第237話

 夜も更け、周囲にあるのは冬の寒さと商隊が夜営の場所と定めた林が風で揺れる音。それと、商人達が寝ているテントの中から聞こえて来るイビキや寝言の数々のみ。

 そんな中、ローブやコートでこれでもかとばかりに防寒対策をしたタエニア、ファベル、ルイードの3人は焚き火にあたりながら夜の見張りをしていた。また、そんな3人のすぐ側には焚き火の他にもセトが寝転がっており、見張りをしている筈のルイードが物欲しそうな目で幾度となくそちらへと視線を向けている。そしてフラフラとセトへと抱き付こうとするのをタエニアやファベルが止めながらも、眠気を忘れるために会話を続けていた。

 もちろん自分の武器は手に届く場所に置いてあり、盗賊やモンスターが襲撃してきたらすぐにでも反撃可能な状態でだ。


「こうして一緒に行動して2日だけど……レイをどう思う?」


 不意に、ファベルが眠気覚ましのお茶が入ったコップを口へと運びながらそう尋ねる。


「どうって……まぁ、腕は立つでしょ。それはアイスバードとの戦いの時に証明されてるわよね?」

「うん、それは分かるよ。でもさ、おかしくない? あんな小さな子がランクC冒険者としての実力を持ってるって」

「小さいって……身長はあんたとそう変わらないでしょうに」


 セトの方へとフラフラと向かおうとしていたルイードを片手で押さえ込みながら、残った片手でこちらもお茶を飲みながら呆れた様に呟くタエニア。


「ちょっ、違うわよ。私の方が身長高い! たーかーいーの!」


 ファベルの身長は166cm程で、ほんの少しだけレイよりも高かった。例え1cmでも上は上。これはファベルにとって絶対に譲れない一線だったらしい。小声で叫ぶという器用な真似をしながらそう主張する。

 ちなみにタエニアの身長は172cm、そして意外なことにルイードの身長は175cmと麗しの雫の中では最も高い。


「はいはい。確かにファベルの方が大きいわね。……で、レイがどうしたって?」

「むぅ、何か私の扱いが粗雑な気がする。……じゃなくて、あの年齢でランクCとかちょっと異常だと思わない? おまけにこんなとびきりの存在を連れてるんだし」

「グルゥ?」


 ファベルの視線を感じ取ったのだろう。セトが瞑っていた目を開け、喉の奥で鳴きながら小首を傾げる。

 本来であればレイがいないこの状況で、グリフォンを側に置くというのは恐怖しかもたらさなかっただろう。だがルイードは別格として、タエニアやファベルもアイスバードから自分達を助けてくれたセトに対して恐怖心というものは殆ど抱いていなかった。それは商隊の商人達も同様で、だからこそギルムの街の住人と違って時間を掛けてその存在に慣れた訳でも無いのに、普通に接することが出来ていたのだ。


「確かにそうかもしれないけど、時々そういうとんでもないのがいるって話は聞くでしょ? それに……」


 タエニアが更に何かを言おうとした時だ。地面に寝そべっていたセトが、不意に林の奥の方へと視線を向けて喉を慣らす。


「グルルルゥ」


 その声は、それ程セトとの付き合いが長くないタエニアにも警戒の鳴き声であると察せられた。そして、辺境から既に出ているこの状況でそんな警戒の鳴き声を上げる理由は容易に想像がつく。何しろ、昼間にレイが盗賊の偵察らしき姿をその目で確認しているのだから。


「……ファベル、レイを起こしてきて。ルイードはいつまでもセトを見ていないで迎撃の準備をする!」

「分かったわ」

「こっちも了解したわー」


 急いでレイの眠っているテントへと向かうファベルを尻目に、愛用の武器であるハルバードを構える。ルイードもまた、いつでも矢を放てるようにと弓へとその手を掛けていた。そして……


「グルゥッ!」


 つい一瞬前まで地面に寝そべっていた筈のセトが、その驚異的な瞬発力を用いて地面から飛び上がり、瞬時にタエニアの前へと移動。そのまま前足の鉤爪を大きく振るう。

 ギギギギンッ!

 連続して放たれる金属音と、地面へと何かが落ちる音。タエニアが反射的に地面へと視線を向けると、そこには5本程のナイフや中程でへし折れた矢が存在していた。


(本気で殺しに来ている!?)


 内心で息を呑むタエニア。

 タエニアは自分の容姿がそれなりに整っていることを自覚している。それはファベルにしてもルイードにしても同様だった。男と擦れ違った時にその全員が思わず振り向くような絶世の美女だと自惚れるつもりはない。それでも10人に1人か2人程度は美人だと思うだろうという程度には自分の容姿に自信を持っていた。そして、盗賊のような者達が狙うのは1に金や積荷であり、2に女であるというのも知っている。捕まってしまえば女としては最大の屈辱を受けるというのは理解していたが、生きていれば復讐する機会もある。だというのに、その女である自分達を声も掛けずに殺しにくるというのはさすがに予想外だった。


「ルイード、撃って!」

「了解ー」


 タエニアの言葉に従い、林の中へと矢を放つルイード。しかし、暗闇の中で……しかもつい先程まで焚き火にあたっていたルイードの目は闇に慣れておらず、放たれた矢はあらぬ方へと飛んで行く。


(けど、それが狙いよ。確かに今の一撃は当たらなかった。けど、これでこっちにも飛び道具があるというのを知った筈。なら……)


 そしてそんなタエニアの予想通り、林の中から攻撃してくる敵の勢いは一瞬止まり……


『火球!』


 そんな言葉と共に背後から30cm程の大きさの火球が飛んで行き、林の中を炎の明かりで一瞬にして照らし出す。


「うぎゃあああああぁぁっ!」

「魔法だ、消せ、火を消せ! こっちの位置が丸見えになるぞ!」


 運悪く今の火球が直撃したのだろう。炎に包まれて地面を転がる男に、その男の火を消そうと雪の残滓や夜露で濡れている地面の土をどうにか掛けようとする男。そして盗賊の誰かが口にしたように、その炎により林の中の暗闇がある程度払拭されて薄らとした明かりに照らし出される。同時に数本の槍が飛び、その穂先を盗賊達の身体へと埋めていく。


「レイ!?」


 先程の魔法を放った声が誰の声かを理解したタエニアの叫びに、左手にデスサイズを持ち、右手に1本の錆びた穂先を持つ槍を構えたレイが隣へと姿を現す。


「とりあえずこれで敵がどこにいるのかは分かっただろう。それでどうする? 戦うか、逃げるか。もっとも、逃げるとなればあの重い馬車は邪魔だがな」


 どこか挑発するかのような声に、タエニアは苦笑を浮かべつつすぐさま判断する。


「戦うに決まってるでしょ。その為に雇われた護衛なんだから。個人の戦力を考えて、私達は商隊の護衛! レイとセトは林の中に入って、盗賊を攻撃!」


 タエニアの指示に従い、ルイードは弓矢を構えながら後ろへ……より正確には馬車の方へと下がっていく。それでも遠距離武器である以上は後ろからでも弓を撃てる訳で、レイの使った魔法により照らされている中に見える人影へと次々に矢を放つ。

 そんなルイードを守るようにしてファベルとタエニアが側に付き、2人の後ろにある馬車の近くにテントから飛びだして来た商人達が集まる。


「セト、お前は上から敵の背後に回り込め!」

「グルルゥッ!」


 その叫びと共に、残っていた最後の1本の槍を再び投擲する。その槍は盗賊の腹部を貫通し、そのまま吹き飛ばして背後に生えていた木の幹へと縫い付け、同時に壊れやすくなっていた柄の部分がその衝撃で真っ二つに折れる。

 そして次の瞬間にはレイの声にセトが鳴き、そのまま数歩の助走で地面を蹴って空へと駆け上がっていく。

 それを見た盗賊達は反射的にその動きを視線で追うが……


「俺を相手によそ見とは、余裕だな!」


 瞬時に間合いを詰めてきたレイの振るったデスサイズにより、数人が纏めて上半身と下半身を分断される。同時に内臓や血が周囲へとばら撒かれ、まだ消えていない炎によって血が蒸発し、周囲に鉄錆臭が漂う。


(タエニアの采配には感謝だな。明かりがあるとはいっても、この薄明かりだ。下手に俺以外の奴を一緒に林に突入させていたら、同士討ちになっていた可能性もある)


 内心でタエニアの咄嗟の判断力に感嘆しながらも、デスサイズを振るう。その巨大な刃で数人が斬り裂かれ、柄の部分で吹き飛ばされた相手は骨を折り、あるいは石突きの部分で突かれた者は胴体を貫通するような致命傷を受ける。

 襲撃してきた盗賊の数も30人を超えていた。だがそれでも、レイの身体能力と数人の胴体を纏めて切断しても刃が欠けるどころか、斬れ味すら鈍らない巨大な鎌。数秒ごとに数人ずつという加速度的に減っていく仲間の数に恐れを抱いたのだろう。その場で反転して林の中へと逃げだそうとしたところで……


「グルルルルゥッ!」


 真っ先にその場から離れようとした盗賊の男の目の前へと、夜空を斬り裂くかのような勢いで何かが降ってくる。

 それは、言うまでも無くレイの指示で盗賊達の後ろへと回り込んでいたセトだった。

 その巨体が、夜空から降ってくる様子はまさに空の死神と表現しても良かっただろう。その勢いのまま振るわれた前足の横殴りの一撃で、最初に逃げだそうとした盗賊の男は5m近くも真横へと飛び、生えていた木へとぶつかり背骨を折ってその場で息絶える。


「グルル」


 真っ先に逃げ出そうとした男が冗談のような死に様を見せた為、盗賊達の動きが止まる。そして次の瞬間にはつい数秒前に背を向けた相手がその巨大な鎌を振り下ろしながら、まるで雑草でも刈るかのように盗賊達の胴体を切断しては吹き飛ばして行く。

 振るわれる死神の刃は、相手が男だろうが女だろうが。あるいは、若かろうが歳を取っていようが関係無く等しく死を与える。

 背後に逃げようとすれば、ランクAモンスターのグリフォン。立ち向かおうにも、人の命を何とも思っていないかのように躊躇無く刈っていく死神。盗賊達に出来ることといえば、唯一逃げ道を塞がれていなかった横へと逃げていった少数か、あるいはどうやっても勝ち目が無いと理解して武器を地面へと落として投降するかの2択しかなかった。


「こ、こ、こ、降参する! 頼む、殺さないでくれ!」

「俺もだ! 何でもする。もう2度と悪いことはしないから殺さないでくれ!」

「私も投降するわ! ほ、ほら。それなりにいい身体をしているわよ。抱いてもいいから、だから殺さないで!」


 盗賊の生き残り3人。横から逃げた者の数が5人程度であることを考えると、ほんの数分で30人近い盗賊の命が消え去っていた。


「そう言って命乞いをしてきた奴等を……お前達は見逃してきたのか?」


 デスサイズを振りかぶりながら尋ねるレイ。

 その一言で助かる可能性が出て来たと判断したのだろう。2人の男と1人の女は必死に頷く。


「もちろん。俺達は降伏した相手を殺すような真似なんかしてないさ。な、な、そうだよな?」

「ええ、当然でしょ。助けられる相手は助けるに決まってるじゃない」

「俺達は善良な盗賊だからな」


 何とか助かろうと必死に告げる盗賊達。その言葉を聞き、レイは口元に笑みを浮かべる。

 これで助かる。3人の心の中が安堵で満たされたその時……盗賊達は、いつの間にか振りかぶられているデスサイズの存在に気が付く。

 30人近い人間や獣人の血を吸ったにも関わらず血の濁りや刃こぼれが一切無く、艶めかしいとすら言える程の煌めきを放っている断罪の刃。

 レイの口元に浮かんでいたのが、慈悲の笑みではなく冷笑であることに気が付いた時には既に遅く、死神の大鎌が振り下ろされ……


「レイ、待って!」


 背後からタエニアの声が聞こえると同時に、デスサイズの刃はピタリと止まる。後一瞬声が掛けられるのが遅ければ、まず間違い無く右端にいた盗賊の男の頭部は首で切断されていただろう。まさに皮1枚といったところでその刃は止められていた。


「何で止める?」

「殺すのは確かにいつでも出来るけど、情報を得るのは今しか出来ないからよ。……ねぇ、貴方達。私の質問に正直に答えたら見逃してあげるけど、どうする?」


 3人の盗賊達のうち、真ん中にいた男と左端にいた女は躊躇無く頷く。

 右端にいた男の反応が何も無かったのが気になったタエニアがそちらへと目を向けるが、そこでは死の恐怖で白目を剥いて気絶し、口から泡を吹いている男の姿があるのみだった。股間が濡れているのは迫り来る死の恐怖に耐えきれなかったのだろう。


(……無理も無いか)


 文字通りに死神の刃がその首を刈ろうとしたのだから、死の恐怖で気絶するのもしょうがないとばかりに内心で頷き、タエニアは残り2人の方へと視線を向ける。


「何でこの時期に貴方達は活動しているの? この辺だと、普通はこの時期に商人は活動していないんでしょ?」

「それは……俺達は知らねえよ。お頭があんた等の情報を手に入れて、襲うって決めたんだから」

「貴方達の構成人数は?」

「50人くらい? でも、その人に今日殺された分を考えると、もう20人を切ってると思うわ」

「貴方達のアジトはどこ?」

「この林を抜けた先にある、洞窟」


 次々とタエニアの質問に答えていく2人の盗賊。アジトの場所に対しても躊躇せずに答えるその様子からは、仲間に対する後ろめたさといったものは一切感じられない。自分達が助かる為なら仲間をも平気で売る。その行為自体が盗賊達の程度の低さを物語っており、同時に会話を聞いていたレイが不愉快そうに眉を顰める。

 そしてやがて5分程尋問を続け、既に聞くことも無くなったと判断したのだろう。タエニアが小さく頷いて踵を返す。


「もういいわ。約束通り自由にしてあげる。もう行ってもいいわよ」

「……おい?」


 本当に逃がすのか? そんな意味も込めて尋ねたレイだったが、タエニアはレイにだけ見えるように軽くウインクをして、それ以上レイが何か言うのを抑える。


「ほ、本当か! すまねえ!」

「ありがとう、恩に着るわ!」


 生き延びられた。それだけで十分満足そうに、その場から逃げ去ろうとした2人の盗賊だったが……


「そこの気絶している奴も連れていってね。ここに残されても困るから」


 タエニアの言葉に慌てて気絶した男を抱え上げ、林の奥へと消えて行くのだった。

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