夢への扉をこじ開けろ。

 6月22日。ひと月前に膝の十字靭帯断裂の大けがで故障者リスト入りした磐村さんの手術が行われた。幸い、けがの状況は予想よりも軽度で回復次第では今シーズン中にも復帰できるとのことだった。さすがに見舞いに行ける時間などなく、メールで済まさせてもらった。


「健も優勝目指して頑張れよ。俺も今季中には復帰するから。」

返信されたメールには安堵感と意気込みがあふれていた。


 優勝は7月に入る直前で決まった。「優勝」といっても「地区」の「前期」優勝なのでいわば1/4の優勝だ。試合に大勢のお客さんがつめかけるのかと思いきや普段通り。

 街がもう少し盛り上がるのかと思っていた俺は肩透かしをくらったような感じ。

「プレーオフはそれなりに盛り上がるぞ。」

監督はそっけない。


 マイナーリーグの野球観戦は入場料も8ドルくらい。クッキーズの本拠地であるリバーサイドスタジアムは、ビル部分に「市役所」も入居しているほど市民にとっては身近。日本でいうところのみんなで「カラオケ」、家族で「ショッピングモール」に行く程度のノリで野球を観にくるのだ。フードコートも充実してるしね。だからチームのコアなファンというよりは野球そのものを楽しむ。もちろん来れば地元のチームを応援してくれるけどね。


 すでに試合中盤で7対0と大きく引き離していたため、俺は「投げる日」ではあったけどブルペンに入らないつもりだった。


「健。準備しておけよ。9回はお前でいくからな。」

しかし監督ボスの一声。大事な場面で投げるというのも「教育」の一環なのだろう。ただセットアッパー陣にも花を持たしてもいいんでないの?いや、こういう中の人の「凡人」性がいけないのかもしれん。「俺が俺が!」と前にでしゃばる意欲が足りんのも事実。上を目指すのに強欲は大切、そう自分に言い聞かせてブルペンへ。


 相手チームの意地もあって終盤2点は返されたものの、こちらも追加点をあげて8対2。試合の大勢はかわらず9回表。俺はマウンドへ。夏休みに入っていることもあって、平日のデイゲームにもかかわらず、スタンドは8割くらい埋まっているか。


 日本の夏のデーゲームなんて地獄だが、湿度がそこまで高くないので日差しの強さえ気になければ苦にならない。最初の打者はサードゴロ。懸命に走るがアウト。


 続く打者は速球で攻め、捕邪飛キャッチャーフライ

ベンチではみんなが足をこちらに向けて優勝の瞬間を待ち受けている。


 一昨年は甲子園の決勝。昨年は五輪。それに比べて今年はマイナーリーグか。舞台としてはいちばん今年が小さい。でもここを通過しなければ明日への扉は開かれないのだ。


1B2Sと追い込み、ファールで3球粘られる。精一杯の抵抗。俺はゆっくりと息をはく。サインを確認。最後はSFFスプリットで空振りの三振。


 一斉にベンチから選手たちが駆け寄ってくる。うれしいと言うよりは役割を無事に果たせたことにほっとする。このチームには勝利を、今日来たお客さんには良い思い出を残すことができた。


 サマーリーグの子どもたちだろうか。チームのユニフォームを着て応援に来ている。俺たちの優勝を我がことのように喜んでくれている。


 「良くやってくれたGood Job!」

監督もうれしそうだ。白人は顔の彫りが深いから表情がわかりやすい。


 それにしても報道陣が増えるということもなく、由香さんも俺に聞くのは昇格のことばかり。


 お祝いといってもクラブハウスで出される試合後の「賄いミール」が少し豪華になる程度。ようはサンドイッチにはさむ具が少し豪華になるのだ。俺はマフィン家で食べるのでいつも通りパス。今日は優勝のお祝いしてくれるらしい。


 クールダウンを終え、帰宅する。

「健、優勝おめでてとう。今日は試合をクラブで観に行ったんだ。」

ルークが満面の笑みで迎えてくれる。彼は俺の部屋までついてくると、チームのみんなの反応を手振り身振りで語っていた。興奮さめやらぬ様子がかわいらしい。


 するとラップトップパソコンにメールが。開くとケントからだった。昇格した場合の対応だった。ダーラム(AAA)だったら8月末までバカンスで家を空ける家族の家が借りられる目処めどがついたこと。セントピーターズバーグ(メジャー)だったらまた連絡が欲しいとのことだった。


 いよいよ、昇格へと周りが動いているようだった。

「え?健、どこか行っちゃうの?いやだよ。」

ルークが泣きそうな顔で俺を見る。困ったな。歳の離れた弟がいたらこんな感じなのだろうか。

「ルーク、まだ引っ越しが決まったわけじゃないんだ。」

そういう他なかった。

 


 












  


 

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