天才の苦悩。
ただ、今回の敗戦の空気をさらに重くしたのがヰチローさんの不振だった。アメリカに来て2試合。9打席で安打0。
責任を痛いほど感じている背中。取材に一切応じることもなく無言で立ち去っていく。
由香さんは俺にヰチローさんの調子について尋ねられる。
「さすがに僕にはわからないです。打とうが打つまいが絶対的な存在感というかチームの柱ですから。五輪の時はみんなで悩んでホントにしんどかったですけど、今回はメジャー組の存在で伸び伸びとやらせてもらってますから。」
「また、マウンドに旗を立てられたよね。どう思った?」
他の記者さんが尋ねた。どうしよう。俺は前回はテレビで見ていただけだったしな。ここは煽っておくか。
「いやぁ、旗がずいぶんとちっちゃかったですね。あれ見てたら子供の頃食べた『お子様ランチ』を思い出しましたよ。ま、ちっちゃい旗立てて
記者さんたちから笑いがおこる。
「健ちゃん。お子様ランチはアメリカにはないよ。」
「知ってますよ。原価率高いんで日本にいたって子供しか頼めないのも知ってますし。」
試合は夜8時開始と遅く、終わった今はすでに
最近、時差の関係で亜美とはほぼメールだけのやりとり。ヰチローさんの不調が日本で問題になってるそうだ。でも周りの人間だってできることは限られている。
「亜美にしか言えないけどさ。俺がヰチローさんの代わりに点を獲るから大丈夫。」
俺が返信すると絵文字で込みでさらに返ってくる。
「ギャー!とんでもないこと言うねぇこの人。ホントにそんな大それた事を言うの、私だけにしときなさいよ!⋯⋯でも私も期待してる。やっちまいな!
PS.「お子様ランチ」発言めちゃくちゃウケた。」
やばい、テレビでオンエアされると思ってなかった。
朝、というか昼近く起きてレストランで朝食を摂る。
「健ちゃん、ごゆっくりやね。」
いや、今日も試合が夜8時スタートですし。普通なのでは。世の中的なら準夜勤でっせ。
「いや、『お子様ランチ』発言良かったよ。みんなむちゃくちゃ怒ってたからあれで毒気が抜けたみたい。まぁ、
ブルペンコーチの
「いや、韓国にも『お子様ランチ』があることにびっくりしましたよ。それに怒るもなにも先に仕掛けてきたのはあちらさんでしょうに。」
「いや、
「了解っす。でも今日勝たないとそれすらありませんしね。」
今日はビジター側なので球場練習も夕方5時くらいからだ。ユニフォームに着替えていると外野手の
「健、今日の練習なんだけど。ヰチローさんのスタイルでやらんか?」
どうにも落ち込んでるヰチローさんを励ますべく彼のユニフォームの着こなしであるクラッシックスタイルでやろうと思い立ったそうだ。クラッシックスタイルというにはストッキングを外に出してはくやつ。
「良いですよ。つい最近まで俺も高校生でしたし。全く抵抗はないです。⋯⋯河崎さんはなんて?」
ここはチームの「ヰチロー教信者総代」の河崎さんにお伺いを立てるべきだと。
「いや、
そういやそうでしたね。
「ヰチロースタイル」でグラウンドに現れた若手選手たちにご本人も思わず苦笑。心配しているぞ、という空気は届いているようだ。
特打ちを終えたヰチローさんが珍しく順番待ちしていた俺に話しかける。
「健、お前良いバット使ってるなぁ。マイナーのくせに。」
俺はサプライヤー契約はまだ決まっていない。五輪で金メダルを獲ってから結構な数の
ヰチローさんは俺の渡したバットを持って軽く振る。かれが他人の道具に触るところを初めて見た。
「お前、どう言うバットの管理してんの?⋯⋯完璧じゃん。」
「あ、ケースがいいのかと。」
湿気による重さの変化を嫌うバット。俺は前世からの勇者特典「
「後でメーカー教えて。」
「はぁ。」
「この世」のものではありませんが。
このヰチロースタイルだが、俺が投手組でからかわれるハメに。
「健、お前投手組なのになんで野手組に合わせてんの?」
「え?今そう言うツッコミします?」
「裏切り者がおる。」
「もぅ、かんべんしてくださいよぉ。」
試合は午後8時から。
崖っぷちの試合が始まった。
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