第266話

「んー……さすがにこの生活にも慣れてきたな」


 ようやく太陽が完全にその姿を現した早朝、野営地の中にあるテントでレイは伸びをしながら起き上がって身支度を調える。

 ギルムの街を出発してから既に半月を過ぎ、その間にもラルクス領軍は移動を続けて近くにある街から派遣された部隊を吸収しつつ戦場となるセレムース平原へと向かっていた。補給担当のレイにしてもさすがに半月も同じような生活を続けていれば慣れてきたのか、以前のように大量の見知らぬ者達と接してもそれ程精神的な疲労は感じなくなっていた。


「グルルゥ?」


 レイが起きたのに気が付いたのだろう。テントのすぐ外で寝転がっていたセトが、入り口から顔を突っ込んでレイに朝の挨拶として喉を鳴らしながら顔を擦りつける。


「ああ、おはよう。さて、聞いた話だと今日の昼過ぎくらいにはセレムース平原へと到着するらしいからな。この行軍も今日までだ。セトも残り1日頑張ってくれよ?」

「グルゥ」


 頭を撫でられながら告げられたレイの言葉に、セトは任せろ、とばかりに小さく喉を鳴らして答える。

 もっとも、既にいつモンスターに襲われるか分からない辺境から出ている為、セトを始めとする偵察役に掛かる負担は以前よりも少ない。モンスターよりも知能に秀でている盗賊達だ。軍隊という集団に襲い掛かって来るような馬鹿な真似をする者達は本当に少数だし、その少数にしても実際に襲撃される前に草原の狼達の手により殲滅されている。

 その為、ここ暫くはセトも先頭の冒険者グループからお役御免となり、レイの乗っている馬車の近くを共に移動していた。

 もっとも、これについては合流してくる他の貴族達の派遣軍に所属している者達がグリフォンであるセトに恐怖を覚えているというのが正しい。ギルムの街の者達以外は未だにセトに対しての恐怖心を捨て去ることが出来ていないのだ。

 いや、この場合はギルムの街の冒険者達の方が異常なのだろう。普通ならランクAモンスターという、天災とも取れる存在を相手にして仲良くやれという方が難しいのだから。

 この点、レイとセトが1年に満たない期間であってもギルムの街で共に活躍し、あるいは屋台で大量に買い物をしてセトがその料理を嬉しそうに食べる光景を多くの者が見ていたというのが影響していた。


「ふわぁーあ……んー……レイか。今日も朝から元気だな」


 レイの近くにあったテントから顔を出すルーノ。それなりにランクが高く、多才であるルーノは色々な意味で便利な存在であり、その存在故にレイの護衛としての役割を確立してセレムース平原に到着するまで面倒事は御免だとばかりにレイと共に行動していた。何しろレイの護衛として行動していれば移動するのも馬車であり、行軍中に最も危険である先頭や背後に回されることもない。もちろん護衛である以上はレイの身の安全を守らなければいけないのだが、ルーノとレイではランク的には同じでも戦闘力に関しては圧倒的な開きがある。それ故に、レイの護衛として行動している間は特に何もせず、馬車の中で会話をしているだけで報酬を貰えるのだ。それも、補給に関しての重要人物でもあるレイの護衛という名目である以上、通常よりも多く。


「ああ。ようやく毎日の移動も終わるからな。さすがに半月近くも馬車の中にいると身体が鈍る」


 ぼやくように告げられたその言葉に、ルーノは思わず苦笑を浮かべる。


「何言ってるんだよ。最近は毎日眠る前に訓練として身体を動かしているじゃねえか」

「……それでも所詮訓練は訓練だ。せめて誰かと模擬戦でもやれれば話は別なんだろうが……」

「はっ、それこそ繰り返すが何を言ってるんだ、だよ。お前が暴れたのが原因だろうが。幾ら絡まれたからって、限度ってものがあるんだぞ」


 自業自得だと言わんばかりのルーノに、レイもまた自分自身のことながら溜息を吐き、黙って隣にいるセトの頭を撫でる。

 基本的にこの移動が軍事行動である以上、目的地であるセレムース平原に着けば遅かれ早かれ戦争になる。その為、行軍中はある程度訓練に関しても時間が取られていた。例えば昼食後、あるいは夕食の前後、寝る前といった風に指揮系統に違いはあれど、部隊ごとに訓練の時間は取られている。行軍を開始した当初は補給の際の精神的な疲れで訓練には顔を出していなかったレイだが、ある程度慣れてくれば身体が鈍らないようにと積極的に訓練に参加していた。参加してはいたのだが……


(どこにも馬鹿はいるものだが、まさかピンポイントで俺に絡んでくるとはな)


 軍人や騎士団と違い、冒険者はあくまでも傭兵だ。もちろんパーティで参加している者達は連携出来ているだろうが、基本的にはパーティ単位、あるいはソロで行動しているレイのような存在は個人単位での行動になる。その為、訓練に関しても個人やパーティで別れて行うのが普通だったのだが、10日程前にとある事件が起きたのだ。ラルクス領軍に合流したばかりの軍勢の中の冒険者達、当然ギルムの街の冒険者でも、あるいはレイの名前を聞いたことのあるアブエロやサブルスタの街の出身でもない数名の冒険者達は、レイの見かけで低ランク冒険者と判断して絡んできたのだ。当然、レイとしてはそんな相手に遠慮をする必要性は感じていなかったので、両手両足の骨を砕いて瞬殺――殺してはいない――したのだが……それを見ていた者達は当然レイに対して恐れを抱き、とてもではないが共に訓練が出来るような状況ではなくなっていた。

 もっとも、そんな風にレイを避けているのはあくまでもレイを知らない者達だけであり、ギルムの街の冒険者達の中には特に気にした様子も無くレイへと接してくる者もいる。むしろ件の冒険者がレイに絡んでいたのを見ていた者達の中には、哀れみの視線を向けていた者もいたという。


「……そうか。なら俺と模擬戦をしてみるか?」


 溜息を吐いたレイが余程鬱屈しているように見えたのだろう。寝起きの伸びをしていたルーノが、珍しくレイへとそう誘いの声を掛ける。


「それは助かるが、いいのか?」

「まぁ、強い相手との模擬戦ってのは俺にとっても悪いことじゃないしな。ただ、お前が本気でやれば俺なんか剣を交えるまでもなくやられるんだから、手加減はしてくれよ」

「ああ、問題無い。なら朝食が終わった後で模擬戦を頼む」

「あいよ。……さて、とにかく移動に関しては今日で終わりなんだ。最後の1日、しっかりと頑張るとしようかね」


 ルーノのその声と共に、レイもまた補給物資の中から5000人分の朝食を用意をするべくケオが待っている補給部隊の下へと向かうのだった。






「おいおい、何だあいつ等の料理。糧食なのになんであんなに豪華なんだ? 俺達の軍なんかパンとチーズと干し肉だけなんだぜ?」


 冒険者達の集まっている場所にそんな声が響く。

 一口に軍と言っても、騎士、兵士、志願兵、冒険者といった風に幾つもの集団の集まりだ。そうなると当然それぞれに自分の同類と集まることになり、そんな中でここは食事を取る場所兼訓練場として冒険者達が集まっている一画だった。

 もっとも、冒険者は冒険者でパーティや知り合い同士で固まっている為に、小さい集団が無数に集まっているのだが。そんな中、1人の冒険者が近くにいた冒険者が持っていた朝食を目にして思わず呟いたのだ。

 何しろ焼きたてのパンを使ったハムや野菜、チーズがたっぷりと挟まっているサンドイッチに、ベーコンと野菜のスープ、脂の滴る匂いが食欲をそそる串焼きまで付いていたのだから無理も無い。

 そんな風に呟いた冒険者の男に、近くにいた別の冒険者の男が苦笑を浮かべて口を開く。


「何だ、お前さん昨日合流した軍の所属か?」

「ん? ああ。確かにそうだが……良く分かったな」


 意外そうな表情を浮かべる冒険者に、苦笑を浮かべた中年の男が小さく肩を竦めながら口を開く。

 その手にあるのは、最初に声を上げた男同様に焼き固められたパン、干し肉、チーズ、水といった典型的な糧食だった。

 2人の視線は、行軍中の朝食としては有り得ない程に豪華な料理……そう、糧食よりも料理と呼ぶべき食事をしている集団へと向けられている。


「あいつらはラルクス領軍だ」


 ラルクス領軍。その言葉に、最初に声を上げた男がピタリと動きを止める。


「ラルクス領軍ってことはもしかしたら……」

「ああ。お前の思ってる通りギルムの街の冒険者だよ」

「辺境の出身か。なら腕がいいのは間違い無いんだろうけど。……けど辺境だからといっても、何でああも豪華な料理を食べられるんだ? 辺境だから……いや、辺境だからこそ、ここまで来るのに俺達よりも多くの日数を掛けてここまで来ている筈だろう? つまり、それだけ持ってきた糧食も少なくなる筈なのに」

「まあ、普通はそう思うだろうな。けど……ああ、ほら。来たぞ」


 水に浸して柔らかくしたパンを不味そうに食い千切りながら、中年の男は視線を訓練用にと開けられている一画へと向ける。その視線を追って視線をそちらへと向けたその時、若い男が悲鳴を上げなかったのはある意味肝が据わっているのだろう。同様に、その存在を初めて見た冒険者達の何人かは息を呑み、あるいは悲鳴を上げ、酷い者になると朝食をそのままに逃げ出そうとしている者達もいた。

 春の朝陽に照らされるようにして現れたその存在。即ち、ランクAモンスターのグリフォンを見て。


「お、おい。何でグリフォンがこんな場所に」


 大空の死神と呼ばれるグリフォンの注意を引かないように小声で隣にいる男へと尋ねるが、返ってきたのはどこか達観したような笑みだった。


「心配するな、別に襲われるようなことはない。ほら、あのグリフォンの首を見てみろ」


 男の言葉に従い、グリフォンに目を付けられないようにそっと首元へと目を向ける。そこにあったのは、見覚えのある代物だ。ただし、決してグリフォンの首に掛かっていていいような物ではない。


「……従魔の首飾り?」

「ああ。呆れたことに、グリフォンをテイムしているらしい」


 男にとってはまるで信じられないようなその言葉。まさしく天からミスリルの塊が大量に降ってきたと言われたかのような顔をしながら、グリフォンの近くにいる20代半ば程の冒険者へと視線を向ける。

 この時、ローブを被っている方へと視線が向けられなかったのは男にとってある意味当然だったのだろう。

 男の目から見れば、グリフォンをテイムした腕利きの冒険者が知り合い、あるいは弟子の冒険者を相手に稽古を付けてやろうとしているように見えていたのだから。

 だが、そんな男の思いは隣で達観したような目つきをした男の言葉によって打ち砕かれる。


「違うぞ。グリフォンをテイムしているのはローブの方だ」

「は!? おい、あんなガキにグリフォンをテイム出来る訳ないだろ? 冗談にしても笑えないぞ」


 殆ど反射的と言ってもいいような速度で言い返してきた男に、中年の男は思わず苦笑を浮かべる。

 ローブを着ている男……レイのことを話せば、殆どの者が同じような反応をする為だ。もちろん実力のある者はレイの力を見抜くし、魔力を感知出来る能力を持っている者は言われるまでもなくレイの存在に息を呑むのだが、残念ながら今中年の男の話を聞いている男はそれらとは違うようだった。


「だろうな。俺も最初はそう思ってたよ。……けど、見ろよ、あいつらを」


 若い男へと声を掛けつつ、ギルム出身の冒険者達が固まっている方へと視線を向ける中年の男。

 その言葉に従い、先程も向けた方へと改めて視線を向けた男は、思わず持っていたチーズを地面へと落としそうになる。


「嘘、だろ……?」


 視線の先にいた冒険者達の、レイへと向ける視線のほぼ全てに恐れが宿っていた為だ。中には軽く手を振っている者や、あるいはグリフォンへと突撃していった女冒険者の姿もあったのだが、そんなのは極少数でしかなかった。


「って、そうじゃなくて。おい、あの女……」

「ああ、大丈夫だよ。あの女はちょっと特殊な趣味をしていてな」


 唖然としている男の……あるいは、男同様に初めてその光景を見る他の者達の目をよそに、突っ込んでいった女はグリフォンへと抱き付くと嬉しそうに撫で始める。


「……ギルムの街の冒険者ってのは化け物の集まりなのか? グリフォンを相手に、ああも平然と抱き付くなんて」


 信じられない。否、信じたくないとでもいうように呟く男の言葉に、中年の男は苦笑を浮かべて口を開く。

 自分達も初めてあの光景を見たときには同様の気持ちだったと。


「多分ギルムってのは、ああいう存在が普通に……って程でもないけど、ある程度はいる場所なんだろうな」


 普通にの場所で言い直したのは、ギルムの街の冒険者達の中にもグリフォンやそれを従えている子供へと畏怖の目を向けている者がそれなりに多いからだ。


「つまりあのガキがここで一目置かれているってのは、グリフォンっていう従魔を連れているからか?」


 男がグリフォンを見ながら尋ねるが、中年の男はゆっくりと首を左右に振るう。


「いや、本人の実力も桁外れだ」

「はぁ!? あんなガキが強いってのか?」

「ああ。実際、10日程前に合流してきたランクC冒険者達が奴に絡んで数分と経たずに手足の骨を折られている。それに、奴だよ。ギルムの冒険者達が豪華な食事を食べている理由は」

「……は?」

「何でも、奴はアイテムボックス持ちらしいからな。そのアイテムボックスの中に大量の料理を詰め込んできているって話だ」

「……アイテムボックス? 嘘だろ?」


 中年の男の口から出た言葉が信じられないのだろう。唖然とした口調で呟く男だったが、中年の男は黙って首を左右に振るのみだった。


「世の中には想像も出来ないようなことがあるんだよ。いいか、これは忠告だ。くれぐれもあの子供……レイに喧嘩を売るような真似はするなよ。見た目は確かに見習い魔法使いの子供程度にしか見えないが、ギルムで冒険者登録をして以来最速でランクCまで駆け上がっていったらしいからな。グリフォンを従えているってだけでも信じられないのに、世界に数個しか現存していないと言われているアイテムボックスを持ち、魔法使いが恐れる程の莫大な魔力を身に秘めていて、更には戦士としても超の付く一流って化け物なんだからな」

「……何でそんな化け物がここにいるんだよ……」

「戦争だからだろ」


 男の言葉に素っ気無く返し、まだ残っている朝食へと手を付け始める中年の男。

 あっさりと言い切られた男は、視線の先で行われている模擬戦を目にして唖然とするしか無かった。

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