第208話

 ギルムの街中でも、スラムのある場所。そこにある、今にも崩れ落ちそうな小屋の中にその人物達はいた。


「ちっ、予想以上に警備兵達の手が伸びるのが早いな。これがミレアーナ王国の王都ならもう少し腰が重いんだが」


 一見するとどこにでもいそうに見える20代後半程の男が、小屋の隙間から外を眺めながら舌打ちをする。

 その視線の先にいるのは、5人程の男達。揃いの制服から、この街の警備隊に所属する警備兵であるというのは明らかだった。

 だが幸い、警備兵と思われる5人は軽く周囲を見回すだけで異常が無いと判断したのだろう。……あるいは、異常があってもスラムの住人には手が出せないと判断したのかもしれないが、そのまま立ち去っていく。


「無理もありません。この街ではつい先日潜入していたポストゲーラ様が捕らえられたのですから。まだ外敵の存在にピリピリしていたのでしょう」


 男の近くにいる20代前半程の女が、去って行った警備兵の後ろ姿を見ながら溜息と共に呟く。


「出来ればポストゲーラ様はこちらで奪還したかったのですが……」

「無理を言うな。そもそも俺達がこの街に来た時には、もう既に噂の錬金術師殿は王都に護送された後だったからな」

「つまり、ポストゲーラ様に関しては王都にいる者達に任せるしかないと?」

「……いや」


 女の言葉を聞き、苦々しそうに首を振る男。


「そっちに関しては既に手遅れだ。少し前に入った情報によると、王都に潜入していた者達が奪還する為に動いたが、逆に返り討ちに遭ったらしい」

「っ!? そんな、王都にはかなりの数の影が潜入していた筈では?」


 男の言葉に驚愕の表情を浮かべる女。

 女にしてみれば、自分達と同等……いや、それ以上に腕の立つ者達が派遣されていたのを知っていた為に、思わず漏れた言葉だ。嘘だと言って欲しい。そんな思いで視線を上司へと向けるが、それに対する答えは無言で左右に振られた首だけだった。


「ランクAパーティが出張ってきたらしいな。しかも2組」

「そんな……王都の貴族達が自分達の面子に泥を塗ってまで冒険者を雇ったと?」


 女の言っていることはある意味では正しい。王都を支配する貴族達。国王を中心にして纏まっている最大派閥の国王派、ケレベル公爵を中心にして纏まっている貴族派。そして勢力として最も小さいが、それでもベスティア帝国の錬金術師や切り札と言われている魔獣兵を捕らえることに成功した中立派。それ等の貴族にとって自分達の私兵や国の騎士達がいるというのに、さらに冒険者を雇ったというのは自分の手勢が事態に対応出来ないかもしれないと明言したも同然なのだ。これは面子やプライドを重視する貴族としては普通に考えるとまずありえないことだった。だが、実際にそのありえないことが起こったと女は聞かされたのだ。


「信じられません……」


 ポツリと呟く女。

 だが、上司の男はそれを窘めるように鋭い視線を向ける。


「確かにミレアーナ王国の貴族共は1つに纏まるということが出来ていない。だが、それは俺達のベスティア帝国だって同様だろう。この国よりも優れている俺達の国でも無理なことが、こんな国に出来る筈も無い」

「……そうですね」


 男の言葉に不承不承頷く女。


「それよりもだ。他の奴等はまだ見つかっていないな?」

「はい。皆それぞれこの小屋の近くにある自分の潜伏場所で大人しくしています。街の警備兵や騎士達に見つかったとの連絡は一切ありません」

「そうか。この騒動が収まるまでは大人しくしているしかないな」

「転移石がもっとあればすぐにでも脱出出来たのですが」


 女の言葉に、男は懐から石を取り出して眺めながら口を開く。


「そう言うな。もともとこの転移石というマジックアイテムは、1つ作るのに酷くコストが掛かる代物だ。しかも、それでいて転移出来る人数は2~3人。こんな辺境にいる俺達に対して1つ渡されただけでも大盤振る舞いしていると言えるだろうよ」

「……そうかもしれませんね。全く、それもこれもあの女が任務を失敗したせいでこっちの予定が色々と台無しです。あれだけ自信満々だったというのに勧誘には失敗するわ、部下どころか自分まで捕まるわ。影として隊長と同格の存在だったとはとても思えません」


 憤りに任せて小声で叫ぶという器用な真似をする女だったが、建物の隙間から入って来た隙間風に思わずその身を震わせる。

 何しろ雪が降っているような寒さなのだ。当然街中で吹いている風も冷たいものになる。

 この影達に取って唯一の幸運だったのは、街の上空に結界が張られていたことだろう。そのおかげで、幾分かではあるが街の外に比べると暖かくなっているのだから。

 もっとも、その結界のせいで影達の中に存在している召喚師が召喚した飛行可能なモンスターを飛ばすことも出来ずにいるのを考えると、喜んでばかりもいられないのだろうが。


「落ち着け。とにかく今は騒ぎが収まるまでは潜伏しているんだ。ここまでの厳重な態勢をそう長く続けられるとは思えない。あの忌々しい結界にしても、消費する魔力の量を考えると永遠に展開している訳にもいかないだろう。恐らく1週間程。それくらいで結界にしろ、捜索している者達にしろ緩めることになる筈だ」

「1週間ですか。そのくらいなら何とか……」


 女がそう言ったその時。突然男が女の口を強引に押さえ込む。


「っ!?」


 その、いきなりの行動に思わず目を見開いた女だったが、すぐに男の視線が建物の隙間から外へと向けられていることに気が付き息を潜める。

 同時に男の視線を追っていった女が見たものは、2mを越える体長を持つグリフォンに、ローブを纏った大小2人の人影だった。


(っ!? 馬鹿な! あれは!)


 そう、この場所へと近づいて来ているのは紛れも無く女やその上司である男の同僚が、勧誘するか殺すことを命じられていたレイと、その従魔であるグリフォンだった。


(背丈の大きい方の男は誰かは分からないが、小さい方は間違い無く標的のレイとかいう冒険者。それが何故こんな場所に!?)


 ゾクリとした冷たい感触を背中に感じつつ、女はそっと息を潜める。標的であるレイの戦闘能力に関しては既に承知している。この周辺一帯に隠れている影全員で襲い掛かったとしても、恐らく勝ち目が無い程に戦闘力の差はあるのだと。


(なら、今の私に出来るのは息を潜めてやり過ごすことだけ)


 自分達が隠れている、いつ倒壊してもおかしくない小屋へと1歩、また1歩と近付いてくるのを見ながら、より一層注意して気配を消すのだった。






 時は少し遡る。

 もしかしたら、セトの嗅覚で護送馬車を襲った襲撃者達の追跡が可能かもしれないと聞いたランガの行動は素早かった。

 レイとセトを連れて襲撃場所まで移動し、燃え残っていた馬車の残骸をセトへと示したのだ。


「……どうかな、セト。後を辿れるかい?」

「グル、グルゥ、グルルルゥ」


 ランガの言葉に、鷲の頭部を四方八方へと向けて臭いを嗅ぐセト。そのままレイとランガが息を呑んで5分程見守っていると、やがてセトがとある方向へと視線を向けたまま喉を鳴らす。


「グルルルゥ!」

「っ!? 本当に見つけたのか!?」


 自分で頼んでおきながらも、驚きの声を上げるランガ。

 レイとしても多少は驚いていたが、何しろ夜の見張りをセトに任せて眠ることも多いだけに、ランガ程の驚愕は持っていなかった。


「で、どうする? 早速警備隊の連中を呼び寄せるか?」

「……いや。悪いんだけど、まだ完全にセトが襲撃犯を追跡出来ると決まった訳じゃない」

「グルゥ?」


 何で? とでも言うように小首を傾げるセト。

 どこか悲しそうな雰囲気のセトに、一瞬ランガの胸に罪悪感が過ぎる。だがランガとしても、臭いで追えるかもしれないという曖昧な状態では、さすがに街中に散らばっている警備兵を呼び集めるような真似は出来なかった。


「セト、僕としては君の能力を疑っている訳じゃない。けど、それだけで他の警備兵を集めることが出来ないのも事実なんだ」


 そう言いつつ、セトの頭をそっと撫でるランガ。


「だから、僕達をその臭いの下へと案内してくれないかい? それで僕が本当にそこに襲撃犯がいるとこの目で確認出来たら、警備兵達を集める大義名分が出来るから」

「グルゥ?」


 レイへと視線を向けるセト。

 判断を委ねられたレイだったが、溜息を吐いてランガへと声を掛ける。


「敵の姿を確認するだけなら、別に警備隊の隊長がわざわざ出向く必要はないだろう。俺に任せてお前は本部に戻って結果を待ってた方がいいんじゃないか?」


 そんな、レイにしては珍しく気遣ったようなことを口にするが、ランガは小さく首を振る。


「いや、実際にその目で襲撃犯を確認したのが隊長である僕だからこそ、説得力があるんだ。いくらレイやセトが有名な冒険者だとは言っても、言い方は悪いが、所詮はまだランクD冒険者でしかない。発言に対する説得力が違うんだよ」

「……そうか。そっちがそれでいいのなら、もう俺は何も言わない。セト、頼む」


 自分のランクに関して言い出されれば、さすがにレイとしてもこれ以上説得力がないと思ったのかセトへと視線を向ける。


「グルルルゥ」


 レイの呼びかけに、喉の奥で鳴くとそのまま2人を先導するように歩いて行く。

 そんなセトの後を追う2人だったが、セトがいるということで子供が時々食べ物を与えようとしたり、あるいは遊ぼうとして近付いてくる。

 そんな相手に、セトは申し訳なさそうに鳴き、住人に顔のしれているランガが事情を説明して今日のところは引き取ってもらうのだった。

 幸いだったのは、大人に関してはランガとレイが一緒にいるのを見ると騎士達の襲撃事件に関係する何かだと理解してくれたことだろう。特に何を言うでもなくセトの歩いている道をそっと譲ってくれる。

 そしてそのままセトは時々立ち止まっては臭いを嗅ぐ仕草をしながら周囲を見回し、屋台や露店に若干残念そうな視線を向けつつも臭いを辿って道を進んでいく。そのまま1時間程も進み続けると、周囲の景色はレイの良く知っている表通りから裏通りへと代わり、さらにはスラムの一角へと辿り着いた。


「……この辺に来るのは2度目だな」


 周囲の様子を見ながら呟くレイ。

 視線の先にあるのはどの建物も相当の年代物となっており、雪が降るような冬を越せるのかと心配になる程だ。


「この辺に来たことが?」


 黙ってセトの後を付いていくのも暇になったのか、レイの呟きを聞きつけたランガが尋ね返す。


「ああ。アゾット商会の事件の時にちょっとな」

「……ああ」


 その返事に、思わず苦笑を浮かべるランガ。何しろあれだけの大事件だった為に、警備兵を纏める立場にあるランガにとっても事後処理は色々と忙しかったのだ。

 もっとも、ベスティア帝国の錬金術師や魔獣兵が絡んでいたということで、騎士団の方でも色々と手を貸してくれたのはある意味で幸運だったのだろう。そうでもなければその忙しさに倒れていたかもしれない、そんな風に思う程に忙しかったのだから。


「とにかく、襲撃犯とかならこの辺に隠れていそうな感じだな。何しろこれだけ空き家があるんだ。隠れる場所に不自由はしないだろうしな」


 呟きつつ、周囲を見回す。


(それに……空き家にしては、随分と人の気配があるしな。これが全部襲撃犯ってわけじゃなくて、スラムの住人もいるんだろうが……さて、どうするべきか。それに今のこの時点で無数の視線が俺達に向けられている。これが、スラムにやってきた者に向ける警戒の視線か、あるいは自分達を捕まえに来た警備兵に向ける視線か)


 ランガの方へと視線を向けるも、レイが感じ取っている視線に気が付いた様子はない。だがそれでも何かは感じているのだろう。普段は穏やかな光を浮かべている目を一変し、鋭く周囲へと視線を向けている。


「確かにこの雰囲気を感じる限りでは、この辺一帯は怪しいかもしれないね」

「隠れやすい、こんな場所こそ真っ先に調べるべきだと思うんだが。現にセトの嗅覚でここまで辿り着いたんだしな。……警備隊では調べていないのか?」


 レイの、当然と言えば当然の疑問にランガは苦笑を浮かべて頷く。


「この辺一帯のスラムは、街の人達……というよりも権力者に対して敵対的なんだよ。だから、もしスラムを調べるとしたら時間を掛けずに一気に捜索するしかない。そうなると、当然大量の人手が必要になる訳だ。……街を調べて、それでも見つからなかったら最終的にはここを調べていたと思うけど。中にはスラムの様子を見に来た者もいるかもしれないけど、恐らく入り口付近をちょっと見て調べる程度だろうね」

「人手の問題か。……なるほど」


 元々ギルムの街では冒険者が主体となっている。当然荒くれ者の多い冒険者達が騒ぎを起こした時の為に相応の数の警備兵はいるが、それでもやはり冒険者程に数は多くないのだ。


(特に今回の件で情報収集やら何やらで色々と人手が使われているらしいしな。街の治安を守るのに一定数を必要として、それで余っている者達が捜査をしているのを考えると無理もないかもしれないな。さすがに警察のように大量の人手を抱え込むって訳にもいかないんだろう)


「まあ、それならしょうがない。取りあえずこの辺一帯が怪しいというのは分かったんだ。なら早速警備隊に戻って、動かせる人手を……ちっ!」


 喋っている途中で自分へと飛んでくる何かの飛翔音を感じ取り、腰に差してあるミスリルナイフを素早く振るう。キキキンッ、という金属音を幾度も立て、数本の短剣が地面へと転がり落ちるのだった。


「私達の隠れ家をこうもあっさりと見つけ出すとは……さすがグリフォン、と言うべきでしょうか。残念ですが、暫くは私達と戯れてもらいます」


 その言葉と共に、20人近い人影が周辺の倒壊寸前になっていた幾つもの建物から姿を現すのだった。

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