アナウンサー気取りの客

丸子稔

第1話

 飲みに出ていた者がそろそろ家路に就く夜の10時頃、俺はいつものように歓楽街を流し、酔客を待っていた。

 本音を言えば、酔客など乗せたくはないのだが、運収を上げるには、そのような客も我慢して乗せなければならない。

 心の中で葛藤しながら、歓楽街をゆっくり走っていると、スーツを着たサラリーマン風の若い男が手を挙げているのが目に入った。


 見た目は酔っている感じはなく、行き先を告げた時の口調も割としっかりしていたので、俺はひとまず安心して車を発進させた。

 すると、発進するのと同時に、「さあスタートしました」と、男がいきなり実況を始めた。


「おおっと! スタートしてすぐ一台抜きました。しかもインから。これは凄いテクニックだ! 見たところまだ若そうだが、一体どこでこのテクニックを身につけたのでしょうか? おおっと! テクニックに目を奪われているうちに、いつの間にか車が止まっています。一体何があったのでしょう? エンジントラブルでしょうか? それとも、ただのガス欠でしょうか? いや、違います。ただ単に赤信号で止まっただけでしたー!」


「あのう、それやめてもらえませんか?」


「えっ、なんで?」


「気が散って、運転に集中できないんですよ」(なんでじゃねえよ、このバカ)


「あーあ。このくらいのことで集中できないなんて、プロとして失格だね。プロなら、たとえどんな状況であったとしても、冷静に対応しなくちゃいけないんじゃないの?」


「わかりました。ではご自由に」(もう勝手にしてくれ)


「さあ、リタイアしたと思われた佐藤が、再びレースに戻ってまいりました。おおっと! 復帰してすぐ1台抜きました! おおっ、また1台。凄い勢いで抜いていきます。遅れを取り戻そうとして必死になっているのが、こちらにも痛いほど伝わってきます。あっ、そうこうしているうちに、前方にカーブが見えてまいりました。見たところ、かなりの急カーブのようです。さあ、いよいよそこに差し掛かってきました。おおっと! これはどうしたことだ。私の体が大きく右に傾いております。今私は、猛烈なGを受けております!」


 その後も男の実況は延々と続き、やがて目的地に近づくと、「さあ、いよいよゴールが近づいてきました。もう周りには誰も走っていません。完全に一人旅です。おおっと! とうとうゴールテープが見えてきました。さあ、ここで勝利へのカウントダウンだ。スリー、ツー、ワン、ゴール! やった! ついに、佐藤が優勝しました!

あっ、泣いております。チェッカーフラッグが大きく振られている横で、佐藤が感激の涙を流しております!」と、最後はデタラメな実況をしていた。


「運転手さん、リタイアしなくて良かったね。もしあそこでレースをやめてたら、優勝できなかったんだからさ」と、男は降りる際も訳のわからないことを言っていたが、俺はようやく解放された安堵感から、「そうですね。お客さんのおかげでなんとか優勝することができました。お祝いに、今から一緒にシャンパンファイトでもしますか?」と、最後に少しだけ男に乗っかってやった。    


 

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アナウンサー気取りの客 丸子稔 @marukominoru

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