第227話

「レイッ!?」


 周囲にミレイヌの叫び声が響く。

 その視線の先にいるのはバスレロと、そのバスレロを覆い隠すようにして庇っている為に、無防備に背中をアイスバードに晒しているレイ。そして……その無防備に晒されている背へと何本もの氷の矢が突き刺さっている光景だった。

 背中から氷の矢で突き刺されたダメージを思うと、もしかしたら致命傷なのではないか。ミレイヌの脳裏にそんな考えが一瞬過ぎったが……


「痛いんだよっ、この鶏肉風情がっ!」


 次の瞬間、そんな怒声と共にレイが振り向き様に放ったデスサイズの一撃が振るわれ、アイスバードを何の抵抗すらもなく一瞬にして切断する。

 その一撃の威力がどれだけ速く、あるいは鋭かったのか。それは身体を2つに切断されたアイスバードが、そのまま数歩程歩みを進めてから、ずれるように身体を2つに分かたれ、内臓や血を地面に巻き散らかしながらその命を失ったことで明らかだっただろう。


「え? ちょっと……あれ? 何で!?」


 ミレイヌの見ている限りでは、確かに氷の矢はレイの背中に突き刺さった筈だった。それも10本近く。それなのに全く怪我をした様子も無く大鎌を振るうその様子に、思わず混乱の声を上げるミレイヌ。

 そして馬車の周囲を取り囲んでいたアイスバード達がそんな決定的な隙を逃す筈もなく……


「キキキキッ!」


 クチバシを氷で覆ったアイスバードが2匹、ミレイヌへと向かってその氷の刃を突き立てんと突っ込んでいく。


「ミレイヌさんっ、油断しないで!」


 そんなミレイヌを守ったのはエクリルの放った矢と、一緒に応援に来た冒険者の持っている盾だった。防御力よりも取り回しのしやすさを重視しているのか、金属ではなく木と皮で作られた小型の盾はアイスバードのクチバシを受け止める。そして次の瞬間、盾を振るってアイスバードを地面へと叩きつけ、同時にその頭部を踏み砕く。


「ミレイヌッ、この救援部隊のリーダーはお前なんだ。しっかりしろ!」


 盾を持った冒険者の言葉に我に返り、慌てて周囲へと視線を飛ばすミレイヌ。

 既に大方の決着はつきかけており、残るアイスバードの数も20匹を切っている。後は油断しないように注意をしておけば、味方に被害は出ることは無いだろうと判断する。


「レイッ、悪いけどあんたはバスレロをお願い!」

「分かってる……よっ!」


 その声と共に大きく振るわれたデスサイズが、再びアイスバードを一刀両断にしてその内臓や血といったものを地面へとぶちまける。

 だが、それだけだ。今のレイに出来るのは、自分とバスレロに近づいて来たアイスバードを仕留めるだけ。自分から間合いを詰めて攻撃を仕掛けることは出来ない。


「ひっく……ひっく……」


 何故なら、バスレロが泣きながらレイのドラゴンローブの裾を掴んでいる為だ。

 そう、ドラゴンローブ。これこそがアイスバードの放った氷の矢をまともに背中に食らったというのに、軽い打撲程度のダメージで済ませた手品の種だった。物理攻撃や魔法攻撃に対して共に高い耐性を持つ竜の皮や鱗を使って作られたローブだけに、アイスバード程度が使う氷の矢如きでは貫通して致命的なダメージをレイに与えるというのは不可能だったのだ。


「泣くなっ! そもそもお前が自分で勝手に付いてきたんだろう! 既にそれはどうしようもないが、今は精々俺達の邪魔になるような真似をしないで大人しく息を殺していろ!」


 ビクリ。

 苛立ちと共に放たれたレイの怒声に、バスレロの身体は一瞬ビクリと硬直する。

 それでも涙を拭い、恐怖を我慢してアイスバードを睨みつけるようにしてレイ達の邪魔にならないようにしたのは、さすがと言うべきだろう。

 レイのドラゴンローブの裾を掴む手はまだ力が抜けておらずにそのままだが、それでも戦闘中に泣き喚くような真似をされるよりはレイにとっては大分助かることだった。


「飛斬!」


 自分が動けない以上は、攻撃の射程範囲を伸ばすしかない。そして魔法に関しては既に乱戦状態になっている為に迂闊に広範囲攻撃をすることは出来ない。その結果、レイが選んだのは使いやすいデスサイズのスキルである飛斬だった。

 放たれた斬撃は、上空から地上の隙を狙っていた2匹のアイスバードを上下2つに切断し、そのまま地上へと血と臓物と肉の雨を降らせる。


「キャアッ!? ちょっ、何!? え? うわっ、血が! 誰の仕業よ!?」


 運悪くその雨の真下にいたファベルが、その鎧と剣と盾をアイスバードの血で真っ赤に染めながら叫び声を上げていた。

 そのヒステリックな声を聞きつつも、上空から奇襲されるよりはマシだろうと判断してレイは聞こえてきた悲鳴に何か返事をするでもなく、そのままスルーして次の標的を探す。

 そしてそれから数分。アイスバードの数が目に見えて減り続け、いつの間にかアイスバードの数は既に残り3匹となっていた。それに気が付いたアイスバードの1匹が甲高い声を上げる。


「キキキーーーーッ!」


 恐らくそれが撤退の合図だったのだろう。その声を聞いた途端、残っていたアイスバード全てが青い翼を羽ばたかせて上空へと舞い上がり、そのまま北の方へと飛び去っていく。


「……助かった、のか?」


 その様子を見ていた護衛の冒険者のうち、槍使いの男が思わず呟いた。


「うおおおおおっ! 助かった! 俺達助かったんだよ!」


 そしてそれを聞いた剣を持った男の冒険者が歓喜の叫びを上げる。

 その声が周囲に広がると同時に、元々馬車の護衛として雇われていた冒険者達や、援軍としてやってきたミレイヌ達は大きな歓声を上げるのだった。






 5分後、生き残ったという喜びの歓声も収まり、ようやく周囲を見回す余裕が出て来た冒険者や商人達は慌てて周囲を見回す。

 そこら中に広がっているアイスバードの羽毛や血、肉、内臓。そして何よりもここまで一緒に旅をしてきた商隊の仲間達のうち、1台の馬車は完全に破壊されており、もう使えない状態になっていた。

 馬車を引いていた馬は殺され、その馬車を守っていた冒険者6人も死体となり地面に転がっている。そして当然その馬車に隠れていた商人達も冒険者や馬と同様の最期を迎えていた。


「……冒険者が6人、か。恐らく一番脅威度が高いと思われたから真っ先にアイスバードに集中して狙われたんだろうな」

「うげっ、うげぇっ!」


 呟くレイの足下では、人の死体を初めて見たバスレロが胃の中の物を吐き出していた。

 そしてそんなレイの視線の先では、商隊の商人達や護衛の冒険者達、そしてギルムの街から応援に来たミレイヌ達が死体を集めて火葬にし、あるいは破壊された馬車の中に積んであった商品を回収したり、地面に転がっているアイスバードの死体を回収している。

 火葬にしている理由は単純で、このままにしておけば疫病の原因になる可能性もあるし、それがなくてもアンデッド化する可能性もあるからだ。それに他のモンスターに食われるという可能性もある。それ等を防ぐ為の火葬だった。

 レイがその作業に協力していない理由としては単純で、バスレロがレイのドラゴンローブをしっかりと握りしめて手を離さないからだ。さすがに泣きながら吐いている子供を連れて作業に参加出来る訳もなく、レイはセトと共にバスレロのお守り兼周囲の見張りということになっていたのだった。


「……先生……」


 吐く物を全て吐いてようやく落ち着いたのか、バスレロがレイの名前を呼びながら視線を向けてくる。

 その視線を感じ、バスレロへと視線を向けるレイ。


「覚えておけ。お前がもし冒険者になるとしたら、こういう光景はこれから数え切れない程に見ることになる」

「……」


 レイの言葉に、吐き気を我慢しながらも死体を火葬にしている方へと視線を向けるバスレロ。

 そしてそのまま10分程が経過し、再びレイの視線がバスレロへと向けられる。


「バスレロ、何でお前はここにいる? お前が来て足手纏いになるとは考えなかったのか?」

「それは……でも……」


 剣の腕には自信があった。そしてこの1週間程の訓練で、それが更に高まったという実感もある。そして攻撃に関しては天性のセンスがあるという言葉も貰っていた。それ等の言葉を聞き、自分の力に対してある程度の自信を持ったのは事実だった。そして、この街へと向かっている商隊がモンスターに襲われていると聞いた。更には、この時期は基本的に冒険者は仕事をせずに休養の期間としていることも。そしてそれらの冒険者の多くがギルドに併設されている酒場で昼間から宴会をしていたのだ。戦力が足りない。バスレロがそう判断するのに時間は掛からなかった。

 もちろん、ギルムの街にいる冒険者の数は膨大である以上、その全員がこの時期酔っ払っている訳ではない。中にはこの休養期間を自分を高める為の期間だと考えて訓練をしている者もいるし、知識を高めるために図書館で書物を貪るように読んでいる者もいる。

 酒場で宴会をやっている冒険者達にしても、毎日毎日自堕落に過ごしている訳では無い。そもそも体力や戦闘技術というのは使わなければ衰えるもので、一般的には1日休むとそれを取り戻すのに3日掛かると言われている。そんな状態で冬の間中を自堕落に過ごしたとすれば、恐らくその冒険者は春になって活動を再開する時にはランク通りの実力を発揮出来ないだろう。

 それ故に、訓練をした合間の休日に宴会をしているという者達が多いのだ。……もっとも、中には冒険者という職業を甘く見て本気で冬の間中自堕落に過ごしているような者がいるのも事実なのだが。

 そのような事情を知らないバスレロは、とにかく戦力が足りないと判断した。そして、それならば自分程度の腕でも幾らかは戦力になるだろうと馬車の荷物の中に紛れ込むようにして隠れ、ここまで来たのだった。

 そして実際に始まった戦闘。それを見て、バスレロは本物の命のやり取りというものを生まれて初めて実際にその目にする。弾ける肉片、飛ぶ血潮、絶望の悲鳴、生々しい程に生を求める冒険者達の戦い。

 これまでに見た事の無いそんな光景に、バスレロの心は恐怖によって絡め取られる。

 それでも助けになればと、剣を構えて馬車の外へと出たのだが……結局バスレロがやったことと言えば、レイの邪魔だけだった。


「僕は……先生の邪魔をしただけ、なんです……か?」

「そうだな。俺が助かったのは幸運に恵まれたに過ぎない。普通の冒険者なら死んでいただろうな。……お前のせいで」


 恐る恐ると尋ねられたバスレロの言葉に、躊躇も容赦も無く頷き、現実を突きつけるレイ。

 その言葉を聞きバスレロの顔は歪み、目の端から涙がこぼれ落ちる。


「ごめっ、ごめんなさい……僕、僕……」


 嗚咽を漏らすバスレロの様子を数分程そのまま見ていたレイだったが……


「グルゥ」


 レイの後ろで同じく周囲を警戒していたセトが、小さく鳴いて何かを促すように身体をレイへと擦りつける。

 そしてそのセトの行動を受け、小さく溜息を吐いたレイはローブから手を出してバスレロの頭へと軽く置く。


「自分の無謀さが分かったのならもういい。幸い俺のこのローブはマジックアイテムで、あの程度の攻撃なら効果は殆ど無いしな」


 クシャクシャと頭を撫でながらそう告げる。


「それに戦闘訓練の依頼を受けた最終日でもあるしな。俺も怪我をしなかったし、お前も自分がどれだけ無謀な行為をしたのか、そして実戦がどういうものなのかを理解しただろう。なら、結果的に考えれば利の方が多かったってことだ」

「でも、先生……僕、僕……」


 レイに励まされるも、バスレロ自身が普通の子供に比べると利発なこともあり、自分がどれだけ無謀な行為をし、尚且つそれがレイを含めた冒険者達にとって危険だったのか。それを理解出来るだけに泣き止まず、ひたすらに涙を流す。


「あー、取り込んでいるところを済まないが、ちょっといいか? 倒したモンスターの分配についてなんだが……」


 そんなレイへと申し訳なさそうに声を掛けて来たのは、レイが援軍として向かった馬車を守っていた冒険者のリーダーである槍使いの男だった。


「分配か……そうだな」


 バスレロの頭から手を離し、周囲を眺める。倒されたアイスバードの死体に関しては、既に冒険者達が協力して1ヶ所へと集めている。山になって積まれている為に見つけるのは苦労はいらなかったのだが、その山となっている数が問題だった。

 本来馬車を襲ってきたアイスバードは50匹を越えていたのだ。だが、その山になっているアイスバードの数はどう見ても30匹を越えてはいなかった。その理由としては単純で、レイの放った炎の魔法によるものが死体すら残さずに燃やし尽くしてしまったからだ。そうなれば、当然魔石や討伐証明部位、あるいは剥ぎ取り可能な素材に関しても取り出すことは不可能であり、咄嗟のことであったとは言ってもレイのオーバーキル以外のなにものでも無かった。


(それに……)


 そのアイスバードの死体の山を前にして、ギルムの街からミレイヌが連れてきた冒険者達数人が言い争いをしているのがレイの目に映る。

 漏れ聞こえてくる話の内容からいって、自分達の取り分に関して揉めているのは明らかだった。レイにとって幸いだったのは、顔見知りでもあるミレイヌやエクリルがその醜い言い争いに参加していなかったことか。

 とは言っても、冒険者である以上は対価を貰って戦力を提供しているのだ。そういう意味では自分の手柄を誇示して報酬を増やすというのは、ある意味では当然なのだろう。むしろ報酬に頓着しない、レイの方が非常に珍しい部類なのだ。

 そして護衛についていた冒険者達にしても、今回の襲撃で装備品が劣化しており買い換えの必要性が出て来ている以上はより多くの報酬を欲するのは当然であった。ただし、今回のアイスバード戦で最も活躍したのがレイとセトであったのも間違いは無い。その為に、レイがどれ程の取り分を要求するのかが気になって冒険者達の代表として槍使いの男が声を掛けたのだろう。


「そうだな、俺はアイスバード2匹貰えればそれでいい」


 金自体に困っていないレイは、魔石とアイスバードの肉を目当てに護衛組のリーダー2人にそう告げるのだった。

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