第173話

「ガメリオン」


 思わずだろう、標的としていたモンスターの名前をハスタが呟く。ゴブリンの内臓を貪っていた白いモンスターはその声を聞くとピタリとゴブリンの内臓を貪る動きを止め、鋭い目付きで一瞬だけ後ろを見る。

 そしてそこにいるのが2人の冒険者だと知ると、特に気にした様子も無く再びゴブリンの内臓へと牙を突き立て始めた。

 ただし1m程の尾がゆらゆらと揺れて、まるで牽制するかのように背後の様子を窺っていたが。


「……ハスタ、幸い奴はセトに気が付いていない。一旦ここから離れて、セトに上空から奇襲を仕掛けて貰うぞ」


 緊張した様子の背中へと声を掛けるレイだが、ハスタは持っていたエストックをしっかりと握りしめながら小さく首を振ってその提案を否定する。


「幾らガメリオンの相手をする為にレイさんに助っ人を頼んだからと言って、全てをレイさんに任せる訳にはいきません。それに父さんからの条件もありますしね」


 ハスタの言葉に、人任せにするのではなく必ず自分も戦うようにと言っていたのを思い出すレイ。


「ここで全てをレイさんやセトに任せると父さんや母さんを裏切ることになってしまいます。……すいません、レイさん。まず最初は僕にやらせて下さい。そこでどうしようもなかったら手助けをお願いします」

「……それでいいんだな?」

「はい」


 迷い無く頷くハスタに、この草原に入るときに会った冒険者の男の忠告を思い出す。


(確かに暴走気味と言えばそうなのかもしれないな。だが、条件が条件である以上はそれもしょうがないか。危なくなったらすぐにこっちも手を出せばいいんだし)


 内心で溜息を吐き、小さく頷くレイ。


「分かった。だが、俺と組んだ以上お前に死んだりされたら困るからな。危ないようならすぐに手を出すぞ」

「お願いします」


 ハスタがエストックを構えるのを見ながら、お手並み拝見とばかりに少し距離を取って様子を眺めるレイ。

 もちろん何か危険があったらすぐに手を出せるよう、その手にはデスサイズが握られている。

 また、セトは自分という存在を察知したガメリオンが逃げ出さないように地面に伏せ、その気配を極力消していた。


「……行きますっ!」


 緊張しつつも息を整えて鋭く叫ぶと、ハスタは地面を蹴りエストックを持ったままガメリオンとの距離を縮める。

 ヒュンッ!

 自分に迫ってきている存在に気が付いたガメリオンもまた、尾を鋭く振るうが……


「っ!?」


 鞭の如く振るわれたその尾を、ガメリオンと距離を縮めつつ腰を落とし、足で地面を削りつつもさらに距離を縮めるハスタ。

 その様子は、レイに日本にいた時にTVで見たサッカーのスライディングを思い起こさせた。


「はぁっ!」


 もちろん尾の一撃は人外の身体能力を持つレイにしてみればそれ程速い訳では無い。それこそデスサイズの刃で斬り落とすなり、あるいは柄で防ぐなりといった手段が取れるだろう。そしていざとなれば紙一重で回避するような真似も不可能ではない。だがハスタの身体能力でそんな真似が出来る筈も無く、その結果が今のスライディングだった。


「ガアッ!」


 だがガメリオンにしてみれば、攻撃を回避されるのはそれ程予想外ではなかったのだろう。どこか不機嫌そうな鳴き声を発しながらつい数秒前まで内臓を貪っていたゴブリンの死骸を咥え、ハスタへと振り向き様に投げ付ける。

 幾ら人間の子供程度の大きさしかなく、あるいは内臓を食われているとは言ってもその重量は20kgを優に超える。これが普通の冒険者が持ってるような一般的な武器の長剣、槍、あるいは斧といった物ならば力尽くでゴブリンの死体を薙ぎ払うことも出来ただろう。だがハスタが愛用しているのは突きに特化したエストックであり、当然ゴブリンの死骸を薙ぎ払うような真似は出来ない。あるいは武器を折ってもいい覚悟があるのならそれも可能だろうが、もしそんな真似をすればガメリオンに対する攻撃手段を失う。

 つまりハスタには対応手段は回避しか無かった。


「やられてたまるか!」


 自らを鼓舞するかのように叫び、スライディング状態のままエストックを持っていない方の左手で咄嗟にナイフを抜き、地面へと突き刺して強引に自らの動きを止める。同時にゴブリンの死骸がハスタのすぐ目の前を通り過ぎていき、レイから少し離れた場所にある木の幹へとぶつかって周囲に血を含んだ液体を撒き散らす。


「はあぁっ!」


 突然動きを止めた獲物に一瞬だけ意表を突かれて動きを止めたガメリオンだったが、その一瞬があれば素早い突きを信条としているハスタにとっては十分だった。

 気合いの声と共に放たれたエストックの剣先は、狙い違わずにガメリオンの尾の付け根へ命中。身体自体は斬撃系統の攻撃に対して高い防御力を誇る毛皮に覆われているのだが、尻尾に関しては毛皮に覆われていなかった為……


「ギャンッ!」


 尾の根本近くから切断され、ガメリオンの口から漏れた悲鳴が周囲へと響き渡る。

 

(へぇ、やるもんだな)


 いつでもフォロー出来るようにデスサイズを構えたままではあったが、内心で感嘆の溜息を吐くレイ。


「まだぁっ!」


 1m程の尾が飛ぶのを見もせずに、ここが最大のチャンスだとこれまで冒険者として活動してきた体験から本能的に理解したハスタは、再び鋭い突きを繰り出す。

 ガメリオンの毛皮が高い防刃性能を備えている以上、狙うのはその毛皮に覆われていない場所。そしてその一撃が致死になる場所。つまりは脳のすぐ近くにある目。目へとエストックを突き刺せば、そのまま脳までも破壊出来る。それがハスタがガメリオンを一撃で倒せる唯一の機会だった。

 だがガメリオンにしても自分の弱点はもちろん知っている。そして目を狙われた時に対応する方法も当然知っていた。

 ギンッ!

 金属と金属がぶつかったような音が周に響き渡る。その音の出所はハスタの突きだしたエストック。そして……ガメリオンの刃と化している鋭い耳の先端。


「なっ!?」

「ガアアアアアァッ!」


 ハスタにしてみれば、これまで幾度となく行ってきた戦闘の中でも間違い無く上位に入るであろう素早さと鋭さを持っていた突きだった。だが、目の前にいる巨大な兎はそれを耳の刃で防いだのだ。その耳が刃物のような存在だと知っていたというのに、格上のモンスターを相手に余裕が無かった故のミス。

 そしてハスタのエストックを耳の刃で防いだガメリオンは、自分の鋭い牙を見せつけるようにして口を開いてハスタへと噛みつこうとし……


「っ!?」


 弾かれたエストックを引き戻し、せめて盾にしようとするものの既に遅い。エストックを引き戻すよりも前にガメリオンの牙は自分の命を奪う。そう思った次の瞬間。

 斬っ!


「ガア……ア?」


 スレイプニルの靴を発動して空中へと駆け上がり、6m程の高さから降下すると同時にデスサイズに魔力を通して振るわれた一撃でガメリオンの首はあっさりと切断されたのだった。


「……え?」


 本来であれば自分の身体へと突き立てられる筈だった牙を持った頭部が切断され、そのまま自分の横を通り過ぎていった光景をどこか現実味のない思いで見ていたハスタから掠れた声が漏れる。


「無事か?」


 ガメリオンの首をギロチンの如く切断したデスサイズを肩へと担いで尋ねるレイ。


「あ、はい。うん。もちろん大丈夫ですけど……え? あれ?」


 切断された首から勢いよく吹き出している血と、自分から少し離れた位置に転がっているガメリオンの首へと幾度も視線を向けるハスタ。

 だが、レイはそんなハスタには構わずに吹き出している血に微かに眉を顰める。


「ある程度の血抜きがされるまで収納は出来ないか」


 何でも無いことのようにそう呟きながら。


「……」


 そんなレイをただ無言で眺めるハスタ。

 噂を聞いてはいた。それでも、結局は自分と同じランクD冒険者である以上は戦闘力自体は自分より上だとしてもそれ程の差はないだろうと。心のどこかで、レイに対する評価の中にはランクAモンスターであるグリフォンによるものが含まれているからだと思っていたのだ。

 だが、自分が苦戦していたガメリオンを苦もなく仕留めたその技量。例えガメリオンが自分に意識を集中していた、一種の囮のような存在になっていたとしても、たった1度の攻撃でその首を斬り落としたのは事実だった。それも斬撃に対して強い防御力を持っている筈の毛皮諸共に。

 この時、ハスタは本当の意味でレイという冒険者の底知れぬ実力をその身で感じ取ったと言えるだろう。


「で、この草原に来て早速目当てのモンスターを倒せたんだが……どうする? このままもう帰るか? それとももう数匹程仕留めていくか?」


 そんなハスタの思いなど気にもしないかのように尋ねるレイ。

 その質問を聞き、すぐに我に返る。


「あ、その。この時期だけしかここに姿を現さない期間限定のモンスターなので、ギルドの方からなるべく1つのパーティが仕留めるのは5匹以内にするように言われているんです。だからもう1匹か2匹を仕留めたらギルムの街に戻りましょう。実は1匹仕留められたら運がいいとばかり思ってたんですが、まさか来てすぐにガメリオンを見つけられるとは思ってなかったので」

「なるほど。……ちなみに魔の森に住んでいると言うのなら、命知らずな冒険者が魔の森に入っていったりはしないのか?」

「あははは。レイさんもまた、冗談が上手いですね。魔の森に好んで入り込むような命知らずはいませんよ。あそこには僕程度でも何とかなるモンスターもいますが、ランクBやランクAのモンスターがそこら中にいるって話ですし。それに中にはランクSのモンスターもいるとか」

「……そうか」


 ハスタの言葉に頷きつつ、以前魔の森から出る時に微かにだが見た竜を思い出す。ランクSというのはああいうモンスターを言うのだろうと。少なくても今の自分やセトでは荷が重いだろうモンスターだ。

 同時に、魔の森から出る時に遭遇したムササビのような魔物のジャルムが脳裏を過ぎる。


(そう言えばガメリオンは魔の森から出て来たって話だが、ジャルムはどうしたんだろうな?)


 自分やセトが出て来る時は100匹以上の数に襲われたのだが……と考えつつ、ジャルムの習性を思い出す。


(そうか、夜行性だから昼間のうちに出て来れば問題ないのか)


 レイがそんな風に思っている間に、ハスタはハスタでレイに対して抱いていた驚きを解消し、飲み込み、消化していく。

 そして自分の中でレイに対する印象を大幅に書き換えつつ口を開く。


「それにしてもレイさんって凄いですね。まさかガメリオンを一撃で仕留めるなんて。……正直強い強いと言われてはいても、実はセトのおかげもあるんじゃないかと思ってたんですが……そんな印象は今ので綺麗さっぱりなくなりました」

「まぁ、俺の体格が冒険者向きじゃないってのは自分でも理解しているからな。おかげで何度となく他の冒険者に絡まれた経験があるし」

「あははは。確かにレイさんは小柄で、一見すると華奢ですし。そのローブを被っていると背の小さい魔法使いにしか見えませんから」


 自分に対して持ち上げるでもなく、そう言ってくるハスタに思わず笑みを浮かべるレイ。


「当然そいつらには相応の報いを受けて貰ったけどな。……で、結局ガメリオンをもう2匹程度仕留めてから帰るってことでいいんだよな?」

「あ、はい。そうして貰えれば」

「そうか。ならまたセトに空から探して貰うのが早いだろうな。っと、こっちの血抜きも大体終わったな」


 既に身体に流れている血の大半が流れ出たのだろう。首からの出血は止まり、周囲には咽せるような鉄錆の臭いが広がっている。

 ここが林の中であり、すぐに風で臭いが散らされるのが唯一の救いだろうか。

 ガメリオンの死骸へと手を触れてミスティリングの中へと収納していく。もちろん、レイ自身が切り飛ばした頭部やハスタが斬り飛ばした討伐証明部位の尻尾も忘れずにだ。


「じゃあ、セト。また空に……セト?」

「グルルルルゥ」


 空から他のガメリオンを探して欲しいと頼もうとしたレイだったが、セトはと言えば現在いる林の中から草原の方へと視線を向け、喉の奥で何かを警戒するかのように唸っている。

 そして次の瞬間、レイ自身が持つ鋭い聴覚がセトの警戒している存在に気が付く。その耳に聞こえて来るのは悲鳴だ。とにかく逃げろ逃げろと叫んでいるような声が次第次第に近付いてくる。


「……レイさん?」


 だがそれが聞こえるのはあくまでもレイだからであり、同時にセトだからなのだ。通常の人間であるハスタにはレイとセトが何を見つけたのか全く分かっていなかった。


「準備をしろ。どうやら冒険者達が追われているらしい。……どうする? 助けるか? それともあくまでも俺達の目的であるガメリオンを探すか?」


 魔の森の影響が出ていると言われているこの草原に来るからには、何が起きても自己責任だろう。そんな風に尋ねたレイだったが、逆にその心の中ではハスタがどう行動するのかを半ば予想出来ていたのも事実だ。


「確かにそうかもしれませんが、同じ街に住む冒険者を見捨てる訳にもいきません。それに今日はレイさんやセトもいますし。……その、頼ってばかりで図々しいですが」

「お前ならそう言うと思ってたよ。それに、どんなモンスターに襲われているのかは分からないが、俺にとっては魔石を集める絶好の機会だしな。セトも問題無いだろう?」

「グルゥ!」


 任せろとばかりに頷くセト。

 そんな1人と1匹の様子を見ていたハスタは頭を下げて礼を言う。


「ありがとうございます!」

「気にするな。それよりも追われている冒険者達がどうこうされる前に行くぞ」

「はい!」

「グルルルゥッ!」


 2人と1匹は林を飛びだし、草原へと戻る。

 そして草原へと戻った次の瞬間にはハスタにも自分達の方へと走ってくる冒険者達の姿を確認出来る。

 草原で遮蔽物が殆ど無いからこそ、その姿を確認出来たのだろう。レイ達のいる林へと逃げてきている4人の冒険者達。そしてその後を追ってくるガメリオン。

 ここまではあくまでもレイの予想通りの展開だった。ただ違うのは……


「稀少種」


 ポツリと呟くハスタ。

 そう。冒険者達を追っているガメリオンはレイ達が倒したガメリオンに比べて3倍近い大きさを持っていたのだった。

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