第149話

 スラムの近くにあるその小屋。周辺は正確にはまだスラムと呼ばれる地区ではないが、それでも場所が場所の為に元々人通りは少ない。それが夜ともなれば殆ど人の姿は無いと言ってもいいだろう。そんな中、目標の小屋を見つけたレイ達一行は素早くその小屋へと向かっていく。


「……確かにボロいのう。何かあればすぐに倒壊してしまいそうに見えるが」


 小屋の外見を見てブロッソが呟く。フロンもまた同様だと黙って頷いていた。


「まぁ、人が近付かないようにと色々工夫しているからな」


 ムルトはそんな2人へと言葉を返し、小屋の扉へと手を伸ばす。扉の右上、右下、左下、左上と時計回りに押していくムルト。するとすぐにカチッという物音が聞こえる。


「なるほど、仕掛け扉か」


 これなら確かに何も知らない者には開けられないだろうと感心したように呟くレイ。

 ムルトはその様子を得意気に笑みを浮かべながら扉を開く。

 規定の手順を踏んだ為にあっさりと開いた扉だったが、それなりに高ランクの……それも、アゾット商会とは関係の無い盗賊に作って貰った仕掛けの扉だ。仕掛けを無視して扉を開けようとしてもまず開かず、どうしても開けるとすれば力尽くで扉を破壊するしかないのだが……小屋のくたびれ具合を見てその判断をする者はそれ程多くないだろう。扉を破壊すると同時に小屋も崩壊するのでは意味が無いし、そもそもそこまでしてこの小屋に注意を向けるべき何かがある訳でも無いのだから。


「あー、……セトは悪いが外で頼む」


 扉の入り口とセトを見比べ、ムルトが申し訳なさそうに呟く。


「グルゥ」


 もっともセトに取って建物の中に入れないというのはいつものことだ。特に異論が無いとばかりに小さく鳴いて、建物の影になっている場所へと寝転がる。


「セト、周囲の警戒を頼むな」


 そんなセトに声を掛け、小屋の中に入っていく一同。


(パミドールの工房近くで助けられた為か、ムルトのセトに対する態度がかなり柔らかくなってるな)


 レイは内心で呟きつつ、小さく笑みを浮かべるのだった。


「……で、肝心のガラハトとやらは何処にいるんじゃ?」


 小屋の中へと入ったブラッソの第一声がそれだった。

 何しろ小屋の中にいると聞いていた筈のガラハトの姿は何処にも見えず、ガランとしているのだから無理もない。


「ちょっと待っててくれ」


 だがそんな小屋の中を見たムルトは、特に慌てもせずに部屋の隅に置かれているゴミの入った樽を動かした後に、樽の下になっていた床へと手を伸ばして何らかの操作をする。すると次の瞬間、床の一部分がガコンッという音をたてながら横へと移動し、床によって隠されていた場所には地下へと続く階段が姿を現していた。


「なんともはやまぁ。予想外と言えば予想外の展開じゃな」


 現れた階段に、どこか呆れたように呟くブラッソ。その隣ではフロンもまた同様だという風に頷いており、唯一レイだけが興味深そうに地下へと続く階段を塞いでいた仕掛けを眺めている。


「何しろ隠れ家だからな。いつ何があるか分からないだろう? 念の為って奴だよ」

「……念の為も何も、ここにこんな仕掛けを作るとしたら相応に金が掛かったじゃろうに」


 もちろんこの場所を知っているムルトとガラハトの2人で作ったという可能性もあるのだが、それだと時間が掛かりすぎる。かと言って専門の技術を持っている者に頼んだとすれば、これ程の仕掛けである以上は相応の費用が掛かる筈だ。そう思って尋ねたブラッソだったが、ムルトは小さく首を振る。


「いや、この仕掛けを作るのに手を貸してくれたのは、ガラハトさんに以前世話になったって奴だったから最低限の出費で済んだ。その最低限についてもガラハトさんにすれば余裕で払えるものだったしな」


 自慢そうに呟くムルトだったが、やがてそれどころではないと気が付いたのだろう。地下へと伸びている階段へと足を踏み入れる。


「じゃあ早速だけど行くぞ。この先にある部屋にガラハトさんがいる筈だ」


 その言葉に頷き、階段を降りていく。

 さすがに階段の途中に明かりを付けるような余裕は無かったのだろう。あるいは、短い距離だからという理由でつけなかったのかもしれない。そんな暗闇に閉ざされている中で階段を降りていき、次の瞬間にはたった今降りてきた床が再び閉じて周囲が闇に包まれる。


「おい、大丈夫なんだろうな?」


 そんな状態だった為に、さすがに不安になったのかフロンがムルトへと尋ねるが、何も問題は無いとばかりに頷き……次の瞬間には暗闇に包まれているのだから頷いても分からないのだと思い出し口を開く。


「問題無い。元々階段の周囲に何も重さが無くなると自動的に床が閉じるような仕掛けなんだ。この地下から出る時には、階段の上、今閉まった床の近くにスイッチがあるからそれを押せばいい」

「……本当だろうな。こんな暗い場所に閉じ込められるなんてごめんだぞ?」

「くっくっく。暗がりが怖いとか、フロンにも意外に女らしいところがあるんじゃな」

「黙れ酔っ払い。俺は元々女だ」

「いや、今の儂は酔っ払ってないんじゃがな」


 そんな風に言い合いながらも、1分もしないうちに階段を降りきる。すると目の前には扉が1つだけ存在していた。

 もちろん領主の館にあるような立派な扉ではなく、どこにでもあるようなごく普通の扉だ。


「ここだ」


 ムルトが一言だけそう呟き、扉をノックする。


「ガラハトさん、いますか? ムルトです」

「……誰か連れているのか?」


 ムルト以外の人の気配を感じ取ったのだろう。扉の向こうから訝しげに尋ねる声が戻ってくる。

 ここはガラハトとムルトのみが知っている隠れ家なのだから、その場所に自分達以外の人物を連れてくるというのは余程のことがあったに違いない。そんな疑問を持ったガラハトの問いに、小さく深呼吸をしてからムルトが答える。


「すいません、どうにもこっちの戦力不足で……俺が勝手に助っ人を頼みました」

「……そうか。やはり兄貴の方が勢力的には上か」


 溜息を吐きながらの呟きが聞こえると、ガチャッという鍵の開けられる音が周囲へと響いて扉が開かれる。そして中から姿を現したのは動きにくい様子を見せてはいるが、それでもきちんと自分の足で立っているガラハトの姿だった。


(へぇ、本当にあの怪我から数日でここまで回復したのか。ポーションか回復魔法かは知らないが、この世界の医療技術も馬鹿にしたものじゃないな)


 内心で感心したように呟くレイ。だがガラハトは自分へと視線を向けているレイを見て思わず硬直する。


「レ、レイ!?」

「ああ。さっきムルトが言ってただろう? 助っ人を雇ったってな。それが俺だ。……正確に言えば俺とこいつらだ」


 身体をずらしてブラッソとフロンの2人の姿が見えるようにする。

 だが、ガラハトとしてはそれどころではない。何しろ目の前にいるのはレイなのだ。そう、ボルンターに対して次は無いと宣言した筈の人物。その人物が目の前にいるということは……


「ムルトッ!」


 反射的にムルトへと叱責の声を上げるガラハト。

 だが、それも無理はなかった。そもそも今回ガラハトがあれだけ従順に尽くしていた兄に逆らう決意を決めたのも、目の前の人物からボルンターを守る為だったのだから。2度目は無いと宣告されたにも関わらず、死の恐怖を感じ取ったその日のうちに再びレイへとちょっかいをだす算段をしていたボルンター。その度し難いとしか言えない兄の命を、目の前に立っている人物から何とか守る為には兄を権力の座から引き下ろさなければならない。そう判断したからこそ、あれ程疎まれつつも慕っていた兄に対して反旗を翻すことにしたのだ。それなのに、その原因である人物が目の前にいる。ムルトのとった行為はガラハトにしてみれば明確な裏切り以外の何物でも無い。

 もしその五体が健康なままであったのなら、恐らく腰に下げている剣を抜いたかもしれなかった。それ程の怒りを感じつつも怪我をこれ以上に酷くしない為、レイの目の前でそんな行為をすれば敵対したと見られかねない為。……そして、もしかしたらという一縷の希望。それら色々な感情がない交ぜになり、ガラハトの手を止めたのだった。

 そのまま数秒。やがてガラハトがそっと口を開く。


「レイ、ここに来たということは兄さんが出してきたチョッカイに気が付いたんだな? それを知った上でここに来たということは……宣言通りに兄さんを殺すのか?」

「……さて、どうだろうな。ただしこの前の件については既にこのギルムの街の領主でもあるラルクス辺境伯に報告済みだ」

「っ!?」


 さらりと告げられたその言葉に、息を呑むガラハト。レイの隣ではムルトもまた同様に驚愕の表情を浮かべている。


「この街の領主としても、アゾット商会程でかい商会がボルンターのような人物に仕切られているのは色々と面倒らしくてな。暗黙の了解でだが奴を殺す許可は貰っている」

「ダスカー様が、か」


 信じられない……否、信じたくなかったのだろう。嘘だと言って欲しい。そんな目でブラッソとフロンへと視線を向けるガラハトだったが、実際にその場にいた2人が無言で首を左右に振るのを見て絶望の表情を浮かべる。

 そんな中、ポツリとレイが呟く。


「まぁ、ラルクス辺境伯としてはアゾット商会の会頭が代わって今までのような悪辣な真似をしなければそれでいいんだろうがな」

「本当か!?」


 レイの言葉に希望を感じて顔を見上げたガラハトだったが、それも次の言葉を聞くまでだった。


「この街の領主としてはそれでもいいんだろう。だが、次は無いと脅したにも関わらず数日と経ってない状況でこの有様だ。それについてはどうするつもりだ?」

「……そ、それは……次に何かをしようとしたら俺が止め」

「それはこの前も聞いたな。あの時はお前の言葉を信じてその場を収めたが、それでボルンターはどうした? 依頼を終えて今日この街に戻ってきて、鍛冶師の工房に行った時に武器屋から俺に対して商品を売るなと言われたと聞かされたぞ?」


 ガラハトに最後まで言わせることなく、途中で言葉を挟むレイ。それが事実なだけに、ガラハトとしても言い返すことが出来無かった。

 その代わりに口を出したのはムルトだった。ガラハトを庇うようにレイの前へと進み出て口を開く。


「待てよ。武器屋の件に関しては、ガラハトさんがお前の攻撃で意識を失っている間にボルンターが決めたんだ。どうやってもガラハトさんにそれを止めるなんて真似は出来なかったんだよ」

「それがどうした? 俺はボルンターを2度目は無いと条件を付けて1度だけ許した。それを承諾したのはガラハトだ。そうなれば当然その責任はガラハトにあるだろう? 例え自分の意識がなくなっていて、その間に話が進んでました……そんな風に言って俺が納得すると思うのか?」

「そ、それは!」


 尚も言い募ろうとするムルトだったが、その肩をガラハトが掴んで止める。


「いや、いい。確かにレイの言う通りだ。俺がもうちょっかいを出させないと約束したのに、それをいきなり破ったんだ。非は俺にある」

「ガラハトさん……」


 ムルトとしてはボルンターがどうなろうと関係は無く、むしろいい気味だという気分ではあるのだろう。だが、その結果自分が兄貴分と慕っているガラハトが受けるショックを考えるとそうそうレイに賛成も出来ない。

 そんな2人を見ていたレイが溜息を吐きながら口を開く。


「……いいだろう。ボルンターの命は取らないと約束する。それで納得しろ」

「命は、か?」

「ああ。命は、だ」


 確認するように尋ねてくるガラハトへと向かって頷く。『命は取らない』つまりそれは、命以外は取ると宣言しているに等しい。だからこそガラハトも確認するように尋ねてきたのだ。


「どうしてもか?」

「そうだな。これが俺の最大の譲歩案だ。これすらも認めないというのなら、俺はお前達に協力せずに独力でボルンターを討ちに行く。当然お前達に協力した時とは違って色々と面倒事が起きるのは確実だろうが、ラルクス辺境伯からその辺についての暗黙の了解は貰っているんだ。賞金首にされるとかの最悪の事態は免れるだろうな」


(もっとも……その代わりにとばかりに向こうも何らかの要求はしてくるだろうが)


 内心で呟くレイ。

 事実もしそのような事態になった場合、ダスカーは嬉々としてレイを自分の……と言うよりもギルムの街に取り込むべく色々と行動を起こすだろう。それも、出来るだけそのことをレイ自身に悟られないように。レイという個人として極めて強力な戦力にはそれだけの価値があると考えているのだから。


「…………」


 レイの言葉を聞き、1分程黙り込んで考え込むガラハト。そしてやがて何かを決意したかのように口を開く。


「分かった。レイの意見を全面的に飲もう」


 苦虫を噛み潰したような表情でそう告げたのだった。

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