第130話

「レイ、起きろ。そろそろ時間じゃぞ」


 その声に、眠りの底へと落ちていたレイの意識が浮かび上がって来る。

 そして目を開けたレイの視界に映ったのは、ドワーフの髭面だった。


「……ブラッソか」

「うむ。そろそろ夜襲に丁度いい時間じゃから起こさせて貰ったぞ」

「グルルゥ」


 ブラッソの言葉に、戦いが待ちきれないとばかりに喉の奥で唸るセト。その唸り声は、レイが枕にしていたセトの柔らかい腹を通してレイの耳にも響いてくる。


「フロンはどうした?」


 パチッ、パチッという焚き火の音を聞きつつ周囲を見回す。本来であれば自分達と一緒にここで眠っていた筈のフロンの姿が見えなかったのだ。


「ああ、フロンの奴なら色々と寝起きの準備をしておるよ。全く、女というのは面倒臭いと思わんがっ!」


 最後まで言い切ることなく、闇の中から投げ付けられた木の枝に頭を直撃されるブラッソ。そんなブラッソを見ながら闇に包まれている森の中からフロンが姿を現す。


「ったく、女を馬鹿にするのもいい加減にしろ。この岩じじぃが」

「ぐっ……だからと言って木の枝を投げ付けることはないじゃろう」


 頭を抑えつつ、ブラッソは自分の頭に命中して地面へと落ちた木の枝を拾い上げて焚き火の中へと放り投げる。


「この馬鹿に関してはこれでいいとして……そろそろ時間だけど、問題は?」


 腰から抜き去った長剣の様子を確認しつつレイへと尋ねてくるフロン。

 その様子に笑みを浮かべ、レイは小さく頷く。


「こっちも問題無い。じゃあ軽く食事してから早速ハーピー共を根絶やしに行くとするか」


 何でもないように言いつつ、ミスティリングから巨大な鍋を取り出すレイ。その鍋はギルムの街から出発する前に食堂で鍋ごと買い取った煮込み料理だった。同時にスープ用の皿とスプーン、煮込み料理を取り分ける為のお玉も取り出して人数分に盛りつける。


「グルルルルゥ」


 煮込み料理の芳醇な香りが周囲へと漂い、セトが自分にも欲しいとばかりに喉を鳴らす。


「ほら、熱いから気を付けろよ」


 セトの分ということで肉を大目に盛り分けた皿を差し出すレイ。その頃にはフロンもブラッソも渡された料理へと舌鼓を打っていた。


「美味いのぅ。これで酒でも飲めれば最高なんじゃが」

「ああ、美味い。まさか夜営をしている時にこんな手の込んだ料理を食えるとはな。……いやぁ、アイテムボックスを持ってるレイ様々だな、こりゃ。……ただしブラッソ。酒は禁止だ」

「ふんっ、これから戦いになるんじゃから景気づけの1杯くらいなら構わんじゃろうに」

「この前みたいにレイが酔い潰れたらどうする気だ。ったく」


 溜息を吐きつつも、十分に煮込まれて味の染みている肉と野菜を口へ運び、満足そうに頷くフロン。


「確かに依頼とかで夜営をするにしても、こうやってしっかりとした温かい、出来たての料理を食べられるってのは士気的にいいよな。やる気が湧いてくる」

「そうじゃなぁ。食事というのは軍隊でも重要視されておる所じゃし、フロンの言ってることもあながち間違いではないのう」

「……俺に取ってはアイテムボックスがある夜営ってのが普通だから、特に違和感はないんだが……」


 2人のあまりの羨ましがりように、思わずそう呟くレイ。すると次の瞬間にはフロンとブラッソの2人から呆れたような視線を向けられる。


「レイ、お前はこのアイテムボックスがあると言うだけで他の冒険者達よりももの凄く……それこそ、A級とH級。いやそれ以上に恵まれているような物なんだぞ」

「そうじゃな。実際に、荷物を持つ必要がないこのアイテムボックスというマジックアイテムはフロンが言うだけの価値があると思って間違い無いじゃろう。……レイ本人はそれ程自覚していないようじゃがな」


 このままでは形勢が不利だと判断したのか、スプーンでさっくりと割れる程に煮込まれている肉――何の肉かは不明――を口へと頬張り、繊維状に解けるのを感じて、それを飲み込んでから改めて口を開く。


「ちなみに、普通の冒険者は夜営の時に料理とかはどうしてるんだ? 知っての通り俺は基本的にソロで行動しているし、パーティを組んだとしても殆どが臨時で、尚且つアイテムボックスを使ってるからな。普通の冒険者の食事事情ってのは良く分からないんだが」


 誤魔化したな。そんな視線をレイへと向けるフロンとブラッソの2人だったが、やがてフロンが煮込まれた芋をスプーンで掬い上げながら口を開く。


「基本的には保存が効くように焼き固められたパンだな。それを水とかお湯で柔らかくして食う程度だ。……狩猟が得意な面子がパーティにいたりすれば、野鳥やら野生動物やらを獲ってきて焼いて食ったりはするが。あぁ、あと道中でモンスターを倒したりしたらその肉を焼いて食べたりな。だが、そんなのは本当に幸運だったりする時だけだぜ? モンスターって言っても、例えば良く出てくるゴブリンなんかは肉が臭くて食えたもんじゃないしな。それに肉を焼くとか言っても味付けに使う塩の類を持ってる奴がいるのも珍しいし」

「……塩くらいは持ち歩いてもいいんじゃないか?」


 フロンに思わず尋ねるレイ。実はミスティリングの中にはギルムの街で購入出来る多種多様な香辛料が入っていたりするのだが……


(この様子じゃそれに関しては言わない方がいいんだろうな)


「確かにそう言う意見があるのも承知しておる。実際、塩の1瓶くらいなら大して荷物の場所を取らぬしな。じゃが依頼を受けている儂等にとってみれば、その1瓶の重量差が生死を分けるというのも珍しくはないんじゃよ。故に、少なくても儂等砕きし戦士は荷物を極力減らしておる訳じゃ」


 ブラッソの言葉は、若者へとアドバイスをする年長者としては含蓄を含んでいる言葉だ。だが……


「その割には酒は必ず持ってくるんだよな」


 フロンのその一言で台無しになるのだった。


「喧しいわいっ! 酒と塩は別物じゃ!」


 そんな風に言い合いをしながらも10分程で食事を済ませ、まだ中身がたっぷりと入った鍋や使い終わった食器の類は全てミスティリングの中へと収納する。


「さて。では2人共、準備はいいな?」


 ブラッソの言葉に頷くレイ、フロン。喉の奥で鳴いて返事とするセト。

 それぞれの手には既に自らの武器が握られており、いつモンスターが夜の森から飛びだしてきても対応が可能だ。


「では、行くぞ。既に真夜中じゃし、ハーピー共も眠っている可能性が高いじゃろう」

「それは構わないが……どんな風に攻撃するんだ? 巣の外側にいるハーピーを1匹ずつ倒してくのか?」

「儂としてはそのつもりじゃが、何か他にアイディアでもあるのか?」


 暖を取る為の焚き火に砂を掛けて消火しながら尋ねてくるブラッソ。その様子を見ながらレイは小さく頷く。


「ああ。知ってるかどうかは分からないが、俺は純粋な戦士じゃなくて魔法戦士だ。それも炎の魔法に特化した……な。おかげで他は風の魔法を多少しか使えないが」

「……つまり、ハーピーの巣にお主の魔法を叩き込むと?」


 消火する作業を止め、先程までの和気藹々とした雰囲気ではなく熟練の冒険者としての視線をレイへと向ける。


「ああ。ハーピーの巣があるのは山頂だろう? なら延焼する心配もない」

「ふーむ……そうじゃのう。確かにそれが上手く行けば問題ないんじゃが……」


 チラリと山頂の方へと視線を向けて考えるブラッソだったが、そこにフロンが口を挟む。


「駄目だ駄目だ。ブラッソ、お前鉱夫達から聞いた話を忘れたのか? この山は夜になると山頂から麓へと風が吹き下ろされるって言ってただろうが。もしそんな場所で炎の魔法なんぞを使って見ろ。少しでもコントロールをミスったら山火事どころじゃ済まないぞ。……いや、最悪山火事で済むなら御の字だ。その火事のおかげで鉱山が駄目にでもなってみろ。ギルドの方からどんなペナルティを受けることになるか」

「……じゃな。吹き下ろしの風がある以上は炎の魔法は延焼の危険があって使えん。悪いが大規模な魔法は使わずに1匹ずつ仕留めていってくれ」

「だが……それだと、ハーピー全てを仕留めることは出来ないんじゃないか? 幾らひっそりと端の方から片付けていくとは言っても、絶対に途中でばれる筈だ」

「じゃが、フロンが言ったように吹き下ろしの風で山火事にでもなったらどうする?」


 ブラッソの言葉に、黙り込むレイ。


(確かにこの鉱山の解放というのが、今回のハーピーの巣を駆除する最大の理由だ。それを考えると大規模魔法は拙い。……くそっ、吹き下ろしの風が無ければどうにかなるんだが)


「分かった。取りあえずそのハーピーの巣まで行ってみよう。そこまで行けば何かいい手段を思いつくかもしれない」

「……まぁ、よかろう。じゃが今も言ったように鉱山の安全を最優先にして、山火事になる可能性があれば炎の大規模魔法は使わない方向で進めるぞ」

「ああ。その辺は了解した」

「グルルルルゥ?」


 ブラッソに対する返事に残念そうな響きを感じ取ったのだろう。セトが大丈夫? とでも言うように頭を擦りつけてくる。


「何、気にするな。それに今回の俺はソロじゃなくて砕きし戦士の臨時のパーティメンバーだからな。リーダーの指示には従うさ」


 セトの頭をコリコリと掻きつつ、笑みを浮かべるレイ。


「そうだな、確かにソロで行動してるのなら自分で思う通りに行動すればいいだろうさ。けど、今のレイは自分で言ったように俺達砕きし戦士の一員なんだ。……それに、俺達はこう見えてもそれなりに熟練の冒険者だからな。少しは見習う所があるだろうよ」

「熟練過ぎて、熟女に近くなっているんじゃがな」

「黙れジジィ。その脳天真っ二つに斬り裂くぞ」


 熟女という単語を効いたその瞬間。持っていた剣を大きく振りかぶっているフロンの姿があった。半ば殺気のような物を発しながらブラッソを睨みつけているフロン。

 その様子に、さすがのブラッソも額に冷や汗を滲ませながら少しずつ後ろへと下がっていく。


「わ、悪かった。確かに儂が言い過ぎた。フロンはまだまだ現役で若いと儂は知っておるとも」

「……次は無いぞ、酒飲みジジィが」


 険悪な目付きでブラッソを睨みつけ、大きく深呼吸する。


「ほら、お前達2人もいい加減に山頂に向かうぞ。ここでダラダラと話していて夜明けになったりしたら洒落にもなんねぇ」

「……」


 フロンに何か言いたげな様子のブラッソだったが、次に何か余計なことを言えば今度こそ本当に剣が振り下ろされるかもしれない。そんな本能的な恐怖を感じた為に口を噤む。

 レイもまた同様に沈黙を守り、そんなレイの様子に何かを感じたのかセトもまた黙りこむ。

 そしてそのままフロンを先頭に、ブラッソ、レイ、セトの順番で山道を上がって行く。

 山に入ってから鉱山までは鉱夫達が踏み固めたおかげで自然と道になっていたが、ここから先は殆ど出入りする者もいない為、道らしい道は存在していない。あって獣道といった所だろうか。

 そんな道の中を3人と1匹は進んで行く。


「ちっ、木の枝や蔓が鬱陶しいな!」


 持っている剣を振り、歩くのに邪魔なものを切り払っていくフロン。本来であればこういう役目は体力のあるブラッソがやるべきなのだが、ブラッソが切り払った後でも2人の背の高さの違いから、結局はフロンも自分が歩くのに邪魔になるものを切り払わないといけない為に二度手間になるのだ。

 それでもさすがにランクC冒険者と言うべきだろう。冒険者でもない普通の人間なら体力切れをしてもおかしくない程の速度で山の中を進んで行き……1時間程度でやがて山頂が見えてくる。


「……セト、様々だなぁ」


 レイに手渡された布でここまで道無き道を切り開いてきた為に吹き出た汗を拭きつつ、感心したようにセトを見るフロン。

 本来夜というのはモンスターの時間だ。それも、昼間よりも凶暴になるモンスターが多い。そして現在フロン達がいるのは山の中なのだ。通常ならこんな風に殆ど襲撃もなく山を登ってくるような真似は出来ない。

 ……それでも、やはりセトの実力を感じ取れないような低ランクのモンスターが数度程は襲い掛かってきたのだが。

 ランクの低いモンスターだけに、その肉は不味くセトが好むような味でもない。その為に魔石と素材、討伐証明部位を切り取った後はその場へと打ち捨てて来たのだが……恐らく今頃は他のモンスターの胃の中に収まっているだろう。


「グルルゥ」


 任せろ、とばかりに喉の奥で鳴くセト。その声に頼もしげに笑みを浮かべつつ茂みを切り払うと……


「見えた」


 とうとう山頂へと到着したのだった。

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