第282話

 本陣の奇襲。その言葉を聞き、レイは軽く首を傾げる。

 現在の戦場は正面からミレアーナ王国軍とベスティア帝国軍の先陣がぶつかっている状態であり、とてもではないが戦場を回避して本陣へと奇襲を仕掛けられるとは思わなかったからだ。


「この戦場を回り込んで本陣に奇襲を仕掛けたのか?」


 目の前で油断無く自分の様子を窺っている、短剣を持った男と2mを越す巨漢の男の動きを見過ごさないようにしながら、後ろにいる竜騎士へと問いかけるレイ。 

 だが、問いかけながらも、自分の言葉に無理を感じていた。

 本陣に奇襲を仕掛けるというのなら当然ある程度の戦力が必要であり、それを先陣部隊に見つからないようにしながらやり過ごすというのはいかにも無理があるた為だ。


(いや。……もしかして、魔獣兵を出してきたのか?)


 内心でそんな風に思ったレイだったが、その予想は半分外れで半分当たっていた。


「敵は後方から本陣に奇襲を仕掛けています。それと、奇襲部隊はモンスターと人間の合いの子のような存在で構成されていると」

「……なるほど。そう来たか」


 竜騎士の話を聞き、舌打ち1つ。

 魔獣兵はともかく、転移石を使ってくるのは予想外だった為だ。レイが聞いた話によると、転移石そのものがかなり高価であり、転移させられる人数も限られていると聞いていたのだが。


(だが、今回は国と国の戦争だ。なら高価なマジックアイテムも使いたい放題……とまではいかないが、倹約する必要もないんだろうな)


「分かった、すぐに救援に向かう」


 再度の舌打ちをし、デスサイズに魔力を通しながら振るって刃に着いていた血を吹き散らす。

 数十人、いや数百人。……下手をしたら千人を超すだろうベスティア帝国軍の者達を血の海に沈めたというのに、レイの着ているドラゴンローブには血の一滴すら付いていない。ドラゴンの皮膚を使って作られたマジックアイテムであるが故だ。


「グルルゥ」


 のそり、と喉を鳴らしながら現れるセト。

 微かな気配すらも感じさせずに姿を現したセトに竜騎士の乗っていた飛竜はビクリとし、同時にレイの前にいた2人組の冒険者もまた動きを止める。


「セト、どうやら後方で間抜けどもが奇襲を受けているらしい。俺達に救援に向かえとさ」

「グルゥ」


 任せろ、と鳴きながら小さく頷くセト。

 その爪やクチバシ、あるいは身体にもベスティア帝国兵のものだろう返り血が付いているのだが、セト自身はそれを気にした様子がない。

 同時に、レイもまたドラゴンローブやデスサイズは綺麗なままだが、顔には数滴の返り血が飛び散っている。しかし、それを気にした様子も無くセトへと跨がるレイ。

 そのまますぐに救援に向かうのかと思いきや、セトの存在に身体を固めている飛竜に跨がっている騎士へと視線を向ける。


「援軍については了解した。だが、このまま敵先陣部隊を逃してもいいのか?」

「も、問題ありません。フィルマ様、ダスカー様の率いる部隊が既に参戦していますので」


 レイとセトの醸し出す迫力に、本来であれば一騎当千とまで言われるエリート部隊である筈の竜騎士がどこか気圧されたように言葉を返す。

 それは間違いではない。事実、騎士が跨がっている飛竜はセトという存在に本能的に萎縮しているのだから。


「そうか」


 それだけ答え、セトに声を掛けようとして……再び視線を竜騎士へと戻してふと思いついた疑問を尋ねる。


「俺の他にも援軍を向かわせるという話だが、誰なのか具体的に分かるか?」

「機動力のある者をとのことですので、エレーナ様達が向かわれると聞いています。それに、本陣から既にこちらに向かっていた先発部隊も引き返しているとか」

「へぇ、なるほど」


 竜騎士の言葉に、笑みを浮かべるレイ。


(中立派と貴族派ということで同じ戦場にはならなかったが、あのエレーナのことだ。恐らく大いに暴れまくっているだろう。それに、魔獣兵を相手にするのなら、そのオリジナルである継承の儀式を行ったエレーナは頼りになるのは間違い無い)


 内心で呟き、視線をセトの登場で動くに動けなくなっている冒険者2人へと向ける。


「命拾いしたな」


 短く告げ、セトの首筋を撫でて合図を送るレイ。

 言葉を交わさずとも、その行動だけでレイの言いたいことを理解し、セトは地を蹴り翼を羽ばたかせて空へと駆け上がっていく。


「本当に命拾いしたよな。あんなのとまともに戦ってたら、まず勝ち目は無いだろうし」

「……異論は無い。それより俺達も退くぞ。あの化け物がいなくなったとしても、まだここには竜騎士がいる。今の状況で戦いたくはない相手だ」

「了解。それに今の話を聞いてただろう? こっちの戦力が敵の本陣に攻撃を仕掛けたって言ってたからな。この話を広める必要もあるし、そうすればこっちの士気も上がるだろ。……何とかこの戦で生き延びる算段が出来てきたな」


 小声で相談し、2人の冒険者はそのまま後方へと退いていく。

 竜騎士はそれを忌々しそうに眺めていたが、特に手を出すようなことは無かった。レイと戦っている光景を目にし、竜騎士である自分と同等に近い力を持っていると判断していた為だ。もちろん戦って負けるとは思わなかったが、それでも倒すまでには苦戦するだろう。そして今は時こそが何よりも重要であり、1分が金貨1枚程の価値もあるこの状況で無駄に時間を消費する訳にもいかなかった。


(それに……)


 自分の相棒へとそっと視線を向ける男。

 首筋をそっと撫でてやるのだが、それでも飛竜の身体の震えは止まらない。

 それ程までにグリフォンは格が違っていたのだ。圧倒的な威風。ランクAモンスターという存在がどれ程のものなのかを、本能で理解してしまう程の迫力。

 これが、もしギルムの街でレイが定宿にしている夕暮れの小麦亭で遭遇したのなら、ここまで圧倒されることはなかっただろう。だが、今回は状況が違った。寝そべってゆっくりとリラックスしている厩舎と違い、ここは戦場の真っ直中なのだ。当然セトも戦闘を繰り広げている状態では纏っている雰囲気が違っていた。


「……済まないが、もう少し頑張ってくれ。まずはフィルマ様の下に戻って彼が本陣の救援に向かったと伝えないといけないからな」


 飛竜を落ち着かせるようにそっと撫で、何とかこの場から離れることには成功するのだった。






「くそっ、何だって後ろに敵軍がいるんだよ! しかも人間じゃねえし!」


 兵士の1人が忌々しそうに叫びつつ、自分へと向かってくる相手に向かって槍を突き出す。

 背中から2本の、剛毛が生えたゴリラのような腕を持つ異形の相手は、突き出された槍を横から手を伸ばしてあっさりと止め、そのまま柄の部分を握力だけでへし折る。


「くそっ、化け物がぁっ!」


 咄嗟に途中でへし折られた槍の柄を引きつつ、次の瞬間には渾身の力を込めて再び突き出す。

 穂先は失ったが、折れた柄の部分は尖っている為に、まだ武器として使えると判断して繰り出された突きだった。だが、それを相手は手で……先程槍をへし折った剛毛の生えた手ではなく、肩から生えている人間の腕が持っている盾を持ち上げて防ぐ。


「ぎゃははははは。甘い甘い。その程度で俺達をどうにか出来ると思っているのかよ!」


 笑い声を上げつつ、背中の腕を振り回して兵士の顔面を鷲掴みにする。


「ぐがっ、くそ、離せこの!」


 必死に暴れる兵士だが、相手はその様子を楽しむように一通り眺め……次の瞬間には握っていた兵士の頭を握り潰す。

 手の中に広がる、骨が砕け、肉がひしゃげ、血が弾け、脳みそが潰れるその感触に、うっとりとした笑みを浮かべる魔獣兵。

 そのまま周囲を見回すと、似たような光景がそこかしこで繰り広げられていた。


「んー、いい感触だった。よお、そっちはどうだい?」


 自分から少し離れた場所にいる下半身が大蛇の男へ尋ねると、そちらからも笑みを含んだ声が返ってくる。


「最高だな。全身の骨が連続して折れていくこの感触は」

「ひゅぎゃああ、た、たふけ、たふけふぇぇぇぇっ!」


 貴族と思しき男が、身体中を蛇の尾で巻き付かれ、締め上げられている。既に顎の骨も砕かれているのだろう。口から出る言葉には呂律が回っていない。


「ほーらほら。ゆっくり、ゆっくりとこのまま締め上げてやるぞ? ……あぁ、また1本折れたな。この折れた音は肋骨か? まだ無事だった肋骨があったんだな。精々生きながらえる為に肺に刺さったりしないことを祈るんだな」


 奇妙に伸びた舌を口の中で出し入れしながら貴族を痛めつけていく魔獣兵。


「いやっ、やめて、やめてええぇぇぇっ!」

「おら、うるせえぞ。少し黙れ。ああやって死ぬよりはいいだろ?」


 抵抗する女の冒険者の鎧を毟り取り、その下に着ていた服を破って素肌を日の下に曝す。

 女は必死に抵抗して曝された胸を片手で隠し、もう片方の手で自分にのしかかってこようとしているトカゲのような顔をした男の顔面目掛けて殴り掛かるが、勢いが殆ど無かったその一撃は男の顔に生えている鱗に滑り、毛程の傷も与えられない。

 そんな相手へと嘲笑を浮かべつつ自らの下半身を露出させ……次の瞬間に違和感に気が付く。


「……え?」


 呆然と自分の胸から生えている物へと視線を向けるトカゲの男。

 ゆっくりと視線を背後へと向けると、そこにいたのはまるで道端に落ちているゴミでも見るような視線を自分へと向けている男だった。

 敵ではない。目の前にいる人物は、断じて自分達の敵ではない。むしろ味方の筈だった。


「な、何で? テオレーム様……」

「喋るな、貴様が喋ると私の周りの空気までが汚れる」


 表情を微塵も変えずに、胸元に刺さっていた剣を瞬時に上へと向けて振りぬく。そうすると、当然トカゲ男の肉体も斬り裂かれることになり、その目に宿っていた情欲の光は急速に消え去っていく。


「下種が」


 短く呟き、刀身にこびりついた血を振るい落とし、視線を副官へと向ける。

 その視線の意味を理解したのだろう。シアンスは極寒のと表現すべき視線を周囲でミレアーナ王国軍の兵士を相手に自らの暴力欲を発散させている魔獣兵達へと視線を向ける。


「貴方達はこんな場所で何をしているのかしら? 自分達の役目を忘れたの? ……そこの貴方、言ってみなさい。テオレーム様が貴方達に下した命は何?」


 先程までは嬉々として兵士を絞め殺していた、下半身が蛇の魔獣兵がシアンスの視線に射すくめられながらも何とか口を開く。


「ミ、ミレアーナ王国軍の本隊を率いているアリウスとかいう伯爵を捕らえるか殺すかすること」

「そうね。良く分かっているようだけど……貴方達がやっているのは何? 誰かが敗残兵をいたぶって殺せと命令したのかしら?」

「……いや」


 さすがにこのままでは自分の身が危険だと判断したのだろう。素早く周囲に視線を走らせながらこの場をやり過ごす方法を考えるが、残念ながらすぐに名案は浮かばなかった。


「いい? 作戦開始前にも言ったけど、この奇襲は速度が全てなの。貴方達もあの炎の竜巻を見たでしょう? あんなのを作り出せる敵がいるのよ? 本来なら、あの相手は竜騎士が押さえる予定だったけど、そんな甘い相手じゃなかったのは分かるわよね?」

「……ああ」

「それが分かっているのなら、すぐに追撃に移りなさい。殆どの魔獣兵は既に本隊の後を追っているわ。こんな場所で遊んでいるような暇は無いの」

「……」


 極寒の視線に、ついには言葉すらも出なくなった蛇の魔獣兵。

 そんな相手に向かって再び声を上げようとしたシアンスだったが、テオレームが手を上げてその言葉を止める。

 何故? という視線を向けるシアンスだったが、テオレームの表情を見て黙り込む。


「この場にいる魔獣兵達に告げる。兵士100人、あるいは冒険者か騎士30人。貴族、将軍、騎士団長といったものは1人。各自その程度の手柄を挙げられない者は、この作戦後に厳しく罰するものとする」


 その言葉に、周囲にいた魔獣兵達がざわめき始める。

 口にするのは簡単だが、実際に今テオレームが口に出した内容の手柄を挙げるには相当厳しいものがある為だ。いや、普通の兵士ならまず無理だろう。魔獣兵であることを考えてあるいは……そんなレベルの難易度の話だったからだ。


「分かったな? 私は本気だ。さっさと行け」


 無感情に告げるテオレームに、その場に存在していた魔獣兵の殆どが畏怖の表情を浮かべて走り去る。

 その後ろ姿を見ていたテオレームは、周囲に副官のシアンス以外誰もいなくなったのを見て取ると小さく溜息を吐く。


「全く、初めての戦術だからしょうがないとは言っても……これ程までに計算違いが起きるとはな」


 血に酔った魔獣兵達の暴走。あるいは本来なら後方の本陣にいた筈の敵総大将の不在。

 前者に関しては、元々魔獣兵になる為の施術の影響で前もって予想していたとは言っても、戦争の雰囲気や血に酔うのが魔法省の錬金術師達から聞いていた話よりも大分早かった。だが、それはまだいい。テオレームにとって最大の計算違いは本陣の総大将の不在だった。

 偶然捕虜にした貴族からテオレームが聞き出した話によると、先陣部隊が予想以上に手柄を挙げた為、このままでは自分達の手柄が無くなると、あるいは貴族派と中立派を消耗させるという目論見が完全に外れ、それならば少しでも自分が手柄を挙げようと前線へ向かったのだと言っていたのだ。総大将にあるまじき行為ではあるのだが、その行為故に魔獣兵達の奇襲の被害を最低限にしたのも事実。


「……アリウス伯爵、あるいは全てを読み切った上での行動か?」

「可能性としては無いでもありません。こちらの得た情報によると、彼の人物は理論と直感では後者を重視する人物とのことですから」


 副官の言葉に小さく溜息を吐くテオレーム。


「どちらにしろ、こちらの目論見は外された。後は魔獣兵達が首を挙げるのが早いか、あるいは……」


 遠く、魔獣兵達と国王派が戦っているであろう方向へと視線を向けながら呟き、小さく首を振って、近くに繋がれたまま残っていた軍馬へと近付いてく。


「行くぞ。計算外の事態とはいえ、敵軍総大将を討つ機会には違いない。向こうの援軍が来る前に、何としてでもこの戦争の流れを決定づける」

「はっ!」


 主であるテオレームの言葉に短く返事をし、そのままシアンスも近くにいた軍馬へと跨がり、ミレアーナ王国軍の総大将の首を狙うべく激戦地となっているであろう戦場へと向かって行く。

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