第277話

「セト、周囲には誰もいないな?」

「グルゥ」


 レイの呼びかけに、セトが小さく喉を鳴らす。

 現在1人と1匹がいるのは静寂に満ちている雑木林の中。

 既に林の向こう側ではミレアーナ王国軍の本陣とも言える国王派の姿も無く、周囲にはレイとセト以外は小さな獣くらいしか存在していない。

 スケルトンやゾンビを始めとするアンデッドも多少はミレアーナ王国軍へと襲い掛かったのだが、さすがに多勢に無勢というべきか、殆ど鎧袖一触に蹴散らされていた。


「後は連絡が来るのを待てば……いや、待つまでも無かったか」


 急速にこちらへと近付いてくる相手の気配を感じ取り、右手のミスティリングからデスサイズを取り出す。

 もちろんセレムース平原のミレアーナ王国側の勢力下にあるこの場所で敵に襲われるとは思っていなかったが、それでも用心を欠かすような真似はしなかった。

 既にここは戦場。何が起きてもおかしくはないのだから。

 だが、そんなレイの不安はすぐに杞憂に終わる。前もってレイのいる場所を聞いていたのか、その人物は殆ど迷いなくレイとセトの潜んでいる雑木林へと入って来たからだ。更に雑木林に入ってきた男の顔には見覚えがあった。


「お前は確か、草原の狼の……」


 レイが引き込み、ラルクス領軍の偵察役としてダスカーへと紹介した草原の狼。そのメンバーの1人で、エッグの判断に納得がいかないとレイに絡んできた男だ。ただしその顔に見覚えはあっても、目の前の人物とは1度絡まれて戦っただけな為、名前までは覚えておらず口籠もる。

 そんなレイへと視線を向けて一瞬何かを言おうとしたが、そんな場合ではないと判断したのだろう。溜息を吐いて口を開く。


「ああ。お前に軽くあしらわれたキルトスだ。で、エッグさんからの伝言を持ってきた。もう少しでお互いの使者がそれぞれの降伏勧告を述べて戦闘が始まるから準備しろとさ。……それと、向こうにはかなりの数の竜騎士が確認されているから、注意しろとも言っていたな」


 竜騎士という単語に、ピクリと反応するレイ。

 嫌そうな顔をしつつ、セトの頭を撫でる。


「竜騎士か。かなり強いとは聞いているが、戦ったことが無いんだよな。……お前は?」


 視線を向けられたキルトスは心底嫌そうな顔をしつつ首を横に振る。


「勘弁してくれ。竜騎士なんてのは騎士の中でもエリート中のエリートだぜ? 維持するのにとんでもなく金が掛かる代わりに、その戦闘力は普通の騎士とは比べものにならない。それに空を飛べる相手だ。もし盗賊の俺達がまともにぶつかってたら、まず勝ち目は無いだろうさ。俺達は壊滅。エッグさんでもどうにか逃げ切れるかどうかってところだろ。……正直、俺はお前の実力をこの身で味わって知っている。だが、グリフォンのセトとか言ったか? そいつがどれ程に強いのかは知らない。何を企んでいるのかは知らないが、竜騎士を……それも複数を相手にするなんてのは絶対に止めた方がいい」


 意外なことに、キルトスの口から漏れたのは間違い無くレイを心配する言葉だった。


「お前の言っている話は分かるが、それでも多少の無茶をしないとこの戦争は色々と危ないからな。……とにかく、伝令は助かった。俺はそろそろ出るとするから、お前も仕事を続けてくれ」


 そう言い、セトへと近付いていくレイ。

 そんなレイを目にし、キルトスは思わず再び口を開く。


「おい、だから空を飛んでいれば竜騎士に見つかるって言ってるだろ? 何をする気なのかは知らないが、見つかったらどうしようも……」


 尚も言い募ろうとするキルトスだったが、レイの顔に悲壮な覚悟や絶望といった色が無いのを見て首を傾げる。

 自分なら竜騎士と戦うのはどうあってもごめんなのだが、目の前にいるレイは何らかの勝算があるかのように見えたからだ。


「……どうするつもりだ?」

「何、そんなに難しい話じゃない。竜騎士と言うからには、乗っているのは結局人間だろう?」

「いやまぁ、確かにそれはそうだが」

「なら、幾ら竜騎士が強いと言っても竜が上れる高度には限りがある。上に昇れば昇る程騎士達の動きは鈍くなる。それに竜騎士の竜は飛竜で、智恵のある竜って訳じゃない。その辺のモンスターと同じようなものだ。……もちろん、その能力の高さは理解しているけどな」


 レイの説明に、微妙な表情を浮かべるキルトス。

 キルトスにしても、山賊である以上は平地よりも山の方が気温が低くなるのは知っている。レイが言っているのもそのことだろうと予測は付いたのだが……


「けど、それはお前も同じだろ? 竜騎士に耐えられないような高度なら、お前も耐えられないんじゃないのか?」


 そんな当然の疑問が浮かび、素直に口に出す。

 だが、レイはその疑問に対し、笑みを浮かべて首を振る。


「俺は趣味もあって色々と実用的なマジックアイテムがあるしな。その関係で寒さや暑さに関してはかなり強い」


 正確に言えばレイの着ているドラゴンローブこそが今回の鍵と言えるマジックアイテムなのだが、さすがにそれを口にする程レイもお人好しでは無い。

 そんなレイの質問に納得したように頷いたキルトスだったが……不意にその視線はレイの隣に立っているセトへと向けられる。


「そのマジックアイテムはグリフォンにも効果があるのか?」

「いや、無いな。だがセトをその辺のグリフォンと一緒にして貰っては困る。この程度の作戦は難なくやれるさ」


 セトの頭を撫でながら言葉を返すレイ。

 実際、以前に何度かどこまでの高度を取れるかセトに乗って試してみたことがあり、その際にかなり空気の薄い場所まで到達することが出来ていたのだ。この辺はやはり普通のグリフォンではなく、レイの莫大な魔力を使った魔獣術により生み出されたセトだからこそなのだろう。


「……そうか。まあ、そっちの話は分かった。なら俺はエッグさんの場所に戻るが、構わないよな?」

「ああ、そうしてくれ。……それとエッグに伝言を頼む。今回の戦争ではベスティア帝国も本気だ。それこそ、ミレアーナ王国側に侵入して後方かく乱とかは普通にやってくる可能性が高いだろうから、そっちの対処を頼むと」


 そう告げたレイだったが、戻って来たのはキルトスの浮かべたニヤリとした笑みだった。


「そんなことは既にお前達のボスから言われているさ。草原の狼のメンバーも、かなりの数が周囲に散らばって偵察している」

「へぇ」


 自分の思いつくようなことは既にダスカーも思いついていると知りつつ、レイは感心して頷く。


「じゃあ、後方は任せた」

「ああ。……その、なんだ」

「ん?」

「気を付けて行ってこい」


 予想外の言葉に、一瞬ポカンとしながらもやがて小さく頷く。

 出会いとしては最悪の部類だったが、恐らくエッグが色々と手を回したのだろう。キルトスのレイに対する態度は、初対面の時に感じた棘は殆ど残っていなかった。


(全く、何をどうすればあんなに敵意を抱いていたのがこうなるのやら)


 レイとセトが飛び立つまでは見送ろうというのだろう。少し離れた位置で1人と1匹の方へと視線を送っているキルトスへと一瞬だけ視線を向け、そのままセトの背へと跨がる。


「さて、セト。俺達の出番は近いぞ」

「グルルゥッ!」


 レイの声に触発されたのだろう。セトもまた、戦意を感じさせる鳴き声を上げつつ数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて空へと昇っていく。

 そんなレイとセトの様子を頼もしそうに眺め、キルトスは報告をするべくエッグの元へと戻っていく。






 レイとセトが飛び立ったのとほぼ同じ頃、セレムース平原ではミレアーナ王国軍とベスティア帝国軍が正面から向き合っていた。

 先陣には中立派と貴族派の戦力が集中しており、その背後ににはミレアーナ王国軍側の本隊とも言える国王派の部隊が待機している。

 そして、その国王派の部隊の更に後方にある雑木林の中で密やかに事態は進展していた。


「くそっ、ば、化け物……が……」


 無念そうに呟き、地面へと倒れる男。

 地面と接している胴体からは大量の血が流れており、男の命がもう助からないのは誰の目にも明らかだった。

 そんな男を感情すら感じさせずに見ているその人物は、身体にローブを纏っており、手には杖を持つ。40歳程の外見をしており、どこからどう見ても中年の魔法使いにしか見えない存在だっただろう。

 だが、男の下半身を見れば地面に倒れ込んだ瀕死の男が化け物と呼んだ理由がすぐに分かった筈だ。

 何故なら、男の下半身は巨大な蜘蛛のそれだったのだから。いや、大きさを考えれば蜘蛛の上半身に男が生えていると表現するのが正しい。

 蜘蛛と人が混じり合った外見を持つモンスターとして有名なのはアラクネというモンスターだ。だが、このアラクネは蜘蛛から生えているのは女の身体であって、今ここで無感情に男へと視線を向けているような中年の男では決して無い。

 男の名はギルゴス。魔法使いが自ら志願して魔獣兵となった変わり種であり、それ故に魔獣兵としての力の他に魔法すらも使いこなすことが出来る。また、魔獣兵の施術を受けた者は理性や知性が劣化しやすくなるのだが、ギルゴスはむしろ人間だった時よりも頭の冴えが良くなるという極めて珍しいタイプの魔獣兵だった。それ故にテオレームからの信頼も厚く、魔獣兵達の指揮を任されることが多い。


「鼻が利いたのが命取りになったな」


 呟き、下半身の蜘蛛の部分から糸を吐き出すと、既に事切れていた男を糸で繭のように包み込む。


「こんな男でも、何かの実験には使えるだろう。最悪、理性を失った魔獣兵の食料にしても構わんしな」


 再び呟き、人間を食うという行為を口にしつつも、全く違和感の無い口調で呟いて繭状になった死体を邪魔にならない場所へと寄せる。


「ミレアーナ王国がこのような腕利きの者共を揃えているとなると、テオレーム様の予想が珍しく外れたのか? いや、実際に総大将がアリウスだという話だし、国王派はこちらを侮っているのは間違い無い。となると、中立派か貴族派か」


 地面に広がっている血を見ながら微かに眉を顰め、呪文を唱えながら持っていた杖を振るう男。 

 すると次の瞬間には地面に残っていた血の跡が土に飲み込まれるように消えさり、数秒程前にここで人が死んでいたという痕跡が全て地面の下へと姿を消す。


「それにしても、遅いな。そろそろ時間の筈だが」


 チラリと視線を地面へと向ける。

 そこに描かれているのは魔法陣だった。それも、ただの魔法陣ではない。ギルゴスの立っている地面一帯の殆どにまで広がるような巨大な魔法陣だ。

 だが、もしここにミレアーナ王国の者がいたとしても魔法陣に気が付くことは出来ないだろう。何故なら、魔法陣そのものから認識をずらす為の魔法をギルゴスが使っているのだから。本来であればそれ程強力な魔法ではなく、少し勘の鋭い者なら違和感に気が付ける程度の効力しかないのだが、ギルゴスはその場に自分自身を置くことでその効力を増していた。

 この場に誰かが来たとしても、まず目に付くのは異形の姿をしたギルゴスだろう。そして、当然の如く地面の違和感はギルゴスの存在によって掻き消される。

 そんな風にしてミレアーナ王国軍が布陣している場所からかなり距離があるとは言っても、その魔法陣を描き維持しているのはギルゴスの高い能力故のことだった。


「転移石と儂等魔獣兵を同時に使った奇襲。転移石を知っている者なら誰でも簡単に思いつきそうな戦術だが、それをここまで大規模に行えるのはテオレーム様だからこそか。もっとも、この手の戦術は1度使えばそれで終わりというものの類ではあろうが」


 ベスティア帝国で生み出された魔獣兵と転移石。その2つを使ったこの奇襲は、初めて使われる今回に限って言えばそれだけでこの戦争を終わらせる程の効果を持っているとギルゴスは判断していた。

 そして……その時が訪れる。

 ギルゴスの視線の先にある魔法陣が淡く光り、明滅し、その間隔が次第に短くなり……次の瞬間には数秒前までギルゴスしかいなかった雑木林の中に無数の人影が姿を現す。その数、約500程。身体から鱗が生えている者、猿のような尻尾が生えている者、頭の上から毒々しい華を咲かせている者、下半身が巨大な蛇となっている者、口から巨大な牙が生えている者。それぞれ数えるのが馬鹿らしくなる程の異形の集団。だが、魔獣兵としての戦力とミレアーナ王国軍の本陣背後という位置取りを考えると、ここにいるのはそれだけで今回の戦争を終結させ得る程の戦力と言っても過言では無かっただろう。

 その中でも特に目立つのは、やはりテオレームとシアンスの2人だ。周囲にいるのが異形の者達である為、人間である2人は魔獣兵達と比べても非常に目立っている。だがそれは姿形だけではない。2人から感じられている力そのものが周囲の魔獣兵達と違うのだ。


「……お待ちしていました、テオレーム様」


 ギルゴスが蜘蛛から生えている上半身で器用に一礼をする。

 それを鷹揚に受け止め、口を開く。


「ご苦労。この場所に関してはまだ見つかっていないな?」

「はい。何人か目敏い者もいましたが、その者らはこちらで処理しておきました」

「そうか、よくやった。では私達が次にすべきは時を見計らってミレアーナ王国軍本隊の背後を……っ!?」


 何かを言おうとしたその時、反射的に戦場の方へと視線を向けるテオレーム。それはシアンスやギルゴス、あるいはその場にいた多くの魔獣兵達も同様だった。

 そして、テオレーム達は見る。戦場のある方向に存在している巨大な竜巻を。炎と風によって構成されている破壊の化身を。

 雑木林の中からだというのに、更には戦場からはまだ距離があるというのに、くっきりと見えるその姿を。


「馬鹿な、何だあれは……あれ程の巨大な竜巻を……いや。竜巻ではない、のか?」


 ギルゴスの唖然とした声のみが静まり返った周囲へと響く。

 だがそんな中で、魔獣兵達の中の1人だけがその歪な顔に笑顔を浮かべていた。

 左肩の先から生えているのは木の根で出来た触手であり、顔は所々が焼け爛れ、4つの目が存在している。

 その4つの目で炎の竜巻へと視線を向けながら、楽しそうに、面白そうに、口を開く。


「けっ、けひっ、み、見つけた……見つけたぞ、レイ。お前の仕業だな? ……けひっ!」


 引き攣ったように笑みを浮かべるその魔獣兵。かつてはヴェル・セイルズと名乗っていた男は、心の底から楽しそうな視線を炎の竜巻へと向けるのだった。

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