第252話
「……動くな」
呟いたのはレイ。ミンの側にいた黒尽くめの男の首筋へとデスサイズの刃をつきつけ、同時に残るもう片方の手には新たにミスティリングから取り出した短剣を持ち、いつでも投擲出来るように、ロドスの側で床へと倒れつつもレイの隙を探していた男へと向けている。
もし男がロドスを人質にしようと行動に移そうとしても、すぐにでもそれを防げるようになっているからこその行動だ。
人質を取ってエルクを手駒にし、これまで散々自分達の邪魔をしてきたレイという存在を暗殺する。ミレアーナ王国へと忍び込んでいたスパイ達の中でも、重要な任務に就いている者以外で自由に動ける者達が授けられた自分達の失策を取り戻す為の起死回生の策。それが瓦解した瞬間だった。
「この大鎌……貴様ぁっ! 貴様がレイかっ! 貴様のせいで! 貴様がいなければ俺達はこんなに惨めな思いをしなくても済んだんだ、それを……それをぉっ!」
喉にデスサイズの刃を突きつけられつつも、憎悪で濁った目でレイを睨みつける男。そんな男に自分の立場を教えるかのようにレイは刃で首の皮を薄く斬る。
喉を血が垂れる感触を理解したのか暴れるのを止めるが、憎しみで人が殺せるのなら間違い無く殺せるだろう強い視線をレイへと向けてくる男。
そんな男の視線を受け流しつつ、レイは人質になっていた2人へと視線を向ける。
「むぐぅっ!?」
「んぐ……」
地面に転がされていたロドスがレイを目にして驚きの声を上げ、ミンは納得したように小さく呻く。
その声を聞きつつ持っていた短剣を投げて床へと突き刺し、同時に新たな短剣をミスティリングから取り出す。
「ミン、ロドス。悪いが今は手が離せないんでな。その短剣を使ってロープから抜け出してくれ」
「……」
レイの言葉を聞き、まずはロドスが行動に移る。そのまま這うように短剣の突き刺さっている場所まで移動し、自分を雁字搦めにしているロープを切断する。そして一旦ロープを切れると後は早かった。そのまま自分の身体を何重にも縛り上げていたロープを解き、口を覆っていた布を解き、続けてミンのロープも解いていく。
「……レイ、何でここに。父さんはどうしたんだ?」
「安心しろ。エルクの命に別状はない。多少は怪我をさせたかもしれないが、それにしたってポーションや回復魔法を使えばすぐに回復する程度の怪我だ」
「……やっぱりエルクと戦いになったんだね」
溜息と共にミンが苦い声で呟き、それにレイが頷く。
「とにかく、こいつらを捕らえて情報を……っ!?」
情報を聞き出す。そう言おうとしたレイだったが、次の瞬間には夜の空気を斬り裂くようにして聞こえてきた音に反応し、男の首元へと突きつけていたデスサイズの刃を外して振るう。
キキキンッ、という金属音が幾つも周囲に響く。同時に弾かれた何かが床へとぶつかる音。レイが寸前までデスサイズの刃を突きつけていた男は無事だった。だが、それでも広範囲に放たれた20を越える何かをレイだけで、あるいは装備の一切を奪われているミンやロドスが防げる筈も無く。
「けふっ!」
ロドスを見張っていた方の男が黒く染められた短剣を喉や眉間へと食らい、息を詰まらせるような声を発しながら床へと倒れ込む。同時に周囲へと広がる濃い血の臭い。
「ちぃっ!」
鋭く舌打ちをし、これ以上情報源を殺されて堪るかとばかりにレイはデスサイズの石突きで生き残っていた男の鳩尾を殴りつけ、ミンとロドスの方へと吹き飛ばす。
鳩尾を石突きで殴られたことにより即座に意識を失った男を受け止めたミンは、すぐに自分の為すべきことを知る。自分達を捕獲したこの男達の情報を引き出す為に決して殺す訳にはいかないと。
「そいつを頼む!」
ミンとロドスにそう告げ、デスサイズを構えたまま先程レイの攻撃により破壊された壁へと向かう。
闇に紛れるかのような漆黒に塗りつぶされた短剣。レイはそれに見覚えがあった。以前ギルムの街に潜入していたベスティア帝国のスパイと戦闘になった時に使われていたのと同じ物だ。
もちろん影の存在が使う武器である以上は、目立たないようにと同じような結論に行き着くのはある意味当然だろう。だが現状でレイと敵対しており、更にエルクを手玉に取ることが出来るような腕利きのスパイを4人も派遣できるような相手はレイには1つしか思いつかなかった。
(やっぱりベスティア帝国で決まりか)
確証はなかったものの、それでも予想していたその内容を聞きつつ壁の向こう側へと突っ込み……
「……?」
一切の攻撃が無いというのに思わず眉を顰める。
吹き飛ばされたことでレイの腕力がどの程度のものなのか身を以て知った以上、出来るだけ接近させずに対処するだろうと判断していたレイだけに、何か予想外のことが起きていると半ば本能的に察知し……
「……ちっ」
壁を通り抜けた先で、床に倒れ込んでいる人影を見て舌打ちをする。
「戦力の差を理解していただけに、自分から口封じをした訳か。潔いというか、見上げた忠誠心と言うべきか」
うつ伏せに倒れ込んでいる男をデスサイズの石突きの部分を使って引っ繰り返そうとして……その動きを止めるレイ。
スパイである男が、情報を渡さない為に自ら息の根を絶つという場面。日本で見た映画や漫画、小説ではある意味でお馴染みのシーンであった為だ。そして、当然そんな時にどのようなことになるのかも半ば予想がつき……
「マジックシールド」
デスサイズのスキルである、1度だけの絶対防御の盾を展開。次の瞬間にはレイの周囲に光の盾が作り出される。
「……よし」
その光の盾を見て小さく頷くと、そのまま改めてデスサイズの石突きを使って地面に倒れ込んでいる身体を引っ繰り返し……
「何も無い、か」
特に爆発の類が起きたりしなかったことに安堵の息を吐くのだった。
そのまま妙なアイテムの類を持っていないかどうかを調べるが、持っている物と言えば黒く塗りつぶされた短剣や30cm以上の長さを持つ針といった暗器の類が殆どで、今回の件の手掛かりになるような物や転移石といった物は一切無かった。
「ちっ、証拠を残さないのは徹底しているな」
舌打ちをしつつも、せめてもの報酬とばかりに暗器の類をミスティリングの中に仕舞い込んでいくレイ。
(普通なら毒薬の類が剣に塗られていたりするんだが……いや、俺の思い過ごしか。良く考えてみれば、短剣や針は何も敵に使うだけとは限らないんだしな。あるいはもっと細かく調べれば毒の類も持ってるかもしれないが。死体に外傷が無い以上は自殺するのに毒か何かを使ったんだろうし……)
「おいっ、お前等一体何なんだよ!?」
レイがそんな風に考えていると、突然ロドスの声が響き渡る。
「うるせえっ! いいからお前はその黒尽くめを俺達に寄こせばいいんだよ! おら、早くしやがれ!」
「この男は今回の件の関係者だ。はいそうですかと渡す訳にはいかない」
続けて脅すかのような怒鳴り声と、冷静にその声に言葉を返すミンの声。
「……はぁ」
その声を聞くだけで大体何が起こっているのかを理解したレイは小さく溜息を吐き、毒を飲んで自殺したものと思われるスパイをその場に残して先程自分が飛び出てきた部屋の中へと入っていく。
そこにあったのは、レイの一撃によって気を失っている1人と黒い短剣によって命を失っている1人。そしてその前に立ち塞がっているロドスとミン。最後に8人の男達だった。
「やっぱりか」
「あん? 何だこの餓鬼。どこから入って来た? 取りあえず今はいいから消えろ。こっちはこっちで忙しいんだ」
外見でレイを子供だと判断し、20代程の剣を持った男が手で虫でも追い払うような仕草をする。
その一瞬、ロドスやミンは男達へと向かって哀れみの表情を浮かべるが、男達にとっては全く意味の分からない行為だっただろう。
「オーガの心臓、とか言ったか。ランクEパーティ如きがランクAパーティのメンバーに喧嘩を売ってるとはな。身の程を知らないらしい」
「……はぁ?」
男達の視線が、一瞬こいつは何を言ってるんだ? とでも言うようにレイへと向けられる。
その視線をフードを被った状態でまっすぐに見返すレイ。
そしてやがて我慢の限界が来たのだろう。男達のうちの1人が思わず笑い出す。
「くっくっく。おい、小僧。お前道化か何かに向いてるんじゃないのか? こんな小僧と女がランクAパーティだぁ? それなら俺達はランクSパーティでもやっていけるさ」
「ふぅ。そもそもお前達はギルドマスターに言われて今回の仕事を受けたんじゃないのか?」
「は? まさか。何であんな軟弱な男に命令されなきゃいけねえんだよ」
「……なるほど」
その一言でレイは目の前の男達がギルドマスターに対して一片たりとも尊敬の念を抱いていないというのを理解する。
見るからに粗野な言動である以上、組織運営の実力を見込まれてギルドマスターとなったティラージュは自分達よりも上の存在だとは認められないのだろうと。
「力こそ全て、か」
思わず呟いたその言葉に、オーガの心臓の面々はニヤリとした笑みを浮かべる。
「そうだ。餓鬼のくせに良く分かってるじゃねえか。なら俺の言いたいことは分かるな? ここは尻尾を巻いてさっさと消える場面だ。俺達のような実力派の冒険者を相手に生意気な口を利いたのは忘れてやる。だから消えろ」
「……くくっ」
その言葉に思わず含み笑いを漏らすレイ。
それが気に食わなかったのだろう。力自慢である自分達が、一見すると魔法使いの……しかも見習いのようにしか見えない子供に嘲笑されている。レイの笑みをそう受け取った男達は、額に青筋を浮かべながら睨みつける。
そしてその感想はこれ以上ない程に正確だった。レイが男達に向けていたのは紛れも無く嘲笑であったし、ギルドから依頼を受けたにもかかわらず自分達の都合のいいように今回の事件を収めようとしているその様に対しては嘲笑以外が出て来ることは無かったのだから。
「おいっ、手前っ! 餓鬼だからっていつまでもこっちが甘い態度を取っていると思ったら大間違いだぞ!」
男達の中でもっともレイの近くにいた男が、脅すようにレイへと向かって怒鳴りつける。
その言葉に最初に反応したのは、レイではなくロドスだった。
「あー、おい。一応言っておくが、お前達が喧嘩を売ってる相手は……」
「うるせえっ! こんな雑魚共に人質に取られていたような屑は黙ってやがれ!」
ピクリ。
さすがに屑呼ばわりされたのが許せなかったのか、コメカミに青筋を浮かべるロドス。
ロドスにしてみれば、ランクCである自分がランクEの相手に屑呼ばわりされたのだから無理も無かった。
だがそれでもすぐに激昂しなかったのは、やはり自分が捕らえられたのが原因で両親に迷惑を掛けたのを自覚しているからだろう。
そんなロドスの葛藤を他所に、レイは口元を嘲笑で歪めたままに言葉を紡ぐ。
「実力があるのなら、アブエロの街で活動してないでギルムの街に行ったらどうだ? あの街なら、それこそ実力のある冒険者が集まってるんだろう?」
「はっ、これだから常識を知らない餓鬼は困る。ギルムの街は凄腕の冒険者が集まると言われているが、ようは危険をきちんと把握出来ていない馬鹿が集まっているだけだろ。実力ってのは俺達みたいに頭も回るような奴のことを言うんだよ」
「……ふんっ、結局ギルムの街に行くだけの実力が無い臆病者の集まりか。オーガの心臓? お前等のパーティ名にしては勇ましすぎるな。己の分、というものを理解しろ。お前達は精々……」
そこまで告げ、目の前にいる者達に相応しいパーティ名を考える。
その時、レイの脳裏を過ぎったのはギルムの街で絡んできた鷹の爪の一団だった。その鷹の爪をゴブリンの涎と表したのだから目の前の一団に相応しい名前は……と。考え、思いついたものを口に出す。
「ゴブリンの胆石辺りが相応しい」
「……手前、そこまで俺達を馬鹿にしている以上は、この後どうなるか分かってるんだろうな? もう謝っても遅いぞ? お前が馬鹿にしている俺達の実力をその目に見せつけてやるよ!」
あまりと言えばあまりにも自分達を馬鹿にしたその名称に、怒りで顔を真っ赤に染めながら先頭にいた男が1歩前へと進み出る。
同時に、他の男達もまた同様にレイを逃がさんと包囲するように動き出す。
「あーあ、馬鹿だなあいつら」
「まあ、レイの外見だけを見ればしょうがないさ。それよりも、レイがここに来たとなるとエルクがどうなったかが心配だね」
「大丈夫だよ、母さん。あの父さんがそう簡単にどうにかなる訳ないって。一応レイがすぐに治る程度の怪我しかさせてないって言ってたんだし」
「それを言ったのがレイだからこそ心配なんだけどね」
ロドスとミンは、レイを包囲してジリジリと前に進み出ているオーガの心臓の者達を傍目に、自分達が人質になってしまった為にスパイ達にいいように使われてレイを狙うための刺客とされた家族のことを心配する。
この場で捕まっていた間、スパイ達にレイに対する罵詈雑言を延々と聞かされていたのだ。それだけに、ベスティア帝国でもこの辺境方面の諜報や工作といったものを担当している者達がレイにどれ程の恨みを抱いているのかを理解していた。
また、エルクがランクA冒険者であるというのも今回利用された決定的な理由の1つだっただろう。この世界の戦争では質が量を上回ることは珍しくもない。そしてランクA冒険者程の能力を持つ冒険者であれば、まず間違い無く1人で圧倒的な活躍をするだろう。それこそ、下手をすればその人物がいるだけで戦術を覆せるような活躍を。
もうすぐそこまで迫ってきている、ミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争の足音。その開戦の時の為にエルク、そしてランクは未だ低いものの、そのエルクに迫る実力を持つだろうレイを相打ちで殺し、あるいは生き残ったエルクをミンとロドスを人質にして仕留める。それが今回の騒動に参加したスパイ達の狙いの全貌だった。
だがまさかスパイ達にしてみても、レイがエルクに勝てるとは思っておらずに最終的にはその企みはあっさりと崩壊したのだが。
「……あ、片付いたようだな」
そんな風に頭の中で考えていたロドスだったが、いつの間にかオーガの心臓の面々が全員床へと倒れているのを見てそう呟くのだった。
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