第165話
「……さすがに騒がしくなってるな」
「そりゃあな。まさか寝て起きたらこの街最大規模のアゾット商会が半ば取り潰しに近い状態になってるとはさすがに思わなかったんだろうよ」
レイの言葉に、フロンが苦笑を浮かべつつ肉や野菜のたっぷりと入ったシチューに固く焼き固められたパンを浸しながら返す。
「昨日この宿で起こった騒動を知ってる者ならある程度は何か騒ぎがあると予想出来たかもしれんが、この宿は食事が美味いからそれを目当てに訪れている客もおるしのう」
朝だと言うのにコップに入った酒を美味そうに飲み干しつつブラッソが呟く。
「朝から酒とか……いやまぁ、確かに今日は完全に休養に当てる予定なんだから別にいいんだけどよ」
食堂の窓から降り注ぐ日光――既に午前も半ばを過ぎたので朝日と言うには無理があった――を見ながらフロンが溜息と共に吐き出す。
「もう少しで昼なんじゃ。そうカリカリするでないわ。それにこれはエールの中でも度数の低い奴じゃからな。酒というよりも水みたいなもんじゃわい」
「……十分酒だよ」
一度溜息を吐き、相手にしてもしょうがないとばかりに再びレイへと向き直る。
「で、まずはこれだ」
フロンが手渡してきた小さな布袋を受けとるレイ。その中を見てみると白金貨6枚が入っている。
「……これは?」
「ガラハトと約束してただろ? アゾット商会に雇われている冒険者達を殺さないって。その代金だよ」
「それについては白金貨2枚だった筈だが、何で6枚になってるんだ?」
「あー……その差分の4枚は俺もブラッソも貰ってる。そっちに関しては騎士団の幹部や騎士団長達からだ」
「ようは口止めか」
「だろうな。結局昨夜はこっちの事情を話して後はそのまま帰っただろう? で、今朝早くこの宿に騎士団から人が来て金を置いていった訳だ。昨日はもう遅かったから俺達もここに泊まったからな。丁度その時に起きていた俺が纏めて預かっておいた」
ダスカーにしても、自分が治めている街の中でも最大手とも言えるアゾット商会がベスティア帝国の侵食を受けていたと言うのは予想外だったのだろう。レイが食堂の中でされている噂話に耳を澄ませても、その内容についてはアゾット商会の会頭が代わったといったものが殆どであり、ベスティア帝国や錬金術師といった単語は出てこない。
「まぁ、貴族としての面子とかもあるんだろうが、ラルクス辺境伯の場合は違うだろうな。恐らくこれを機会に街の中に潜んでいるベスティア帝国のスパイを纏めて掃除する気だろう」
「……なるほど。まぁ、ここはあくまでも辺境であって王都とかじゃないしな」
シチューを口に運びながら頷くレイ。
王都であるのなら、ベスティア帝国からのスパイが一斉に捕まったとしても情報を得る為に再度スパイを送り込んでくるのは間違い無い。しかしこのギルムの街は辺境であり、ベスティア帝国としてもそこまで重要度が高い筈ではないとの判断からだ。
もちろんいずれは再度スパイが送り込まれてくるのは間違い無いだろうが、それでもある程度の期間は猶予が出来るだろう。そしてその間にスパイに対する対策を取れば問題無いのだと。
「……で、アゾット商会がこれからどうなるのかは聞いたか?」
渡された白金貨6枚が入っている布袋をミスティリングの中へと収納しつつ、フロンへと尋ねる。
そのレイの質問に小さく眉を顰めながらもフロンは頷く。
「ああ。まだ正式に決まった訳じゃないが、大体の所はな」
「……解散か?」
商会のトップに立つ会頭がベスティア帝国の錬金術師と繋がっていたのだ。本人は相手がベスティア帝国の者だと知らなかったのだろうが、それでも罪は重いだろう。そう思って尋ねたレイだったが、意外なことにフロンは首を横に振る。
「一応アゾット商会自体は残ることになったらしい。……ただし、相談役という名目でラルクス辺境伯の部下が派遣されてくるらしいけどな」
「いわゆる監視役。……少し柔らかく表現すればお目付役といった所じゃの」
樽からエールをコップへと注ぎつつブラッソが指摘するが、レイは2人の言葉に若干驚いたように目を見張る。
「意外だな。ここまでの騒ぎを起こした上にあの失態だ。最低でもアゾット商会は領主の直轄になるなりなんなりすると思ってたんだが……監視役が派遣されてるとは言っても、まさかそのまま存続させるとはな」
「一応この件にはレイも関係しているぞ」
「……俺が?」
「ああ。実際はどうであっても、結局ベスティア帝国の錬金術師やあの得体の知れない合いの子を捕らえたのは、ガラハトに雇われていた形のレイだろう? つまり一応アゾット商会の内部で解決した訳だ。そこでガラハトがまだアゾット商会の自浄作用はきちんと機能していると領主様に直訴して……って感じらしい」
「それにじゃ。迂闊にアゾット商会の内部を混乱させて、ギルムの街での武器取引を滞らせたくないという狙いもあるんじゃろうな。もし領主様の直轄組織になるとすれば、当然今までと色々変わる所も出て来る訳じゃしな。安全な場所にある街ならそれでも構わないんじゃろうが、ここは辺境。武器屋の取引に混乱が生じればそれだけ冒険者にしわ寄せが来ることになる。それはつまりギルムの街のモンスターに対する戦力が減少するのと同じじゃしな」
「なるほど。大体分かった。ちなみにガラハトに関してはやっぱりアゾット商会の代表なんだよな?」
「ああ、そうらしい。……それと、その騎士からの伝言だ。領主様が1度領主の館に顔を出すように、だとさ」
「あー、わかった。まぁ、こっちも一応話しておきたいことがあったし、丁度いいと言えば丁度いいか」
「話しておきたいこと?」
「気にするな。知らない方がいいことだよ」
そう言い、シチューの最後の1口を口へと運んでパンと一緒に果実水で飲み干す。
「さて、じゃあ俺は早速領主の館に行ってくるが……お前達はどうする?」
「儂はもう暫くここで飲んでいくかのう」
「俺は宿に戻って二度寝でも楽しむさ」
「そうか。じゃあ、ハーピーの解体に関しては明日の午前中でいいか?」
「うむ。儂等がここに迎えに来よう」
話は決まり、レイは早速とばかりに領主の館へと向かうのだった。
「ランクD冒険者のレイだ。領主様に呼ばれて来た」
宿を出てから30分程、レイの姿は領主の館の門前にあった。
尚、今日は珍しくレイ1人であり、セトの姿は無い。実は厩舎の方に迎えに行ったのだが、今日は珍しく眠っていたのだ。
一応起こしてはみたものの、来るかと尋ねると首を横に振ったのでそのまま寝かせてレイが1人で出て来たのだ。
そしてセトという巨大すぎる目印がいなければレイはそれ程目立つ訳では無い。あるいはデスサイズを持っていれば話は別だったのかもしれないが、大鎌は現在ミスティリングに収納されている。
「うむ、少し待て」
既に顔見知りと言ってもいい門番が頷き、すぐに屋敷の方へと人を走らせる。そして数分もしないうちに案内の者が来て、これまでにも何度か入った領主の執務室へと通された。
「昨日はご苦労だったな。ほら、いいからお前も座れ」
ソファへと腰を下ろしながらそう告げてくるダスカーに、小さく頭を下げてからレイもまたソファへと腰を下ろす。
「失礼します」
「ああ。で、だ。……いやちょっと待て。おい、何か飲み物と軽食を持ってこい。ちょっと話が長くなるかもしれないからな」
「畏まりました」
ダスカーの言葉に執事が頷き、部屋を出て行く。
それを見送り、持っていた書類へと目を通しながらダスカーは口を開く。
「詳しい話は飲み物が来てからだ。それまでは少しゆっくりしていろ。俺もあそこにある書類に目を通さないといけないしな」
そう言いつつ向けられた視線の先には、10cm程も書類が積み重なって執務机の上に存在していた。
その書類の量を見たレイは思わず呟く。
「……凄い書類の量ですね」
「ん? ああ。確かにな。いつもはこの半分も無いんだが、昨日の件で色々とな。……俺としては書類仕事よりも身体を動かしている方が性に合ってるんだが」
溜息と共にそう吐き出すダスカーは確かに文官か武官かで言えば、その鍛え上げられた肉体や強面の顔、鋭い目付きと明らかに武官側の人間だった。それでも武力一辺倒だけではないと言うのは、無事にギルムの街を治めていることや中立派の中心人物としてその名を知られていることからも明らかだろう。
「全く、まだ中央で騎士団として働いていた時の方が楽だったな。父さんが引退することになってラルクス辺境伯の座を継いだのはいいが……こう見えて、貴族も色々と窮屈なものでな。特にそれが辺境伯の当主ともなれば言わずもがなだ。どうだ? お前も貴族になってみる気はあるか?」
冗談のように呟きつつも、ダスカーは真剣な表情でレイへと視線を向けている。
レイという強大極まりない戦力を欲するのなら、それは貴族にして自分の下に付けるのが一番簡単な方法なのだ。辺境伯という地位にあり、中立派の中心人物でもあるダスカーの影響力を使えば王都に根回しをして男爵や子爵の1人や2人を叙勲するのはそう難しい話ではない。
「もっともさすがに土地はやれないから、俺の部下みたいな扱いになるだろうがな」
「いえ、俺は貴族になる気はないので。……そもそも、俺みたいな礼儀知らずが貴族社会でやっていけるとも思えませんし」
「礼儀? そんなの気にすることはないぞ。俺を見てみろ。自慢じゃないが、辺境伯という家に生まれたのにこの様だ。王都の方では散々礼儀知らずだの何だのと陰口を叩かれたもんだしな」
「……申し訳ありません。俺自身は冒険者として。そして魔法戦士としての道を究めていきたいと思います」
丁寧ながらも、断固として貴族になるのを拒絶するレイに小さく溜息を吐くダスカー。
「まぁ、しょうがないか。本人が嫌だと言ってるのを無理に叙爵させる訳にもいかないしな」
そうは言いつつ、ダスカーの中ではレイ自身が貴族になる気が無いというのを理解してそれなりに満足していた。
(少なくても貴族になる気がないのなら、他の派閥に引き抜かれる危険性はないだろう。それに冒険者を続けるということは、このギルムの街が拠点になる筈だ。確実とは言えないが、いざという時に戦力として考えられるのは大きい。ここは無理に攻めるべきじゃなくて現状の維持で満足しておくべきか)
「失礼します。お茶と軽食をお持ちしました」
ダスカーが内心で満足していると、扉がノックされて執事が入ってくる。そのまま運んできたカートをテーブルの隣まで運び、テーブルの上に紅茶の入ったカップを置く。
「ダスカー様、他に何か御用はありますか?」
「いや、いい。ご苦労だった。下がれ」
「はい、失礼します」
恭しく一礼し、部屋を出て行く執事。
それを見送り、ダスカーは読んでいた資料を執務机の上に放り出してソファへと座ってレイと向き直る。
紅茶を1口飲んでから真面目な表情を作り口を開く。
「……さて。まずは昨日の件だが色々とご苦労だったな。レイのおかげでベスティア帝国の錬金術師と、その秘密兵器とやらを捕らえることに成功した。それで、その秘密兵器とやらだが。何か知ってることがあるらしいと報告があったが?」
「はい。それを話す必要もあって今日呼び出されたのは好都合でした。ダスカー様も知っての通り、俺は少し前にダンジョンに潜りました。その時に向かったのが継承の祭壇というのは既にご存じだと思いますが」
レイの言葉に小さく頷き、話の続きを促すダスカー。
「その話についてはエレーナ殿から聞かされて知っているが、それがどうかしたのか?」
「継承の祭壇で行われる継承の儀式。それの簡易版とも言える方法をベスティア帝国は開発したらしいとのことでしたが……」
「待て。それはつまり」
レイの言葉を遮るダスカー。その脳裏には昨夜領主の屋敷に運ばれてきた、甲殻に包まれた人とは思えないシルエットを持つコルドと、身体中から鱗が生えているミナスの姿が過ぎっていた。
「はい。本人達は自分のことを魔獣兵、と」
「魔獣兵か。確かにあの容姿は人間とは言えないものだったが……それにしても、簡易型とは言ってもエレーナ殿は一切容姿が変わっていなかったのに比べて、随分と違うな」
「そうですね。恐らくそれが簡易型の限界なんでしょう。……とは言ってもミナスとコルドの2人では随分と容姿に差がありますから、恐らく継承の儀式の簡易型とは言ってもまだ幾つか問題がある可能性はありますが」
「その辺については、王都の方で調べられるだろう。ポストゲーラとか言う錬金術師共々な」
「……ここで取り調べをするのではないのですか?」
「俺の領地で取り調べをするにはちょっと大きすぎる事案だしな。それに情報を独占するというのは魅力的な出来事だが、権力争いを最優先して国が滅びたら洒落にもならん。取り調べや魔獣兵の解析には国王派や貴族派の者達からも人を出して行うことになるだろう。……もっとも、今回の件で俺達中立派の勢力が増えるのは確定済みだ。この件に関してはお前のおかげだな。助かった」
ニヤリ、とした笑みを浮かべてそう告げると豪快に口へとサンドイッチを運ぶダスカー。
それを見て、レイもまたサンドイッチへと手を伸ばす。
「いえ、俺もこのギルムの街で暮らしていますしね。このミレアーナ王国がベスティア帝国に占領されるのは困ります。……そう言えばアゾット商会に関しては結局このまま存続させることになったと聞きましたが」
「ああ。色々と思う所はあるが、このまま解散なり接収なりをさせると街の混乱がな。しょうがないからこっちから人を送るということで決着した」
「まぁ、ボルンターは色々とあくどいことをしていたらしいですし、それでも十分かと」
その後は魔獣兵のミナスやコルドの能力についての情報や、ポストゲーラの持っていた転移用のマジックアイテムについての情報といったものを提供し、1時間程でレイとダスカーの会談は終了するのだった。
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