第206話
「……来たぞ」
暗闇の中、小さな声が周囲へと響く。
冬の、しかも夜の身を切るような寒さと表現するのが正しい闇の中。そこにとけ込むようにして存在している人影の数は20。それぞれが夜に紛れるような黒装束へと身を包み、じっと屋根の上で待つ。
繁華街から領主の館へと向かうこの道は、夜になると人通りもそれ程多くない。つまり人目を憚るような行動を起こすのにはこれ以上ない程に向いている場所だった。
闇にとけ込んでいる者達の視線の先にあるのは、道を進んでいる馬車。それもただの馬車ではない。犯罪者の護送用として、決して中から脱出出来ないように補強を施された馬車だ。
「よし。皆準備はいいな? 可能であれば救出。もし無理なようなら口を封じる」
感情を感じさせない男の声に、他の人影は無言で頷く。
「ただでさえ、こちらの錬金術師や魔獣兵といったベスティア帝国の要ともいえる存在を奴等には奪われている。これ以上の情報漏洩は決してあってはならない」
囁くような声で呟く人影に、他の人影もまた同意するかのように沈黙して頷く。
それを確認し、獲物を狙うような視線で馬車を待ち受け……自分達がいる近くを通り過ぎたその瞬間、20の人影は何の躊躇いも無く闇の中を進む馬車へと向かって飛び下りるのだった。
翌日。いつものように朝食を済ませたレイは、セトと共に街へと出ていた。今日はギルドに向かうのではなく、図書館で何か面白い本でも探そうというつもりだったのだが……
「何だ? 妙に街中が騒がしいな」
「グルゥ」
大通りを歩きながら、思わず呟く。
セトにしてもレイの意見については同意らしく、喉の奥で小さく鳴く。
何やら、どこか不安そうな顔をして近くにいる者達と話している住人の姿が多く見えるのだ。
「何だい、レイはこの騒ぎの原因を知らないのかい?」
そんなレイを見て、クレープのような物を焼いている屋台の店主が声を掛けてくる。ただしクレープとは言っても砂糖や果物の類を使っている甘いものではなく、ハムやチーズ、肉や野菜を巻いて食べるガレットのようなものだが。
「街中の様子を見る限りだと、どうやら嬉しい出来事って訳じゃないみたいだが……あぁ、6人分くれ」
情報料とばかりに注文し、銅貨を払う。
その注文に笑みを浮かべつつ頷き、素早く焼いた生地に具を包み込んだクレープをレイへと渡す店主。
そのクレープを受け取り、朝食を食べてからまだそれ程経っていないというのに美味そうに噛ぶりつき、セトにも食べさせながらレイは店主へと視線を向ける。
「昨日の夜に護送馬車が襲われたらしいよ。……そして、その馬車に乗っていた犯罪者と護送していた騎士様達も纏めて殺されたって」
「……何?」
店主の言葉を聞き、クレープへと噛ぶりつく動きを止める。
昨夜、護送馬車、騎士。それらの単語に対して身に覚えがあったからだ。
そんなレイの驚きを感じ取ったのか、セトもまたクレープを食べるのを止めて視線を店主へと向ける。
予想外の食いつきだったのだろう。店主はフードの奥から覗くレイの視線の鋭さに、我知らず数歩後ろに下がりながらも小さく頷く。
「ああ、間違い無い。護送用の馬車かどうかは分からないが、確かに俺が今日ここにこの屋台を引いてくる時に道端に何らかの燃やされた残骸の類はあったし、警備兵や騎士達が何人かその周辺にいたからな」
「……なるほど。情報助かった。ついでにハムと卵とトマトのクレープをもう10個程包んでくれ」
「毎度」
食べたクレープが予想外に美味かった為、焼きたてをさらに買ってミスティリングの中へと収納していく。
背中に屋台の主人の機嫌のいい声を受けつつその場を立ち去るレイ。
セトと共に買ったクレープを食べつつ、内心で唸る。
(襲われた護送用の馬車というのは、間違い無く昨日俺が捕らえた奴だろう。そうなると、仲間の奪還に動いたのか? それにしても、騎士を殺すなんて真似をすれば間違い無く騎士団を本気にさせるだろうに。……いや、それでも構わないと判断したのか? そうするべき理由があった? どんな? 例えば、俺が捕らえた3人の知っている情報が極めて重要なものだったのかか? うーん、分からないな。まぁ、俺の役目自体は騎士団にスパイ3人を引き渡したことで終わってるんだ。このまま無事に終わってくれればいいんだが……)
そんな風に考えつつ、思わず溜息を吐くレイ。
(無理だろうなぁ。何しろ、あの3人が捕まった原因が俺なんだ。そうなれば自然と俺に対する敵愾心だって相応にある筈。あの3人が助け出されたのか、あるいは情報が漏れないように口封じに殺されたのか。どちらにしろ俺にとっては色々と面白くないことになりそうだ。……そう考えると逆恨みで狙われかねない分、あの3人が口封じで殺されているのがまだしもマシなのかも)
「……っと、……えてるか、おい」
(うーん。だとすると、このまま出歩くのは拙いかもしれないな。騒ぎが収まるまでは宿屋に引っ込んでいるべきか?)
そんな風に考えていたレイだったが、突然その肩に手を置かれて強引に振り向かせられる。
「おい! 無視をするな!」
「ん?」
暢気に振り向いた先にいたのは、見覚えのある顔だった。それも、レイが今考えていた騎士団襲撃の出来事にも関わっている人物。
「確か警備兵の……」
そう、それは昨日レイを繁華街で呼び止め、詰め所まで連れて行った警備兵だった。
「ったく、ようやく気が付いたか。何を考えていたのかは知らないが、考え事をしながら歩くのは危険だぞ」
「悪い。ちょっと昨日の件で噂を聞いてな」
「……そうか」
警備兵の男にしても友人程に親しくは無いにしろ、それでもこのギルムの街を守るという意味での仲間ともいえる騎士が死んだのは思うものがあるのだろう。小さく溜息を吐いてから再びレイへと視線を向ける。
「俺がお前を呼び止めたのもその件に関してだ。ランガ隊長が昨日の件に関して詳しい話を聞かせて欲しいと言っている。ちょっと来てくれるか?」
「ランガが?」
思わず呟くレイだったが、すぐに納得する。
レイにしてみれば、ランガというのは街の外に出る時の手続きをしてくれる相手という認識だったのだが、本来の役職は街の治安を守る警備隊の隊長なのだ。そう考えると、昨日の件でレイを呼び出すのもおかしな話では無かった。
「ああ。何しろ、昨日お前から聞いた話のメモも無くなってしまったからな。その件を改めて聞きたいというのもあるだろう」
「……まぁ、いいか。今日は特に用事は無かったしな」
図書館でモンスター辞典や、依頼で役立ちそうな本を探そうと思っていた程度なのだ。どうしても今日でなければいけない用事の類も無い為に、素直に頷き警備兵と共に詰め所へと向かうのだった。
「そうか、悪いな。一応捜査協力ってことで多少の謝礼は出るらしい」
そう言い、視線をセトへと向ける警備兵。
「もっとも俺が噂で聞いてるグリフォンの食欲が本当なら、1食分程度くらいにしかならないだろうが」
「気にするな。今も言ったが、今日は特に用事も無かった。それを考えれば特に不満はないさ。むしろ1食分程度でも食費が捻出できるだけマシだよ」
(考えてみれば、この世界だと娯楽の類は殆ど発達してないんだよな。ネットやらゲームやら漫画も無いし。辛うじて絵本がある程度だしな。小説の類がないのはちょっと予想外だった。……そう考えると、この冬は依頼を受けなくてもいいだけの蓄えがあっても、どうやって暇を潰すかだな。かと言って、まさか吹雪いている中でわざわざ依頼に出掛けるのも馬鹿らしいしな。普通の冒険者なら酒場で酒でも飲んでるんだろうが……)
自分が酒にそれ程強くないことを知っているレイとしては、その選択肢は有り得なかった。
また、友人や知人と暇潰しをするという選択肢が出ない辺り、レイの人付き合いの苦手さを表しているのだろう。
(となると、やっぱり図書館程度か。あるいは書店で本を買うのもありだろうな。金にはかなり余裕があるし。あぁ、後は食べ歩きとかもあるな。モンスターの魔石を集めに……いや、幾らドラゴンローブがあっても冬を甘く見るのは厳禁か)
東北の山奥で育った為に冬の恐ろしさを身に染みて理解しているレイは、改めて冬の危険性を思い出しながら歩き続け、やがて冒険者ギルドから少し離れた場所にある警備隊の本部へと辿り着く。
「さ、入ってくれ。……昨日の件で人はあまりいないが、隊長はもう待っているからな」
「ああ。セト」
「グルゥ」
細々とした指示を出さなくても全て分かってるとばかりに小さく鳴いて建物の隙間へと移動して寝そべるセト。
「悪いな。これが終わったら満腹亭にでも行くから、これでも食べて待っててくれ」
そう言い、ミスティリングから取り出した干し肉をセトへと放り投げて建物の中へと入っていくのだった。
そのまま警備兵に案内をされ、建物の一番奥にある部屋へと通される。そこではレイがこれまで何度も門で見てきたランガが、難しい顔をしながら書類へと目を通していた。
「隊長、レイをお連れしました」
「ん? ああ、ごめんごめん。ちょっとこっちに集中しすぎてた。そこのソファに座ってくれ」
いつもはきちんと整えられている髭だが、馬車の襲撃事件で昨日から休む暇も無かったのだろう。髭にもどこか元気が無いようにレイには見えていた。
「すまないがお茶を2人分と、後は軽く何か食べられる物を持ってきてくれるかな」
「はい、すぐに」
レイを案内してきた警備兵が部屋を出て行ったのを見て、ランガもまた執務用の机から離れてレイの向かいに腰を下ろす。
「急に呼び出して悪かったね」
「いや、気にしなくてもいい。何しろ俺にも関係していることだからな」
「そうらしいね。……まぁ、詳しい話は彼が戻ってきてから聞かせて貰うよ。何しろ今回の事件でこっちも人手不足でね」
ランガの言葉に小さく首を傾げ、被っていたフードを下ろしながらレイが口を開く。
「人手不足ってのは、犯人を捜し回っているからか?」
「そうだね。このギルムの街は冒険者が多いから、その分血の気の多い人達も多くなっているんだ。だから、暴力沙汰とかならそれこそ連日のようにあるけど……さすがに騎士が、それも数人纏めて殺されるような事件は随分と久しぶりだ。だからこそ、街の住人に不安を与えないようになるべく早くこの件を片付けなきゃいけないんだよ」
「だからここにいるのか。いつもは正門にいるのにな」
レイの言葉に、大きく溜息を吐くランガ。
「そうだね。僕としても、あそこにいるのが一番いいんだけど。さすがにこんな事件が起きたらしょうがない」
疲れからなのだろう。どこか気怠そうにしながらレイと話していると、やがて扉がノックされて先程の警備兵が戻ってくる。その手にもったお盆には、お茶の入っているコップが3つに、たっぷりのサンドイッチの載った大皿があった。
「お待たせしました」
「うん、君もソファに座って。お茶を飲みながらだけど話を聞かせてくれ」
ランガの言葉に従い、警備兵もソファへと座りサンドイッチに手を伸ばしながら話を進めていく。
話の内容は、昨日レイが騎士や警備兵に語ったことそのままであり、特に目新しい内容は無かった。ランガとしても、既に一度目の前にいる警備兵から聞いている内容ではある。それでも何らかの手掛かりが無いかと微かに期待していたのだが、結局は特に目新しい情報を知ることは出来無かった。
「……なるほど。うん、大体の内容は分かった。残念ながらこれといった新情報は無かったけど」
野菜とチーズのサンドイッチを口に運びながら、残念そうに呟くランガ。その様子を見ていたレイは、小さく首を傾げて口を開く。
「それでも、襲ってきたのは間違い無くベスティア帝国の連中だろう? まさか物取りとかが騎士が守っている護送馬車を襲う筈も無いだろうし」
「恐らく……いや、間違い無くね。君の言う通り、護送馬車を襲っても財宝やら食料やら物資やらが奪える訳じゃない」
「ちなみに、俺が捕まえたスパイ達はどうなったんだ? 連れ去られたのか、口封じをされたのか」
レイの脳裏に、昨夜襲い掛かってきた3人が思い浮かぶ。うち2人は黒装束を身に纏っており、顔はどこにでもいるような平凡な顔立ちだった。
(もっとも、スパイなんだから顔立ちが整っていると悪目立ちするんだろうがな)
そしてどちらかと言えば一応美人と言っても差し支えの無かった女。
(あっちは、恐らく色仕掛けで情報を引き出したりするような役割もあった……のか?)
そんなレイの質問に、ランガは小さく首を振る。
「3人とも死体で発見されたよ。もっとも死体自体が焼け焦げていたから、恐らく君の捕らえた3人だ、としか言えないけど」
「……炎系の魔法でも使われたのか?」
「魔法かどうかは分からないけど、騎士を含めて全員死体が焼かれていたのは間違い無いよ」
ランガの言葉に眉を顰めるレイ。
そしてふと思い出してミスティリングから黒い針を取り出してテーブルの上へと置く。
「昨日の3人が俺を襲ってきた時に使った武器だ。……役に立つかどうかは分からないが、何か分かるような事があるかもしれないから渡しておく」
「ありがとう。助かるよ」
テーブルの上に置かれた黒く、そして長い針を布で包み込むランガ。
(夜とはいっても、街中での襲撃でわざわざ火を使う? それは幾ら何でも、見つけて下さいと言ってるようなものじゃないか? ……ちょっと臭いな。だが、わざわざそうする理由は何だ? 普通に考えれば死体を偽装する為とかだと思うが)
ランガの様子を見つつも、そんな風に内心で考えていると表情に出たのだろう。ランガもまた重い溜息を吐きながら頷く。
「そう。馬車への襲撃を知られるのが遅ければ遅い程スパイ達にとっては有利になる筈だ。それなのに火を使って目立つような真似をする。これは色々と胡散臭いよね。……実際、その火を見つけた住人の知らせで今回の件が明らかになったんだから。つまり、今回の騒ぎは恐らくまだ終わっていない可能性もある。……そこでだ。君に指名依頼を出したい。もし今回の事件を起こした者達の拠点を見つけたら、その制圧に協力して欲しいんだ」
ランガのその言葉が、部屋の中に響くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます