第204話

 自分とセトを監視している人物を誘き出す為、入り組んだ裏路地へと入り込んだレイ。行き止まりの場所で待ち受けていると、やがて苦笑を浮かべながら1人の人物が姿を現す。


「全く、これでも隠密行動に関しては自信があったんですけどね。もしよければどうして私の視線に気が付いたのか、教えて貰えませんか?」


 その人影、20代前半と思われる女は小首を傾げるようにしてレイへと尋ねてくる。


「何となく、としか言えないな」


 女の姿を見据えつつ、油断せずにドラゴンローブの中でナイフを握りしめて誤魔化すように告げながら相手の様子を確認する。

 着ている服は、街の住人に紛れる為だろう。普通の女が着ているような防寒用の服とそう変わらない。敢えて違いを上げるとすれば、服の数ヶ所に多少の補強をしているところだろうが、それとてそれ程珍しい訳では無い。

 年齢は20代程。それなりに整ってはいるが、誰もが振り向く程の美人とは言えない程度の美貌。黒髪を頭の後ろで結っており、いわゆるポニーテールと呼ぶべき髪型をしていた。


「昼間から随分と俺に熱心な視線を向けていたようだが、何か用事か?」


 その問いに、微かに眉を顰める女。


「やっぱり気が付いてたんですね。それでこそ、と言うべきなんでしょうが……私としてはやっぱりちょっと自信を無くしちゃいますよ。どうですか? 今度私の訓練とかに付き合って貰えませんか? 貴方なら随分といい訓練相手になってくれそうですが」


 笑みを浮かべてそう告げてくる女に、レイは特に興味を引かれた様子もなく鼻で笑う。


「そんな戯れ言の為にわざわざ俺を監視していた訳でもないんだろう? こっちとしてもこの寒い中でわざわざ外にいるような酔狂な真似はしたくない。さっさと用件を言って欲しいんだがな」

「……全く、つれない人だこと。これでもそれなりに容姿には自信があるんですけどね」


 口を尖らせながら、流し目をレイへと向ける女。

 だが、この場合は相手が悪かったとしか言えないだろう。何しろレイの周囲には水準以上の容姿を持つ美女が数多くいる。ギルドの受付嬢であるレノラやケニー。さらにはギルドマスターのマリーナ。そして姫将軍とよばれるエレーナ。それ以外にもギルムの街にいる冒険者はそれなり以上に容姿の整った者は少なくないのだから。

 多少の容姿自慢の女でも、レイにしてみればそれらに比べるとあくまでもちょっと容姿が整った女というカテゴリに振り分けられてしまうのだ。


(もっとも、この女が本気で俺を誘惑しているような様子は無い。恐らく本題の前のちょっとした余興ってところか)


「前置きはもういいと言っただろう? こっちとしても無駄話に付き合う程暇じゃないんだ。さっさと本題に入ってくれ」


 すぐにでもナイフを投擲出来るようにローブの中で準備をしながら本題を促す。

 そんなレイの態度に、これ以上話を長引かせても機嫌を損ねるだけだと判断したのだろう。やがてその顔から笑みを消し、真面目な表情を作って口を開く。


「レイさん。私達は貴方の素質を高く評価しています。一流の魔法使いが束になっても敵わない程の莫大な魔力に、高い戦闘能力。そしてランクAモンスターのグリフォンすらも従える貴方という存在は、もっと高く評価されるべきです。決して、ただの冒険者如きのままで終わるような人材ではない筈。……私達の下へと来ませんか?」

「……ベスティア帝国」


 小さく呟いたレイの声だったが、裏路地の奥にあるこの場所では女の耳に届くのに十分な音量を持っていた。

 女はその名前を聞いてもピクリとも顔の表情を動かさず、レイの反応を待っている。だが、確かに顔には一切の動揺がなかったが、その指先。そこが微かにだが動揺で揺れたのをレイは見逃さなかった。本来なら決して気が付かれるようなことはないだろう一瞬の動揺だったが、レイにとってはそれで十分だったのだ。


「なるほど、やっぱりな。……上手い手だな。これまで散々自分達の邪魔をしてきた俺を取り込めば、ミレアーナ王国の戦力を削ぎつつベスティア帝国の戦力は増える。一石二鳥といったところか」

「一石二鳥?」


 さすがに日本の四字熟語を知ってる筈も無く、不審そうに眉を顰める女。

 そんな女の様子を見ながら、ベスティア帝国の名前を出した時に感じた周囲の気配へと注意を向ける。


(数は2。右方向にある屋根の上と、あの女の後ろにある通路の曲がり角か)


 チラリとセトを見ると、そちらでも既に確認は済んでいたのか無言で小さくレイを見返す。


「気にするな、俺が育った所の言い回しだよ。それよりも、否定しなかったってことはベスティア帝国の手の者と考えてもいいのか?」

「……そうですね。どうやら最初から見抜かれていたようですし、これ以上隠す必要はありませんか。ちなみに、何故私がベスティア帝国の者だと分かったのか聞いてもいいですか?」

「別に難しい話じゃないさ。単純に俺がこの街にいて邪魔に思っている奴を考えただけでな」

「この国には貴族派や国王派という派閥がある筈ですが? 中立派のラルクス辺境伯の下に貴方のような逸材がいるのを知っていれば、引き抜きに掛かってもおかしくはないと思いますが」

「貴族派の方には多少なりとも伝手があってな」

「伝手?」


 不思議そうに尋ねてくる女だったが、レイは敢えてそれを無視して言葉を続ける。


「もちろん貴族派の中で必ずしも意見が統一されている訳じゃないというのは知っている。それに国王派に至ってはまだ実際に接触したこともないしな」

「なら何故?」

「まぁ、そこまで明確な理由は無い。ただ、現状で俺がいると一番困る勢力はどこかと考えると、ベスティア帝国が最有力候補になった訳だ。何しろ、数少ない錬金術師や切り札である筈の魔獣兵までもが俺との関わりが原因で捕らえられたんだからな」

「……」


 レイの言葉に沈黙で返す女。

 実際、ベスティア帝国にしてみればこのギルムの街を中心に起きた幾つかの事件は失態以外のなにものでも無かった。ミレアーナ王国の大きな派閥の1つでもある貴族派の象徴とも言えるエレーナの暗殺を失敗し、長い時間を掛けてギルムの街の有力者であるアゾット商会の会頭ボルンターに近付いた錬金術師のポストゲーラは捕縛され、その護衛として付いていた魔獣兵2人も今ではミレアーナ王国の手の内だ。

 ギルムの街という辺境であるが故にベスティア帝国まで情報が届くのが遅れ、事態を察知した時には既にポストゲーラや魔獣兵は王都まで護送されており、手を出すのはまず不可能となっていた。その為、せめて原因をと調べた結果浮かび上がってきたのが、今はまだランクDの冒険者ではあるが、その戦闘力はランクA。将来的にはランクSにすら届くのではないかと言われているレイの存在へと辿り着いたのだ。

 尚、ミレアーナ王国を裏切ってベスティア帝国に付いたヴェル・セイルズはレイの情報については黙秘したまま殆ど答えなかった為、よりその存在を見つけるのに手が掛かったのは余談だろう。


「で、ベスティア帝国に対する引き抜きか。俺はこの街で十分に満足してるんだがな。そっちに付くと何か俺にとっての利益があるのか?」

「既に知っているでしょうが、来春にはベスティア帝国はミレアーナ王国へと戦争を仕掛けます。魔獣兵の存在を知っている貴方なら、ミレアーナ王国に勝ち目があるかどうかくらいは分かるのではないですか?」

「なるほど、生き残れるのが俺にとっての利益か。……だが俺は所詮冒険者であって、別にこの国に雇われている兵士や騎士じゃない。いざとなったらこの国を出るという手段もあるが?」

「散々ベスティア帝国の邪魔をした貴方を、こちらがむざむざと見逃すとでも? 来春に起きるであろう戦争。その際には、間違い無く貴方もベスティア帝国の標的となるでしょう。例え貴方が戦場に出ていないとしても、私達のような影が手を出してくるのは間違いありません。ですがベスティア帝国に今のうちに降れば、かなりの報酬はお約束します。金、女、爵位。……そうそう、そう言えば魔石やマジックアイテムを集めるのが趣味だとか。そっちの方でも十分な報酬をお約束できますよ?」


 このままミレアーナ王国へと所属していれば破滅。ベスティア帝国へと寝返れば報酬は思いのままという条件を提示する女。もしもレイが普通の人間であり冒険者であったとしたら、もしかしたら寝返っていたかもしれない。だが……


「残念だが断らせて貰おうか。今まで散々敵対してきた相手だ。俺にも感情的なしこりはあるし、この国の者達に義理もある。それに何より、ヴェルのような奴を引き込むような国に所属したくないからな」


 レイにとってそれらの報酬は、今の居場所を失ってまでも欲する程のものではなかった。


(まぁ、魔石やマジックアイテムは若干惜しいがな)


 内心で苦笑を浮かべつつも、目の前にいる女から発せられる気配が次第に剣呑な雰囲気になっていくのを感じ取るレイ。


「そうですか、残念です。ですがこちらとしても断られて、はいそうですかと国へ戻る訳にもいきません。それに、実際に貴方の戦闘力を考えると私達にとっては厄介な存在になりかねません。故に……」


 女がそこまで告げた時、話をしている間に既に夕日が沈みかけ、薄暗くなった中を右方向から飛んでくる何かの音を聞き取るレイ。


「っと!」


 咄嗟に音のした右へとドラゴンローブを掲げると、次の瞬間甲高い金属音を立てて何かが弾かれる音がする。


「馬鹿なっ! ウルイプカの針をあんなローブで!?」


 目の前で起こった光景に驚愕の表情を浮かべる女。それに構わず、レイは持っていたナイフを針の飛んできた方へと向けて素早く投擲する。


「ぐっ!」


 針を投げた相手にしても、回避されるのならまだしもローブで自慢の針を弾かれるのは予想外だったのだろう。胴体へと短剣が突き刺さり、そのまま屋根の上から地面へと落下していく。

 この3人にとって最大の不幸だったのは、やはりレイを相手にしたことだった。金属で出来た鎧すらも貫通する針の一撃を、ローブで防ぐという有り得ない方法で防御され、さらにはベスティア帝国の錬金術によって通常のレザーアーマーよりも何倍も丈夫に作られているレザーアーマーを貫く威力で投擲されたナイフ。

 そして。


「グルルルゥッ!」


 セトが獰猛に鳴きながら地を蹴り、そのまま壁を蹴り、三角跳びの要領で女の後ろへと回り込み……


「っ!?」


 そんなセトの様子に恐怖を覚えたのか、咄嗟に背後を振り向いてセトへと対抗しようとコートの内側から鞭を取り出したところで女が見たのは、セトの背中と翼、そして尾という後ろ姿だけだった。


「え?」


 予想外の行動に思わず間の抜けた声を出すが、すぐにセトの目的を悟り道の曲がり角に隠れていた仲間へと声を掛けようと口を開いた時、不意に耳元で声が囁かれる。


「標的から目を離すとか、迂闊にも程があるな」


 そして女は、その声と共に首筋に衝撃を感じて意識を強制的に切断され掛ける。

 地面へと倒れ込むその一瞬に見えたのは、10m近くは離れた場所にいた筈のレイが自分の首筋へと手刀を振り下ろした姿だった。


「な……んで……」


 その声と共に意識を完全に失って地面へと倒れ込んだ女を一瞥し、次の瞬間重い何かが叩きつけられるような音が響き渡る。

 そちらへと視線を向けたレイが見たのは、恐らくセトの前足の一撃にやられたのだろう黒装束を着た男が、叩きつけられた壁を破壊してその先へと吹き飛んでいった光景だ。

 グリフォンとしても並外れた力を持っているうえに、マジックアイテムで膂力の底上げをされているセト。その一撃を食らっては通常の人間に持ち堪えられる筈も無く、そのまま吹き飛ばされて壁を突き破ったのだろうというのはレイにも容易に予想出来た。


「俺とセトの戦力に対する見積もりが甘かったらしいな」


 地面へと倒れ込んで気絶している女へと告げるレイ。

 そんなレイの下へと、クチバシで先程吹き飛ばした黒装束の男を銜えつつセトが戻って来る。


「後は、針を投げてきた奴か。セト、俺はここで見張っているから、俺がナイフを投げて地面に落ちた男を連れてきてくれ」

「グルゥ」


 レイの頼みに、任せろとばかりに喉の奥で鳴き、そのまま男が倒れているだろう方へと向かっていく。

 その後ろ姿を見送っていたレイは、ふと呟く。


「そう言えば針は……」


 地面へと視線を向けるレイ。既に太陽が完全に沈んで周囲が闇に覆われているのだが、夜目の利くレイにとっては針を探し出すのはそれ程困難なことではなかった。ドラゴンローブに弾かれ、地面に転がっていた針を拾い上げるレイ。


「……なるほど。さすがに影、つまりスパイと言うべきか」


 拾い上げた長さ20cm程の針を目にし、思わず呟く。

 針自体が黒く塗られており、あの速度で投擲されれば普通ならその姿を見ることは叶わないだろう。


「出来るとしたら音で回避するくらいか。だが、少しでも傷を負えば……」


 黒く塗られた針の先端は、何らかの液体で濡れている。それがどのような効果を持つのかは分からないが、決して身体にいい効果を持つようなものでないのは明らかだった。

 その後、腹にナイフが刺さったままの黒装束の男をセトがクチバシで銜えて連れてきたのだが、出血が酷い為にこのままでは死ぬというのがはっきりしていた為、捕虜は多い方がいいという判断でミスティリングからポーションを取り出して止血をするのだった。

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