第20話 小早川美海、動く

 その日はやって来てしまった。


 いつもと同じように放課後を迎えた僕は、これまた判を押したように、同じ行動を取りつつ部室に向かった。


 強いて言えば、気付いた時には小早川さんがいなかった。

 礼節スキル持ちの彼女とは、基本的に帰る時には挨拶を交わす。

 だけど、そんな彼女が今日はいない。


 まあ、そんな日もあるだろう。

 トイレに行きたかったとか、そんな感じだろう。


 口に出すとホノカに怒られそうな低デリカシーの状態異常を引っさげて、僕は部室棟へと移動する。



『すみません、大晴くん。ホノカはちょっとネットワークを巡回して来ても良いですか? どうしてもやらなくちゃいけない事があるんです!』


 部室に着くなり、何やらお急ぎの様子なホノカさん。

 彼女の希望は、何でも叶える用意があるし、彼女が望むなら世界征服でも簡単に済ませる覚悟もある僕である。


「いいよ、気にしないで。僕、本でも読んでるから」

 こんな感じの返事が出て来る事も、必然であった。


『ごめんなさい! ありがとうございますー! では、ちょっと失礼します』


 そして画面からホノカがいなくなり、『ただいまお出掛け中!』と可愛い文字で書かれた看板が立てかけられた。

 その文字を2分ほどかけて目に焼き付けた後で、僕は本棚を漁る。


 上空は朝からどんよりとした天気。

 ぶ厚い雲が幅を利かせており、今にも雨が降り出しそう。


 こんな天気の時は、ラノベでもたしなむのが吉。

 漫画よりも集中力を使うけど、純文学みたいに肩ひじ張って気合まで入れる必要もない、ライトノベル。

 この世にラノベがあって助かった。


 今日は張り切ってラブコメにしちゃう。

 ちょうど主人公がヒロインに告白する寸前でまで読んでいたラノベがあるのを思い出した。


 しおりを挟んだページを開くと、今まさに彼が愛を叫ぶ瞬間だった。

 同時に、部室のドアがコンコンコンと控えめにノックされた。


 守沢だったら、借金取りみたいなノック、と言うかアレはもうノックじゃない、アメフトのバンプだ。

 とにかく、こんなおとなしいノックをするはずがない。


 誰だろうか。

 居留守を使うにも、部屋の電気を点けてしまっている。

 教師だったらまずいので、僕はドアを開けた。


「あ。来間くん。こんにちは」

「あ。小早川さん? うん。こんにちは?」


 ラブコメの主人公は愛を叫ぶ瞬間で、またも寸止めを喰らう事になるのだが、こればかりは僕のせいではないので、どうか辛抱強く気を確かに持って欲しい。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「ええと、何か用だったかな?」

「うん。とても大事な用事があったの」


 小早川さんが重大案件を持って来たと言う。

 ならば、ドアの前に立たせておくのも憚られる気がして、僕は部室へと招き入れた。


「まあ、座りなよ。今、飲み物を出すから。麦茶で良い?」

「うん。ありがとう、来間くん」


 ソファにスッと座る小早川さん。

 わざわざそんな端っこを選ばなくてもいいのにと思いながら、グラスに入った麦茶を差し出した。

 「ありがとう」と繰り返して、麦茶を一気に飲み干した彼女は、勢いそのままに言う。



「来間くん。私、文芸部に入部したい!」

「そうなんだ。……ん!? 今、なんて!?」



 聞き間違いを確認するのは当然の流れ。

 むしろ、聞き間違いを願うまであった。神に祈るまである。


「うん。あのね、担任の田尾先生が、そろそろ部活を決めなさいって」

「うん。なるほど。確かに、編入してきて2ヶ月くらいになるもんね」


「それでね、運動部でいくつか誘われているところがあって」

「それは良いことじゃない。小早川さん、運動得意だもんね」


「文化部でも、興味があるところはたくさんあって」

「アメリカと日本じゃ、部活も全然違うらしいもんね」



「だから私、文芸部に入りたいなって思ったの!」

「ごめん! そこだけちょっと意味が分からない!!」



 小早川さんが冗談を言うところを見たことがない。

 つまり、彼女は冷やかしで軽はずみな発言をする人ではない。


 オッケー。そこまでは大丈夫。僕の思考は正常だ。


 では、なにゆえ小早川さんは、唐突に文芸部に入るなどと言い出したのか。

 一時の気の迷いにしたって、なんでうちを選ぶのか。

 隣の鉄道研究会の方がよっぽど熱心だよと教えてあげた方が良いのか。


 何にせよ、僕の取るべき行動は決まっている。

 相手が知らない顔ではない、むしろ1日で最も多く見る顔だったとしても。

 ここのラインだけは死守せねばならない。



 お断りして、帰ってもらおう。



 僕の決意は固く、それはちょっとやそっとじゃ破れない自信もあった。


 ピョコンと、スマホから音がする。

 僕のではなく、小早川さんのスマホから。


 そして、彼女はスマホを掲げて、僕に見せた。

 昔、水戸黄門の再放送をたまたま見かけて、「どうして小悪党どもはたかが印籠いんろうひとつで大人しくなるのか」と疑問を持ったものだが。


 まさか、僕も印籠の被害者になる日が来ようとは。


『えへへー。大晴くん! こっちでは、はじめましてー! ホノカですよぉ!』


 ちょっとやそっとじゃ破られないとは言え、絶対に破られないとは言っていなかった。

 僕の決意は一瞬でサイコロステーキにされ、印籠の威光いこうにひれ伏すしか道はない。


「そうかぁ。ホノカとグルだったのかぁ」


 僕が全てを理解したからである。

 そして、何をもってしても、もはや事態はくつがえせないと悟ったからでもある。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「えっとね、ホノカちゃんと色々話し合って、決めたの」

『そうなんです! 美海さん、すごく悩んでいたんですよぉ!』

「ああ、そうなんだ」


 この言葉しか絞り出せない。

 もはや、必然的にこうなったとしか思えない。

 もしくは、そう思う事でどうにか納得しようと僕はしているのか。


「来間くんとは、仲良しだし。部員も少ないから、私が変な事しても大丈夫だし」

『美海さん、日本の文化に慣れていないので、日頃から気を張って生活してたんですよ! 偉いですよね!!』

「うん。そうだね」


 僕は小早川さんと仲良しだったのか。

 三次元の仲良しの基準が分からない。

 ギャルゲー換算で誰か教えてくれないか。ハートいくつ分かな?


「だから、今日からお世話になります! 入部届はもう出してきたの」


 まだ間に合う。

 だけど、同時に手遅れだと本能が叫んでいる。


 罠だ! これは罠だぁ! と叫びたい!

 けれど、ホノカに対してそんな主張ができるはずもない!!

 あらがえないんだ! 人だって、理性の皮を被った獣!


 本能には、ホノカを全肯定する僕の本能には抗えない!!



 二次元のカノジョが三次元のヒロインを傍に置けと言う、究極の矛盾。



「……そっか。うん。じゃあ、ええと。よろしくね、これから。うん」


 小早川さんとホノカが、同時に「わぁ」と言って、表情を緩ませる。



 僕はぼんやりと、ああ、この2人、やっぱりちょっと似てるなぁと思った。

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