第197話

 レイの姿を見て数秒程呆然としていたアーラだったが、やがて我に返ると改めて口を開く。


「お久しぶりです、レイ殿。以前はお世話になりました」


 騎士らしい礼をし、戸惑いつつも笑みを浮かべるアーラ。

 以前とは態度が違うが、それは周囲にソレイユとその護衛達がいる為だろう。レイもまた、そう判断するのは難しくなかった。


「ああ、久しぶりだ。けど、何でアーラがここに? 確かエレーナの護衛騎士団だろう?」

「はい。そのエレーナ様の命令でソレイユ男爵をケレベル公爵領にあるアネシスへとお連れするようにと」

「……アネシス?」

「エレーナ様の父上、リベルテ・ケレベル様の本拠地とも言える都市です。そこでベスティア帝国に対抗する為、ソレイユ男爵に研究をさせるとのことで私が迎えに来たのですが……その、このバールの街で発生するはずのない疫病が流行したと聞いたらいてもたってもいられなかったらしくて。……それで、レイ殿は何故ここに?」

「今、お前が口にしたこの街で流行っていた魔熱病の薬の材料を届けにな。……にしても、よくここに来たな。今この街に来たとなると、その魔熱病に感染していないと確認出来るまでは街から出られないぞ?」

「……え?」


 レイのその言葉に、動きを止めるアーラ。

 そのまま、まるで壊れた玩具の人形のように鈍い動きでソレイユの方へと視線を向ける。


「ああ、そうらしい。残念ながら、私がアネシスに行くのにはまだちょっと時間が掛かるだろうな」

「……ソレイユ男爵。それを承知の上でここに? と言うか、本当にここから出られないんですか?」


 再びレイへと視線を向けるアーラだったが、レイは無情にも頷く。


「そうなる。貴族としての立場を使えば無理矢理に出て行くことも可能かもしれないが、その場合はそのアネシスとかいう街でも魔熱病が広がる危険性があるな。……と言うか、だ。一応この街はその辺の問題もあって街の入り口で警備兵達が閉鎖していた筈なんだが。よく普通に入って来られたな」

「あー、その、すまん。その辺はソレイユ様が領主権限で無理に押し通った」


 溜息と共にコーミッシュが面倒臭そうにそう告げ、アーラもまた溜息を吐きながら頷く。


「護衛対象のソレイユ男爵がこの街に入ってしまった以上、エレーナ様に頼まれた身としてはそれを放り出す訳にもいかないでしょう」


(あ、こいつのエレーナに対する心酔は相変わらずか)


 そんな風に思いつつも、納得したように頷くレイだった。


「幸いと言うか何と言うか、俺は後5日程度で外に出られる。そっちもそっちで頑張ってくれ」

「……」


 ずるい、とでも言いたそうな顔でレイを見るアーラだったが、何しろ疫病が流行っていた街へと自分から入って来たのだ。その程度の不自由はしょうがないだろう。

 アーラにしても、自分が敬愛するエレーナのいる都市へと魔熱病のような疫病を持ち込むような真似をするつもりはなく、不承不承頷くのだった。


「とにかく、2人が知り合いなのは分かった。レイが言っているように、私も暫くこの街に逗留することになるだろうから心配はいらない。この際だ、久しぶりに会ったのなら積もる話もあるだろう。少し話してきたらどうだ?」

「ですが……」


 どこか心配そうな様子でソレイユへと視線を向けるアーラ。何しろ目を離した途端に姿を眩ませ、見つけたのがバールの街でだったのだから、その心配も無理は無いだろう。


「心配するな。この街では色々と調べたいこともあるから、勝手にいなくなったりはしない。さて、そういう訳で。もう一度東の貯蔵所へ向かうぞ。もしかしたらダンジョンの核の欠片でも残っているかもしれないからな」

「あー、ソレイユ様、本気ですかそれ? ここまで強行軍だったんですから、少しは休みませんか? 具体的にはこの街から出られる1週間程」


 面倒臭そうに告げるコーミッシュだったが、当然ソレイユがそんな話を聞き入れる訳もなく。


「馬鹿を言うな、馬鹿を。折角ダンジョンの核を欠片でもいいから手に入れられる可能性があるんだ。この街にいる間は休む暇は無いと思え。ほら、行くぞ。さっさと付いて来い。お前は私の護衛なんだろう」

「ふぇーい」


 溜息と共に妙な声で返事をし、そのままさっさとソレイユやその他の護衛と共に部屋を出て行く。

 その姿を見送り、ふと気が付くと既に部屋の中にはレイとアーラの2人のみとなっていた。


「……ダンジョンの、核?」


 思わずといった風に呟くアーラ。

 ダンジョンで起きた出来事を思えば、その顔が強張るのも無理はないのだろう。


「ここにダンジョンの核が?」

「ああ。正確に言うと、ダンジョンの核未満の存在といったところだったがな」


 アーラの言葉に返しながら、自分達以外誰もいなくなった部屋でソファへと腰を下ろす。


「つまり、魔熱病の原因は……」

「そうなるな」

「……そうですか」


 深く溜息を吐きながら、レイが座っている向かいのソファへとアーラもまたパワー・アクスを背中から下ろしてから腰を下ろす。


「それにしても、こんな場所で会うとは思わなかったかな。……パワー・アクスは手に馴染んでるようでなによりだ」

「はい。エレーナ様からの贈り物ですし、大事に使わせて貰っています」

「エレーナは元気にしているか?」

「はい。エンシェントドラゴンとしての能力についてもまだ完全ではありませんが、使いこなし始めています。訓練は欠かしていませんよ。ああ、失礼」


 一言レイに断り、テーブルの上に置かれていた紅茶の道具で自分とレイの2人分の紅茶を注いで手渡すアーラ。

 軽く礼を言って受け取り、カップを口へと運ぶ。

 ダンジョンに向かう時にも馬車の中でアーラの淹れてくれた紅茶を口にする機会があったが、その腕に衰えは無いとレイは感心しつつ会話を続ける。


「ちなみに、ヴェルに関してはどうなったか聞いてもいいか?」

「……一族ごとベスティア帝国に逃亡しました。エレーナ様のお父上でもあるリベルテ様が追っ手を出しましたが、4割程はベスティア領内に逃げられたらしいです。さすがにそのまま追って、ベスティア領内に攻め込む訳にもいかず……」

「ヴェルは?」

「そちらに関しては全く何の情報も。恐らく向こうでも警戒しているんだと思いますが」


(そんなタマか? あの時の本性を見る限りだと、嬉々として姿を現してこっちを挑発してきそうだが……考えられるのは、俺が与えたダメージが大きくてまだ治療中ってところだが)


「そう言えば、ですね」


 不意に、話題を変えるようにアーラが口を開く。


「ケレベル公爵領の騎士団を率いている騎士団長が、レイ殿を褒めていると聞いたんですが……面識があるんですか?」

「いや、全く。そんな重要そうな人物とは会ったこともないな」


 ボルンターの屋敷で実際に手合わせをしてはいるのだが、当然レイは相手の正体を知ってる訳でも無い為にそう答える。

 そんなレイの言葉を聞きながら、納得したような表情を浮かべつつも溜息を吐くアーラ。


「そうですよね。でも、実際に騎士団の中にはそんな噂が流れているんですよ。だからてっきり、あの時の件で騎士団長がギルムの街にでも行ったんじゃないかと思ったんですが。……そうなるとエレーナ様から話を聞いて、その内容からですかね?」

「いや、俺に聞かれてもな」


 その後、お互いに取り留めのない話をしながら予想外に出会った知人との会話を続けるレイ。

 本当であればボルンターの屋敷で遭遇したベスティア帝国の関係者達の情報を伝えたかったのだが、その件に関してはダスカーから重要な事態だと聞かされていた為に今は口にすることはなかった。

 お互いの近況を語り、レイがガメリオンの希少種を倒したと言えばアーラが驚き、あるいはアーラが騎士団内部でのキュステを非難するようなことを言った騎士相手に決闘を挑んでパワー・アクスを首筋で寸止めにしたといった話をしていると、突然扉がノックされる音が部屋に響く。

 アーラが入室の許可を出すと、部屋に入ってきたのはメイド服を着た10代後半と思われる少女だ。ボブカットに切りそろえられた青い髪が印象的な少女だった。


「失礼します。ディアーロゴ様がレイ様をお呼びです」

「ディアーロゴさんが?」

「はい。その、ソレイユ様についての話をしたいと」

「……分かった。悪いが、そんな訳で俺はこの辺で席を外させて貰う。最低1週間程度はこの街に滞在することになるんだ。また機会があったら話そう。エレーナに関しての話も聞きたいしな」

「はい。是非。私にしても、ここでレイ殿に会うことが出来た以上はエレーナ様にこの件をお話ししたいですし」

「何かあったら俺の泊まってる宿に来てくれ。……場所はディアーロゴさん辺りに聞けば分かると思う」


 そう告げ、部屋を出てメイドの少女に案内されるままに執務室へと向かうのだった。






「おお、来たか。お前が宿からソレイユ男爵の手の者に連れて行かれたと聞いて驚いたぞ。……だが、どうやら特に何があった訳でもないようだな」

「ええ。ダンジョンの核についての話を聞かれただけなので」

「……全く、あの人も相変わらずだな。そんな風だから貴族派の上の者にここの領主の座を取り上げられるんだ」


 溜息を吐きつつも、その顔色はいい。懸念であった魔熱病の患者は薬が出来るに従って徐々に日常生活に復帰する者が増えてきており、さらにその魔熱病が広まった原因に関してもダンジョンの核が理由だったと判明し、さらに既にそのダンジョンの核に関しても破壊されているのだ。これ以上厄介な出来事が増える可能性は少ないのだから、領主代理として機嫌がいいのは当然だろう。


「それで、お前を呼び出したのはそれ以外にも幾つか報告があってな。まず1つ目だが、昨日現れたあの紫の霧。あれに触れた者は麻痺していたが、効果としてはその程度だったらしくて1晩程で全員が動けるようになっている。まぁ、これに関しては医者達も特に後遺症の類は無いとは言ってるが、それでも原因が原因だ。暫くは様子を見ることになるだろう」

「そうですか。後遺症の類が無ければいいんですが。俺やセトにも効果は無かったとは言っても、直接吸ってますしね」


 正確に言えば、この街の中で最も紫の霧と接触したのがレイとセトだ。何しろその霧を吐き出す根本にいたのだから。


「基本的には魔力が一定以上ある者にとっては無害になるらしいから、その辺は恐らく安全だろう。そして2つ目だ。セイスの奴は今朝早くに目を覚ましたぞ。気絶したのは共鳴の首飾りで魔力を限界以上に使った為らしい」

「そうですか。目が覚めたようで何よりですが……他に何か拙いことでも?」


 少し。ほんの少しではあるが、眉を顰めているディアーロゴへと尋ねるレイ。

 そんなレイの問いに、溜息を吐きながら頷くディアーロゴ。


「ああ。共鳴の首飾りを使った副作用で今は魔力のコントロールが全く出来ないらしい。一流の魔法使いであるセイスが、だ」

「……なるほど」


(他人に魔力を流用出来る程の一品だ。それは確かにその程度の副作用があってもおかしくはないか)


 元々受け手側には副作用があるとセイス自身が言っていたのを思い出しながらレイは言葉を続ける。


「ギルドマスターはそれを承知の上で、あの首飾りを?」

「だろうな。だが幸い既に今回の騒ぎは収まっている。あいつの話だと、3ヶ月程度でまた元のように魔法を使えるようにはなるらしい。……それがせめてもの救いだな。これからもこのバールの街にはあいつの魔法が必要だし」

「それは不幸中の幸いでしたね。ですがこの街の人達は優秀ですから、ギルドマスターが復調するまでは何とか出来るでしょう」

「まあな。俺達にしても、別にセイスに全てを任せきりだった訳じゃない。奴が復活するまでは何とかしてみせるさ」


 しみじみと呟き、やがて気を取り直したようにレイへと視線を向けてくる。


「話は変わるが、レイも残り1週間近くこの街にはいてもらうことになる。これについては理解しているか?」

「はい。魔熱病の原因が無くなるまでにその程度掛かるとか」

「ああ。だから悪いが暫く窮屈になると思うが我慢してくれ。……当然、ダンジョンの核の時のようにセトに乗って街中から飛ぶのも禁止だ」

「それはさすがに理解してますよ。ギルムの街でも同様でしたし。昨日のはあくまでも緊急だったからであって」

「そうか。分かってくれればいい。話はそれだけだ。もう戻ってもいいぞ。……ソレイユ男爵に何か迷惑を掛けられたら言ってこい。出来るかどうかは分からないが、それでもこっちで何とか出来るのならしてやろう」

「ええ、お願いします」


 その挨拶を最後に、レイは執務室を出る。

 メイドへとアーラのことについて尋ねるも、ソレイユの後を追っていったと聞きそのまま領主の館を出て宿へと戻るのだった。

 こうして、期日までの約1週間。レイはセトと共に街中を歩きながら復興の手伝いをしたり、あるいはアーラとの模擬戦を行ったり、とそれなりに忙しく過ごすことになるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る