劉裕90 司馬休之上奏 下

臣自惟門戶衰破 賴之獲存

皇家所重 終古難匹

是以公私歸馮 事盡祗順

 私の家門は衰え、

 劉裕りゅうゆうに頼らねばならなければ

 なりませんでした。故に私は

 ひたすら恭順の意を示して

 参ったつもりでございます。


再授荊州 輒苦陳告

自以才弱位隆 不宜久荷分陝

屢求解任 必不見聽

 荊州けいしゅう刺史の地位につきましても、

 私には荷が重すぎるから、と

 再三の解任を願い出ましたが、

 聞き入れられませんでした。


前經攜侍老母 半家俱西

凡諸子姪 悉留京輦

 年老いた母やわずかの侍従とともに

 荊州へと出向き、それ以外の家族は

 みな建康にとどまらせておりました。


臣兄子譙王文思 雖年少常人

粗免咎悔 性好交遊

未知防遠 羣醜交構

為其風聲

 我が兄の息子、司馬文思しばぶんしにしても、

 若気の至りとでも申せましょうか、

 様々な者らと交遊を図るうちに

 風聞が広まり、不逞の者がらと

 連れ立っている、と話が

 ねじ曲がって行ったにすぎません。


裕遂翦戮人士 遠送文思

 劉裕は遂に人士を殺し、

 また私のもとに司馬文思を

 送り込んでまいりました。


臣順其此旨 表送章節

請廢文思 改襲大宗

遣息文寶送女東歸

 私はその意に従い、

 しょう王の章節を返還、

 司馬文思を廃すよう請い、

 また譙王位を継がせるため

 息子の司馬文寶しばぶんぽうを、娘を東に返すため

 建康けんこうに派遣いたしました。


自謂推誠奉順 理不過此

豈意裕苞藏禍心 遂見討伐

加惡文思 構生罪釁

 斯様に私めは平身低頭し、

 恭順の意を示し続けて参りました。

 しかし劉裕めが

 私を見逃すことはございませんでした。

 司馬文思の些細な罪を

 さも大罪であるかのようにあげつらい、

 遂には討伐軍まで

 立ち上げた次第にございます。


羣小之言 遠近噂𠴲

而臣純愚 闇信必謂不然

 誰もが囁きあっております、

 仮に私めの振る舞いに

 手落ちがあったとしても、

 いくらなんでも

 不自然な成り行きなのではないか、と。


尋臣府司馬張茂度狼狽東歸

南平太守檀範之復以此月三日

委郡叛逆 尋有審問 東軍已上

 私の府の司馬・張裕ちょうゆう

 慌てて東に帰ってゆきました。

 南平なんへい太守の檀範之だんはんしもまた、

 今月の三日には突然叛意を表明、

 その軍も東に撤収しております。


裕今此舉 非有怨憎

正以臣王室之幹 位居藩岳

時賢既盡 唯臣獨存

規以翦滅 成其篡殺

 劉裕めの此度の行いは

 司馬氏宗族に対する

 翦滅の意の表れであり、

 その中で私めが最期の一人と

 なったようなもので御座います。


鎮北將軍臣宗之 青州刺史臣敬宣

並是裕所深忌憚 欲以次除蕩

然後傾移天日 於事可易

 鎮北將軍・魯宗之ろそうし殿、

 青州せいしゅう刺史・劉敬宣りゅうけいせん殿も

 劉裕のこの動きを深く憚っております。

 我々の殲滅が済んでしまえば、

 あとは天より日が沈むようなもの。

 およそ想像しうる

 最悪の事態がやってくることでしょう。


今荊雍義徒 不召而集

子來之眾 其會如林

 今、荊州雍州ようしゅうの義徒は、

 特に呼びかけたというのでもなしに、

 私のところに多く集っております。


豈臣無德所能綏致

蓋七廟之靈 理貫幽顯

 私めは不才不徳の者に過ぎませんが、

 この晋室存続を願う気持ちは

 だれにも負けません。


輒授文思振武將軍、南郡太守

宗之子竟陵太守魯軌進號輔國將軍

臣今與宗之親御大眾 出據江津

案甲抗威 隨宜應赴

今絳旗所指 唯裕兄弟父子而已

須剋蕩寇逆 尋續馳聞

 かくなる上は司馬文思を振武將軍に、

 魯宗之の子、竟陵きょうりょう太守・魯軌ろき

 輔國將軍につかせました。

 私と魯宗之殿とで大軍を率いて

 江津こうしんを出立、全軍をもって

 劉裕と対峙する所存でございます。

 滅ぼすべきは、

 ただ劉裕とその一族のみ。

 劉裕討伐ののちには

 素直に罪に伏す所存にございます。


由臣輕弱 致裕凌橫

上慚俯愧 無以厝顏

 臣の不才ゆえ、かの者をここまで

 つけあがらせてしまいましたこと、

 陛下に向けるべき顔もございませぬ。




臣自惟門戶衰破,賴之獲存,皇家所重,終古難匹。是以公私歸馮,事盡祗順。再授荊州,輒苦陳告,自以才弱位隆,不宜久荷分陝,屢求解任,必不見聽。前經攜侍老母,半家俱西,凡諸子姪,悉留京輦。臣兄子譙王文思,雖年少常人,粗免咎悔,性好交遊,未知防遠,羣醜交構,為其風聲。裕遂翦戮人士,遠送文思。臣順其此旨,表送章節,請廢文思,改襲大宗,遣息文寶送女東歸。自謂推誠奉順,理不過此。豈意裕苞藏禍心,遂見討伐,加惡文思,構生罪釁。

羣小之言,遠近噂𠴲,而臣純愚,闇信必謂不然。尋臣府司馬張茂度狼狽東歸,南平太守檀範之復以此月三日委郡叛逆,尋有審問,東軍已上。裕今此舉,非有怨憎,正以臣王室之幹,位居藩岳,時賢既盡,唯臣獨存,規以翦滅,成其篡殺。鎮北將軍臣宗之、青州刺史臣敬宣,並是裕所深忌憚,欲以次除蕩,然後傾移天日,於事可易。

今荊、雍義徒,不召而集,子來之眾,其會如林。豈臣無德所能綏致,蓋七廟之靈,理貫幽顯。輒授文思振武將軍、南郡太守,宗之子竟陵太守魯軌進號輔國將軍。臣今與宗之親御大眾,出據江津,案甲抗威,隨宜應赴。今絳旗所指,唯裕兄弟父子而已。須剋蕩寇逆,尋續馳聞。由臣輕弱,致裕凌橫,上慚俯愧,無以厝顏。



途中でちょこっと名前が出てくる張裕は、劉裕の腹心のひとりである張邵の兄。檀範之は桓玄打倒の時に名前が出てくる、檀道済らのいとこ。つまりどっちにしろ劉裕に縁が深い人物であり、司馬休之と劉裕がぶつかろうってんなら下手すりゃ親族の進退にも陰がかかってしまうのです。


劉毅のときにはなにげに陳郡謝氏が割れたりとかしてましたけど、対劉毅戦に比べると形成が圧倒的すぎるので、もうどうしようもなかったんでしょうね。


気になるのは劉敬宣でしょうか。その立場はどちらかと言えば親劉裕のはずであり、むしろ司馬休之を牽制する立場に当たるのではないか、とも思うのです。……とは言えこのへんもなぁ。「恩人の息子だから」厚遇したからと言って、劉敬宣がどこまで劉裕に親しみを感じていたかは謎、というか宋が建った段階で爵位を劉敬宣家から剥奪されているのを見ると、むしろ内々では対立していた、という可能性もあるのですよね。「恩義あるものを奉る」は君子としてなさねばならない振る舞いであるわけで、劉裕がその辺のポーズを取るために利用されていた可能性すらあるのかもしれません。で、そこに背く素振りを見せたので「事故死させた」。


ただの陰謀論脳ですが、まーありえなくもないのかもしれません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る