第267話
セレムース平原。それは、ミレアーナ王国とベスティア帝国の緩衝地帯とも言える場所である。森や林、あるいは小さいながら湖も存在している広大な平原であり、同時にこれまで数え切れない程の回数ミレアーナ王国とベスティア帝国の間で繰り広げられた戦争の舞台となった地だ。
本来であれば、平原という地域の関係上どちらかの国が入植してもおかしくない。そして実際に以前は両方の国、あるいは近くにある小国が入植しようとしたこともあったのだが、その度にお互いの国がセレムース平原は自分達の領土だと主張して小競り合い、あるいは全面的な戦争へと発展していった。その為、今ではどこの国もこのセレムース平原への入植を半ば断念し、結果的には肥沃な土地でありながらも一種の緩衝地帯となっていた。
更には、これまでの戦闘で数千、数万、あるいはそれ以上の命を吸い、血を、肉を、死の恐怖を、怨嗟を吸ってきた大地は当然の如くアンデッドを生み出す土壌となり、昼はとにかく、夜になるとスケルトンやゾンビ、レイス、あるいはリビングアーマーといったアンデッド達が彷徨う地となっている。
もちろんセレムース平原を我が物にしようと考えるミレアーナ王国やベスティア帝国は、神聖魔法の使い手達を派遣してセレムース平原を浄化しようともした。だが、この地に積み重ねられてきた怨念の数々はとてもではないが人の手に負えるようなものではなく、結局は自らの国に被害が出ないように国の近くにあるセレムース平原の土地を、アンデッドが入って来ないように最低限の浄化で済ませるようになっていた。
そしてそんなセレムース平原のミレアーナ王国側には、現在数え切れない程の天幕やテントが張られている。これから起きる戦争の為、そして再びこのセレムース平原へと怨念を染み込ませる為に。
「……また、随分と人数が多いな。これが全部今回の戦争に参加する為に集まってきたのか?」
そんな中、セトと共にセレムース平原の中にある小さな丘の上からミレアーナ王国軍の陣を見下ろしてレイが呟く。
「グルルゥ」
同感だ、とでも言うように喉を鳴らすセト。
その目には見渡す限り一面に広がる天幕やテント、あるいは早速とばかりに訓練をしている騎士や、まだ太陽が高く夕方には早いというのに夕食の準備を始めている者達、武器の手入れをしている兵士達といったような光景が入ってくる。
レイの目では具体的にどの程度の人数が集まっているのかは大雑把にしか理解出来ないが、それでも軽く10万人近くはいるように見えていた。
「しかも、これでもまだ全力じゃないって話だしな」
セトの頭を撫でつつ、護衛の騎士達に聞いた話を思い出す。
中立派の中心人物でもあるダスカーは、自分の派閥の者達に出来る限りの戦力を出すように指示しており、そして実際に中立派の貴族達は可能な限りの戦力を派遣してきた。だが、貴族派の中には中心人物であるケレベル公爵が最大限の戦力を出すようにと命じたにも関わらず、出費が厳しいということで戦力の半分、いや3分の1程度しか派遣していない者達もいるという話だった。国王派に至っては、最大派閥であるにも関わらず派遣された戦力は貴族派の1.5倍程度でしかない。更にその貴族達にしても国王派に所属してはいるものの、上の者に対して反抗的であったり、あるいは問題行動を起こした者が殆どだった。
そこまでは聞いて呆れたレイだったが、ダスカーのように直接被害を受けた訳でもないのでそこまで危機感を持っていないのはしょうがないとの話を聞けば、それもそうかと納得せざるを得なかった。
ただし意外だったのは、この地に派遣された国王派の貴族は可能な限りの戦力を用意してきたということだった。国王派が今回の戦争をいつものような定期的なものだと判断しているのなら有り得ないことなのだが、それだけここに派遣された貴族達は国王派の中でも異端だったのだろうとレイは判断する。
(派閥が大きくなれば大きくなる程に、その中でさらに派閥が出来上がる。ここに派遣されてきたのは、その派閥抗争で敗れた者達なんだろうな。……ん?)
セトを撫でながらミレアーナ王国軍の様子を眺めていたレイは、丘を登ってくる者達に気が付く。5人程の集団がまっすぐにレイとセトのいる場所を目指して進んでくるのだ。
(騎士、か?)
5人が5人とも着ているのがブレストアーマーであり、更には鎧の各所に家紋が刻み込まれている。それだけでその集団が貴族であるのは明らかだった。
(さて、面倒なことにならないといいんだけどな)
向かって来ているのが中立派なら何も問題は無い。何しろレイは中立派の中心人物でもあるダスカーが直属として雇っているのだから。だが、これが貴族派や国王派であった場合は何らかの面倒な事態になりそうなのは明らかだった。
だからといって、自分に用があるとばかりに向かって来る者達を無視してセトと共にラルクス領軍の陣地へと戻るのも問題行動になりそうだと判断し、結局セトを撫でたまま近付いてくる5人を待つことになる。
やがて数分もしないうちに貴族、あるいは騎士と思われる5人は丘の上で地面に寝そべっているセト。そしてそのセトへと寄り掛かってリラックスしているレイへの前へと到着する。
「ちょっといいか?」
貴族にしては予想外のその呼びかけに、多少驚きつつもレイは声を掛けて来た男へと視線を向ける。
何らかの特殊な金属を用いて作られたのだろう緑のブレストアーマーを身につけた男だ。年齢としては20代前半程で、顔立ちは柔和な目つきをしているが、全体的に整っていた。また、その腰にある鞘から受ける違和感はレイがマジックアイテムから感じる特有のものだった。
そして何よりもレイが驚いたのは、声を掛けて来た人物がセトに対しての恐怖心を持っていなかったことだ。いや、あるいはセトに対する恐怖心はあるのかもしれないが、それを声に出すようなことはなかった。周囲にいる他の4人は目に消しきれない恐怖を浮かべているというのに。
そんな相手に興味を持ち、小さく頷いたレイはそのままセトから身体を離して立ち上がる。
「グルゥ?」
自分から離れたレイにセトが喉を小さく鳴らすが、その小さな鳴き声だけでレイに声を掛けて来た4人は数歩後退る。
いや、これが普通の反応であり、セトの鳴き声を間近で聞いても特に驚いた様子の無い男の方が異常なのだ。
「問題無い。俺に何か用事が?」
「おいっ、貴様! シミナール様に向かってその口の利き方は……」
「ああ、いい、いい」
レイの言葉を聞いたシミナールと呼ばれた男の取り巻きが、殆ど反射的にレイへと怒鳴りつけようとするが、それを止めたのは意外なことに本人だった。
「ですがシミナール様、冒険者風情がシミナール様に向かって不遜な口を……」
「俺がいいって言ってるんだから、別にいいだろ?」
「……シミナール様がそう仰るのなら……おい、貴様。いくら優秀な冒険者だからといっても、貴族を相手にして不遜な口を聞くのは止めるんだな。シミナール様だからこそ寛大にお許しになったが、普通はその場で斬り殺されても文句は言えないぞ」
シミナールに止められた男が、不満そうな顔をしつつもレイへと向かってそう声を掛けてくる。
(へぇ……これはなかなか)
最初は典型的な貴族のお付きなのかと思ったレイだったが、そんなレイに向かって忠告してきたその行動に思わず内心で感心の声を上げるレイ。
そんな貴族の言葉に小さく頷き、頭を下げる。
「言葉使いについては、貴族の流儀に余り慣れていなくてな。それに雇い主ならともかく、今のあんたは違うだろう?」
レイのその言葉に、一瞬ポカンとした表情を浮かべるシミナール。
「くっ、あははははは。た、確かにそうだ。今の俺は確かにお前にとっては見知らぬ他人でしかないか。そうだな。じゃあ改めて自己紹介といこうか。俺はシミナール・ギュプソス。ギュプソス伯爵家の次期当主だ」
「俺はレイ。ギルムの街でランクC冒険者をやっている。こっちはセト」
「グルゥ」
セトの頭を撫でながらついでとばかりに自己紹介をするレイ。
その自己紹介を受けたシミナールは、笑みを浮かべつつ小さく頷く。
柔和でありつつも、どちらかと言えば凛とした表情の似合う顔立ちの整った男なのだが、笑みを浮かべるとどこか子供っぽい顔付きになる。それがレイがシミナールから受けた印象だった。貴族に対して偏見ともいえる思いを抱いているレイにしてみれば、かなりの好印象といってもいいだろう。
「ああ、知っているさ。俺は元々お前を捜していてここまで来たんだ」
「……俺を?」
「そうだ。ちょっと話してみたくてな。構わないか?」
貴族で、しかも伯爵家というそれなりに高位に位置する貴族であるというのに、身分の差を全く気にしていないように友好的に接してくるシミナールに、若干戸惑った表情を浮かべるレイ。
喧嘩を売ってくるなり、絡んでくるなりする貴族にならどうとでも相手のしようがあるのだが、こうも友好的に接してこられると対処に困る辺り、レイの人生経験の少なさを表しているのだろう。
そしてレイの戸惑うような仕草を目にしたシミナールは、何かを理解したかのように小さく頷き自分の側にいた4人のお付きへと声を掛ける。
「悪いがお前達はちょっと離れていてくれ。どうやらレイは人見知りをするらしいからな」
「シミナール様!?」
「お待ち下さい、見知らぬ冒険者と……しかもグリフォンという高位モンスターがいる場所に、シミナール様を置いてなどいけません」
2人が焦ったかのようにそう告げ、残りの2人もまた同様に頷いてシミナールの意見を変えさせようとするのだが、シミナールは頑なだった。
「もしそこのグリフォンが本気で俺をどうにかしようとしたら、護衛が4人程度いてもいなくても大して変わらない」
「ですが!」
「くどいぞ。俺は下がっていろと言った」
若干強めに命じるその様子は、人に命令するのに慣れているものを感じさせる。
レイの目から見ても、貴族の跡継ぎとして相応しい貫禄を放っていた。
『……』
そして結局4人のお付きの男達は、渋々ではあるが丘の周囲に散らばって周囲を偵察するという名目でレイとシミナールが2人きりになるのを黙認することになったのだった。
「実は、俺は最初からレイに興味があって探していたんだよ」
「……俺に? 何でまた」
「お前は冒険者達の間じゃ有名だぞ? この戦争が始まる前までならギルムの街周辺だけで有名だったんだろうが、ここにはランクD以上の冒険者が大量に集まってきている。そんな中で、冒険者達の中でも精鋭が揃っていると言われているギルムの街出身で、更にグリフォンを連れていたり、アイテムボックスを持っていたりして、尚且つも戦闘の腕も立つとなれば……分かるだろ? 自然とそんな噂は広がるもんなのさ」
「戦闘の腕と言っても、まだ実際に戦争が始まって……」
そこまで言って、ふとルーノの言葉を思い出す。
自分に絡んできた相手をあっさりと叩きのめしたのが広まっているという話を。
「……まぁ、大体は分かった。それで、何だって俺に興味を?」
「そうだな、単刀直入に聞こうか。どうやらお前さんは迂遠なのは苦手なようだしな。……レイ、俺の下に来ないか?」
「お前の下に?」
「ああ。……そうだな、これは言い忘れていたか。俺の実家であるギュプソス伯爵家は国王派だ。いや、正確に言えば国王派の中でも疎まれている存在だ、と言うべきだろうな」
「疎まれている?」
「親父が国王様の側近とちょっとやらかしてな。今のギュプソス伯爵家は国王派の中でも厄介者って訳だ」
自分の家のことだというのに、全く悲愴感の無い……むしろどこか嬉しそうな笑みすら浮かべるその様子に、内心で首を捻るレイ。
貴族にとって家というのがどれ程大事なのかというのは、レイにもこれまでエルジィンで生活してきて分かってはいる。だがそれなのに、今目の前にいる男はあまりにもあからさまに自分の家を軽視しているように見えていた。
「で、どうだ? 俺のところに来れば相応の待遇は与えてやれると思うぞ」
「悪いが短期間ならともかく、今のところギルムの街から動くつもりはないんでな。その話は断らせて貰おう」
「……へぇ。何で、と聞いても構わないか?」
「ギルムの街にいるのが俺にとって色々な意味で都合がいいからだ」
まさか魔獣術の為に未知の魔石を集めていると話す訳にもいかず、そう誤魔化すレイ。
「どんな風に都合がいいのかは敢えて聞かないが、それでもミレアーナ王国の首都近辺にあるギュプソス伯爵家の領地よりも辺境の方がいいのか?」
「そうだな。辺境だからこそいい、と言うべきだろう」
「くくっ、本当に面白い奴だなお前は。まさか貴族である俺の誘いを真っ正面から断るとは思わなかったよ。……けどまあ、断られたのはしょうがない。無理に誘って関係が悪化するのは避けたいからな。それに……どうやら俺以外にもお誘いがきているらしいし」
チラリ、と丘を登ってくる1つの人影に気が付き笑みを浮かべるシミナール。
「ほう、なるほどな。姫将軍からもお誘いがあった訳か。なら俺みたいなむさ苦しい男の誘いに乗らないのも当然と言えば当然なんだろうな」
姫将軍という単語を聞いたレイは、殆ど反射的に視線をこちらへと向かって来る人影へと向ける。
その視線の先には、バトルアックスを背負っている女騎士の姿。更に肩には何らかの小型の生き物が乗っているのも確認出来る。その時点でこの丘へと登ってくるのが誰なのか想像が付いたレイは、自分でも気が付かないうちに口元に笑みが浮かんでいた。
「まあ、取りあえず今日は挨拶までってことだな。俺に雇われる気、あるいは助けが欲しかったらいつでも言ってくれ。強い男に貸しを作るのは大歓迎だ」
それだけ言って、シミナールはお付きの4人を呼び寄せ丘から降りていく。
その途中でバトルアックスを背負った女騎士と一言、二言話をしていたようだが、特に険悪になるようなこともなく自分の陣地へと戻っていったのだった。
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