第76話 小早川美海の絶望的な寝相の悪さ

 夕飯を食べたら、食休みをしてから風呂へ。

 この流れは1日目と変わらない。


 少し変わった点と言えば、「温泉」と聞いた途端に、守沢と玉木さんが風呂嫌いの猫みたいにダッシュで逃げ出そうとしたことくらいである。

 逃げおおせたのか?


 小早川さんからは逃げられない。


 彼女のフィジカルを舐めてはいけない。

 泳げないくせに、アメリカ仕込みの運動能力で、素早く玉木さんの行く手を塞いだ小早川さん。


 これ幸いと部屋に籠城を図った守沢だが、数十秒のやり取りで呆気なく降参した。

 なんと言っていただろうか。

 ああ、そうそう。


「牡丹ちゃんの下着、さっき私がお部屋に行ったついでに持って来てあげたよ。意外と可愛いのが好きだよね、牡丹ちゃん。明日のヤツはピンクでフリル多めで、女の子って感じが私は好きだな。ブラとちゃんとセットなのが牡丹ちゃんらし」


「美海ちゃぁぁぁん!!!」


 こんな感じだったかな。


 こうして、僕と高虎先輩は笑顔でババンババンバンバン。

 女湯の方からは、「美海ちゃぁぁぁん!! もうヤメてぇぇぇ!!」とか、「美海せんぱぁぁぁい!!! 自分、お嫁に行けなくなるっすぅぅぅ!!!」とか叫び声が聞こえた。


 まったく、静かに風呂にも入れないとは。

 三次元とはなんと嘆かわしい生き物なのだろう。


 風呂から上がると、ハーゲンダッツタイム。

 抹茶味が苦手だという小早川さんに敢えて抹茶味を食べさせようとする守沢と玉木さんを見ていたけども、なんだか目が本気だった。


 本気で人に抹茶味のアイス食べさせようとするシチュエーションの意味が分からない。


 2日目も結構充実していたなぁと総括したところで、解散。

 僕たちは部屋に行き、速やかに眠りに落ちるミッションへと移行した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



『ふぇ? 大晴くぅん? どうしたんでふかー?』

「あ、ごめんね。起こしちゃったか。ちょっと喉が渇いたから、リビングで何か飲んでこようと思って。ホノカは寝てて良いよ」


『分かりましたー。おやすみなさーい。ふぃー』


 今のやり取り、新婚夫婦っぽかったな!

 完全に目が冴えた僕であった。


 リビングに下りてくると、ちょうど時計が目に入る。

 午前3時を少し過ぎた時分。

 普段ならば深夜アニメを見終わって、感想を呟いている時間だが、やはり日中にあれだけ外で遊ぶと、肉体的疲労感は否めない。


 より取り見取りの冷蔵庫から、やはり安定の麦茶をチョイスしてソファーに座る。

 壁に飾られた鹿のはく製を見ながら「あいつの目がこっちを急に向いたら嫌だな」とか考えていると、全然違う方向から災難がやって来た。


 ひたひたと階段を下りてくる足音が聞こえる。

 誰だろうと振り返ると、小早川さんであった。


「喉でも乾いたの?」


 小早川さんには優しくがホノカとの約束であるからして、彼女に深夜の挨拶をするのもやぶさかではなかった。

 だけども、返事がない。


 聞こえなかったのかなと思って麦茶をグラスに注いでいると、事件は起きた。


「ふあぁ。来間くん。見つけたぁ。むにゃぁ」

「うん。……どうして僕の足を枕にしてソファに寝転ぶのかな? 小早川さん?」


「えへへ。むにゃぁ」

「小早川さん? ……ちょっと? 嘘でしょ? えっ、寝てるの!?」


 僕の脳裏には、今朝の出来事がフラッシュバック。

 小早川さんがえらく無防備な状態でソファに転がっていた。

 そして、今の状況を冷静に分析する。


 小早川さんが無防備な状態でソファに転がっている。


 ただ一つ違うのは、僕の足の上に彼女の頭があるという事。

 いわゆる膝枕の状態になっている。

 三次元に興味のない僕だって、さすがに思うところがある。


 可愛い? ラッキースケベ? 同士諸君は何も成長していない。

 この場合、考えることは一つである。



 このまま朝になったらとんでもない事になる。



 三次元の女子の情報伝達速度を舐めてはいけない。

 ヤツらは、ひとたび美味しそうなネタを嗅ぎつけると、加速度的にスピードを上げて仲間から仲間へと風説を流布する。

 その速さは、一説によると5G回線を超えるとも言われている。


 冗談ではない。


 この場合、僕は僕で良かったと思うに尽きる。

 何故ならば、三次元の中では特別扱いしている小早川さんだけど、僕の中では三次元は三次元。

 そこに情け容赦など存在しない。



 叩き起こそう。



「小早川さん! 小早川さん!! こんなとこで寝ちゃダメだよ!!」

「ん。えへへ。分かってる。うん。むにゃ」


 僕の声のボリュームは完璧だった。

 「これ以上の大声を出せば、上の階に聞こえる」と言うギリギリのラインをめいっぱい攻めた。


 その結果、彼女は返事をした。

 そののち、すぐに寝がえりをうった。



 嘘だろう?



 ならば、強硬手段である。

 頬っぺたを引っ張ろう。


 僕が寝ている時にこんな事をされたら、青筋立てて怒るに決まっているが、全ては小早川さんが悪い。

 彼女の頬っぺたを摘まんで、引っ張った。


「んー。くすぐったいよ。やめへー」


 片方では足りなかったらしい。

 繰り返すが、僕は容赦のない男。

 一方でダメなら両方を選択するのに躊躇ためらいなどない。


「えへへ。やだ。もぉ」



 夢ならば覚めてくれないか。



 信じられない事だが、この子、両方の頬っぺたを引っ張っても起きない。

 他に分かった事と言えば、思ったより頬っぺたが柔らかかった事と、これ以上の衝撃を与えて叫び声でもあげられたら僕の人生が終わるという事。


 どうしたものかと両目を閉じて思案する。

 これが、この夜に僕が犯した唯一の失態だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「おお! 大晴くん、今日も早いね! おはよ……う……」

「えっ!? はっ!?」


 気付いたら朝だった。

 まさか、ちょっと両目を閉じただけで僕が眠りに落ちるなんて。

 いや、今はそんな事よりも。



「ゆうべはおたのしみだったでござるか?」

「お願いです、高虎先輩。その件について釈明をします。だから、まず小早川さんの頭を持ち上げて下さい。僕を解放してください」



 昨日の朝も同じことを思った気がする。

 ああ、最初に起きて来たのが高虎先輩で本当に良かった。

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