第二十五話『参戦』
救いの電話は間男の奥さんからだった。
俺は懸命に涙を拭う心愛を前に、奥さんからの電話に出る。
『ああっ、高木さん。今、お電話していても平気でしょうか?』
耳元にあてがったスマホからは、少々慌てた様子の奥さんの声が聞こえて来た。
「え、ええ、平気ですが……」
戸惑いながら返事をすると、途端に奥さんが話し始めた。
『あの、メールでもお伝えした最後の浮気相手の女性との話し合いのことなんですが……実は、こちらが連絡をする前に、相手の方から元夫のスマホの番号で連絡が入りまして……』
確か、有名インフルエンサーと書いてあったヤツだ。
そして、続く奥さんの話に耳を疑った。
“慰謝料ならいくらでも恵んであげるからさっさとハルを開放して!それと!後から騒がれるのウザイから関係者全員呼んで来て!逃げんなよ!”
なんでも、その浮気相手の女は言いたいことだけを捲し立てて電話を切り、その後からメールで詳しい場所や日時の指定を送って来たらしい。
「マジですか……」
思わず素で呟いてしまう。
どうやら、そのインフルエンサー浮気女は常識がない上に自己中で、しかも最悪な方向性で気が強いようだ。
『ええ、それで……相手の指示に従うみたいで嫌なんですけど、ちょうど私共も都合が良い日時でして……それで、あの……是非とも高木さんと心愛さんにもご同席を頂ければと思いまして……』
正直、そんなヤツの相手をするのは御免被りたい。
俺の予定としては、間男のヤツが奥さんと親との繋がりを完全に失ったタイミングで慰謝料請求をしてやろうと思っていたし、それに何より、そんな電話を掛けて来るような頭のイタイ人物と関わり合いたくない。
だから、何と断ろうかと迷っていると――。
『あの、どうかお願いします!もちろん、私達からも相応の謝礼をさせて頂きますのでっ……!』
その切羽詰まった声に、つい答えてしまう。
「え、ええ……じゃあ、心愛にも聞いてみます……」
そして、俺は目元を赤くした心愛に状況を説明し、参加の意思を尋ねた。
「うん、私も休みだし……ちょっと怖いけど……セイ君が行くなら行くっ……!」
覚悟を決めたような心愛の返答に俺は仕方なく頷き、奥さんにもその旨を伝える。
すると、奥さんは如何にもホッとした声を出していた。
『それでは、当日はよろしくお願いします――』
そんな奥さんの電話から数日あまり、俺は仕事にリハビリに中山さんにと精を出し、心愛も仕事に荷物の運び出しにと忙しくして過ごした。
そして、来たる話し合いの当日。
俺達は揃って、最後の交渉相手であるインフルエンサー浮気女の自宅までやって来ていた。
「うわ、すご……」
都市部にそびえる高級タワマン。
なんと、渦中のインフルエンサー浮気女は、ここの最上階に住んでいると言うのだから世の中間違っている。
俺は世を嘆きつつも、皆と共にオートロック付きの自動ドアを入り、コンシュルジュ付きのエントランスを進み、指定のラウンジまでやって来た。
「ふぅ……」
中山さんのおかげで杖で歩けるようにまでなったとはいえ、まだ長距離での移動はキツイものがある。
「セイ君、大丈夫?」
さり気なく支えてくれる心愛に礼を言いつつ、俺はラウンジへと足を踏み入れた。
さぁ、いよいよだ――。
「ちょっとぉ!おっせーんだけど!」
俺達を迎えたのは、ラウンジに響き渡る不機嫌全開の声。
その発信元を辿れば、キャバ嬢のようなメイクとキャバ嬢のような髪型で、キャバ嬢のような服を着たキャバ嬢のようなインフルエンサー浮気女が座って居た。
「んんっ……こうしてお会いするのは初めてですね、私は――」
「あー、そういうの良いからさ、いくらほしいワケ?」
奥さんが咳払いの後に挨拶を始めると、それを遮って浮気女が噛み付いた。
コイツすごいな……こういう破天荒というか非常識なところが、インフルエンサーとしての人気の秘密なんだろうか?
そして、俺は早くも謝罪どころか話し合いにすらならない予感がし、さっさと聞きたいことを聞いてしまうことにした。
「おい、肝心の間男はどこだよ?」
相手がタメ口だからか、俺もついつい応戦したくなる。一緒に来た奥さんや間男の両親が、ぎょっとして俺を見ているのが分かった。
「はぁ?なにこのブサイク男?ハルなら来たくないって!っていうか!こっちも忙しいんだからさっさといくらほしいか言ってよ!」
人をブサイク呼ばわりした挙句、しまいにはイラつきながらスマホを見始める浮気女。
「じゃあ、一千万」
俺は怒りを腹の底で抑えながら、思い切り吹っかけてやった。
「はぁ?なんでアンタがっ――って、ああ、アンタがハルに奥さん取られたブ男なん?きゃはははっ!つーか、その顔で結婚とかっ!そりゃアンタの奥さんだってアンタなんか捨ててハルの方選ぶって!きゃはははっ!」
その通りだが!許せんっ!
時として真実を告げることは嘘をつくことよりも罪深いことなのだ。
俺は一瞬で頭の中が真っ赤に染まり、杖でぶん殴ってやろうと手に力が入る。
しかしそこに、俺のギリギリまだ奥さんが、俺の前に割って入って来た。
「セイ君を悪く言わないでっ!!!」
お前が言うな!と全力でツッコミたかった。
そして、そんな心愛を、浮気女もジロリと睨む。
「ハァン?アンタがハルの言ってたココアってヤツ?なんだよ、別に大して可愛くねぇじゃん」
そうは言いつつも、浮気女は険しい表情の中に更に渋いものを滲ませながら、より一層に心愛を睨み付けている。
俺はその様にちょっとだけ胸がすく思い。
確かに、心愛は俺を裏切ったクソ浮気嫁ではあるが、事実としてすっぴんでも勝負できてしまうモノホンの美女。濃ゆいメイクで捏造したエセ美人を空しくさせる残酷な生命体だ。
だから、俺は愉悦たっぷりに笑いかける。
「まぁまぁ、お互いに無駄な傷を負うのは止めましょう」
すると、女は俺に向かって「は!?死ねよブ男!こっちは別に傷負ってねぇし!」と息巻いていたが、次第に勢いは弱まり最後には不貞腐れながら話を進めて来た。
「チッ!そんで!?一千万だっけ!?別にそれぽっちの金恵んでやるし!こっちはアンタみたいな金にも顔にも困っているような甲斐性なしのブ男と違ってメッチャ稼いでるからっ!」
もう噛みつかんばかりの浮気女。
俺はさり気なく心愛を盾にしつつ、「確かにお金の方には困って無いようで羨ましいですぅ~」と応戦。
女は再び目を剥いたが、今度は言い返さずテーブルの上にホッチキス留めの紙を叩きつけた。
「これ、念書だから、金やるからさっさと名前書けよっ……!」
そう言って、憎しみの籠ったおっかない表情で俺を睨んで来る。
ヤバイな、少し煽り返し過ぎたかもしれない……。
お金持ちの個人程、敵に回して怖いものはないと思っている。
俺は内心でビクつきながらも、念書の内容をよくよくと確認してみたが、どうにも素人が作ったものとは思えない。
「これは貴女が作ったものか?」
浮気女に尋ねてみる。
「知り合いの司法書士……」
ブスっとしながらも答えてくれた。
内容を平たく解釈すれば、間男の代わりに浮気女が慰謝料を支払うことを認めること。慰謝料を受け取った瞬間に本件は解決と見做すこと。今後一切本件のことを口外しないこと。
その三つが書かれているようだ。
問題ないように思える。
俺はそれに署名して控えをもらい、別紙に振込先を記入した。
ふぅ、これで終わったのか?これでマジ一千万?
これ程に普段の労働意欲を削がれる騒動もないだろう。
「それでは、ここからはこちらの交渉に入らせて頂きますので、高木さんはどうぞお帰り下さって結構ですよ」
そう声を掛けて来たのは、いつの間に来ていたのか弁護士先生。
いや、居たのなら少しくらい助けてくれよ……と思ってしまう。
「はぁ……いったい何だったんだ?」
俺と心愛はタワマンを出た。
結局、間男は居らず、キャバ嬢みたいな女と口喧嘩して、一千万……訳が分からない。
「大丈夫、セイ君?」
隣を歩く心愛が覗き込んで来る。
「ああ、いや、ああいう女はおっかないな。何して来るか分からんし、お前もしばらくは注意しろよ」
脈絡なく注意を促しておく。そして願わくば、復讐するなら俺ではなく浮気嫁の心愛をターゲットにしてほしい。
そして、そんな俺の内心を知ってか知らずか――。
「そっか、セイ君は安心できないんだね……」
心愛は難しい顔でそう呟いていた。
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