戦争狂の進軍
詩人の類であれば、森が動けぬ我が身を嘆き業火に焼かれる苦悶の声を上げているとでも言うかもしれないが、それは単に戦火に焼かれる木々の燃え盛る音であり、水気を含んだ枝の爆ぜる音だった。
普段は人っ子一人寄り付かぬ大樹海。
いわゆる帰らずの森と呼ばれる類のそれ。
だが、今日この日にあっては十万を超えるヒルデリク王国軍が入り込んでいた。
相対するは大樹海の先に居を構える人類の敵、呪族と呼ばれる者どもだ。
それが現れたのがいつ頃だったのか、歴史書を紐解いても分からない。それほどに遥かな昔からそれは存在した。
人と相容れぬ生態、邪悪極まりない容姿、そして何よりも人を食うという性質。
見つけたならば殺さねばならない。
相入れぬ種族の存在を許せるほどに人は度量が広くはないのだ。
そして人は今日、ついに呪族の殲滅に王手をかけていた。
「失礼致します! 伝令です!」
ヒルデリク王国軍第一軍軍団長、陸軍大将ラーベルクは、森の手前に突貫工事で作り上げた巨大な土山の上に立ち、無造作に伝令から奪った書状を一瞥した。
ただ書状を読むだけの動作であるにも関わらず、人生の大半を戦場で過ごしてきたラーベルクのそれは、十分な圧力を伴うものだ。
丈夫が売りの椅子が軋む
長年戦場で付き従ってきた幕僚達は十分にラーベルクの沸点の低さを
「ふん、小癪な」
書状を握り潰して放り捨てたラーベルクの様子を伺い、さほど苛立っていないことに幕僚達は露骨にほっとした。
「王宮からは何と?」
安堵の息を吐いた副官に、ラーベルクは鼻を鳴らす。
「早急に討伐を終えて帰還せよとのお達しだ。何でも、俺を公爵に叙勲した上でベロワ公国の姫と添わせる腹積もりらしい。顔合わせのために一か月以内に討伐を終わらせよとのことだ」
「それは、また……おめでたい、のでしょうか?」
上官の機嫌を読み解き、それに合わせて必要な諫言をすることにかけて副官の右に出る者はいない。むしろあらゆる作戦を己の裁量で決めるラーベルクという男に仕えるには、それこそがもっとも重要な資質であるともいえる。
だが、その副官をもってしても結婚という重要事をラーベルクがどう考えるかについて聞いたことがなく、鉄のように引き結ばれた表情から感情を読み取ることも難しかった。
「めでたいさ。俺ももう四十だ。そろそろ子の一つも作っておくべきだろう。それに、ベロワ公国の姫と言えば、男勝りに魔法を極める蛮姫らしいじゃないか。魔導士としてならば誰にも負けぬと息まいて、自国に貰い手がないともっぱらの噂だぞ。まさに俺に似合いの女だと思わんか」
「は、左様ですか。それほどの使い手であれば、戦場の勇であるラーベルク様の奥様として遜色ありませんな」
「だろう。気の強い女らしいからな。早く俺の下に組み敷いて、誰が主人であるかを教えてやるとしよう」
「は、左様で……」
副官はどうやら存外乗り気らしい上官に胸を撫で下ろした。言葉尻一つで首が飛ぶこともある世界で、また生き抜くことができたらしい。
そんな副官の安堵も知らず、ところで、とラーベルクは続けた。
「妻となる女にはプレゼントの一つも必要だろうな」
「そうでしょうな。光物の類が送り物の定番ですが、さて、魔導士がそんなも物を気に入りますか」
「そんな物よりもっと相応しいものがあるだろう」
どうやらすでに贈り物は決まっているらしい。
それが何かぱっと思いつかないでいると、ラーベルクはにんまりと嗤う。
「化け物の女王の首など、蛮姫への土産にちょうど良いと思わんか」
「それは……!」
言葉の裏に隠された事実に、副官は息を飲んだ。
確かにヒルデリク王国軍は精強で、呪族が絶対防衛線を敷く大樹海の制圧を目前にしている。
だが、それはあくまでも防衛線の制圧という意味でしかなく、その向こうには呪族の本拠地があるのだ。
ラーベルクの言葉には、一カ月でその本拠地を制圧し、最奥に座する呪族の女王を滅ぼすという意味が込められている。
相手が人の国であれば、喉元に剣を突きつけることで降伏させることができるだろう。属国となるか、あるいは王族から捕虜を出すか、最悪でも殺されるのは王族だけで、国民は新たな国王に傅けばいい。
だが、相手が呪族となれば話が違う。人類の敵は殲滅することこそが最良で、その他の選択肢などありえないのだ。
降伏も許されぬと分かっているならば、最後の一人となるまで抵抗を止めまい。
喉元に剣があれば、喉を裂かれながら反撃するだろう。
王手をかけてから、なお時間がかかる。それが幕僚達の一致した見解だったのだが、ラーベルクは一カ月以内にそれをやるというのである。
「ほ、本気ですか?」
「俺が本気でなかったことがあったか?」
「ございません。では、棺桶に片足を突っ込む覚悟が必要ですな」
「ふん、それが我が第一軍の本懐だろう」
ラーベルクは体を揺すって愉快すぎると笑う有様だ。
その様子を目に摺れば、どうにもお手上げと、副官は諫めるという役割を放棄するしかなかった。
口で言っても聞かぬのもそうだが、副官もまたラーベルクの元で長年戦ってきた男だ。
ラーベルクの戦闘狂ぶりに付いていくのに、おべっかや追従だけで成り立つわけがない。ラーベルク旗下第一軍の一兵卒に至るまで戦場を楽しむ戦争狂である。
ラーベルクに見つからぬように笑みを深めながら、副官は第一軍に進軍速度を上げるように指示を出した。
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