第220話

 シスネ男爵家でバスレロの戦闘訓練を行うと決めた翌日。少し早めに朝食を終えたレイは珍しく顔を出している太陽の日光を浴びつつ、それでも気温が低い為に雪が残っている地面を歩いて貴族街にあるシスネ男爵家へと向かっていた。

 その隣にはいつもはあるセトの姿が無い。前日に寝転がった裏庭がセト的にはあまりお気に召さなかったという理由もあるが、やはり最大の問題は久しぶりにミレイヌが夕暮れの小麦亭に突撃してきたからだろう。リザードマンの討伐依頼で受け取った報酬で食べ物を色々と買ってきて、いつもの如く厩舎に突撃していったのだ。


(それでも一応俺に断ってからセトに構うようになったんだから、ある程度は成長していると言ってもいいのかもしれないけどな)


 まだ午前中もそれなりに早い時間ということで、凍っている地面を踏みしめて氷や雪の潰れる音を楽しみつつ内心で呟くレイ。

 それでもセトの為と言って持ってきたミレイヌの荷物を考えると、リザードマン討伐の報酬が後どれだけ残っているのかと他人事ながら心配するのだった。


「まぁ、どうしても金が足りなくなったら、また灼熱の風で何かの依頼を受けるんだろうが」


 そう思いつつ、それに巻き込まれるスルニンとエクリルの2人に少しだけ同情を覚える。

 そんな風に考え事をしながらも、貴族街の入り口でギルドカードを出して中へと入りシスネ男爵家へと向かう。

 当然、当主と息子、そしてメイドの3人しか住んでいない屋敷で門番の類がいる筈も無く、無言で門を開いて屋敷の敷地内へと突入する。前日に、ムエットから門番を雇うような金はないので好きに入ってもいいと言われていたからだ。

 聞いた時にはその無防備さに呆れたものの、何しろ盗まれるような物が殆ど無いと言われてはレイとしても納得するしかない。


(もっとも、本当に盗まれて困るような大事な物に関しては相応の場所に隠してはいるんだろうが)


 そんな風に考えながら、屋敷の扉を軽くノックすると、すぐに廊下の奥からアシエが姿を現す。


「いらっしゃいませ、レイさん。今日から坊ちゃまの戦闘訓練ですね。お手柔らかにお願いします。何か怪我をしたらすぐに呼んで下さい。回復魔法を使わせて貰いますので……きゃっ!」


 レイを見て小さく笑顔を浮かべ、そう告げながら頭を下げてくるアシエだが……その手に持っている箒に気が付くべきだっただろう。

 頭を下げたその先に箒の柄があり、そうすると当然箒の柄がアシエの額へと命中。その痛さに思わず悲鳴を上げたアシエは持っていた箒を床へと落とす。


「……大丈夫か?」

「は、はい……大丈夫です……」


 額を赤くし、目の端に若干涙を浮かべながらも、問題無いと笑みを浮かべるアシエ。


「その、坊ちゃまも既に準備は整ってますのでご案内します」

「いや、案内しなくても昨日の裏庭だろう?」

「そうですが……きちんと案内するように言われていますので」

「……俺を案内するよりも、怪我の手当をした方がいいと思うがな」

「あう……」


 箒の柄が当たった額が赤く腫れているのを自覚しているのだろう。恥ずかしさで顔を俯けつつも口元で呟き、次の瞬間には手に白い光が産みだされる。そしてその光を額へと当てると、数秒と掛からずに打撲の跡は綺麗に消え去るのだった。


「ほう。確かに話に聞いてた通り、随分と回復魔法の腕はいいらしいな」

「あ、その……ありがとう御座います。私、昔からドジが多くて……それを自分で治していっているうちに、いつの間にか回復魔法が得意になっていたんですよ。元々はちょっとした切り傷を治す程度の効果しか無かったんですが。その、そんな経緯で上達したのであまり褒められたことじゃないですけど」


 先程の痛みとは違い、羞恥の為に顔を隠して照れたように笑うアシエ。

 だがその話を聞いていたレイは、何の問題も無いとばかりに首を振る。


「別にどんな経緯があって回復魔法が得意になったかなんてのは、どうでもいいだろう。大事なのはお前が回復魔法を使えるという事実だけだ。それがあるからこそ、バスレロの訓練を多少厳しくしても大丈夫だと判断したんだしな」

「レ、レイさん!? 坊ちゃまにあまり酷いことは……」

「別に苛める訳じゃない。ただ強くなる為には、ある程度の危険は必要なのも事実なんだよ」


(俺のこの力も元々はゼパイルの作られた肉体に最初から宿っていたものだが、それを使いこなす為にモンスターや人との戦闘を幾度となく潜り抜けて来たんだしな。それを考えれば、1から自分で戦う為の力を得るバスレロは俺よりもかなりきつくなる。そして、そんな時にこそ回復魔法は役に立つ筈だ)


「話はともかく、まずは訓練を始めたいからバスレロの所に案内してくれ。いや、裏庭なんだろうが」


 内心でそう考えつつも、アシエを促すレイ。

 そしてアシエはその言葉を聞き、すぐに頷いて先を促す。


「はい、ご案内致します。こちらで……きゃっ!」


 急に振り返った為にバランスを崩したのか、その場に倒れ込むアシエ。そんな様子を見ながら、レイはやっぱりこのメイドはドジっ娘属性なのかと納得するのだった。






「おはようございます、先生」


 案内されたのは、レイの予想通りに屋敷の裏庭だった。ただし、前日と違うのは庭の至る所に転がっていた枯れ木の類が1つも存在していなかったことか。セトが寄せた大きめの枝に関しては昨日のままだっただけに、余計に違和感があった。

 そんなレイの様子を見て、何に驚いているのかを理解したのだろう。バスレロが笑みを浮かべてアシエに視線を向ける。


「実は、あの状態のままここで模擬戦を行うのは危険だということで、昨日アシエが掃除してくれたんです。……僕も手伝いたかったんですけど、アシエがやらせてくれなくて」

「当然です。坊ちゃまはシスネ男爵家の嫡男なのですから、掃除なんて真似はさせられません!」


 自分の仕事に誇りを持っているのだろう。きっぱりと告げるアシエ。


「アシエ……僕が見てもシスネ男爵家は落ち目なんだから、きっと近いうちに潰れるよ……」

「そんなことはありません! 旦那様はああ見えても仕事は出来るお方なのです。きっとラルクス辺境伯様に重用されることになる筈です」


(……ああ見えて、って……いいのか?)


 アシエの言葉を聞きつつ、思わず内心で突っ込むレイ。

 だが、あるいはこれがこの家の中では普通のことなのだろう。バスレロも特に突っ込む様子は無くそのまま男爵家は云々と会話を続けていた。


「そう言えばムエットは?」

「旦那様でしたら領主の館の方へお仕事をしに出掛けられました。本来であればレイ様が来る1週間は休日を貰っていたのですが、幸いレイ様が昨日来て下さったので」

「なるほど。……さて、じゃあ早速だが訓練を始めるか」

「はい!」


 レイの言葉にバスレロが頷き、腰の鞘から剣を引き抜く。

 アシエはその様子を心配そうに……だが、真剣に見つめていた。

 メイドの仕事をしなくてもいいのか? とも思ったレイだったが、バスレロが昨日と違って何も言っていないところを見るとシスネ男爵家の中で何らかの話し合いが行われたのだろうと判断する。

 レイとしては、バスレロを心配そうに見つめているアシエの存在は訓練の邪魔になるとしか思えなかったのだが、いざという時に回復魔法をすぐ使えると自分を納得させるのだった。

 そして、今にも自分へと攻撃を仕掛けてこようとしているバスレロを止める。


「取りあえずちょっと待て。まずは昨日の復習だ。昨日の模擬戦で、俺に何度も足下を攻撃されたのは覚えてるな?」

「え? ……あ、はい。さすがにあれだけ何度もやられれば、忘れようがありませんよ」

「だろうな。で、俺が何であそこまで集中して足下を狙ったのかは分かるか?」

「えっと、僕の足下が隙だらけだったから……ですか?」


 バスレロの言葉に、感心したように頷くレイ。

 バスレロにしても、昨日の模擬戦が終わった後に幾度となくそのことを思い出していたのだ。もちろん現役の冒険者であるレイに勝てるとは思ってもいなかったが、それでも必死にムエットの曾祖父が残した本を見ながら修行をしてきた。本来の武器ではない、どう見てもその辺の武器屋で売ってそうな安物の槍を持ったレイを相手にするのなら攻撃を当てる程度は出来ると思っていた。それだけの訓練を積んできたという自負もある。それなのに何度となく槍の柄で足を掬われ、数えるのも馬鹿らしくなる程の回数地面へと転がされたのだ。

 レイが帰った後には、アシエに見つかりその場で浴場へと連れて行かれ、マジックアイテムによって沸かされた風呂へと叩き込まれて問答無用で身体を洗われて回復魔法を使われるというのはさすがにバスレロも些か予想外だったのだが。

 そんな状態で幾度となくレイとの模擬戦の様子を思い浮かべたバスレロだったが、結局得た結論は自分の足下が隙だらけだったのだろうという当たり前の結論だった。

 ……尚、今朝アシエがレイを出迎えた時に応対が柔らかかったのはメイドとしてのプロ意識というのもあるが、風呂でバスレロの身体を洗った時に怪我が殆ど無かったという理由もあった。

 そんなバスレロの言葉に頷くレイ。


「そうだ。お前が剣術の道場なんかに通わないで、あるいは剣術指南役を雇えなかったのは知っている。それ故に残されていたという書物を見て1人で修行したんだろうが、そのせいで極端に攻撃に偏重した歪、と言ってもいいような成長をしたんだろうな」

「そ、それは……」


 レイの言葉に、バスレロは思い浮かぶことがあった。

 元々残っていた本に書かれている内容が、どちらかと言えば攻撃重視だというのは事実だ。だが、もちろん防御に関する技術や、それに関する修行方法も書かれていたのだが……何しろ、バスレロはしっかりしているように見えてもまだ10歳の子供でしかない。やはり地味な防御の訓練よりも、見栄えのいい攻撃の訓練を重視するのは仕方なかったといえるだろう。


「その、僕が防御の訓練を疎かにしたから、ですね」

「そうだな。それもある。まぁ、その辺に関してはしょうがないさ。それこそ道場に行ってたり、剣術指南役のような人物がいれば話は別だがな」

「それでも坊ちゃんは頑張っていました!」


 レイの言葉がバスレロを貶していると感じたのか、アシエが思わず庇うように叫ぶ。

 そんなアシエへと向かい、レイは頷いて口を開く。


「もちろんそれは分かっているさ。バスレロがどれ程必死になって訓練を積んできたのかは、昨日の模擬戦で十分に理解している。これは、教え、導く存在がいない以上はある意味でもしょうがないことだからな。……それに、攻撃に偏っているというのはそんなに悪い話じゃない」


 脳裏に昨日の模擬戦で何度か見た、バスレロの突きを思い出す。

 威力自体は筋力の関係でまだまだだったが、その速度とキレに関してはゴブリン程度なら容易く殺せる程度のものだった。


「まぁ、現状把握としてはそんなことだ。だから、これからの模擬戦で俺はとにかくお前の弱点と思われる部分を攻撃していく。もちろん最優先に攻撃するのは一番隙の多い足下だが、だからと言ってそこ以外に攻撃をしないって訳でも無いから気を付けるようにな」


 ミスティリングから昨日と同じ鉄の槍を取り出しながらバスレロへと告げる。


「はい! 足下の防御ですね。分かりました、今日はその辺に注意してやってみたいと思います」

「ああ。……さて、話は終わりだ。来い!」

「行きます!」


 その声と共に、昨日と同じように……いや、昨日よりも幾分か素早く間合いを詰めてくるバスレロ。だが攻撃へと移るその一瞬、どこかぎこちなさが見え隠れする。先程、レイが褒めたバスレロ最大の長所でもある突きですらも、ほんの一瞬ではあるがどこかぎこちない。

 その理由をレイは理解していた。指摘された防御……それも、足下の部分に注意が向いている為に生まれたぎこちなさなのだろうと。


「ほら、防御ばかりに意識が集中しすぎていて攻撃の方が疎かになっているぞ! お前の長所なんだから、そっちもしっかりしろ! 相手の攻撃を鈍らせる為には、まず相手の好きにさせないように積極的に攻撃を仕掛けるんだ」


 言いながら、槍の柄でバスレロの足を掬い上げようとし……

 キンッ!

 その、足下へと伸ばされた槍の柄をバスレロが刀身で弾く。

 一瞬、その顔に浮かぶのは喜び。だが。


「敵の攻撃が一撃で終わりだとは思うな!」


 弾かれた槍の柄を、その衝撃を利用しつつ空中で大きく弧を描きそのまま、バスレロが防御したのとは反対の方の足へと向かい、再び足下を掬い上げる。

 動きだけで見れば、レイの方が大きい。それ故に剣の刀身を反対側へと向けようとしたバスレロだったのだが、レイ自身の持つ身体能力により剣を動かすよりも槍の柄を大きく円を描くようにして振られる方が早かった。


「うわっ!」


 声を上げながら地面へと倒れ込むバスレロ。

 そしてアシエはそれを心配そうに見つめながら、いつでも回復魔法を使えるようにとじっと佇んでいる。

 こうして、2日目の戦闘訓練は過ぎて行くのだった。

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