最終話『浮気嫁と別れたい』
『うふふっ、カモが居るからお金は気にしなくて良いのよぉ!え?まさかぁ~、前の奥さんに浮気されて、慰謝料で小金持ちになっただけの冴えないブ男よぉ~。浮気されて当然な外見の癖に女から慰謝料まで取って、その癖に未練タラタラで元奥さんに連絡取ってるのよぉ?ホント心までブサイクでぇ~――』
ダメ元で仕掛けたICレコーダーには、見事にそれらしい音声が記録されていた。
おそらく、お気に入りの“ホスト”と電話でもしているのだろう。
もう結論から言ってしまえば、弱っている俺に優しく手を差し伸べてくれたふっくら丸々のサッパリと快活な肝っ玉母ちゃんの中山さんは、単なるホスト狂いのデブだった。
部屋で見付けた領収書の束も全てホストクラブ、借用書は消費者金融の物だと分かった。
他にも、生活費の使い込みから俺の貯金に手を付けた形跡まで見付かった。
どうやら中山さんは、最初から金蔓として俺を利用するために近付いて来たようだ。
だが、奇しくもこの冷戦状態と俺を舐め腐ったことで油断が生まれ、その尻尾を掴ませた。
もう、不幸なんだかツイてるんだか分からない。
そして、そんな中でも、ICレコーダーは再生を続ける。
『ねぇん、掛け払ったらぁ~、またご褒美くれるぅ~ん?……うふふっ、嬉し~ぃん、またい~っぱい生でズボズボ、奥にドクドク仕込んでほしいのぉん……え?ふふっ、平気よぉ~、もしデキてもブ男に育てさせるからぁ~ん、ちょっと脅せば言いなりだしぃ~』
この音声は、中山さんとホストの肉体関係を示唆する証拠になるんだろうか?
後から芝居だったとか、悪ふざけだったとか、言い逃れできやしないだろうか?
「はあぁーっ……」
まるで精気を絞り出すような深い深い溜息が出た。
やってられない。またこんなことの繰り返しか?
証拠、訴え、弁護士、慰謝料、離婚……どうせその合間合間には、またトラブルがあるんだろう。
「はは……めんどくせぇ……」
なんだか、一気に力が抜けてしまった。
そして、そんなどうしようもない俺を、背中から柔らかな温もりが包み込んだ。
「ひどぃ、よぉ……ごんぁ、ごんなっ……ぜぇ、ぐぅん……っ」
一緒に録音を聞いてもらうために呼んだ元嫁の心愛が、俺のことを背中から抱きしめて来たようだ。
「ごぇっ……ごぇんねぇっ……もどはどっ、言えば……アダジの、ぜぇでっ……っ」
いや、いくら浮気嫁絶対に許さないマンの俺だって、さすがにそこまで元嫁の所為にしない。
今だって、心愛は俺に付き合う必要なんて無いはずなのに、こうして俺の不安を慮って来てくれたのだから――。
そして、こんな時だからこそなのか、俺が思い出すのは兄貴からの忠告だ。
『ブサイクな俺らが今の嫁さんを逃がしてみろ。再婚は絶望的、仮にできても前嫁の方がマシだったぁ~!なんてことになりかねん――』
今、まさにそうなんじゃないのか?
心愛は確かに俺を裏切った。
だが、心愛はデブでもなければヤクザのオッサンでもなく、俺を脅したり、目覚まし時計をぶん投げたりはしなかった。
また認知バイアスが作用しているだけかもしれないが、俺の中で“美人なだけでも元嫁の方がマシだったんじゃね?”という思いがふつふつとわいて来る。
「いや、どんな掌返しだよ……」
口の中で呟く。
もうこれ以上恥の上塗りは勘弁願いたいが、それは叶わなかった。
『前にも話したけどさぁ~、うちのブ男、私とヤりたいがために必死扱いてリハビリしたらしくてさぁ~、プククッ!それからずっとレスにしてるから、胸の一つでも揉ませれば涎垂らしてドレイになるわよぉ~』
ICレコーダーから流れるデブスヤクザオヤジこと中山さんの声。
その内容に、俺は顔から火が出そうだった。
この再婚で少なからずマウント取ろうとしていた元嫁の前で、その再婚相手からセックスレスおあずけの事実を大公表の刑。
マジで死にたい。有史以来、これだけ惨めで情けなくて恥ずかしいヤツは俺以外に居ないんじゃないだろうか?
俺は深く深く俯きながら、ICレコーダーを止めた。
時間さえ止まってしまったような静寂が訪れる。
でも、やがて――。
「セイ君……かわいそう……」
耳元に生暖かい吐息を感じ、俺は背筋を震わせた。
そして、俺の背中を覆ていた柔らかな温もりが、スリスリと身体を這うように移動して、俺の正面へと回る。
「セイ君、辛かったね……」
そう言って、前からぎゅっとハグして来る心愛。
絡み付く細腕と、しっとりと汗ばんだ掌、押し付けられる胸の柔らかさに、肌から伝わる温もり、女性特有の甘い匂い……。
俺はゴクリと喉を鳴らし、同時にヤバイと感じた。
「ま、待ってくれっ……これ以上は……マズイ、だろ……?」
最後が疑問系になってしまったが、今の俺にはこれが精いっぱいだ。
何せ、こっちは今嫁のレスにより、強制的な禁欲生活を強いられ続け、もう溜まりに溜まっているのだから……。
しかも、そんな状態の俺の前にあるのは、つい数年前まで一晩に最低三回を週三回以上でヤりまくっていた元嫁の極上の身体。
当然、俺の身体は最高のセックスができる見知った女体を前に、自然とそれを欲して猛り始める。
だから、俺は絞りカスのような理性を以って言葉を弄した。
「ほ、ホラ……心愛にも、さすがに気になる人ぐらいできただろ? だから、マズイよ……」
弱々しい語尾。
心愛に手を出したいのか出したくないのか……きっとどちらも本音なんだ。
すると、心愛が答える。
「そんな人、いないよぅ……だって、知らない人なんて不安だし……だったら、一人の方がマシだもん……」
その言葉は、初めて聞いた。
俺はここに至って、心愛の優先順位というか、考え方が少しだけ分かった気がする。
心愛にとって、一人で居る寂しさよりも、知らない人間と深い仲になる不安の方が大きく、ストレスを感じることなのかもしれない。
「そうか……」
俺は心愛の新たな生態を知ると共に、煩悩に支配されかけていた脳ミソにインテリジェンスが戻るのを感じた。
それなのに――。
「セィ、くぅん……っ」
心愛の手が、いきなり俺の股間の盛り上がりを、ズボン越しにきゅっと摘まんだ。
「うっ……!」
ビクッ――と腰が引けてしまう。
「ご、ごめんなさっ……でも、ここ……もうカチカチで……か、かわいそぅ……」
心愛はその言葉も表情も弱気な癖に、手だけは劣情を煽るように大胆に動き、きゅっきゅっと艶めかしく握り絞って来る。
はぁ、はぁ……屈してなるものかっ!
だが、そんな気概とは裏腹に、俺の手は心愛を逃がすまいと手首を掴み、もう片方はしっかり腰へと回っていた。
「しょ、しょうがないよっ……奥さんがレスにするなんて……そんな酷いこと……セイ君のここ……かわいそうだよ……ねぇ、助けてあげよ……?」
まるで俺が救いを与えるかのような言い回しだ。
心愛は潤んだ瞳で弱々しく哀願するかのように言うが、俺の股間に添えられた手は別人格のようにいやらしく這い回っている。
俺は送られてくる快楽に腰を震わせながら、ふと思った。
ああ、そういえば、同じように嫁さんからレスにされて、他の女に手を出したヤツがいたっけなぁ……。
「ねぇ、セイ君、お願い……」
気が付くと、心愛の端正な顔が目と鼻の先まで迫っていた。
すると、そんな悪魔的なタイミングで、部屋のドアが開く――。
「おい、掃除しとけって――はっ?なんっ……ちょっとアンタ!何やってるの!?」
渦中のデブスヤクザオヤジこと、中山さんだった。
中山さんは状況を理解すると、直ぐに驚愕から勝ち誇った表情に変わり、高らかに宣言する。
「ははっ!これは完全に浮気だからね!アンタの有責なんだ!財産分与の放棄の上に慰謝料ももらうからね!覚悟しなっ!」
そう言って、小躍りしそうなテンションで、俺達の写真を一枚撮って家から出て行った。
おそらくは、早速ホストのところへ向かったのだろう。
「あーぁ、バレちゃったね……?」
どこまで本気か分からない心愛が、子供みたいにクスクスと笑った。
俺はそれでプツリと切れ、怒りなのか劣情なのか、とにかく心愛を乱暴に押し倒す。
「ぁ――せぇ、くぅん……」
甘えた声を出す心愛。
その心愛がしたことは浮気。
中山さんがしていることも浮気。
そして、俺が今からすることも、やはり浮気になるのだろう。
「せぇ、くぅん……はやくぅ……」
蕩け切った表情の心愛が、子供のように無邪気に誘ってくる。
誰が一番の悪なのか、この先の展開がどうなるのか……。
それは、推して知るべしだ。
そして、今日俺は、あれだけ忌み嫌っていた間男と同じ理由にて“不倫者”へと成り下がる。結局は俺も、間男と同じ穴の狢だったのだ。もしかすると、後から来る自己嫌悪は俺を殺すかもしれない。
でも、だからこそ、今はらしく貪る。
「ぁんっ」
俺の下で、心愛が鳴いた――。
浮気嫁と別れたい[完]
あとがき
お読み頂きありがとうございました。
一応、昨今の定石から外し、ざまぁ無しのバッドエンドを意識したのですが、大変に難しく……精進いたします。
この度は、皆様にお目通し頂けましたこと、大変に幸せでありました。
浮気嫁と別れたい osa @osanobe
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