第257話

「いよいよ来た、か」


 雷神の斧の一件から数日、ギルドの依頼ボードに張り出された依頼書を見て思わず呟くレイ。

 そこにある依頼は、戦争の傭兵を募集するものだった。まだベスティア帝国との戦端が直接開かれている訳では無いのだが、既に戦争が起きるというのは既定事項であると誰もが理解している為か、特に混乱しているような者はいない。

 ランクE以下の者は引き受けることが出来ず、基本給として1日銀貨1枚。そこにランクやこれまでの実績、あるいは何らかの特殊な能力がある場合は報酬が加算されていく形になる。

 銀貨1枚というのは報酬としてはかなり安いが、この金額はギルムの街から戦場まで移動する間も支払われる。また、依頼期間中は衣食住のうち着る物以外は基本的に雇い主――この場合はラルクス辺境伯――の方で面倒を見てくれるし、武器のメンテナンスや修理といったものも軍の鍛冶師が行ってくれる。その為、基本的には銀貨1枚というのは丸々依頼を受けた者の利益となるのだ。

 もっとも、食事の時に配られるアルコールの量はコップで数杯といったところだし、食事にしても一般的な糧食でしかない。それ以上の物を食べたり飲んだりしたければ結局自分で金を出さないといけないのだが。

 レイの周囲にいる冒険者達も、それらを相談しつつ依頼を受けるかどうかを話し合っている。


「おい、どうする? 冬の時から戦争が起きるとは噂されていたが……」

「俺は参加するぞ。この国を帝国の奴等なんぞに踏みにじられて堪るか! たっぷりと持てなしてやってから、その礼を思い切りふんだくってやる」

「うーん、俺はどうするか。モンスターはともかく、人を殺すってのはいまいち好きじゃないんだよな」

「……ランクが足りないから俺は自動的に居残りだな」

「何でランクEじゃ駄目なんだよ! 俺は戦闘能力だけならランクDの奴にだって負けない自信があるってのに」

「私は居残りね。戦争にだけ人を取られて、この街の守りが薄くなるのを見過ごせないし」

「僕の矢で帝国の侵略者共の脳天に穴を開けてやる。脳みそを取り出せば、帝国軍の奴等でも多少は頭の風通しが良くなるだろうから」


 そんな風に自分の友人やパーティメンバーと話している内容を聞くとは無しに聞いていると、不意にドラゴンローブを引っ張られる感触があり、そちらへと視線を向ける。

 レイの視線の先にいたのは、ギルドの受付嬢でもある猫の獣人のケニーだった。

 だがいつもは好奇心に輝いているその目は、どこか心配そうにレイへと向けられている。


「どうした?」

「レイ君に指名依頼が入っているの。その、今回の戦争の件で」

「……なるほど」


 レイにしても、ランク以上に実力を評価されている自分に対して指名依頼が入るというのは半ば予想していた。あるいは、もし指名依頼が入らなかったとしてもベスティア帝国に対して思うところのあるレイは自発的に依頼を受けていただろう。


(エレーナも貴族派の旗頭として戦争には参加する筈だしな。それに……)


 内心でそこまで考え、次に脳裏を過ぎったのは人を殺すことに快楽を得る殺人快楽者。エレーナの護衛騎士団の一員として活動しながらも、最後の最後でその本性を顕わにした裏切り者。


(ヴェル・セイルズ……奴を仕留めきれなかったのは俺が原因だ。なら奴の首はこの俺が……)


「レイ君?」

「いや、何でも無い。それより指名依頼だったか?」


 レイの言葉に多少心配そうな顔を浮かべながらも、ケニーはギルド職員としての義務に従って口を開く。


「ええ。ラルクス辺境伯から直々に指名依頼が入っているわ。受けるのなら領主の館に来て欲しいとのことだけど……どうする?」


 出来れば受けない方がいい。そんな雰囲気を滲ませて尋ねてくるケニーだったが、レイはそんな相手の気遣いを理解しながらも決意を込めた目で頷く。


「問題無い。もちろん受けるさ」

「……いいの? 今回の依頼は戦争なのよ? これまでのように、モンスターを相手にするとかじゃなくて人を相手にするんだよ?」

「ああ、知っているさ。けど、これまでだって盗賊達を殺したりはしてきている。人が相手だからといって僕は殺せませんなんて偽善で情けないことを言うつもりは無い。そもそも、人を相手に出来ないようなら最初から冒険者なんかになっていないしな」


 実際、レイはこの世界エルジィンへとやってきてから幾人もの人を殺している。もちろんヴェルのように殺人に快楽を覚えるような性癖を持っている訳はないので、人を殺すということに対して嫌悪感はある。だがそれを含めて冒険者という職業を選んだのであり、そもそも自分と敵対した相手に情けを掛けるような、優しさとも弱さともつかないものを持ちながら生き残れる程にこの世界……特に辺境は甘いものではなかった。


「そうなの。……分かったわ。領主の館の方には連絡を入れておくけど……依頼の説明はいつ聞きに行く?」

「こっちはいつでもいいな。向こうの都合が良ければ今からでも構わないが」

「じゃあ、今からね」

「……本気か?」


 相手は貴族であり、この地方の領主でもある人物なのだ。その人物直々の面会ということもあって、数日程度は時間が掛かるかもしれないと思っていたレイだっただけに、ケニーのその言葉に意表を突かれたような表情を浮かべる。


「あははは。レイ君のそんな顔初めて見たかも。でも、向こうからはなるべく急いで欲しいという要望だったからね。まぁ、何の為なのかは大体予想が付くけど」

「アイテムボックス、か」

「そ。正解」


 ケニーの言葉はレイにとってはそれ程意外なことではなかった。特に今回の場合はミレアーナ王国の総力を掛けた戦争になるのは分かりきっているのだから、そうなれば当然派閥というものを気にしている様子は無い。いや、むしろそんなものを気にしていればベスティア帝国を相手に勝利を得るのは不可能だろう。

 ベスティア帝国の魔獣兵や、錬金術により生み出されたマジックアイテムを知っているレイは半ば本能的にそう判断していた。

 だが、それは事実ではあったが一面では間違っていた。百聞は一見にしかずという諺通り、実際にベスティア帝国の実力を見ていない者にはその報告を信じられず、甘く見ている者が多いのも事実だったからだ。


「中立派からも今回はかなりの戦力を出すし、ギルムの街にいる冒険者も今回の依頼を受ける人は多いのよ。そうなると当然……」

「糧食やら予備の武器やら夜営用のテントを始めとしたその他諸々の補給物資が必要になる訳だな」

「正解。で、その補給物資を持っていくのに必要な馬車の数も当然多くなるわ。けど、そこにアイテムボックス持ちがいたら……」

「物資の輸送に関しての心配はいらなくなる訳だ。そして最終的にはこの街から出発する部隊の進軍速度も大幅に短縮、と」

「そういうこと。レイ君が指名依頼を引き受けるかどうかで、この街から出発する部隊の進軍速度もかなり変わるんだろうから前もって話を付けておきたいと思うのは当然でしょ。それに、レイ君が依頼を引き受けてくれれば補給物資の質や量も気にしなくて済むでしょうしね」

「だろうな。……分かった。ならこれから領主の館に向かわせてもらうよ」

「ええ、お願いね。……レイ君」


 早速ギルドから出ようとしたレイの背中に、ケニーの言葉が投げかけられる。


「……死なないで、ね?」

「ああ、任せろ。これでもギルドに登録してから最短期間でランクCまで上がってきたんだぞ? しかもこのギルムの街でな。それに、俺にはセトもいる。油断をするつもりは無いが、そう簡単にやられるようなこともないさ」


 敢えて軽い口調でケニーへと告げるレイ。

 実際には敵の切り札とも言える魔獣兵。そして極めて高い錬金術を使って作りあげられたマジックアイテムのように、とてもではないが確実に安全だと言える要素は無いのだ。だが、それでも自分を心配してくれているケニーに対して必要以上に心配を掛ける積もりはなかった。


「そう、だよね。うん。レイ君なら大丈夫よねきっと。レイ君の強さって一種反則みたいなものだし」

「そう言われると素直に頷けないが……まぁ、戦争が終わったらすぐに戻って来るから心配はいらないさ。それに、戦争に行くにしてもまだ少しは時間があるんだ。今からそう心配してたら、身が保たないぞ?」


 笑みを浮かべつつそう告げ、空元気で怒った振りをするケニーをそのままにレイはギルドから出て行く。






「ランクC冒険者のレイだ。指名依頼の件についてダスカー様にお会いしたい」

「ああ、聞いている。ちょっと待て」


 ギルドの方から連絡が来ていたのか、領主の館の前にいる門番へと声を掛けるとすぐに屋敷の中へと入っていく。

 その後ろ姿を見送っていると、既にレイと顔馴染みといってもいい存在になっていた門番の男がレイへと声を掛ける。


「この時期にここに来たってことは、戦争の件か?」

「指名依頼があるらしい」

「ああ、アイテムボックスの」


 レイの言葉を最後まで聞かずに、それでもどんな依頼なのかを悟る門番。


「……良く分かったな」

「そりゃ分かるさ。騎士団の補給担当の奴がダスカー様に熱心に訴えているのを何人も聞いてるしな」

「そこまでか……」

「グルルゥ?」

 

 レイの言葉を聞いていたセトが、どうしたの? とばかりに小首を傾げる。


「いや、補給が多くなると移動速度が遅くなるってことだな。俺とセトだけで移動するみたいにはいかないんだよ」


 ここから最寄りの街であるアブエロまで普通に馬車で進むと約半日。そしてアブエロの街からサブルスタの街までは1日以上掛かるのだ。補給用の馬車を抱え、更に歩兵と共に進もうものなら、その移動時間が伸びることはあっても短くなることはないだろう。

 そんな風に門番やセトと会話をしていると、やがて先程立ち去った門番が戻ってくる。


「ダスカー様がお会いになるそうだ。あのメイドが案内する」

「分かった。セト、お前はいつも通りにな」

「グルゥ」


 レイの言葉に短く喉の奥で鳴き、領主の館の厩舎の方へと向かっていく。

 その後ろ姿を見送り、レイはメイドに案内されて領主の館の中を進んで行くと、相変わらず美術品と言ってもいいような扉がレイの視界に入ってきた。


(この扉だけはいつ見ても圧倒されるな)


 そんな風に思っている間に、メイドが慣れた様子で扉をノックして声を掛ける。


「旦那様、レイ様をお連れしました」

「ああ、入ってくれ」


 中からの声が聞こえ、レイの方へと視線を向けるメイド。

 用意はいいかと視線で問われ、レイはそれに小さく頷く。

 そして扉が開かれ……


「おう! 良く来てくれたな、レイ!」


 執務机で何らかの書類を読んでいた、この地方の領主にして中立派の中心人物、ラルクス辺境伯のダスカー・ラルクスが男臭い笑みを浮かべながらレイを歓迎していた。


(相変わらず領主には見えない顔付きだな)


 厳つい顔をしているダスカーを前にしてそんな風に内心思いつつ、さすがにそれを表に出さずに頭を下げる。


「ダスカー様、お久しぶりです。今回は指名依頼とのことでしたが」

「ああ。詳しい話をするから取りあえず座れ。おい、何か飲み物と軽く食べる物を持ってきてくれ。それとケオの奴も呼べ」

「はい、すぐに」


 レイをここまで連れてきたメイドが、小さく頭を下げてそのまま退出していく。

 扉の閉まる音を背にしながら、レイもまた小さく頭を下げてからソファへと腰を下ろす。


「それで、指名依頼というのはアイテムボックスを使った輸送に関してだと聞いていますが、間違い無いでしょうか?」

「そうだ。補給物資を運ぶのにも馬車を使うしか無いが、それだと移動に時間が掛かりすぎるからな。冒険者達をどの程度雇うかはまだ決まってないが、それでもうちから派遣する軍隊や騎士団の分も合わせると補給物資はかなりの量になるだろう。それをお前のアイテムボックスに馬車の車体ごと詰め込めば、移動はかなり楽になる筈だ」

「……俺のアイテムボックスは生き物は収納出来ませんが、その場合馬はどうするんですか?」

「そのまま移動させるのも何だから、部下達を乗せて移動することになるだろう。ああ、この場合の部下というのは、騎士達じゃなくて一般兵の方だな。騎士達は皆自前で騎乗用の馬や従魔を持っているからな」

「なるほど。それならある程度は体力の温存も出来て、さらに移動速度も上がりますね」


 もちろんギルムの街から出発する全員が馬に乗れる訳では無い以上、移動速度は歩兵に合わせないといけないだろう。だが、それでも総合的に考えると間違い無くその速度は上がる筈だった。


「それとだ。これはケオ……今回の補給計画の責任者が来てから詳しく話を詰めて貰うが、お前に運んで貰うのは俺の軍の補給物資だけじゃなくなるかもしれん。中立派に属する貴族の分、そしてもしかしたら貴族派、国王派の者達の分も運ぶことになるかもしれないから、その辺は心得ておいて欲しい」

「……他の派閥の分も、ですか?」


 予想外のダスカーの言葉に、思わず眼を見開くレイ。

 権力争いをしているというのに、その相手に塩を送るような真似をするとは、と。

 そんなレイの疑問を表情から読み取ったのだろう。ダスカーはどこか苦々しい顔をしつつも前言を撤回することなく無言で頷く。


「そうだ。今回の戦争、恐らくベスティア帝国はかなりの戦力を注ぎ込んでくるだろう。そんな中で派閥争いなんかをやっていれば、ただでさえ不利な状況が更に不利になる。ならここは最も影響力の少ない俺達中立派が国王派と貴族派の間に入って何とかするしかないだろう。……このミレアーナ王国を生き残らせる為には、な」


 これまで、幾度ものベスティア帝国からの策謀の舞台となったギルムの街を治めているだけに、ダスカーの胸には今回の戦争がこれまでのものとは違うという焦燥感があり、それ故の決断だった。

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