃああああああっ!」

「何!?」


 唐突に聞こえてきた悲鳴。その悲鳴の聞こえてきた方へと視線を向けると、そこでは40代程の中年の男の船乗りが海中へと沈んでいくところだった。

 透明度の高い海であるが故に、何がそれを行ったのかがリーダーの目ではっきりと確認出来る。


「くそっ、囮か!」


 そう、これ見よがしにこの船のある方へと向かってきていたウミヘビのようなモンスターの集団は囮であり、本命とも言うべき存在はより深い位置を泳ぎながら先行してきていたのだ。

 太さはそれ程でも無いが、体長は4mを越えるかのようなそのウミヘビのモンスターは、船乗りの男の身体へと胴体を巻き付けながら海中へと潜りながら鋭い牙が生えている口を開き……次の瞬間には海水に大量の血が混じる。


「畜生、畜生、畜生っ! 援軍はまだ来ないのか!」


 叫びながら後方へと振り向くが、港から向かって来る船との距離は先程と比べてそれ程縮まっているようには見えない。

 このままでは援軍が到着する頃には、海中に投げ出された人々を助けるどころか自分達の身まで危うい。

 このパーティだけではなく、他にもマジックアイテムの船を持っているパーティ達も全員が絶望と共にそう思っていた。

 一瞬、このまま全滅するよりは自分達だけでも逃げるか。そんな考えも浮かぶが、海中にいる者達に縋るような視線を向けられればそれも出来ない。


「リーダー、そっちにデカブツが行ったよ!」


 仲間の弓術士の声に、咄嗟に振り向く。その時、リーダーの視線に入って来たのは自分を飲み込むのには十分な程の大きさの口を持ち、その中に無数に生え揃っている鋭い牙だった。


(ああ、駄目だ……)


 思わず内心でそう呟く。回避するには既に敵が近くまで迫りすぎており、かといって迎撃するにも間に合わない。

 自分の20年足らずの人生はこんな所で終わるのか。そう絶望に思考が染められた、その時。


「飛斬!」


 そんな声が聞こえたと同時に自分を食い殺さんと迫っていた巨大な口が空中で強制的に横へとずらされ、リーダーの真横を巨大な口を持つモンスター……一見して鮫のように見える体長5mはあろうとかという巨大な存在は、何をその腹に収めるでもなくマジックアイテムの船の上を飛び越え、海中へと潜っていく。


「……何が?」


 自分は死ぬ筈では無かったのか。何故生きているのか。先程の聞き覚えの無い声は誰の声だったのか。そんな思いで呟くが、パーティの仲間達からの返事は無い。いや、何故か近付いてくる有象無象の敵モンスターに対する迎撃を行うことも無く、ただひたすらに口を大きく開けた表情のまま空を見上げていた。

 リーダーの男は気が付いていなかったが、それは周囲に幾つかいるマジックアイテムの船を持つ他の冒険者パーティや、あるいは海に投げ出された者達も同様だった。

 仲間達の様子に、何が起きたのかと反射的に上へと視線を向けようとした、その時。


「ちっ、固いな。まさか飛斬でかすり傷程度しか付けられないとはな」


 翼の羽ばたく音と共に、そんな声が上から降ってくる。


「グルルゥ」

「ああ、そうだな。とにかく海のモンスターとは言っても今みたいに襲い掛かろうとしているのなら問題無く対処出来るのは分かった。後はタイミングだが……おい、大丈夫か?」


 小柄な少年の声に、我に返るリーダー。だが、一瞬自分は本当に我に返ったのかどうかが信じられなくなる。もしかして、今も自分はエモシオンの街にある宿屋のベッドの中で眠っているのではないか。これは夢なのではないか。そう思い込んでしまう。

 何しろ、視線の先にいるのは鷲の上半身と獅子の下半身を持つ存在、即ちランクAモンスターのグリフォンなのだ。しかもその背には冒険者と思しき存在が乗っており、身の丈以上の巨大な鎌を携えて自分へと声を掛けているのだから。

 冒険者でも……否。冒険者だからこそ信じられないようなその光景に、唖然としていると海中の様子を探っていたその冒険者、レイと視線が合う。


「一応救助に来た訳だが、出来ればそっちに手伝って欲しいんだけどな」


 その一言で、自分達が何をしにここまでやって来たのか思い出したリーダーが我に返る。

 更に、徐々にではあるが港から出港した船も近づいて来ており、足自慢の数隻は既にかなり距離を縮めていた。

 それを見たリーダーの男は、周囲の様子を素早く確認しながらレイへと声を掛ける。


「援軍に来てくれて感謝している。詳しい話は後にして、海中にいる人達を後ろから来ている大型船まで連れていってくれ!」

「それは構わないが……ちっ、しつこいな!」


 再び先程の巨大な鮫のようなモンスターが海中を上がってきて自分を狙っているのに気が付いたレイは、左手にデスサイズを持ったまま、ミスティリングから槍を取り出して右手に構えた。


「魚なら魚らしく……串刺しになってろ!」


 その言葉と共に放たれた槍は空気を斬り裂き、更には海水すらも斬り裂き、空中に跳びはねようと戻って来ていた鮫型のモンスターの口の中へと入っていき、喉へと突き刺さる。

 レイ自身が言葉にしたように喉から身体を貫くように串刺しとなり、海中へと沈んでいく鮫型のモンスター。


(沈む? 普通は死んだら浮くんだと思うが。特にここは海なんだし。……しかしまいったな。これだと倒したモンスターの魔石を得るのも一苦労か)


 海中に沈んだだけなら、透明度の高いこの周辺の海なら引き上げることも可能だろう。だが周囲には多数のモンスターがおり、そのモンスターは餌となるものを見過ごさない。例えば、冒険者達に倒されたモンスターだとしても。 

 実際、レイがたった今倒した鮫型のモンスターは既に海中で大量のモンスターに群がれており、急速にその身体の体積を減らしていっている。恐らく数分も経たずに骨だけになるのだろう。


「おい、あんた! とにかく救助を! 空を飛んでこっちに向かっている大型船に海にいる人を運んでくれ!」


 レイが倒した鮫へと海中のモンスターが群がっている影響で、ようやく一息吐くことが出来た冒険者の男がそう告げてくるが、レイはすぐに頷かずに視線を海にいる人々へと向ける。

 その数は大体100人程度はいるだろうか。船に乗っていたのはもっと多かったのだが、船と運命を共にした者や一連の戦闘に巻き込まれた者。そして何よりも海中を泳いでいるモンスターの餌となった者も多く、この程度の人数まで数を減らしていた。


「俺の乗っているグリフォンで運べるのは重量的に考えて、女子供だけだ。それでもいいか?」

「あ、ああ! 頼む!」


 少し無理をすれば大人の男も当然運べる。だが、そうするとセトの体力が急速に消耗される為、いつまで掛かるか分からない救助活動でそれは避けたかったのだ。だが……


「グルルゥ!」


 セトが鳴きながら自分の首に掛かっている首飾りをレイへと見せつける。

 慈愛の雫石。常時回復効果を与えてくれるマジックアイテムだ。それ程強力な回復効果を持つ訳では無いが、それでも近くまで来ている大型船まで大人の男を運ぶ程度なら大丈夫、と主張するセト。

 そんなセトの首を撫でながら、まずはモンスターに対する対抗手段の無い女子供を運ぶべきだと口にするレイだった。

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