第310話

「……行ったわね。ふぅ」


 ギルドマスターの執務室からレイが出て行ったのを見て、思わず深く息を吐くマリーナ。

 端から見ればレイを前にしていつも通りの態度を取っていたように見えたマリーナだったが、魔法の扱いが得意なダークエルフの中でも、更に凄腕の魔法使いだけあって魔力を感じ取る能力は優れている。それ故に、レイの持つ莫大な魔力をその身に感じるとどうしても緊張してしまうのだ。

 ただ長い時を生きてきたマリーナだけに、それを表に出さないようにするのはそれ程難しいことではないし、何よりも何度かレイと接触してその性格を理解しているのでそれ程苦になるという訳でも無かった。


「それに……ふふっ」


 ちょっと誘惑すると一々反応するその様子は、莫大な魔力をその身に秘めているのとは裏腹に純情な少年そのままのようでもあった。そのアンバランスさがマリーナの重圧を減らす。


「とにかくこっちの目論見通りにレイはエモシオンへと向かってくれた。なら、後はその間にギルムの街の大掃除が必要ね」


 呟きつつ、執務机から1枚の封筒を取り出すマリーナ。その手紙は2日程前に鳥の召喚獣を使って王都から届けられたものだ。差出人はこの街の領主でもあるダスカー・ラルクス。


「全く、戦争が終わったと思ったらすぐに派閥抗争を始めるなんて……国王派というのは随分とお気楽だこと」


 気怠げに呟き、短く呪文を唱えるとマリーナの持っていた封筒は瞬時に燃え上がり、手紙を持っていたマリーナの指には微かな火傷すら付けずに数秒で灰と化す。


「ま、エモシオンは港街だけに色々とレイの興味を引く物もあるでしょうし、何より海中にいるモンスターだけに倒すのには手間が掛かるでしょう。恐らく移動時間も考えて、猶予は最速でも半月。長引けば1月ってところかしら。ラルクス辺境伯からの依頼をどうにかするには十分でしょう」


 マリーナは、既に灰と化した手紙の内容を思い出す。

 国王派の本流の者達の中でも、数名の貴族がレイの実力を知り自分の勢力に引き込もうと暗躍する為にギルムの街へと自分の手の者を送り込んだという内容だった。勿論普通の引き抜きでもダスカーはいい顔をしないのだが、今回は派遣されてきた者達が問題だった。貴族の裏の仕事を行うような者達であり、即ちどのような手段を使っても……例え脅迫といったような手段を取ったとしても目的を達成する者達だ。

 レイのことを所詮は冒険者と侮っているのか、あるいは貴族に逆らうような真似はしないと判断しているのか。戦争に参加した者ならルノジスという貴族の行く末については理解しているのだが、現場にいない貴族達にそれを理解させるのは無理だったらしく、それ故の無謀な行いとなったのだ。

 マリーナとしてはギルムの街の領主であるダスカーから頼まれたということもあるし、あるいはギルドマスターとして腕の立つ冒険者を他の支部に渡したく無いという気持ちもある。更に言えば、好意を感じている相手が不愉快な目に遭ってるのを見たくないというのもある。その好意が男女間のものというよりは、現状では友人間の好意ではあるのだが、それでも好意は好意だ。

 その為、騒動の原因になっているレイに一旦ギルムの街からいなくなって貰い、その間に行動に出ることにしたのだ。

 いなくなって貰う理由については、幸いレイ本人に言ったように港街エモシオンの件がある。いや、実際に沖に潜んでいるモンスターを何とかしなければミレアーナ王国が受ける被害は莫大なのだから、マリーナが口にしたのは満更嘘ばかりでもないのだが。


「とにかくまずは騎士団と協力して対処しないとね。それと、草原の狼? 確かそんな名前の盗賊団があったと思うけど……どうやって引き入れたのかしら?」


 首を傾げつつも、この辺境の街へと余計な騒動を持ち込む相手へと対処するべく長年の経験から策を考えるマリーナだった。






「あ、レイ君。マスターの用件は終わったの?」


 マリーナの執務室から出て1階へと戻ったレイを出迎えたのは、ケニーのそんな声だった。

 興味深い……というよりは、マリーナの色気にやられていないかという風な心配の声だったのだが、レイはそれに気が付いた様子も無く小さく頷く。


「ああ。ちょっと他の街に行くことになった」

「……え?」


 予想外の言葉だったのだろう。だが、それも無理は無い。そもそもレイがマリーナに呼ばれたのは、マジックアイテムを貰う為だった筈なのだから。それが、何故いきなり他の街に行くということになるのか。ケニーはおろか、隣で話を聞いていたレノラにすらも理解が出来なかった。


「って言うか! レイ君この街を出て行くの!?」


 我に返ったケニーが叫び、その叫びはギルド中へと響き渡る。同時に、昼間近いというのにギルドに残っていた数少ない冒険者達にもその声は聞こえる。


「おい、今の……」

「レイが他の街に? いや、でも冒険者としてここ以上の場所なんて殆ど無いだろ?」

「うーん、迷宮都市とか?」

「ああ、ダンジョンか。……でも、ダンジョンならこの近くにもあるだろ? ほら、まだ攻略されてない」

「でも、あそこのダンジョンはまだそれ程大きくないからな。もっと大きいダンジョンに潜ってみたいとか?」


 レイと親しい冒険者はギルムの街でもそれ程多くないが、それでも戦争で名を上げたという意味では現在最も注目を集めている冒険者だ。ギルムの看板……というにはまだまだ早いが、それでも有名度合は戦争に参加した者達からミレアーナ王国中、そしてベスティア帝国中へも広がっていっている。いや、寧ろ直接の被害を受けたベスティア帝国の方がレイの名前は広がっているだろう。

 そんなレイがギルムの街からいなくなると聞いてざわめきが起きるが、すぐにレイが首を振ってそれを否定する。


「別にもう戻って来ないって訳じゃない。港街エモシオンの沖で何やらモンスターが暴れて船を沈めているらしくてな。その討伐に行って来るだけだ」


 レイの言葉を聞き、安堵の表情を浮かべるレノラとケニー。

 それぞれがレイに対して抱いている想いは違えど、それでも好意を抱いているのは事実なのだ。

 だが、さすがに受付と言うべきだろう。レノラはレイの言葉を聞き、その件についての概要を思い出す。


「エモシオンの件ですよね? あの件は依頼という形ではなく、最初に討伐対象のモンスターを倒した人が依頼料……というか、賞金を総取りするというような、一種のイベントに近いものだったと思いますが」

「らしいな」


 その通りとばかりにレノラの言葉に頷くレイだが、ケニーにとっては初耳だったのか、驚きの表情を浮かべてレノラへと視線を向ける。


「船を襲うってことは、港を半ば封鎖されているって状態でしょ? なのに、何でそんな悠長なことをしてるのよ。普通に討伐依頼で希望者を集めればいいじゃない?」

「そう言われても、別に私が依頼を出した訳じゃ無いんだけど……ただ、聞いた話によると、色々と複雑みたいよ?」

「複雑?」

「ええ。色んな利権が絡んでるって話だし、エモシオンにある冒険者ギルドも面子があるから、自分達だけで倒したいみたい。けど、エモシオンの領主の立場としては何度か討伐に失敗しているエモシオンのギルドよりも他のギルドの高ランク冒険者に期待しているとか。勿論エモシオンのギルドとしては面白く無いけど、さすがに領主に要請されたら……ってことみたい」

「……確かに聞くだけで色々とありそうね。でも、そんな場所にレイ君が行っても大丈夫なの? それこそ妙な人間関係に巻き込まれたりするかもしれないのに」


 心配そうな視線を向けてくるケニーだが、レイとしてはここで降りる気は無い。


「珍しいモンスターの魔石を入手出来るかもしれないしな」

「……魔石を集める趣味って、正直どこがいいのかわからないんだけど……」


 女としてレイに好意を持っているケニーにしても、魔石を集めるというレイの趣味は理解が出来なかった。

 かと言ってレイのもう1つの趣味でもあるマジックアイテムの収集に理解がある訳でも無いのだが。

 マジックアイテムの収集を趣味としている者というのはそれなりの数いるのだが、マジックアイテムの値段を考えれば大抵が貴族や大商会の経営者、そして高ランクの冒険者となる。そのような金の掛かる趣味というのは、さすがにケニーにとっては理解出来るものではない。

 もっとも、レイがどれ程の金を稼いでいるのかを受付嬢として知っているケニーとしては、そのような趣味を持っていてもおかしくは無いとは思うのだが、納得出来るかどうかというのは別だった。


「まぁ、魔石の収集にしろマジックアイテムの収集にしろ、趣味は人それぞれだから私がどうこうとは言えないのは分かってるんだけど」

「そうして貰えるとこっちとしても助かるな。とにかく、エモシオンに行くことになったというだけは伝えておくよ」


 これ以上は引き留めても無意味だと理解したのだろう。レノラがケニーの制服の裾を引っ張って小さく首を振り、改めてレイへと声を掛ける。


「それでレイさん、出発はいつくらいになりそうですか?」

「今日……という訳にはいかないから、明日の朝だな」

「そうですか。……レイさん、海のモンスターを相手にするのは初めてだと思いますから、くれぐれも注意して下さいね。特に何隻も船を沈めているとなると、恐らくは相応に巨大な相手になるでしょうし」

「ああ。俺の場合はセトがいるからな。何か危険があったらすぐに戦闘から逃げ出せるから大丈夫だよ。……まぁ、心配してくれたのには礼を言っておく」


 レイがそう言ったその時、不意にケニーが口を開く。


「そう言えば、私もここ暫く働きっぱなしだったっけ。少しくらいは纏めて休みを貰ってもいいと思わない?」


 意味ありげに呟き、レノラへと視線を向けるケニー。何を言いたいのかは明らかだった。まさに目は口ほどにものを言うといったところか。

 だが、レノラがそんなケニーに対してとったのは、手に持っていた書類を丸めて後頭部に振り下ろすという行動であり、スパーンッ、という軽快な音が周囲へと響き渡る。


「痛っ! ちょっと、何するのよ!」

「何するのよじゃないわよ! 忙しかったってのは分かるわよ? でも、それはギルドの職員全員同じでしょ!」


 後頭部を殴られて抗議するケニーに、がーっと怒鳴るレノラ。

 実際、戦争があった影響でここ暫くのギルドは非常に忙しかったのは事実だ。だがレノラの言葉通り全員が忙しかったのだから、ケニーだけが休もうとすれば、当然レノラの怒りが爆発する。


「うー……でも、レイ君がエモシオンで変な女に引っ掛かったりしたらどうするのよ。レノラは気にならない訳?」


 そう言いながら何とかレノラを説得しようとするケニーだったが、レノラの答えは再び振り下ろされた書類の一撃だった。


「ぎゃんっ!」


 書類を丸めた一撃だったのだが、その威力はまるでレノラの気迫が宿ったかのような攻撃力を持ち、ケニーをカウンターへと沈める。


『……』


 さすがに今の光景は衝撃的だったのだろう。カウンター内にいるギルド職員や、数少ない冒険者達、そして今の光景を目の前で見たレイの視線がレノラへと向けられていた。

 自分に向けられている視線を感じ取ったのだろう。レノラもまた、口に手を当て誤魔化すように笑みを浮かべる。


「あら、変なところを見せてしまいましたね、すいません」


 まるでオホホホとでも表現出来そうな表情で周囲を誤魔化し、努めて冷静に自分の席へと座る。

 数秒の静寂の後、やがてギルド内部へとざわめきが戻って来た。人にもよるが、今のは無かったことにした者が多いのだろう。

 そんな中、レイもまたカウンターに沈み込んでいるケニーの様子を流してレノラへと視線を向ける。


「じゃあ、俺もそろそろ行くよ。明日の準備もしないといけないしな」

「え? ええ。分かりました。海のモンスターは今までレイさんが戦ってきたモンスターとは全く違いますので、くれぐれも気を付けて戦ってきて下さいね」

「ああ、問題無い。すぐに……」


 そこまで口に出し、言葉を途切る。


(そうだな、恐らく港街……というか、海特有のモンスターは数多い筈だ。なら1ヶ月程度は向こうで魔石を集めるのも悪くは無い、か)


「レイさん?」

「いや、どうせ海に行くんだ。暫く骨休めしてくるのもいいかと思ってな」

「南国の海……砂浜……開放的……女……敵……」

「黙りなさい」

 

 呟きながら上半身を起こそうとしたケニーの後頭部へと再び振り下ろされる書類。


「ぐぅ……私を倒したとしても、いずれ第2、第3の私が現れるだろう。くれぐれも……」

「いい加減にしなさい!」


 魔王を滅ぼす為の聖剣の一撃。一瞬ケニーの後頭部に振り下ろされる書類をそんな風に見てしまうレイだった。

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