天才は不死鳥のごとく。

 俺は本日も7番指名打者。


 先発は日本が岩熊さん。前回は韓国戦で黒星がついたけど状態は悪くない。

キューバの先発はメイヤー氏。キューバリーグの昨シーズンの最多勝投手で、俺も高校生時代のインターコンチネンタル杯で対戦している。先発から抑えまでなんでもこなせるところが監督の信頼度が高そう。


 先頭打者のヰチローさんが打席に立つ。不調、不調と日本のマスコミで騒がれているせいでこちらも変に意識してしまう。しかし、もし安打でなければどう迎えればいいの?

「声出して行くぞ!」

因幡さんが若手に声をかける。追い詰めず、孤立させず、「連帯」していることをアピールするしかない。


 ただ無情にもセカンドゴロ。空気が重くなるベンチ。

「切り替えていくぞ!」

とにかく声を出す若手。敗退の危機よりも、ヰチローさんの調子の方が気になってしまう。


 俺も3回の第一打席、魔法をかけていたにもかかわらずライトフライに。打ちたい気持ちが強すぎて、その気持ちが魔法に悪い干渉を及ぼし、かえって挙動を失ったようだ。


 しかも磐村さんが安打で出た二死一塁。そこで先頭トップに帰ってヰチローさん。しかも敢えなくショートゴロでチェンジ。


「じっくり行こうぜ!」

 救いは岩熊さんのピッチングの出来が良いいことだ。だから慌てる必要はない。それを先程やらかした自分にも言い聞かせる。


「守備のリズムは良いですよね!」

俺が声を出すと

「指名打者がそれ言っちゃう?」

蒼木さんの茶々が入って笑いが起こる。ベンチの空気が少し和む。


「健、へこむなよ。」

瓶井さんが気を使ってくれるが、最年少なのでイジられ役は買ってでもするものだ。

「大丈夫っす。代表チームの最年少は慣れてますから。」

しかも中の人は人生の長さだけなら最年長。ボケでもツッコミでもなんでもやってやるさ。


しかし、4回の攻撃前、ヰチローさんがベンチの皆に頭を下げた。

「すまん。俺は今日はダメかもしれん。だから、みんなで点を奪ってくれ。なんとかみんなでロスへ行こう。」


衝撃がベンチ内を走り抜ける。

伝説レジェンドが頭を下げるほど深刻な不調なのか、あるいは天才でもこんな状況にまで追い詰められてしまうことがあるのだろうか。


 しかし、その回は一死から3番蒼木さんがセンター前。4番武良多さんがレフトオーバーの二塁打で先制。苦悩する天才の叫びに見事にナインが応える。ベンチはまさにお祭り騒ぎ。


 5番小嵩原さんがセンターフライに倒れるも富久留さんが四球を選び二死二塁一塁。ここで俺に打順が回ってくる。今度は打ち損じてたまるものか。いや、無心で行こう。


 この場面でキューバベンチがメイヤー氏を諦め、左腕のレデスキ氏をマウンドに。昨シーズン、キューバ・リーグで勝率10割の15勝0敗の好投手。大きなカーブと速球を駆使する三振が取れるタイプ。俺はセオリー通りに右打席に入る。


 2B2Sからの6球目。速球が徐々にタイミングがあって来たのを嫌がってか、縦に落ちる大きなカーブ。

 

 掬い上げるようにバットに当たったボールは左に切れそうな軌道を描く。走者一斉にスタート。俺も懸命に走る。切れるな!ポール際を通ったボール。三塁の塁審は手をくるくると回す。本塁打(5号)。


 ベンチでハイタッチで迎えられ、一番奥のヰチローさんにハグされてしまう。そのあと敬礼のポーズをして見せた。後で亜美に自慢しておこう。


 これで一挙4点。チームの雰囲気はだいぶ明るくなる。しかし、5回表、四球で出た先頭打者磐村さんを送ろうととしたヰチローさんが、まさかのバント失敗。三塁へのポップフライに倒れる。


 天才がバント失敗とかあり得ない光景。俺はきっとこの天才の野球人生におけるドン底の瞬間に立ち会ってしまったのかもしれない。流石にかける言葉がなくてグラウンドに「しまって行こう!」と高校球児並みの声を出す。


 これ、たとえ今日勝てたとしても優勝までは三試合残っている。どうなるんだ?ただこの回も蒼木さんのタイムリーで追加。岩熊さんも6回を散発5安打に抑えた。


 そして7回表。四球で出た磐村さんを一塁に置いてヰチローさん。実は5回表でバント失敗に終わった時と全く同じシチュエーション。ヰチローさんは一瞬眉をひそめ、すぐに無表情に戻る。打席に入っていつものルーティーン。全く変わらないスタイル。


 アメリカに来て12打席目、これまで安打無し、と煽るマスコミ。そんなの関係ない。国民の期待とか、チームを背負ってとかじゃなく、己自身のために打て。

 

 ベンチのメンバー全員が祈るような気持ちで打席のヰチローさんに注視する。彼こそが今の「日本野球ジャパン」なのだ。日本野球のプライドそのものなのだ。彼の再生は日本野球俺たちの再生なのだ。


 そして、その時は訪れる。ヰチローさんのバットが快音を放ち、打球は軽々と内野手の頭を超えて行った。


 




 

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