第195話

 空中で燃やし尽くされた紫の霧。

 レイはそれが全て確実に目の前から消え去ったのを数分程セトと共に周囲を飛び回って確認し、セイスの下へと戻っていく。

 その際に眼下に広がるバールの街ではいきなり現れた紫の竜巻に驚愕している者達もいたが、それでもその竜巻が消え去ったのを確認すると街に広がっていた危機が去ったのを理解したのだろう。次第に歓声が聞こえ始めた。


「……どうやら一件落着、か?」

「グルルルゥ」


 安心するのはまだ早い、とでも言うように警戒の声を上げるセト。

 その声を聞きつつも、まだもう暫くは確かに安心して気を抜くのは早いかもしれない。そう思いつつ、それでも今回の件の原因となったであろうダンジョンの核を破壊した以上、これ以上の騒ぎは起きないだろうと半ば確信しながら街中へと降り立つ。

 そして飛び立った場所へと降りたレイが見たものは……


「ギルドマスターっ!?」


 地面へと倒れ伏しているセイスの姿だった。


「セトッ、至急ギルドに……いや、領主の館か!」


 今は霧の影響で魔熱病の病人や、麻痺した者達がかなりの人数領主の館にいるのを思い出して指示を変更する。

 病人がいるとなると、それだけ医者や回復魔法を使える者達も増えているだろうと。


「グルゥッ!」


 短く吠えたセトの背へとセイスを乗せ、ついでに念の為にと先程放り捨てた共鳴の首飾りや地面に転がっていたセイスの杖、そしてデスサイズをミスティリングへと収納してから走り出す。

 人をその背に乗せているとはいっても、あくまでも初老の老人であり、尚且つその装備もローブ程度で戦士のように鎧を着ている訳でも無い。そうなるとまるで人を乗せているとは思えないような速度を出しつつも、レイはそれに負けじとセトの隣を併走する。

 歓声を上げている住人達を横目にしながらも、グリフォンとしての足力やレイの人外染みた足力を使い、移動する時に使った時間の半分以下で領主の館へと到着した。

 そんなレイとセトを見たのだろう。忙しく周囲へと指示を出していたディアーロゴが驚愕に顔を歪めてセトへと近付くが、その身のこなしはなるほど確かに元盗賊だけあって素早いものだった。

 配下達をそのままに、息せき切って近づいて来たディアーロゴへと視線を向けるレイ。


「レイ、セイスの奴はどうした!?」

「恐らく限界を超えた魔法を使った影響かと。幸いこうして見る限りでは命に別状は無さそうですが、それでも医者はここに多くいると思って急いで連れてきたんですが」

「うむ、分かった。おい、ギルドマスターのセイスが倒れた。医者を呼べ! 回復魔法の使える者も大至急だ!」


 その指示が部下達を通して、すぐに領主の館にいる医者達へと伝えられる。

 同時に、レイは近くにいたディアーロゴの護衛と思しき部下へとセトの背から抱き上げたセイスを託す。


「頼んだ」

「ああ、任せてくれ。このバールの街を救った英雄の1人だ。決して悪いようにはしないさ」


 護衛用に動きやすい格好をしているのだろう。チェーンメイルを着ている護衛が意識を失っているセイスを受け取ると、素早く領主の館の中へと入っていく。


「……ふぅ。全く、あいつも年寄りの癖に妙に頑張るんだからな。それよりもだ。ここからでも見ていたが、霧についてはどうにか出来たようだな。ご苦労だった」


 護衛の1人がセイスを運んでいくのを見送っていたディアーロゴが、安堵の息を吐きながらレイへと声を掛けてくる。

 その表情はまだ若干親友に対する心配の色が残ってはいたが、それでもバールの街を襲っていた危機が去ったのは理解しているのだろう。どこか機嫌が良さそうに見える。


「ええ。ギルドマスターが魔法で霧を集めて街の外へと運び、そこを俺が炎の魔法で燃やし尽くしました。……ただ」

「ただ? まだ何かあるのか?」

「いえ、霧の発生源だった東の蒸留酒の貯蔵所から霧を根こそぎ竜巻で吸収させる為に、殆ど全壊に近い状態になってしまったのですが」

「……そうか。確かにそれは街としてもちょっと痛いが、それでも街中にあの霧が残っているよりは余程マシだ。良くやってくれたな」

「そう言って貰えると助かります。……あぁ、それとこれを」


 呟き、ミスティリングからセイスの使っていた杖と共鳴の首飾りの黒い方を取り出してディアーロゴへと手渡す。


「何しろ、俺が地上に戻ったらもうギルドマスターは気を失って倒れていましたからね。その際に回収しておきました」

「分かった。全く、あの馬鹿は自分の年齢を考えて張り切ればいいものを」


 先程と同じように、だがよりしみじみと呟き、レイから受け取った2つのマジックアイテムを大事そうに握りしめるディアーロゴ。

 その様子を眺めていると、恐らく何らかの連絡があるのだろう。数人の兵士達が走り寄ってくるのがレイに見えた。


「ディアーロゴさん。今はとにかくこの騒動を収めた方がいいかと。特に東地区は霧の影響で麻痺したまま取り残されている人も少なからずいるでしょうし」

「……ああ、そうだな。感慨に耽るのは暫くお預けか。お前とセトに関しては今日はもう休んで構わん。……と言うか、この騒ぎの中でお前達が動いていると逆に色々と騒ぎになりそうだからな。宿は今朝と同じ場所を使ってくれ。話はもう通してある」

「分かりました。では、お言葉に甘えてそうさせて貰います。ギルドマスターにはお大事にと伝えて下さい」


 確かにグリフォンであるセトが街中を動き回っているのを、何も知らない者が見れば騒ぎになるだろうと判断してディアーロゴの言葉に従い宿へと向かうのだった。






「あ、レイさん! あの霧を見ましたか!?」


 セトを厩舎に戻して宿に入った途端、現在宿を取り仕切っている青年が尋ねてくる。

 街の南にあるこの宿だが、それでもさすがに東地区を覆った霧や、その霧を吸い取った竜巻。そして最終的には燃やされた様子を見ることが出来たのだろう。


「ああ、その件については……」


 そこまで口にし、だが次の瞬間にもしダンジョンの核の件を話すと事情を聞きに来る者達が大勢現れそうなことに気が付き言葉を止める。


「いや、そうだな。ディアーロゴさん辺りから早ければ今日にでも何らかの発表があると思うから、詳しいことはそっちで聞いてくれ」

「そんな、何かを知ってるんなら教えてくれても……」


 レイが何かを知っている、あるいはあの出来事その物がレイの仕業だと半ば冒険者としての勘で理解しているのだろう。食い下がってくる青年だったが、溜息を吐いてから首を振る。


「お前も冒険者なら依頼で知った情報を迂闊に洩らすことの危険性は分かるだろう。とにかく、霧についてはもう心配いらないとだけ言っておく。後はディアーロゴさんの発表を待つんだな」

「……分かりました」


 不承不承ではあったが、それでも自分も冒険者である以上はレイの言っていることに文句は言えなかったのだろう。大人しく引き下がっていく。


「セトに対しての飯を忘れないでくれよ」


 青年にそう言い残し、自分の部屋へと戻るのだった。






 翌日。寒さを感じつつベッドの上で布団にくるまっていると、数人程が2階へと上がって来る音で目を覚ます。

 これが他の部屋の客が移動しているだけならレイにしてもまだ睡眠を楽しんでいられたのだろうが、勢いよく駆け上がって来る音を聞いてはそうも言っていられなかった。


「……何だ?」


 寝起きで若干不機嫌そうにしながらも、この街に来てから起きた数々の出来事を考えるとまず間違い無く自分に用事があるのだろうと判断して素早く装備品を身につけていく。そして最後にドラゴンローブを身に纏った時……

 ガンガンガン、とノックと言うよりも扉を殴りつけているような音が周囲へと響き渡った。


「ランクD冒険者レイ。この街の領主であるソレイユ・ルヴァン男爵から出頭命令が出ている。部屋から出て来てくれ」


(領主、だと? 確かこの街の統治に関してはディアーロゴに委ねられていた筈。となると、魔熱病の件が解決したと見て様子を見に来たってところか? そしてその件で俺のことを知って会ってみる気になった、か)


「分かった、身支度をするからもう少し待て」


 扉越しにそう告げると、舌打ちをしてから迎えの兵士は口を開く。

 本来であれば扉越しに舌打ちをしたとしても聞こえる筈が無い。そしてそれを理解しているからこそ兵士も舌打ちをしたのだろうが、あいにくとレイ自身の身体は普通のものではなかった為にしっかりと聞こえていた。


「いいだろう。だが、ソレイユ様を待たせすぎるとこの宿に突っ込んでくるぞ。宿の為にも早めにするんだな」

「宿に突っ込んでくる?」

「ああ、ソレイユ様は自分の興味のあることに関しては決して退くことを知らない。その為にもしお前が遅かったら間違い無くこの宿に突撃してくる」


 扉越しに兵士と思しき存在と受け答えしながらも、レイは思っていたのと違う態度に内心首を傾げる。

 ノックの仕方や舌打ちから考えて、典型的な虎の威を借る狐の如く思っていたのだ。だが、今の話を聞く限りでは宿に迷惑を掛けたくないからこそ急がせているように感じられた。


(俺が聞いた限りじゃ、色々と問題を引き起こした貴族だって話だったんだがな。あるいはこの兵士がその貴族のお守りか何かなのか? どのみち色々と問題のある貴族らしいが)


 内心で呟き、ざっと自分の姿を確認してから扉を開ける。

 するとそこにいたのは、20代半ば程の人物だった。ただし、その顔はどこか面倒臭そうな表情を浮かべている。働くよりは酒でも飲んでいたいとでも言いそうな男だった。


「お前が?」

「ああ。ソレイユ様の護衛のコーミッシュだ。それよりも準備は出来たな。さっさと行くぞ」

「それは構わないが、場所はどこだ?」

「この街の領主なんだから、領主の館に決まっているだろ」


 レイの質問に答えつつも、どんどんと廊下を先へと進んでいく。そのまま階段を降り、宿から出て……


「待て」


 その背へとレイが声を掛ける。


「何だ?」

「俺1人でいいのか?」

「……お前はソロの冒険者だと聞いているが?」


 違うのか? とこれもまた面倒臭そうに確認を取ってくるコーミッシュ。

 その問いに小さく頷くレイ。


「ソロの冒険者だってのは間違っていない。だが正確に言えば従魔がいる。その従魔がいるからソロでやれていると言ってもいいだろうな。で、その従魔は連れて行かなくてもいいのか?」

「あー……構わないだろ。俺が言われているのはお前を連れて行くことだけだ。それにお前にしても、ソレイユ様が変にお前の従魔に興味を持つと困るだろう?」

「……分かった。と言う訳で、セトに餌をやっておいてくれ」


 レイの背後で、成り行きに唖然としている宿の臨時の経営者でもある青年へと声を掛け、2人は宿を出て行くのだった。






「コーミッシュだ。ソレイユ様の命令でこの男を連れてきた。入るぞ」

「はい、窺ってます」


 領主の館の門番に声を掛け、屋敷の中へと入っていくコーミッシュ。レイはそれに特に何も言わずに後を付いていく。

 そしてそのまま前日に通ったのと若干違う通路を通り、やがてとある部屋の前へと到着する。


「ここに?」

「ああ。この部屋の中にソレイユ様がいる。くれぐれも失礼の無い……いや、違うな。色々と失礼な真似をされるかもしれないが、くれぐれもそれに対する反応には気を付けるようにな」

「……は?」


 貴族に対する礼儀として失礼の無いようにしろと言われるのならレイにも予想出来た。だが失礼な真似をされて、その反応に気を付けろと言われたのはさすがに初めてだった為に思わず尋ね返すが、コーミッシュはそれ以上何を言うでもなく扉をノックする。


「ソレイユ様、コーミッシュです。ご希望の人物を連れてきました」

「そうか、すぐに中に通せ!」


 その声と共にコーミッシュが扉を開き、中へと通されるレイ。

 そしてそんなレイの視界にまず入って来たのは、ソファに座っている1人の人物だった。

 年齢的に考えれば、20代程でコーミッシュとそう変わらないだろう。特徴的なのはその目で、狐の目のように細められている。その雰囲気はど貴族というよりは、研究者のように思える。


「へぇ、君がこの街を救った……レイ……か……」


 その口から言葉を噤むと共に、次第に動きを止め、その表情を強張らせていく。


「き、君は……君は一体っ!?」


 ソレイユは反射的に呟き、咄嗟に後退ろうとして自分が座っているのがソファであったのを忘れていたのか、その背もたれの部分へと思い切りぶつかり、その勢いのままソファが引っ繰り返って、頭を床へと打ち付け意識を手放すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る