第125話

「ふざけるな!」


 部屋の中に、男の怒声が響き渡る。

 ボルンター邸の一室。そこは昼間にレイが暴れた部屋ではない。だが、現状の部屋の有様は昼にレイが暴れた部屋と大して変わらない程に荒れ果てている。ほんの数時間前まではきちんと整理されており、掃除も行き届いていた部屋だったのだが……屋敷の主人であるボルンターの手により椅子は壊され、カーテンは引き千切られ、壁に掛かっていた絵画は踏みにじられ、花を飾っていた壺は砕かれていた。そして……


「この儂が! あんなランクD如きの若造に! 舐められて! 黙っていると! 思っているのかぁっ!」

「ひぃっ! お許し……下さ…旦那様……」


 ボルンターの手に握られている乗馬鞭が苛立ちの声と共に振り下ろされるのは、屋敷に仕えていた10代後半のメイドだった。

 その服は鞭で叩かれた衝撃で破かれ、皮は裂け、肉が見えている。床へと流れ落ちた血により部屋の中には血錆びの臭いが漂う。そしてボルンターはその臭いを嗅いで暴力の快感に眼に濁った光を宿らせ、再度鞭を振り下ろす。

 鞭を打たれるメイドにとって不運だったのはボルンターの体格だろう。本来は初老とすらいえる年齢のボルンターではあるのだが、その体格はまだまだ頑健だった。その力を使って鞭を振り下ろされるのだから、メイドにとっては堪った物では無い。


「ぎっ……がっ!」


 既に言葉を発することも出来ずに、ただ鞭の衝撃に絶え絶えに声を出すことしか出来無くなっているメイド。意識すらも既に無いメイドへと詰まらなさそうな視線を向けてから、部屋の中で唯一無事だった鐘を鳴らす。

 そして数秒後。


「ボルンター様、お呼びでしょうか」

「こいつを連れて行け。あぁ、適当に治療はしておくようにな。死なれでもしたら面倒臭いことになりかねん。ダスカーの奴は貴族の癖に、平民の儂よりもこの手のことに厳しいからな」

「はっ!」

「それで、奴のことはどれだけ調べられた?」


 手に持っていた鞭を床へと放り捨て、向かいの部屋へと向かう。

 その後を付いていく執事は、急いで部下にメイドの治療を指示をした後に主人の機嫌を損ねないように口を開く。


「このギルムの街に姿を現してからまだ数ヶ月程しか経っておりません。噂によると、凄腕の魔法使いの弟子だったとか。その修行を終えた為にここで冒険者として経験を積めと言われた……とのことです」

「ふんっ、だろうな。グリフォンを連れてる冒険者が昔からギルムの街にいるのなら、噂になるのが遅すぎる」

「その後は師匠の言葉通りにギルドへと登録。主に討伐系の依頼を受けていたようです」


 部屋の奥にある椅子へと腰を下ろし、執事に報告を続けさせる。

 レイがこの屋敷から帰り、ボルンターが我に返ってから数時間。その短時間で執事の男はここまで情報を集めていた。

 その情報網の広さはさすがにギルムの武器屋を纏めているだけあり、レイ自身の情報はそれ程苦もなく集められる。


「なるほど。その関係でオークの集落に対する襲撃にも参加した訳か」


 小さく呟き、執事に話の先を促しながら無造作にコップへと酒を注いで一口で飲み干す。


「ぷはぁっ。で、奴自身の腕は……いや、聞くまでもないか」


 その瞬間ボルンターの脳裏を過ぎったのは昼間に味わった死の恐怖。あれ程の恐怖を自分に抱かせるのだから、その腕が未熟である筈も無い。

 そう呟き、ふと覚える違和感。


「待て。奴は魔法使いの弟子だった……のか?」

「はい。誰の弟子だったのかは裏を取れていませんが、隠者とでも呼ぶべき魔法使いだったらしくずっと2人、そしてグリフォンだけで暮らしていたとか」

「その割には奴が儂を殺そうとした時に魔法は使っていなかったぞ? 魔法発動体は持っていたが……」


 呟きつつ、レイが持っていた魔法発動体を思い出す。

 普通魔法発動体と言えば杖であったり、あるいは指輪。少し珍しい所ではピアスというのもあるが、それらに共通しているのは純粋に魔法発動体としての効果しか持っていないということだ。だがボルンターが昼間に見たレイの魔法発動体は、武器として……それも、極めて強力な何らかのマジックアイテムとしての能力も併せ持っているように見えた。

 もちろんマジックアイテムとして別の効果を持つ魔法発動体が存在しない訳では無い。だが、1つのマジックアイテムに魔法発動体としての能力とはまた別の特殊な能力。その2つを付与するということは非常に高度な技術が必要になる。逆に言えば、だからこそ現在は魔法発動体には魔法発動体としての能力だけを持たせるのが普通なのだ。つまり、魔法発動体と武器としての特殊能力。その2つを併せ持つあの大鎌は極めて貴重な……それこそ、魔導都市オゾスにいる世界最高峰の錬金術師達ですらようやく作れるかどうかという程に貴重な物なのだ。


(あのマジックアイテムだけでも相当な財産になる筈。そして何と言ってもアイテムボックスか)


 忌々しい存在ではあるが、このまま見逃すには惜しい。惜しすぎる。持っている各種のマジックアイテムにしろ、グリフォンにしろ、それ程の存在なのだ。


「奴の人脈はどんな具合になっている?」

「人脈、ですか?」

「ああ。もし奴を何らかの罠に嵌めた場合、チョッカイを出してきそうな者だ」


 主人の言いたいことが分かったのだろう。執事は数秒程考えてから口を開く。


「純粋に人脈と言えるのは、やはりラルクス辺境伯でしょうな。少し話が前後しますが、件のオークの集落に対する襲撃。その際にオーク共を率いていたオークキングを倒したのがレイだったらしく。そこでラルクス辺境伯が囲い込むべく動いたらしいです。その結果、特例とも言える形でランクアップ試験を受けて現在はランクDに。そしてその後も、指名依頼という形でレイへと依頼を出しているのを確認しています」

「……領主と繋がってるのか。また厄介な」

「それと……」


 僅かに言い淀む執事。そんな執事に濁った視線を向けて先を促す。


「その、今言った指名依頼に関してですが……少し前にこのギルムに、貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵令嬢が来たのを覚えておられると思いますが」

「……ああ。来ていたな。姫将軍とかいう通り名を持っているとか何とか」

「はい、その方です。その指名依頼というのが、どうやらケレベル公爵令嬢の護衛か何かだったという話です」

「何? すると、何だ。あのレイとかいう小僧はケレベル公爵とも繋がってるとでも言うのか?」

「確実に、とは言えませんが可能性はあるかと」

「……くそっ!」


 このギルムの街の領主であるダスカーだけなら、自分の権力を使えばレイに関しての根回しは可能だろう。当然知られたら危険なことになるのだから相応のリスクはあるだろうが、得られるリターンを考えれば十分に収支は取れるのだから。だがその目論見も、執事の言ったケレベル公爵との繋がりがあった場合は全てご破算になる。ラルクス辺境伯のダスカーが中心人物である中立派よりも圧倒的に強い影響力を持っている貴族派。その中心人物というのはそれ程までの影響力を持っているのだ。その影響力や権力を使えば辺境にいる商人の1人を潰すのはそう難しくない。


「陥れる、というのは儂の身が危険だな。そうなると……ふむ。おい」

「はい、なんで御座いましょう?」

「ギルムの街の武器屋全てに連絡を入れろ。以後あのレイとかいう小僧に武器の販売、手入れ、買い取りの全てを拒否しろとな。幾らあの魔法発動体でも、武器として使っている以上は手入れが必要な筈。そうなれば武器屋に頼るだろう。その際に武器屋全てからそれを断られたとしたら……それは、即ち儂からの明確なメッセージとしてあの小僧に伝わるはずだ」

「それは……それこそ、直接的な手出しになりませんか? ガラハト様には2度目は無いと宣言したとか」


 ガラハト。その名前を聞くと不愉快そうに眉を顰めるボルンター。ボルンターにとってガラハトというのは、父親が老年に差し掛かってから妾との間に作られた存在であり、自分と半分だけでも血が繋がっていると思うだけで心の底から不快感が湧き上がってくるのだ。


「あの役立たずか。腐っても儂の一族の血を引いているから護衛として使ってやっているのに、ランクDの小僧如きに一掃されるとはな。ランクBの名が泣くぞ」

「ボルンター様、そもそもあのレイという冒険者はランクGの時にモンスターランクBのオークキングを倒しているのです。基本的にギルドのランクが実力を示している物だとしても、レイと言う存在にそれを当てはめるのは危険かと」


 執事からの言葉に、微かに眉を顰めるボルンター。彼にしても、レイという冒険者の存在の異質さはその身に染みて分かっているのだ。何しろこのギルムの街で武器屋の元締めでもある自分を、何の躊躇もなく殺そうとしたのだから。最終的には殺されるようなことはなかったものの、それも忌むべき存在であるガラハトのおかげかと思うと素直に喜ぶことが出来ない。


「構わん。奴が次に何かをしてくれば、その時は奴を犯罪者として法の下に裁いてくれるわ」

「ボルンター様……では、ギルムの街の武器屋にその旨を通達しますが……本当によろしいのですね?」

「しつこいぞ。とっとと言った通りにしろ」

「かしこまりました」


 深々と頭を下げて部屋を出て行く執事。

 その姿を見送ったボルンターは、レイが明日からどのような目に遭うのかを想像しながら溜飲を下げたかのように、酒を飲むのだった。






「ぐっ……」


 ボルンターが暗い喜びを感じながら酒を飲んでいる頃、ボルンター邸の一室でガラハトが呻きを上げながら目を覚ます。


「ガラハトさん!」


 そんなガラハトへと、ベッドの近くにある椅子に座っていたムルトが喜びの声を上げる。


「こ、ここは……?」

「ここは医務室だよ」


 ボルンター程に金や権力を持っていると、いつ刺客に襲われるか分からない。あるいは、私兵の訓練で怪我をすることもある。その為にボルンターは医者を雇い、自らの屋敷に住まわせていた。そんな一室でガラハトは目を覚ましたのだ。


「医務室……? っ!? 兄上はっ! ぐっ!」


 勢いよく上半身を持ち上げ、その衝撃でレイの一撃により砕かれた肋骨が痛み、ベッドの上で踞る。


「ガラハトさん! 安静にしてないと駄目だ! 医者によるとここに運ばれて回復魔法を使われるのが後20分遅れてたら助からなかったって程の怪我だったんだから!」


 目に涙を浮かべつつムルトが告げる。実際、レイの一撃で砕けた肋骨が内臓へと突き刺さっており、ボルンターが金の力に任せて凄腕の回復魔法を使える医者を雇っていたからこそガラハトは死なずに済んだのだ。レイが放った一撃はそれ程の威力を誇っており、同時にその傷で無理をして立ち上がったというのも影響していた。


「ムルト、あ、兄上はどうした?」

「ああ、無事だよ。怪我らしい怪我は一切ない。レイの奴もガラハトさんと約束したら、それ以上何をするでもなく大人しく帰ったし」

「……そうか、兄上は無事か」

「確かにレイに関してはそうだけど……」


 その先を口籠もりつつ、ガラハトが眠っている隣のベッドへと視線を向けるムルト。

 少しでも身体を動かすと痛むのを我慢してそちらへと視線を向けると、そこにいたのは1人の少女だった。ただし、医務室のベッドで寝ているのだから普通の状態な訳でもない。


「これは……」


 その少女の姿を見て絶句するガラハト。背には幾筋もの傷跡があり、回復魔法を使っても恐らく傷跡が残るのは確実あろう傷が大量に付けられている。怪我をしているのが背中なので、うつ伏せになってベッドで眠っていた。……否、気を失っている。


「この屋敷に仕えていたメイドの1人だよ。ボルンターに八つ当たりされて……」

「なっ!」


 ムルトの言葉に絶句するガラハト。彼にしても自分の兄がここまでの……女に一生残るであろう傷を付けるとは思ってもみなかったのだ。それも八つ当たり等という行為で。


(……いや、違うな。兄上なら有り得ないとは言い切れない、か)


「すまん」


 小さく謝罪の言葉を口にするガラハト。


「何でガラハトさんが謝るんだよ! 今回の件は全部あのボルンターの自業自得だろ! そりゃあこの女は悲惨だったと思うけど……」

「だからと言って、八つ当たりでしていいようなことでは……待て。八つ当たり、だと?」


 自分で口に出した言葉に違和感を抱くガラハト。

 半分とは言っても血の繋がっている兄だ。その性格はよく知っている。そう、例えば自分が虚仮にされたままでいるのは許せないと。そして自分の儲けの為には他人がどうなっても構わないと。だが、兄はそんな性格と同時に酷く臆病な面も持ち合わせている。自分に対する直接的な被害を受けそうになった今日の出来事を見ればそれは明らかだ。そんな兄が八つ当たりでメイドを瀕死の状態にする?


(俺は兄上が昼間の件で怯えて、これ以上レイには手出しをしないものだと思い込んでいた。だがそれが間違いであったとしたら?)


 そう。ガラハトは確かにランクB冒険者と、このギルムの街では高い能力を持っている。だがそれは、あくまでも冒険者としての能力なのだ。マジックアイテムの目利き。金の匂いというものに対してはボルンターには遠く及ばない。そしてその金の匂いをボルンターがレイから嗅ぎ取ったのだとすれば。


「ガラハトさん?」

「……ムルト。俺が今から言うことを良く聞け」


 現在身動きの出来ないガラハト。そんな彼が取れる手段は目の前にいる、自分を慕ってくれている仲間に頼ることしか出来なかった。

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