第268話
「レイ殿、お久しぶりです」
丘を登ってきた女騎士が、寝そべっているセトの近くに立っていたレイへと声を掛ける。
その人物が誰なのかは、丘を登ってきている時点で既に気が付いていた。ただでさえ女騎士でバトルアックスを使っているような者は珍しいのだ。ましてや、そのバトルアックスは以前に自分が持っていた物なのだから間違えようがない。
更に決定的なのは、女騎士の肩に存在している小型の竜だった。イエロ。それがこの竜の名前であり、竜言語魔法により作り出された使い魔だ。そしてレイの目の前にいるのは、その竜言語魔法を使う人物に仕える騎士。
「ああ、アーラも元気そうで何よりだ。バールの街で別れて以来だが、魔熱病に感染したりはしなかったか?」
「そうですね。幸いにというか、魔熱病に関しては問題ありませんでした。あの後、少しして私達もアネシスに戻ることが出来ましたし」
そんな風に挨拶を交わしているレイとアーラだったが、もう片方の組み合わせでも久しぶりの再会に会話が弾む。
「グルゥ?」
「キュっ!」
セトが喉を鳴らし、イエロが小さく鳴く。
お互いの言葉が通じているのか、あるいはニュアンスだけで会話をしているのか。そのどちらなのかはレイにも分からなかったが、それでもセトとイエロは見ている者が和むような光景を作り出していた。
「……はっ! いえ、そうではなく」
アーラもまたその様子を見て思わず口元に優しい笑みを浮かべていたのだが、すぐに首を振って我に返る。
そして自分同様に優しい笑みを浮かべているレイへと向かって、ここまで来た理由を口に出す。
「レイ殿、エレーナ様が自分の陣地にお招きしたいと」
「エレーナが? いや、しかし……いいのか?」
今の自分の身分はダスカーに雇われているラルクス領軍の補給担当兼傭兵という、一種の重要人物だ。そんな自分が個人的な事情でエレーナに会いに行ってもいいのか。そんな風に思って出た言葉だったが、アーラは問題無いとばかりに笑みを浮かべて頷く。
「ダスカー様には既に了承を得ています。夕食の準備もあるから1時間程度なら構わないと」
「……いいのか?」
再度同じ言葉を呟くレイ。
レイの考えとしては、後30分程したら夕食の準備を始めないといけないと思っていた為だ。
もっとも、夕食の準備とはいってもレイがやるのはミスティリングの中に入っている大量の料理や酒、パンといった物を次から次に出すだけで、出された料理を配るのは専門の者の仕事だ。そして普段ならテント等の配布もあるのだが、幸い既にミレアーナ王国の陣地に到着済みでもあるので、夜営用のテントの類は配り終わっている。
「ええ。問題無いと言ってましたよ。それにエレーナ様もレイ殿に是非お会いしたいと」
そう口にしたアーラの目には、どこかからかうような光が宿っている。
レイ自身としても、エレーナに会うというのは問題無い。いや、むしろレイから望んで会いたいと思う程だ。
以前のダンジョンで共に行動し、自分というのがどのような存在なのかを話した、2人のうちの1人。もう1人がリッチであることを思えば、生者としては唯一の相手だ。そして同時に、外見の美しさだけではなく性格の優しさ、凛々しさに惹かれてもいるのは事実だった。
ギルドの受付嬢であるケニーにモーションを掛けられても、それに応じていないのは、やはりレイの脳裏にエレーナの姿があったからだろう。
「キュウ!」
横から聞こえてきた可愛らしい声にレイが振り向くと、そこではセトの背に乗って今にも出発しようと言っているようなイエロの姿があった。
「グルルゥ」
セトもまた、レイに向かって喉を鳴らす。
そんな2匹の声に笑みを浮かべたレイもまた、小さく頷く。
「そうだな。俺も久しぶりにエレーナに会いたい。なら行くか」
「ではこちらに。私が案内しますので」
レイの先に立って案内をしようとするアーラに、レイは思わず声を掛ける。
「別にどこにエレーナがいるのかを教えて貰えれば1人で行けるが?」
「あのですね、レイ殿。エレーナ様の立場を理解していますか? 貴族派の象徴でもある姫将軍に、どこの誰とも知らぬ冒険者が会わせて欲しいと訪ねて行って、はいそうですかと会わせて貰えると思いますか? 下手をすればベスティア帝国のスパイとして処理されてしまいますよ」
「……そ、そうか」
勿論レイはエレーナが姫将軍として貴族派の象徴であるというのは知っていた。だがそれはあくまでも知っていただけであり、それを実際に自分の目で確認した訳では無い。敢えて言えばキュステという存在がいたが、レイの中でもさすがに盲目的すぎる特殊な例だと判断されていた。それ故の言葉であり、その自覚の無さにアーラは溜息を吐いたのだ。
(全く、レイ殿は自分がエレーナ様の想い人であるという自覚が無いのかしらね? ……いえ、無いんでしょうね。あるいは自覚はしていても実感していないってことかしら。妙な騒ぎが起こらなければいいんだけど。……無理よね)
一瞬脳裏に浮かんだ楽観的な考えだったが、すぐに現実を思い出して首を振る。
もっとも何かあったとしても、レイとセトに対して具体的な危害を加えられるような者はまずいないとアーラは判断していた。あるいは権力を使ってどうにかしようとする者もいるかもしれないが、それもまた難しいと判断する。何しろレイが拠点としているのは中立派の中心人物でもあるラルクス辺境伯のお膝元で、更にはそのダスカーに重要人物として雇われているのだ。そんな人物を相手に何か不埒な行動を起こそうものなら、まず間違い無くその点をダスカーに突かれ、いらない借りを作ることになってしまうのだから。
そんな風に思っていたアーラだったが、それでもまだ自分の考えが甘かった……否、エレーナの美しさに惹かれ、目を眩まされ、自分のものにしたいと妄執のように思い込む者達の存在に気が付かなかったと知るのはすぐである。
丘を降りてきたレイとアーラ、そしてセトとイエロの2人と2匹はミレアーナ王国の宿営地となっている場所を進んでいた。
「へぇ、ここまで来るともう一種の街みたいだな」
周囲の様子を見ながらアーラと共に歩いているレイが呟く。
その視線の先では、恐らく近くの街や村からやってきているのだろう。屋台で食べ物を売っていたり、あるいは武器や防具を露店で売っていたり、更には扇情的なドレスを身に纏って男を挑発する娼婦達の姿もあった。
(娼婦がいるのはいいんだが……どこで仕事をするんだろうな? まさかテントとかか?)
青く、背中や胸元がこれでもかと開いていたドレスを着ている娼婦を眺めながらそんな風に考えていたレイは、不意に隣から冷たい……それこそ、極寒の視線と呼んでもいいような視線が向けられているのに気が付く。
「へぇ。レイ殿はああいう女が好みなんですか」
「……待て。変な勘違いをするな。別に俺はそういうつもりで見ていた訳じゃないぞ」
「そうなんですか? 色っぽい女の人を見て、これでもかとばかりに鼻の下が伸びてましたよ? ああ、大丈夫です。この件についてはきちんとエレーナ様に報告させて貰いますから」
「だから待て。俺は別にそんなつもりは一切無かった……とは言わないが。その、何だ。娼婦はどこで仕事をするのかと疑問に思っただけだ」
「とは言わない、ですか」
レイの言葉尻を捉え、アーラの視線の温度は更に低下する。
それこそ、ゴブリン程度なら数秒と掛からずに凍らせられるかのような視線を向けられたレイだったが、これ以上何を言っても現状を悪くするだけだと判断してそのまま黙り込むことにする。
「グルルゥ?」
「キュ!」
沈黙に包まれたまま野営地の中を進む2人の後を、セトとイエロが短く会話しながら追って行く。
尚、エレーナはイエロと接触することでイエロの見たものを共有できるという能力があるのだが……幸か不幸か、レイはそのことを知らなかった。
そんな風にして、陣地の中でも貴族派の者達が集まっている場所を進んで行く2人と2匹。兵士達や騎士、あるいはそれらを率いている貴族達がセトの姿を見ると反射的に後退ったり、あるいは興味深そうに……そして、欲深い視線を送ってくるのだが、セトやレイを引き連れているのがアーラであると知ると手を出すのは自殺行為だと知り、微かに眉を顰める。
姫将軍の護衛騎士としてアーラもそれなり以上に知名度が高いのだ。特に最近では女騎士でバトルアックスを使うというその特異さで、更にその名前は広がっている。同時にアーラが貴族派の象徴ともいえる姫将軍エレーナの小さい頃からの親友であり、同時に強い信頼を寄せられているというのも同様に有名になっている。その為、もしこの場でアーラにちょっかいを出せば、それは即ちエレーナに対して敵対するのと同様だと殆どの者が判断したのだ。
……そう。殆どの者が、だ。それはつまり全てでは無いという意味で。
「ほう、そこの貴様。珍しいモンスターを連れているな。見たところ冒険者のようだが」
エレーナの天幕へと向かっていたレイ達に、唐突にそんな声が掛けられた。
その声を聞いたアーラが微かに眉を顰めてそちらへと振り向くと、レイもまたアーラに習うように声を掛けて来た男へと視線を向ける。
そこにいたのは、20代半ば程の男だ。顔立ちは整っているのだが、セトへと向けられる目はレイの目から見てもはっきりと分かる程に欲望で濁りきっていた。自分の命令に他の者が従うのは当然で、自分以外に価値は無い。本気でそんな風に思い込んでいる目をしている男だ。
「ルノジス様、何か御用でしょうか?」
「黙れ、伯爵家風情の……しかも三女如きがこの俺様に言葉を掛けるとは身の程を知れ。俺は次期イマーヘン侯爵家当主だぞ。例えエレーナ様の護衛騎士団の者であろうとも、己の分というものを弁えろ」
「……申し訳ありません。ですが今は戦時ですので、身分に関しては軍内部での地位の方が優先されると伺っていますが? そして私はエレーナ様の護衛騎士団団長。ルノジス様はイマーヘン騎士団の団長。そういう意味では立場は互角です」
護衛騎士団の団長という言葉に、アーラの隣で黙って話の成り行きを見守っていたレイが軽く驚きの表情を浮かべる。
共にダンジョンに潜った時は、あくまでも護衛騎士団の一員でしかなかったアーラが予想外に出世していたことに驚いたのだ。
(いや。キュステが死に、ヴェルが裏切ったんだ。他にも護衛騎士団のメンバーがいたとしても、自然とアーラが代表的な扱いになったんだろうな。もともとエレーナからの信頼も厚かったし)
内心で呟き納得するレイだったが、実はアーラが護衛騎士団の団長となっていたのはエレーナがレイから譲って貰ったパワー・アクスの存在も大きい。元々剛力と言われる程の膂力を誇るアーラだったが、女であるが故に体力的に男に劣っていたのをパワー・アクスの効果である、体力の常時回復効果により克服したのだ。その為、現在の護衛騎士団の中では頭1つ抜け出た存在となっており、騎士団長へと昇進する。
考えるよりもまず行動というアーラを騎士団長にするのを危惧する声もあったのだが、そこは副団長に補佐を付けることで解決して、エレーナの信頼が厚いアーラが無事騎士団長に就任したのだった。
「……貴様。幾らエレーナ様の庇護があるからといって、調子に乗っていいと思っているのか?」
顔を不快そうに歪め、その手が腰に下げられている剣の鞘へと伸びる。それを目にしたレイは、すぐにでも腰の短剣を投擲出来るようにローブの中で手を伸ばす。アーラは真面目な顔をしつつも、ルノジスに向かって首を振る。
「別に調子に乗っているわけではありません。正当な権利を行使しているのみです。ルノジス様こそ、ここは戦場なのですから地位を笠に着て我を通すのはどうかと思いますが?」
アーラにしてみれば……そしてそれを聞いていたレイにしてみれば至極真っ当とも思える言葉だった。だが普段から他人が自分の命令に従うのを当然だと思っているルノジスにしてみれば、それは自分に……ひいては侯爵家という高位貴族に目の前にいる者達が逆らったという、絶対に許されない出来事にしか見えない。
「そこまで言うのなら覚悟は出来ているのだろうな。その無礼、己が命で償え!」
その言葉と同時に、腰から剣を引き抜きアーラとの距離を詰める。
踏み込みの速度はその辺にいる冒険者達に比べても圧倒的に速い。ルノジスという男が口だけではなく実力も伴っていることの証明だった。
いや、むしろ実力が伴っていることがルノジスの不幸だったのだろう。その実力故にこれまでその態度で強引に押し通してこられたのだから。だが、ここでは違う。横薙ぎに振るわれた一閃をアーラが後ろへと軽く跳び回避しようとし、あるいはレイが短剣を投擲しようとしたその瞬間。
キンッ!
金属同士がぶつかる甲高い音が周囲へと響き渡り、次の瞬間にはルノジスが握っていた剣の刀身が半ば程で切断されていた。
何故そのようなことが起きたのか、周辺でルノジスの行動を見ていた者達にも全く理解出来ていなかった。理解出来ているのは2人と2匹。即ち、アーラ、レイ、セト、イエロだけだ。
「全く、到着早々揉め事を起こしおって」
鈴の音のような美しい声が聞こえた瞬間、周囲の注目が自然とその声の持ち主へと向けられた。
豪奢な黄金の髪が太陽に照らされて本物の黄金と見分けが付かない程に煌めき、風で黄金の髪が揺れてその鋭い美貌が顕わになる。
その顔を見た周囲の者達は理解する。何故姫将軍と呼ばれているのかを。匂い立つような色気と、一目見れば決して忘れられない美貌。かと言って弱い女という訳では無く、見ただけで圧倒されるような騎士としての雰囲気。
手に持っているのは連接剣と呼ばれるマジックアイテムであり、鞭のように伸びているその刀身がルノジスの剣を刀身半ばから切断したというのは明らかだった。
「エレーナ様……」
レイの隣にいたアーラが、敬愛すべき自分の主の名を口にする。
エレーナ・ケレベル。その美貌と実力で姫将軍と謳われる人物がそこに存在していた。
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