第249話

「じゃあ、頼んだよ」

「……頼むな、レイ」

「ああ、任せろ」


 ギルムの街の正門前。そこでレイは、ランガとエルクの2人に見送られながらセトの背に跨がって小さく頷く。

 さすがにバールの街に向かった時のように街中からセトと共に飛び立つ許可は得られなかったが、夜にも関わらず街から出る許可をランガは警備隊隊長としての権限で上からもぎ取ってきたのだ。

 もっとも、この場合はある意味で当然であったのかもしれない。何しろ今回の行動はあくまでも秘密裏に行わなければならないのだ。それを、最近はギルムの街でもかなり目立っているレイが、夜で人目は少ないといっても街中でセトの背に跨がって飛び立てば酷く目立つ。そして、恐らくはまだ街の中に存在していると思われるベスティア帝国のスパイ、あるいはミレアーナ王国の中でも虎視眈々とギルムの街の戦力や中立派の勢力を削ろうとしている者達にとっては、まさに目の前に存在する餌となってしまうのだろうから。

 一応ギルドマスターのマリーナが領主のダスカー・ラルクスに許可を取って街の結界を展開して通信用のマジックアイテムを一時的に使えなくはしているのだが、それとてそう長い間展開出来る訳でも無い。一刻も早くこの事態を解決する必要があった。

 レイ本人はそこまで複雑には考えていなかったが、ギルドマスターであるマリーナや警備隊隊長のランガはその辺を考えて正門から出て行くことになったのだ。

 尚、エルクはミンやロドスのことが心配なのか、あるいは元々そこまで考えていないのか、特に何も言わなかったが。

 そしてランガとエルクの視線を受けながら、レイはセトの首筋をそっと撫でる。


「セト、じゃあアブエロの街までだ。全速力で頼む」

「グルルルゥッ!」


 レイの頼みに任せてとばかりに高く鳴き、数歩の助走と周囲の冷たい風を掻き回すかのような羽ばたきを経てセトの姿はあっという間に夜の空へと消えて行く。

 そんな1人と1匹を、ランガはじっと祈るように。そしてエルクは深々と頭を下げて見送るのだった。






 冬から春へと向かっている季節ではあるが、それでもやはり夜ともなればまだまだ寒い。それが地上ではなく上空であれば尚更だった。

 普通の者ならまず間違い無く歯の根が噛み合わない程の寒さに襲われていたのだろうが、そこは暑さや寒さを殆ど無効化出来るドラゴンローブを着ているうえに、その身体も人外といってもいいレイと、ランクAモンスターでもあるグリフォンだ。この程度の寒さは全く気にした様子も無く1人と1匹は空を飛んでいた。

 幸い雪や雨も降ってはおらず、風もそれ程には強くない。夜空には月と星が浮かんでおり、寒さ故にか空気も澄み切っている為に明かりに困ることも無い。そんな、ある種快適といってもいい夜空の中を進みながら、レイはミスティリングからサンドイッチや串焼きのように手で持って食べられる料理を取りだしては自分で食べ、あるいはセトへと与えていた。

 何しろ夕食を食べようと宿に戻ったところでエルクに襲われ、監視役を捕らえて一段落したかと思えばそのままギルドへと直行。ギルドマスター同士の通信でこれからの方針が決まった後はすぐに出発と、事態が怒濤の流れで進んでいた為に食事をしている暇もなかったのだ。


「グルルゥ」


 レイの差し出したサンドイッチを、喉を鳴らしながら食べるセト。

 そんなセトだが、夕食を味わいつつも翼を大きく羽ばたかせて可能な限りの速度で空を飛ぶという器用さも見せつけていた。また。


「グルゥ? グルルル……グルルルルルルゥッ!」


 知能が低く、セトという脅威を感じられないモンスターが無謀にも襲い掛かろうと翼、あるいは羽を使って近付いてこようとすれば王の威圧を使って格の違いを明確にし、さらには夜目の利く目で鋭く地上を確認してアブエロまで迷わずに進むという、まさに八面六臂の大活躍だった。

 そしてセトが無謀にも自分へと襲い掛かって来るビックバットという巨大なコウモリのモンスターへ再び王の威圧を使い、その声や魔力を使った威圧で特に攻撃らしい攻撃をしなくても地上へと落ちていく様子を見ていたレイは、地上に幾つかの明かりを見つける。複数の明かりが集まっているその部分は、明らかに人の暮らしが行われている場所だった。


「セト、降りてくれ」

「グルルゥ」


 レイの言葉に従い、そのまま滑空するようにして地上へと降りていくセト。地上へと降り立ち、翼を畳むとそのまま地面を走りながら速度を落とす。


「着いた、か」


 100m程向こうにある巨大な門。それはアブエロの街で間違い無かった。

 以前アレクトールの商隊を護衛している時にはセトの存在に驚かれるということで警備兵に街中へと入るのを断られたが……


「お待ちしていました、ランクC冒険者のレイさん。それとその従魔でもあるグリフォンのセトですね」


 門のすぐ前に護衛なのだろう。10人程の冒険者と、ギルド職員と思われる人物が待ち構えていた。


「ああ、寒い中を待たせたか」

「いえ、お気になさらず。ギルドマスターの命なので。……申し訳ありませんが、ギルドカードの提示をお願いします。事が事ですから」


 そう言ってくるギルド職員に頷き、ミスティリングから取り出したギルドカードを手渡す。

 昼間とは違い周囲が夜の闇に覆われている為にミスティリングの存在に気が付かなかったのか、周囲からはレイがミスティリングを使う時に大抵見せる驚きの反応を表す者はいなかった。


「確認しました。それとこちらが従魔の首飾りとなります。では、ギルドマスターがお待ちですので早速ギルドの方へと。一応この周辺はギルドが集めた冒険者達が散らばって怪しい者がいないかどうか捜索していますが、見つかる可能性は低い方がいいですし」

「ああ、分かってる。……セト」

「グルゥ」


 レイの呼びかけにセトが答え、そのまま首を出してくる。

 その首へと渡されたばかりの従魔の首飾りを掛けてやり、ギルド職員の後を続いてアブエロの街へと入っていく。

 既に夜ということもあり、殆どの家が微かな明かりを灯し、あるいは既に就寝済みなのか暗闇に沈んでいる。そんな中をレイとセト、ギルド職員や警備兵、護衛として雇われたのだろう冒険者達の集団が無言で進み、やがて20分程歩き続けるとレイの視界に周囲と比べると巨大な建物が見えてきた。冒険者ギルドのアブエロ支部だ。

 さすがにギルドではこの時間帯になってもまだ明かりが付いているが、ギルムの街で聞こえて来るような酒場の喧噪は聞こえてこない。

 その様子に軽く首を傾げていると、案内役のギルド職員がレイの方へと視線を向けながら口を開く。


「今回の件で暇な隠密行動が可能な冒険者や盗賊は軒並み駆り出されています。それ以外の冒険者も、今日はギルドで戦争に向けての緊急の会議があるということにして酒場の方を閉めていますので」

「なるほど。……セト」

「グルゥ」


 最後まで言わなくても、レイが何を言いたいのかは理解しているのだろう。そのまま軽く尻尾を振って従魔用のスペースへと向かう。


「セト、誰かギルドの様子を窺っているような奴がいたら捕獲しておいてくれ。向こうの人数は少ないという話だし、まず無いと思うが警戒はしてしすぎることはないからな」

「グルルゥ」


 レイの言葉に短く鳴くセト。

 その様子を見ながら、何故か驚きの表情を浮かべているギルド職員と共にギルドの中へと入っていく。


「いや、驚きました。グリフォンは確かに頭がいいというのは聞いていましたが、まさか人語を理解するなんて」

「普通のグリフォンはどうか知らないが、セトは特別だからな」

「なるほど。従魔用に特別に育てられた訳ですか」


 レイとしては魔獣術で生み出されたのが原因だと知ってはいるが、まさかそれを正直に言う訳にもいかない為に誤解をしてくれるのならそれでいいとばかりに適当に相づちを返す。

 そしてギルドの中へと入ったレイを出迎えたのは、予想外の人物だった。

 いや、今回の件を考えればそれ程予想外ではないのかもしれない。その人物は、このギルドのギルドマスターでもあるティラージュだったのだから。


「やあ、先程ぶりですね。それにしても、ギルムの街からアブエロの街まで本当に数時間程で到着するとは。さすがにグリフォンといったところですか」


 笑みを浮かべて声を掛けてくるティラージュに、レイは小さく頭を下げる。


「ギルムの街のランクC冒険者のレイです。今回は協力して貰って助かります」


 一応相手が他の街のギルドマスターというのもあって慣れぬ敬語を使うレイだったが、ティラージュはすぐに笑みを浮かべながら首を振る。


「マリーナさんと話している時と同じで構いませんよ。僕は他の人に敬語を使われる程に立派な人じゃありませんし」

「……分かった。俺としても慣れない言葉使いをしないで済むのは助かる」


 頭を上げながらそう告げるレイに、ギルドの中にいた職員達は驚愕の表情を浮かべる。

 いくら敬語を使わなくてもいいと言われたからといっても、ギルドマスターを相手にこうも乱暴な言葉使いをするとは、と。

 レイ自身は知らないのだが、組織運営の腕を見込まれてギルドマスターに抜擢されたティラージュは、着任早々にその腕を十分以上に発揮して無駄な経費を使っている部署を閉鎖、あるいはギルドの資金を横領している職員を摘発、複雑で無駄な場所も多くあった組織形態を整理するといった風に幾つもの手を打ってギルドの膿を吐き出し、健全化させたのだ。その手腕から貧相な見た目とは裏腹に豪腕の異名を持って知られており、アブエロの街の冒険者達に慕われている。

 それだけに、そんな人物に対して許可されたとはいっても乱暴な言葉使いをするレイに若干険の籠もった視線を投げかける者もいたのだが、レイにとってみれば自分がそんな視線に晒されるのはいつものことと、全く気にした様子も無く受け流す。

 いや、逆に自分の視線を無視された数名の者達がレイに対する反感を強めたことを考えると、大きなマイナスであった。この辺、基本的にはギルムの街のギルドしか知らないレイの大きな欠点とも言えるだろう。

 一応バールの街でもギルドマスターと面識はあったが、幸か不幸かバールの街のギルドマスターのセイスとは殆ど2人で会っていたり、魔熱病の関係で周囲の者達がレイに反感を覚えるような事態では無かったというのもある。


「……少し私の部屋で話しましょうか。この数時間で得た調査結果もお知らせしたいですし」


 そんな数人の職員達の不満を感じ取ったのだろう。ティラージュはレイを自分の執務室へと案内するのだった。






「さ、どうぞ。入って下さい」


 執務室の扉を開けられ、中へと招かれるレイ。

 ティラージュの言葉に従い執務室の中に入るが、中の様子はこれまで見てきたマリーナやセイスの執務室とは大きく違っていた。

 マリーナやセイスは基本的に冒険者出身ということもあり、実用性重視の部屋だった。あるいは剣や槍、杖といったものが壁に飾られていたりもしていたのだが、ティラージュの部屋は執務用の机が部屋の奥にあり、その他にも幾つもの机が規則正しく並べられているのだ。


(学校の教室みたいだな)


 部屋の中を見たレイの最初の感想がそれだった。

 もっとも執務室自体はそれ程広いという訳でも無いので、教室という程の規模では無いのだが。


「あははは。ちょっと驚きましたか? マリーナさんの部屋とは随分と違うでしょう。何しろ私の役目はギルドマスターというよりは調整役に近いものがありましてね。その為に色々と書類が回ってくるのでこんな風になっているんですよ」


 どこか恥ずかしそうに笑みを浮かべつつ、ティラージュは頭を掻く。


「確かに驚いたが、それでも執務室で仕事をするのなら自分のやりやすいようにしてもいいと思う」

「そう言って貰えるとありがたい。他の人はこの部屋に入ると決まってどこか呆れた様な表情をしますからね。さ、座って下さい。残念ながら私はお茶を淹れるのがそれ程上手くないし、かといって現状で酒を飲むなんて訳にもいかないから白湯くらいしか出せませんが」


 そう言いながら、ティラージュは執務用の机の側に紅茶を淹れる道具と共に置かれていたポットへと触れて軽く魔力を流す。すると次の瞬間、そのポットの中に入っていた水が瞬時に熱せられて湯気が上る。


「マジックアイテムか」


 瞬時に水がお湯へと変わった様子を見て、思わず呟くレイ。

 そんなレイの言葉に、ティラージュは笑みを浮かべて頷く。


「ええ。ご覧の通り、この部屋には大人数が一斉に仕事を行いますからね。その為にいつでもお茶を飲めるように準備してあります。もっとも、さっきも言ったように私はお茶を淹れるのが下手糞なので出せるのは白湯くらいですが。さ、そこのソファへどうぞ」

「すまない、感謝する」


 勧められるままにレイがソファに腰を下ろすと、言葉通りにレイの前には白湯の入ったカップが置かれる。そして同時にレイの向かいへと座るティラージュ。


「さて、まずは今集まっている情報についてお話しましょうか」


 白湯を口へと運びながらティラージュがそう告げる。

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