第89話

「驚いたな」


 目の前で繰り広げられた光景に、エレーナの声が狭い小部屋の中へと響き渡る。

 部屋の中にあった宝箱から突然襲い掛かってきた骨で出来た犬。その奇襲による一撃を防いだレイはともかく、次の瞬間には自分の判断で飛び出して強靱な前足を叩き付けるようにして振るわれた一撃で、文字通りに骨犬を砕き壊した一連の動作はエレーナにして見事としか思えない反応の早さだった。


「グルルルゥ」


 褒められたのが分かったのだろう。上機嫌で鳴きながら獅子の尾を嬉しそうに揺らし、喉の奥で鳴くセト。

 その様子に一瞬だけ思わず微笑を漏らしながらも素早く部屋の様子を確認するエレーナ。

 幸いこの部屋にはその宝箱以外に何らかの罠がある訳でもなく、あるいはモンスターが隠れている訳でもなかった。


「つまりは完全に冒険者を嵌める為の部屋という訳か」

「……でも、普通の冒険者がこんなあからさまな罠に掛かるとも思えないけどねぇ」


 骨犬の潜んでいた宝箱へと視線を向けながら呟くヴェル。


「まぁ、確かにそれはそうだが」

「でもほら、実際私達は引っ掛かってるよ?」


 アーラの口から出た言葉に、思わず苦笑を浮かべるしか無いヴェル。

 そんな2人へと口元に苦笑を浮かべつつキュステが声を掛ける。


「とは言っても、私達は別に宝箱を開けた訳でもないからな。恐らく宝箱を開けなくても近くに誰かが来た時点で奇襲を仕掛ける類の罠なのだろう。……いや、アーラなら普通に宝箱を開けて奇襲に引っ掛かっていたかもしれないがな」


 そんなやり取りを背中で聞きながらも、レイはセトによって文字通りの意味で叩きつぶされた骨犬の様子を確認していた。


「魔石は……無理か。骨に関しても、砕け散ってるから素材としては無理だな」

「グルゥ……」


 セトの力で叩きつぶされた為、身体を構成している骨だけではなくその骨に守られている魔石も同様に叩き潰されていたのだ。

 どこか申し訳なさそうに鳴きながら近付いてくるセトに、小さく首を振るレイ。


「気にするな、セトが飛びだしてくれなかったらいらない怪我をする可能性もあったんだからな」


 コリコリとその頭を掻きつつ立ち上がり、自分の方を見ているエレーナへと首を振る。


「駄目ですね。取りあえずこの部屋には他に何がある訳でも無いですし先へと進んだ方がいいかと」

「だろうな。……よし、探索を再開するぞ。ヴェル、アーラ、キュステ」


 エレーナの呼びかけに、笑みを浮かべて会話をしていた3人もすぐに真面目な表情へと代わり頷く。

 部屋へと入った時同様にレイとセトが前衛、エレーナとヴェルが中衛、アーラとキュステが後衛という隊形で小部屋から出て通路を進む。


「……あれ?」


 レイがそれに気が付いたのは、小部屋を出てから20分程進んだ後のことだった。


「グルゥ?」


 セトもまた、何かおかしいと感じていたのか小首を傾げている。

 そんな1人と1匹の様子に疑問を覚えたエレーナもまた周囲を見回すが、特にこれといった異変を感じ取ることは出来ない。


「レイ、何かあったのか?」

「あー……いえ、何となくこの通路は先程も通った場所のような気がするんですが……」

「何? だが特に分かれ道の類も無かっただろう? お前の気のせいじゃないのか?」

「まぁ、そうかもしれません……一応念の為に印でも付けておいた方がいいかもしれませんね。セト」

「グルゥッ!」


 自分に何が求められているのかが分かったのだろう。セトがその鉤爪でダンジョンの壁へと数条のひっかき傷を付ける。


「一応これで目印にはなります。後はこのまま進んで……」

「壁にセトの付けた傷があれば何らかの罠に掛かっているのは間違い無いか」

「はい」


 エレーナに頷き、再び一行はダンジョンの通路に沿って歩き出す。足音や装備の擦れる音のみが周囲へと響き渡る中、レイが自分の後ろへと声を掛ける。


「……ヴェル、盗賊役としてはどう思う?」


 その問いに数秒だけ何かを思い出すように黙り込んでから口を開くヴェル。


「確かにこのダンジョンに来る前に読んだ本で空間をループさせるような罠があるというのは見た覚えがある。だが、もしそれが本当だとすると、このダンジョンの核は相当に高性能な可能性が出て来るぞ。……いや、あるいは空間魔法を使うアンデッドがいる可能性もあるか」


 空間魔法というのは取得するのが難しい高レベル魔法になっている。その空間魔法を使いこなすアンデッドと言われて一番最初に頭の中に浮かぶのは……


「リッチか」

「その可能性も考えておくべきだな。正直勘弁して欲しいんだが」


 リッチ。それは魔法使いがアンデッドとして蘇った存在だ。魔法使い自身が儀式を執り行ってリッチへと生まれ変わることや、稀にではあるが魔法使いが恨みや憎悪、あるいは強い未練といったものを残して死んだ時にリッチとして蘇ることもある。

 生前の魔法使いの能力によって危険度は千差万別であり、中にはランクG程度の魔法使いがリッチとして蘇った例もあるという。

 その為、リッチに関してはモンスターランクが明確に決められておらず、ランクA相当のリッチもいれば先の例のようにランクG程度のリッチもいる。基本的には人間としての意識を持っているのが普通なのだが、中にはその意識すらもなく本能のままに暴れるというリッチもいる。


「だろうな。魔法を使うモンスターで、しかもアンデッドとか厄介極まりないからな。その可能性が無いことを祈って進むとしよう」


 レイのその言葉に皆が――キュステも含めて――頷き、セトが傷を付けた右側の壁に注意しながら進み始める。そして20分程ダンジョンの中を進んで行くと、やがて壁に傷が付いている場所へと辿り着く。


「これで決まり、か?」


 レイの言葉が溜息と共に吐き出される。ただし、その言葉は断定しているというよりはどこか不思議そうな色が混ざっている。

 目の前にあるのは20分程前にセトが傷を付けた壁で間違いは無いだろう。だが……


「レイ、これは本当にさっきの傷か?」


 そう尋ねてきたのはレイの後ろにいたヴェルだった。その口調にはどこか信じられないといったものが混ざっている。


「ああ。この傷跡はセトの一撃で付いた物に間違いは無い。無いんだが……」


 チラリ、と壁へ視線を向けるレイ。

 確かにその壁にはセトの爪痕が残っているのだ。だが、それでもヴェルが断言出来ない理由は壁に付けられている傷の深さが違っているからだろう。セトが付けた爪痕は深さ5cm程にも達していたというのに、現在ヴェルの目の前にある傷跡は1cm程度の深さしかない。


「恐らくだが、壁自体に何らかの魔法が掛かっていて自然に傷を回復するんだろう。これ以上無い程に嫌らしい無限ループとの組み合わせだな」

「うわ、確かに最悪だなそれ」


 無限ループに嵌っているのかどうかを自分達で確認するので一番早いのは、当然どこかに目印を付けておくことだ。そして冒険者である以上は殆どの者が武器を持っており、それで傷を付けて目印とするだろう。だがこの壁のようにその傷が徐々に修復するとしたら目印を残すこと自体、非常に難しくなる。傷以外の目印として何らかの道具を置いていくという手段が考えられるが、それもダンジョン内を徘徊しているモンスター達に持っていかれたりする可能性を考えると確実とは言えない。


「確かに厄介だが、セトのおかげで早めに気がつけたのだから良しとしよう」


 エレーナがそう言って2人へと声を掛ける。

 実際セトがグリフォンで人間に比べて並外れた力を持っており、尚且つ力を増幅する剛力の腕輪というマジックアイテムを持っていたからこそ一度で気がつけたというのは事実なのだ。同じ場所を何度も延々と歩き回っていたら、体力と共に気力もまた消耗していただろう。そうならなかっただけでも運が良かったと言ってもいいのだ。


「けどエレーナ様、結局この無限ループからはどうやって抜け出すんですか?」

「今はちょっと思いつかんな。悪いが少し考えさせてくれ。他の皆も、ここが無限ループになっている以上は無駄に動き回るよりも体力を温存しておいた方がいいだろう。それと、何か思いつくようなことがあったら言ってくれ」

「でも、エレーナ様に思いつかないようなことが私達に思いつくとは思えないんですけど……」

「アーラ、別に私は全知全能という訳では無いぞ。私に思いつかないようなことがお前に思いつくかもしれんのだから、そう自分を卑下するな」

「……分かりました。考えてみます」


 そう言い、目を閉じて何かを考え始めるアーラを横目に他の面々もそれぞれがこの状況の打開策を探し始める。

 エレーナは腕を組み観察するように通路の先を見据え、ヴェルは次第にセトの付けた傷跡が修復していっている壁を調べている。キュステは顎に手を当てながら周囲の様子を眺め、レイはセトの背を撫でながら自分の考えへと没頭していく。そして皆の邪魔をしてはいけないと判断したセトは、床へと寝そべりアンデッドの襲撃を警戒するのだった。


(空間ループ。つまりどこかで俺達がその罠へと自分から飛び込んだ訳だ。ならそのどこかが分かればいいのか? ……いや、駄目だな。一番手っ取り早いのはこの罠を仕掛けたモンスターがいるとして、そいつを倒すことだけど……そもそもこの罠を仕掛けたのがモンスターとは限らない訳か。それにもしモンスターだとしても、この空間の中にいない可能性もあるしな)


 壁を見ながら脱出方法を模索するレイ。だがセトが付けた壁の傷も既に殆ど修復されており、薄らとしかその痕跡を見ることは出来なかった。


(しょうがない、久しぶりにゼパイルの知識を引き出すか。……ゼパイルが死んでから経過した時間を考えると100%信用出来るかどうかと言われるとちょっと微妙なんだが)

 

 そう内心で呟きつつ、ゼパイルの知識から空間魔法……否、空間魔術の情報を引き出していく。


(ループしている空間から抜け出す方法……仕掛けた相手を倒すのは却下。ループしている空間の許容量以上の魔力で魔術を使う。……これは出来るけど俺の消耗が激しすぎるから保留。空間魔術でその空間そのものを破壊する……俺は空間魔術そのものが使えないから却下。一番確実で単純なのはやっぱりループしている空間の起点となっている場所を破壊する、か。それが一番簡単なのは分かるが、どうやってその起点を見つけるかだが……ふむ、なるほど。これなら俺の消耗もそれ程じゃないからやってみる価値はあるか?)


 ゼパイルの知識を探り、自分にどうにか出来そうだと判断したレイがエレーナの方へと視線を向ける。


「エレーナ様、もしかしたら上手く行くかもしれない可能性を思いつきました」

「ほう、興味深いな。是非聞かせてくれ」

「この空間はループしているとは言っても、俺達がこの中に取り込まれた以上は必ずどこかに元の空間へと繋がっている場所がある筈です。そしてその起点となっている場所を破壊すればこのループしている空間は壊れて俺達は元の空間に戻ることが出来るかと」

「でもさぁ、その起点になってる場所ってのはどうやって探すのさ? まさかこの通路を全員で少しずつ壊していくとかするの? やだよ、そんな面倒臭いの。大体自然と修復するような壁とかを壊していくのってどれだけ大変なのさ」


 ヴェルの言葉に小さく首を振るレイ。


「方法そのものはそれ程難しくないさ。俺の魔法で通路全体に火を放って、それで起点のある場所を探り出す」


 強引としか言えないその解決方法に、微かに眉を顰めるエレーナ。


「出来るのか? この通路全体に炎を放つとなるとかなりの魔力が必要になると思うが」

「恐らく問題無いでしょう。それに俺の装備しているこの腕輪があれば敵から魔力を奪うことも出来ますしね」


 そう言いつつ、ミスティリングの嵌っている右手首では無く左手首を皆に見えるように差し出す。

 そこには確かに何らかのマジックアイテムと思われる腕輪が嵌っていたのだった。


「このマジックアイテムは吸魔の腕輪という名前で、装備している者が敵へと攻撃してダメージを与えた場合そのダメージ量に比例した魔力を敵から吸収出来るという優れものです」

「……なんともはや。魔法を使う者にとってはまさに垂涎物のマジックアイテムだな。それも師匠から譲り受けたのか?」

「そうなります。まぁ、エレーナ様も知っての通り俺の魔力量は元々の量が量なのでこれに頼らないといけないなんてことは滅多にないんですけどね。それに基本的に魔法使いは敵に直接攻撃してダメージを与えるような技術は持ってないことが多いですし。……では、俺の提示した方法でいいですか?」

「他に方法が思いつかない以上はレイの提示する方法を試すのが一番だろう。やってくれ」


 エレーナの言葉に頷き、炎の広がりに巻き込まれないように皆が一ヶ所に集まったのを確認してから魔力を込めて呪文を唱える。


『炎よ、紅き炎を示しつつ燃え広がれ。我が意志の赴くままに焔の絨毯と化せ』


 呪文を唱えつつ、デスサイズの柄の先端に拳大の炎が姿を現し……それを柄ごと地面へと叩き付ける!


『薄き焔!』


 魔法が発動したその瞬間、レイが地面へと叩き付けた柄の先端の炎が爆発的に周囲へと広がり地面、天井、壁のあらゆる部分をデスサイズから発した炎が覆って行く。そしてその炎は急速にその範囲を広げていき、数秒後にはレイの見ている前方全てがその炎によって覆われていた。


「……熱く、ない?」


 アーラの呆然としたような声を聞きつつも、レイは魔法に魔力を注ぎ込んで炎の広がる範囲を拡大していく。20℃程度と普通では考えられないような低温の炎だが、その範囲が広大なだけにレイの中から魔力が急速に消耗されていく。そしてそのままの状態で数分。レイが見ている方向とは逆、すなわち後ろからも炎がその姿を現してループしている空間全てが炎によって包まれた。


「……見つけたっ!」


 炎の維持に集中していたレイが、そう叫ぶや否や大きくデスサイズを振って通路に満ちていた炎を消失させてそのまま走り出す。

 セトは瞬時にその後に続き、エレーナも一瞬迷ったがその後を追う。

 やがてエレーナ達が追いついた時、既にレイは壁の一面へと向けてデスサイズを振り上げている所だった。


「はぁっ!」


 そして振り下ろされるデスサイズの刃。その刃は壁の一部分を斬り裂き……次の瞬間には周囲にガラスが割れるような音が響き渡り、目の前には骨の犬との戦いになった小部屋へと続く扉が姿を現していた。

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