魔力の芽生え

「ぐう、あぁぁぁあぁぁぁあっ! あああぁぁぁああああぁぁっ!!!」


 その悲鳴は鼓膜を破らんばかりの声量だった。

 どこまでも続く通路の闇の中に消え、反響こそしないまでも、アルバートはひどくうるさいその悲鳴に眉根を寄せ――そこで、微塵も動くことのできない自分の体に気づいた。


 いや、動かせないというのは正確ではない。

 動いてはいる、ただし、それが自分の意志とは異なる動きなのだ。


 強烈な緊張状態による筋肉の硬直と痙攣により、飛び跳ねるように体が動いていた。


 あまりにも激しいその動きに、視界は大きく揺れ動き、本棚に幾度となく体を打ち付ける。それでも意に介さず動き続ける体に、アルバートはどうにか体の自由を取り戻そうと苦心した。


「あぁぁあああぁぁぁあっ!!! あががぁぁっ!! ぎぎぃ……っ!」


 耳障りな悲鳴に苛立ちが増す。

 それが自分の口から発せられていることは、とうに気付いていた。

 

 自分の体に何が起きているのか分からない。

 視界の端に時折現れるカルロの姿は、何度も見た困ったような笑みだ。


 なんだこれは、そう口にしようとして、ようやく気づいた。

 痛みだった。

 体が引き裂かれたのではないかと錯覚するような異常な痛みが、アルバートの体を襲っていた。


 限界を超えた痛みに防御反応が起きていたのか、一時的に痛みを感じていなかったのだ。

 打ち寄せる波のように、段階を踏んで痛みが戻ってくる。

 叩きつけられるような痛みの波の度、それは濃度を増す毒のようにアルバートの脳髄を痛みで浸食した。


 噛み締められた歯がみきりみきりと嫌な音を立てる中、アルバートという存在を作り変えるための痛みがひっきりなしに襲ってくる。


 どれほどの時間のたうち回っていたのか、時間の感覚などとうに失せていた。


 もはや自分の体が人としての形を保っているのかすらも分からない。

 腕はあるのか、足はあるのか、何も理解できない。


 その痛みは、唐突に終わりを迎えた。


「気分はどうかね?」


「は、はぁ……っ? き、気分、ですか……っ?」


 いまだ痙攣の余韻を残す体を引きずるように上体を起こすと、カルロは実験動物でも眺めるように興味深そうにアルバートを見下ろしていた。


「最悪、ですね……か、体が自分の物じゃないようです……何より、む、胸……? はっきりと分からないですが、体の奥の、何かが欠けているような……」


「うむ、それで正常だとも。しっかり成功したね」


「成功……?」


 ようやく痛みが落ちつき始め、汗で濡れた服に気づいて顔をしかめたアルバートだったが、カルロは気にする素振りもなく再び座るように促す。


「さて、それでは魔法の練習と行こうじゃないか。そうだな……この本から行ってみようか?」


 渡された本は随分と装丁が手抜きで、手垢まみれの薄い代物だった。


 めくって、それも納得だと頷く。

 その本はずいぶんと初級の魔導書で、恐らくは幼少期に魔導士に預けられた子供たちが最初に開く教科書のようなものだろうと思われた。


「子供用ですか」


「そうとも。私が幼い頃にお世話になった本だよ。ありがたく使いたまえ」


「それはどうも。それで、まずはどうすれば?」


「まずは先ほどの実験……ではなく、儀式の効果を確かめる。最初の頁を開きなさい」


 言葉を濁したカルロに首を振りつつ、言われた通りに頁をめくる。


灯火トーチの魔法ですか」


「おや、知ってるのかね」


「魔導士になれないか訓練をしていたことがありますからね。灯火トーチの魔法は初心者向けですから、何度も練習しました。魔力不足で一度も発動には至りませんでしたが」


「なるほどなるほど。では試すにはちょうどいい。使ってみたまえ、アルバート君」


 アルバートは魔導書から顔を上げてカルロを見た。

 一度も発動したことがないと伝えたはずだと目で訴えるが、カルロはだからどうした、と笑っているようだった。


 ならば従う他なし。

 特に反論する必要もないのだからと言い聞かせ、呪文を詠唱する。


灯火トーチ


 当然、何も起こらない――そう思っていたアルバートだったが、予想に反し、胸の内がふわりと暖かくなったかと思うと、指先に微かな光が灯った。


「こ、これは……まさか」


「そのまさかだね。魔法の発動、おめでとう。ただし、とても灯火トーチとはいえない大失敗だけれどね」


 カルロの言葉通り、アルバートの指先に灯る光は本来の灯火トーチと比べると光量がまったく足りておらず、自由に動かすこともできない。


 豆電球もかくやという塩梅で、魔力不足は火を見るより明らかだった。


 だが、それでもだ。


「魔法が使えた……!」


「そうだね、アルバート君」


「俺が、魔法を使ったんだ!!」


「そうだよ、アルバート君。だからそんなに嬉しそうな顔をしないでくれたまえよ。少しばかり気恥ずかしくなるだろう」


 慌てて真顔を作り、それほど自分は嬉しそうな顔をしていたかと自問してみるが、分かるはずもない。


 ひとまず深呼吸を一つ。

 そうすると自分が魔法を使えたという事実が現実味を帯び、喜びがじわじわと広がってくる。


 それは俊としての喜びというよりもアルバートの記憶ゆえの喜びであったろう。俊はアルバートの記憶を俯瞰して見ているわけではなく、確かな人生として歩んだ手ごたえとともに融合していると言える状態だった。


 だからこそ、何の才もなく燻り続け、それでも冒険者として日の目を見るという夢にすがり続けた男の悲嘆が、感情の起伏の少ない俊の精神性をも揺り動かしていた。


 それは間違いなく、アルバートという男が生涯で手に入れた、たった一つの武器となり得るものだったのだ。


呪術王カース・ロード……か」


「実感が沸いたかね。とはいえ、君の努力次第というところかな。さて、そろそろ時間だよ」


「時間……?」


 カルロはそう、と頷く。


「時間さ。吾輩は長くここにいすぎた。存在を維持するだけでも魔力を必要とする。かつての吾輩が遺した魔力では、これ以上君の前に存在することはできないのだよ」


「じゃ、じゃあ、誰が魔法を教えてくれるんですか?」


 カルロは声を上げて笑った。

 とても面白い言葉を聞いたというように高らかに、しかし冷たい響きを含めて。


 笑いを収めたカルロの目は、明らかな拒絶が浮かんでいた。


「甘えるなよ、アルバート君。言っただろう、努力と才能と運、それぞれを有する者だけが吾輩の境地に至れるんだ。きっかけはくれてやった。あとはこの図書館に全てがある。吾輩の――呪術王カース・ロードの全てだ。学べよ、若者。苦労なくして得られる物になど、何の価値があろうか」


「……わかりました。しかし、魔力不足はまだ解消されてないでしょう?」


「それならば、先ほど吾輩が使った術を使えばよい。やり方はわかるはずだよ。なにせ、身をもって体験したんだ。自分の魂根ルギに集中して、問いかけてみればいい」


 アルバートは言われるまま目を瞑り、意識を集中する。

 すると、確かに胸の内に先ほどまでは感じることのできなかった熱のような物を感じた。


 これがカルロの言う杯だとすれば、その奥に魂根ルギがあるのだろう。確かに、杯にはわずかながら穴があり、その内側により強い熱源があるような、そんな気配がする。


 熱は体内にも微量ながら巡っていた。

 恐らく、これが魔力。


 意識することで魔力を少しづつ動かせた。


 その魔力を腕のように変化させ、杯に開いた穴に指をかける。形のない霧のような魔力は形を維持することすら難しく、思うように指先に力を入れることができないが、それでも、ほんの少し、杯に亀裂が入った。


 刹那、身を引き裂くような痛みが体を走る。


 とっさに魔力の腕を掻き消したから痛みが消え去ったが、あのまま穴を広げれば先ほどのような痛みが襲ってくるのは間違いなかった。


「君がどれほど頑張ろうとも、一度に砂粒一つ程度しか広げることはできない。それでも、その痛みは尋常なものではないよ。君の精神が壊れるほうが先だと思うが……まあ、耐えられるならやってみればいい」


「耐えますよ。そうでなければ、ここに来た意味がありません」


「ならば口だけでないところを見せてくれたまえ。道筋は与えた。次に会うのは、君がここにある全ての魔法を会得した時だ。いつになるかは知らないがね」


「随分と無責任な師匠もあったもんだ」


 徐々に体を薄れさせていくカルロはにやりと笑った。


「可愛くない弟子に一つ教えておこう。君がここに来て、もう一年ほど経っているよ」


 驚いたアルバートの顔を見て大笑いしながら、カルロの姿は消えていった。

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