第7話 ノート


 ポルカが自室の扉を開けてリビングに戻ると、母親が何冊かのノートを机の上に出していた。

 いつもはこれから夕食が並ぶその机は、下の部分が収納スペースになっている。もちろんこれも人間が作ったものの流用なのだが、少ないスペースを有効活用した素晴らしい考えだと思う。

 ポルカの家は里の中でも規模としては小さい部類に入るらしい。ドラコニアンの住居は擬態を解いても大丈夫なように天井が高い造りとなっている。これは室内の生活では、長い尻尾よりもむしろ左右に広がる翼の方が圧迫感があるためだ。

 ドラコニアンの翼は、大空を舞うためのものではない。空を飛ぶのは魔力による跳躍のみで、翼は古から受け継いだ竜族の血の名残りであり、その大きさや色合いが力の象徴とされている。つまり魔力が高ければ高い程、その翼は立派なものとなるのだ。

 それは古から受け継いだ竜族こそが、今もこの世に存在するとされる高等種族『ドラゴン』であると、信じられているためだ。

 ドラゴンはドラコニアンから人間の部分を全て取っ払い、そこに力強い四肢と全てを寄せ付けぬ硬い鱗を纏い、頭部に魔力を秘めた角を生やした見た目だと言われている。人間らしさを取っ払っているので、普段の生活は四足歩行であり、その意思疎通も言葉ではなく咆哮と魔力による伝達でまかなっているらしい。

 想像力の足りない(とよく言われる)ポルカからしたら、それはむしろ亜人種と呼ばれるドラコニアンよりよっぽど『モンスター』に近いのではないかとすら思うのだが、その魔力はドラコニアンが束になっても敵わない程だと言うのだから、語り継がれるだけの存在だけはあるのかと一応、理解はしているつもりだ。

 なにより里の長老達からそれだけ畏怖されている存在なのだ。きっとこの世界の常識的に、凄い存在なのだろう。ポルカはそんなことには興味もないしわからないから、そのまま気にしないようにして生きているが。

 だが、強いモノに憧れるというのは、どんな種族の男の子でも共通の夢のようで。古代史の授業でドラゴンの存在が明らかになった際、ロンドだけでなくクラスメートの男の子達は、珍しく興奮した様子で授業に取り組んでいた。普段はろくに教科書を見ないような連中もそうだったのだから、やはり男のロマンというものは侮れない。

 そんな男子達の姿を呆れた様子で冷ややかに見ながらも、女子達もその伝説の強い存在に憧れのようなものを抱いていたのは確かだった。口にはそんなこと一言も出さずとも、その目はキラキラと輝いていたのだから。

 結局どこまでいっても血筋や魔力によって結婚相手を決める里なのだ。『強さ』を別の言葉に言い換えただけの狭い世界で生きる自分達は、無意識にでも『強い血<異性>』を求めるようになってしまっているのだろう。それは今に始まったことではなく、ずっと永きに渡って繰り返されていたのだから、この身に染み渡ってしまっていても仕方がないのかもしれない。

 普段はダイニングテーブルとして活用されている机の上のノートをポルカが手に取ると、それに気付いた母親が屈んでいた棚から顔を上げ、ふぅっと息を吐いてから言った。

「もう準備出来たのね。お父さんに連絡したら、お祝いは週末に帰って来た時にするってことになって、それで『とにかく、俺の学習ノートを渡しておけ』ってうるさくてね。だから、今日私達から渡すのはこのノート五冊、ってことになったわ。あとはお小遣いも少しだけ、ね。これはお母さんから特別だから、お父さんには内緒よ?」

「うん! ありがとうお母さん! でも、このノートって? これがお父さんの学習ノート?」

「そうよ。あと一冊がこの棚の奥にあるはずだから、ちょっと待ってなさい……っと」

 そう言いながらまた母は棚へと屈みこむ。どうやらかなり奥にしまい込んでしまっているようで、母の足元にはここしばらく見ていなかった鍋や調味料の瓶などが散乱していた。この四冊もきっと、ちゃんと並べられて保管されていたようではなさそうだった。

 勉強が苦手な者の部屋は片付けが下手くそというイメージがあるらしい。自分ももちろん該当するのだが、ポルカのそれはどうやら母親譲りのようだった。ポルカも部屋の見える範囲こそ物を出さないようにしているが、出していないから片付いて見えるだけで、机の中など見えない部分はぐちゃぐちゃになるタイプだった。つまり、母と全く一緒の片付け(?)方だ。

 ちゃんと自分自身ではわかるようにしているつもりだし、それで苦労した覚えもないのだが、父親によく説教されている母を見て育ったポルカは、母親と同じく『他人の目に見える部分だけは片付ける』という逃げ方を学んだのだった。

「お母さん……これ、何? どこの言葉?」

 一向に上がらない母親の頭。棚のスペースは狭いので手伝うことも出来ず、ポルカは何気なくその積まれたノートの一番上をぱらりと開いた。するとそこにはどこかで見覚えのある記号のようなものが書き込まれており、元から引かれていたのであろう薄い横線に沿うようにして等間隔に並んでいた。 

 それが『言葉』だと認識しながらも、最初、ポルカにも自分が何故そう思ったのかわからなかった。だから、その疑問を解決したくてこの言葉を発したのだが、母親からの返事でそれは難なく叶った。

「よく言葉だってわかったわね。お父さんが言うにはね、それが人間社会の言語なんですって。ほら……お父さん、昔長老様の家の蔵の掃除をさせられたことがあったでしょ? その時に見つけた翻訳された書物を書き写して来たんですって。だから、もしかしたら言い回しは古いかもしれないけど、あなたの役に立つはずだって」

 それでポルカも合点がいった。どこかで見覚えがあるように思えたのは、人間の描いた漫画にその言葉が残っていたからだ。魔力による複製をする際に、翻訳をしていくのだが、小さな見落としやそのままの方が迫力があるなど、いろいろな理由で残された言葉に、ノートの写し書きはとても似ていた。

 翻訳の仕事は父の仕事ではないので、父は好奇心に任せて意味もわからないままに書き写したに違いない。ポルカと同じくあまり頭がよくなかった父は、里の中でも地位はやや低めであり、この家の規模が小さいのもそれが些か影響していると母が愚痴っていたことを思い出した。

「……うん? なんでそれが私の役に立つの?」

 考えたらついでに嫌なことまで思い出してしまったので、ポルカは気持ちを切り替えるために母親に問い掛ける。悪口や愚痴はあまり好きではない。それを言っている時の母親の表情が、幼心にちょっとしたトラウマになってしまっているのだ。学校では上手く立ち回るために聞こえても笑っているようにしているし、自分自身ですら流されて言ってしまうこともあるが、他人ならともかく家族に対しての言葉ではないと、ポルカは今でも思っていた。

「え? だってポルカ、事務員の募集に応募したんでしょ? 仕事内容の欄、お母さんも見たけど『人間相手の電話対応』ってなってたわよ? 人間相手に話すんだったら私達の言葉じゃ伝わらないんじゃないの?」

 そうだ。そうだった。人間達の言葉はドラコニアンが普段使う言葉とは違う。ドラコニアンの言葉は人間達からすれば古代語と呼ばれる類のもので、その文法から異なっているはずだ。確か、さわりだけ文学の授業で習った気がする。遠い彼方の記憶だけど。

 目を見開いて固まってしまったポルカの目の前で、母親が「おーい? 大丈夫?」と手を振って見せた。

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