第272話
「中立派の最前線か。まあ、レイの実力ならそれもおかしくはないだろうな」
剣の手入れをしながら、ルーノが呟く。
それを聞いていたレイは、地面に寝転んでいるセトへと体重を預けながらルーノの剣の手入れを眺めている。
「お前はどこに配属になったんだ?」
「俺か? 俺は大体中衛辺りだな。戦闘力特化のお前やエルク達と違って器用貧乏だから、最初に正面からぶつかり合う場所は向いてないんでな」
「一応重要人物でもある俺の護衛を任されていたんだから、戦闘力不足ってことは無いだろう?」
任されていた。そう、既に戦場へと到着した以上ルーノはレイの護衛を解かれて1人の冒険者としてこの場にいた。
それでも他の冒険者達の側ではなくレイの側にいるのは、やはりこれまでの付き合いでそれなりに気心が知れているからなのだろう。
「はっ、護衛って言っても俺がお前を守る必要があるのか? 今にして思えば、俺がお前の護衛に任命されたのは恐らく話し相手ってのが正確だったんじゃないかと思ってるよ。何せ護衛対象が護衛よりも強いし、更にセトまでいるんだぞ? 護衛としての俺の存在意義なんてそんなもんだろうよ」
自らを卑下しそうなことを口に出しつつも、その目に浮かんでいるのは、どちらかと言えば楽が出来て運がいいというような気楽なものだ。
「話し相手……ねぇ。それは否定出来ない事実かもな」
春の日差しが降り注ぐ空を見上げ、雲が殆ど無い空を見上げながら溜息を吐く。
「どうした、そんな溜息なんか吐いて? まさかお前程の男が戦争に怖じ気づいたって訳でも無いだろう?」
「そうだな。別に戦争自体に不安がある訳じゃない。けど、何て言うかもっとこう……」
自分の今の気持ちを口に出そうとするのだが、適切な言葉が見当たらない。そんな風にしつつ、それでも口を開く。
「俺達がここに陣を敷いたのは昨日だよな?」
「そうだな。ここに到着したのが昨日の午後だし」
「……いつまでここで待機していればいいんだ? 戦争はまだ始まらないのか?」
「何だ、戦争が怖いんじゃなくて、まだ始まらないのが不満だったのか」
「別にそんな訳じゃないさ。けど、戦争が始まる前の雰囲気がいまいち好きになれなくてな。今までは俺が戦闘の開始を決めることが出来ていたのに、今回は国と国の戦争だから戦闘がいつ始まるのか分からないだろう?」
「それはそうだろ。幾ら定期的に行われている戦争とはいっても、国と国の戦争だ。儀礼的なものを済ませてからでないと開戦は出来ないんだろうよ。もしその儀礼的なものを無視して戦争を仕掛けようものなら、勝ったとしても周辺諸国からそこを突かれるしな」
「……なるほど」
ルーノの言葉に頷きつつも、セトの体温を感じながら内心で首を傾げるレイ。
(戦争前に散々ミレアーナ王国の内部で騒ぎを引き起こしてきた奴等だ。それがそんな儀礼的なものを気にするか?)
そんな風に思いつつも、相変わらず剣の手入れをしているルーノの様子を眺めていたのだが、さすがにじっと見られているのは気になるものがあるのだろう。嫌そうな顔をしつつルーノがレイへと視線を向けてくる。
「そうやって見られていると気に掛かるんだがな。お前の武器は手入れをしなくてもいいのか?」
「デスサイズは魔力を通して使うから手入れの必要性は殆ど無いな。それ以外のミスリルナイフや剥ぎ取り用のナイフ、槍とかはギルムの街を出る前に鍛冶屋で手入れして貰っているし」
呟きつつ、武器の手入れを頼んだ鍛冶屋のパミドールの顔を思い出す。
端から見た限りではまず間違い無く盗賊か何かに間違われる程に凶悪な顔をしていながらも、その実家族思いという人物。そんな人物ではあったが鍛冶師としての腕はかなりのもので、辺境にいる者達の為に自らの腕を振るいたいと王都からわざわざギルムの街までやってきたという、極めつけにアンバランスな人物だった。
当初戦争に参加するから武器の手入れを頼むと店を訪れたレイに対して、パミドールは仕事を断った。自分の技術は同じ人に向ける為ではなく、辺境の民衆をモンスター達から守る為だと。だがベスティア帝国の侵略を許せば民衆こそが最も被害を受けるというレイの言葉に、渋々武器の手入れを引き受けた。もっとも渋々とはいっても仕事に手を抜く筈もなく、デスサイズ以外の武器――ミスリルナイフや茨の槍、そして火属性特化のレイには武器としては使えないが、流水の短剣――は綺麗に手入れされてレイの手元へと戻って来た。
さすがに使い捨てとして使っている投擲用の槍に関しては手入れを頼むことは無かったが、それでもマジックアイテムの手入れということで銀貨数枚とそれなりに大きな出費となったのだが。
「ちっ、金持ちはいいねえ。どうせなら……」
ルーノが何かを言い掛けた時、ラルクス領軍の陣地へと数名の兵士達が叫びながら入ってきた。
「ベスティア帝国軍がセレムース平原に到着した! 既に陣を張り始めているらしい。恐らく開戦は明日になると思われる! それぞれ準備を怠るな! 繰り返す、ベスティア帝国がセレムース平原に到着した!」
そんな風に叫んでいる言葉を聞きながら、ふとレイが呟く。
「今陣を張っている最中なら、今のうちに奇襲を仕掛ければ有利に戦えるんじゃないか?」
思わず口から出たといった風なレイの言葉だったが、ルーノが苦笑して首を横に振る。
「だから言っただろう? 儀礼的なものも重要だって。そんな手段で勝ってみろ。恐らくベスティア帝国がこれ幸いとばかりに他の国も巻き込んで非難してくるぞ」
「けど、この国は大国なんだろう? 小国がどうこう言ったとしても、それでどうにかなるとは思わないが」
「まぁ、戦力だけならそうだろうがな。けど、例えば錬金術の本場でもある魔導都市オゾス辺りがベスティア帝国の意見に乗っかって、ミレアーナ王国にマジックアイテムの輸出を減らしたりしたら洒落にならない事態になるぞ」
「……なるほど」
「それに、お前は中立派として先陣を任されたんだろう? もしそんな真似をしたら、勝ったとしても国王派辺りに思い切り責められるぞ。国の威信を傷つけたとかなんとかな。でもって下手をすれば最悪死刑」
剣を研いでいた手を止め、自分の首を手刀で何度か叩く。
さすがにそれは嫌だったのか、レイは眉を顰める。
もちろんレイとしては軍隊を相手に戦ったとしても負けるつもりはない。戦争では10の力を持った1人よりも2の力を持った5人の方が有効な戦力なのだろうが、何でもありの戦いになれば10の力を持った1人の方が好き勝手に動いて各個撃破を狙えるのだから。
(それに最悪、魔の森にある研究所に隠れるって手もあるしな)
内心で呟くレイ。
魔の森には竜種のような、今のレイやセトではとても太刀打ち出来ない相手も存在しているが、それでも見つからずに研究所へと戻ることくらいは出来るだろうと。そして1度魔の森に立て籠もってしまえば、それこそランクA程度の冒険者では手も足も出ないのだろうから。
「とにかく話は分かった。正式に戦端が開かれるまでは手出し出来ないんだな」
「そうだな。ただし、戦端が開かれれば敵の陣地に攻撃を仕掛けるのも問題が無くなる。……まぁ、敵の陣地奥深くまで侵入出来……れ……ば……」
最後まで口にすることなく、ルーノの言葉は途中で立ち消えになる。その視線はレイではなく、レイが寄り掛かっているセトへと向けられていた。
「そうか、なるほど。それで陣地に奇襲か」
レイの狙いが分かったのだろう。ニヤリとした笑みを口に浮かべるルーノ。
「そうなるな。……もっとも、先制攻撃が不可能だとしたらちょっと難しいだろうが」
「何でだ?」
「先陣として広域殲滅魔法を使う予定だからな。それを使ってしまえば、さすがに俺もベスティア帝国の奴等に注目されることになるだろう。そうなれば当然セトも注目される。いや、グリフォンという種族上俺よりも注目度は高いだろうな」
「広域殲滅魔法ねえ。聞くからにもの凄そうな魔法だが、こっち側に被害は無いんだろうな?」
「基本的には敵の中央で使う予定だから被害は無いと思うが、エルクのように強力な戦力が突出すれば巻き込まれる可能性もある」
「おいおい、大丈夫なんだろうな?」
どこか疑わしそうに目を向けてくるルーノに向かい、レイは小さく肩を竦めて何でも無いかのように呟く。
「エルクなら俺の攻撃をまともに食らっても、全く効果が無いような気がしないか?」
「……」
レイの言葉に黙り込んでしまったのは、やはりエルクなら平気だと一瞬でも思ったからだろう。
「って、そうじゃなくてだな。幾ら何でも……」
「分かっている。冗談だよ。さすがにエルクを巻き込むようなことはしないさ。戦闘が開始される前にきちんとエルクには言っておく」
「本当だろうな? 何かお前なら、面白半分でエルクを巻き込みそうな気がするんだよな」
そんな風に会話をしていると、やがて見覚えのある1人の騎士が自分達のいる場所へと向かって来るのに気が付く。道中、レイの護衛をしていた騎士だ。
それを見たレイは、寄り掛かっていたセトから起き上がって騎士へと進んで行く。
騎士が真っ直ぐに自分へと向かって来たことから、用事があるのは自分だと察した為だ。そしてその判断は正しく、騎士はそのままレイへと声を掛けてくる。
「レイ、ダスカー様がお呼びだ。至急一緒に来てくれ」
「だろうな。さっき兵士が明日開戦するって触れ回ってたからな。その関係だろう?」
恐らくはエルクを含めて先陣の打ち合わせだろう。そう判断して尋ねたレイだったが、騎士は小さく首を振る。
「いや、そうじゃない。……その、だな。悪いが本陣の天幕に来て欲しい」
「……本陣の天幕?」
本陣。それは即ち、国王派の陣地だ。ミレアーナ王国軍である以上、国王自身の派閥であり権勢が最も強い国王派が本陣、あるいは主戦力となるのは当然だった。
だが、レイにとっては騎士から聞かされた言葉は全く理解出来ないものである。中立派のダスカーに雇われている自分が何故国王派に呼び出されるのか、と。
そんなレイの困惑を察したのだろう。騎士はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべつつ口を開く。
「大まかに言えば開戦の関係だというのは間違い無い。だが今回の戦争の指揮を執っている国王派の将軍が、先陣をエルクだけならともかく名も知られていない無名の冒険者に任せるとは何事だと貴族派の奴に訴えられてな」
「……」
ご愁傷様、とでも言いたげな目でレイへと視線を向けるルーノ。
そんなルーノからの視線を受けながらも、レイは口を開く。
「正気か?」
「せめて、そこは本気か? と言って欲しいところだが……正気だ」
そう答えつつも、レイの気分も分かるのだろう。苦笑を浮かべる騎士。
「いや、ここは正気かと聞くのが正しいだろう。そもそも、国王派は中立派と貴族派に先陣を任せたんだよな? なら、その先陣の中に俺がいるくらい構わないだろう。と言うか、先陣部隊は別に俺とエルクだけじゃなくて他の兵士や騎士、冒険者もいるんだろう? もしかしてその全員が名のある者達だったりするのか?」
「……いや。こんな例えもおかしいが、普通の名もない兵士達も多い。騎士達にしても、もちろん兵士達に比べると高い戦闘力を誇っているが、かと言って全員が全員知名度が高いわけでもない。冒険者に至っては俺が言うまでも無いだろう」
「なら、何で俺が狙い撃ちされるんだ?」
「ルノジス・イマーヘンという人物を知っているか?」
突然騎士の口から出て来たその名前に、急速に嫌な予感がレイの中で膨らんでいく。
「確か、貴族派の騎士か何かだったな。昨日ちょっと絡まれたが」
「それが原因だろうな。同じく先陣を務める身として、レイのような全く無名の存在と戦場を共にするのは御免こうむるとごねているんだよ」
「……正気か?」
再度口に出されるその言葉に、騎士は残念ながらと首を振る。
その様子を見て、面倒なことになったと溜息を吐くレイ。
「これが貴族派であっても、もう少し爵位の低い家の者なら無視も出来たんだが……さすがに侯爵家の者となるとな」
「いや、けど貴族派なんだろう? なら……」
自分と親しいエレーナが、そんな馬鹿な真似で騒ぐ相手を窘めるのではないか。そんな思いと共に口に出された言葉だったが、騎士は黙って首を横に振る。
「お前が姫将軍と交流があるのは知っている。確かに貴族派だけなら問題は無かったんだろう。だが、運の悪いことに国王派の耳に入ってしまっている。で、その2つが一緒になって騒いでいるとなると、さすがに姫将軍の一存ではどうにも出来ない訳だ」
「派閥の力学って奴か」
日本にいた時にTVのニュースか何かで見た言葉を口にするレイ。
そのレイの言葉に、騎士は驚きの表情を浮かべる。
「へえ、難しい言葉を知っているな」
「俺を何だと思っているんだ。……で、結局俺はどうすれば?」
「何、難しい話じゃない。ようはルノジスって奴はレイが名の知れた冒険者じゃない、つまりは実力が明らかになっていないという理屈らしいな」
「……俺の実力はエレーナが知っている筈だが?」
姫将軍の名前を気軽に呼び捨てにしたレイに驚きの表情を浮かべる騎士だったが、すぐにレイなら不思議でもないかと判断する。
「姫将軍の威名は確かに凄いが、それでもレイの実力を証明出来るのが姫将軍1人だけというのは国王派が納得しなかったんだろう」
溜息と共にそう呟く騎士だが、実はその場にはエレーナの他にもレイの実力を知っている者がいた。誰であろうケレベル公爵騎士団の騎士団長を務めているフィルマ・デジールである。だがその実力を確かめたのがギルムの街で起きた騒動のどさくさに紛れたものだった為、口に出すに出せなかったのだ。
「……分かったよ。俺がいって実力を示せばいいんだな? セト、行くぞ」
「グルゥ」
レイの声に従い、地面から立ち上がるセト。
だが、それに待ったを掛けたのは騎士だった。
「お偉いさんがたくさんいる場所に行くから、セトはちょっと遠慮して貰いたいとのことだ」
「……セトも含めて俺の実力なんだが?」
「それは分かっているが、向こうの言い分だからな。……恐らく、さすがにグリフォン相手には勝てないとルノジスが判断して手を回したんだろうよ」
その言葉に溜息を吐き、セトの頭を撫でながら口を開く。
「どうやら臆病者はお前が怖いらしい。少し行って黙らせてくるから、お前はここで待っていてくれ」
「グルルゥ」
残念だ、とでもいうように再び地面へと寝転がるセトを見てから踵を返すレイ。
「有名人は大変だな。ま、精々頑張ってこい。けど、くれぐれも殺しとかはするなよ」
どこか面白がっているルーノの声を背に受けながら、騎士と共に本隊の陣地へと向かうのだった。
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