第6話 この私、城ケ崎紫苑は、世界で一番あなたを愛しています

 朝のHRが終わるや否や、英司はすぐに立ち上がって男子トイレにむかった。その間、なるべく紫苑を見ないようにした。


 個室に入るとすぐに、スマホで凛にメッセージを送る。


”まずいことになった。この間の幹部がうちのクラスに転入してきた”


 30秒とかからず返信がくる。


”それは面倒ね”


”どうすればいい?”


”とりあえずいつも通りにしていて”


 英司はため息をついた。いつも通り過ごすって、どうやってやるのか分からなかった。そもそもやれるものなのか。


”いつも通りって……。もし奴が接触してきたらどうする?”


”白を切ればいいのよ。相手が確信をついてきたら、あとは状況に応じて対処ね”


”状況ねぇ……”


 信頼しているんだか、投げやりなんだか。


 今後の過ごし方を考えるのも大事だが、それよりももっと大事なことがあった


”どうやって俺の場所を知ったんだ? いや、それよりもどうやって警察から逃げたんだ?”


 ブリッツガンを紫苑にぶち込んだ時、確かに紫苑は意識を失っていた。その4分後には警察が来ていた。


 捕まってから自力で逃げ出したのか。もしくは脱出を手引きした人間がいるのか。


 場合によっては、警察と繋がっているかもしれない。そうなれば、敵は想像以上に大きい組織となる。


 護送車を襲い、紫苑を力づくで取り返したというのなら、異能が強い。


 いずれにせよ、ワールド・ペインは強大な敵である。


 だからこそ、

 

(潰さなきゃならない。そうでなくては、立ち上がった意味が無い)


 スマホを握る手に力が入る。英司の瞳は、憎しみの色がぐるぐると混ざっていた。


”変な気を起こさないでよ”


 心を読み取った凛が、釘を刺した。

 

”暴走した結果、とばっちりをくらうのは私なんだからね”


 画面の向こうで凛がため息したのが想像できる。


 英司は深呼吸し、最後に大きく息を吐いて身体中の力を抜いた。


”とにかく、あの女のことはこちらで調べておくから、あなたは突っ走らないように。あの女は感情を敏感に感じ取るんでしょ? 意識してると読み取られるわよ”


”そうだったな”

 

 読まれてよい感情から読まれてよくない感情まで、全て読んでくるのだ。フェロモンというのを嗅ぎ取って。


”とにかく、あなたは精一杯、いつも通り過ごして”


(精一杯いつも通りに、ねぇ……)


 黄色いTシャツ来たメガネの小学生を思い出した。愚直なまでに自分を貫けるところが羨ましい。


 スマホの左上が8時49分と表示される。英司は覚悟を決めた。


 個室を出た瞬間に、


”あと、拷問されても私のことは話しちゃダメよ。自白剤を飲まされそうになったら舌を噛み切ること”


 過激なメッセージが来たが、無視して削除した。凛のことだから本気で言っているに違いない。


(さて、奴はどう出るか……)


 英司は覚悟を決めて、いつも通り控えめに教室に戻り、紫苑のことを視界の端に入れつつ席に座った。


 その派手な見た目から、紫苑は周りから避けられていた。誰も近寄ろうとはしない。紫苑も話しかけようとはせず、ゆったりと席に座っていた。


 ロッカーへ教科書を取り、なるべく紫苑を見ないようにしながら、努めて普通に席に座った。


 気怠けだるいチャイムが鳴り、教室から現代文の藤原がよたよたと入ってくる。生徒から藤原氏と呼ばれる老人教師は、今日もオールバックにした白髪と茶色のスーツが良く似合っている。


 ネクタイには遊び心があるくせに、授業には微塵みじんも遊び心が無い。抑揚よくようをつける気の無い声で、雑談もせずに爆速で授業を進めていく。その容赦無いスピードと内容の薄さから、陰で無知麻呂むちまろとも呼ばれている。生徒をあてず、うるさくしない限り怒りもしないので、日夜勉強を頑張る受験生にとって昼寝時間となっている。


 教卓の上にある座席表と教室を照らし合わせ、出席を確認し終わると藤原が教科書を開けるように言った。


 すると後ろから、


「教科書見せてくんねぇ?」


 紫苑が大人しい男子生徒に体を寄せた。


「あっ、ああ、いいよ」


 男子生徒が紫苑に机を寄せる。


「ありがと。教科書なんて燃やしちまってさぇんだ」


(どんな理由だよ……)


 心の中で突っ込んだ。


 そのまま授業は滞りなく進んでいく。


 英司は板書をノートに写しつつ、後ろを気にした。先日、死闘を繰り広げた強敵が後ろにいるのだ。気にするなと言う方が無理な話である。


 幸運にも、何事も無く授業は終わった。


 英司は久しぶりに、授業を真面目に受ける結果となった。


 2時間目は体育。男女共にグラウンドに集まり、男女別にサッカーを行う。


 いつもは技術力を比較されるので嫌だが、今日ばかりは紫苑を監視出来るので良かった。


 体操着を着た紫苑は、準備体操とばかりに軽く身体を動かしていた。そのすぐ横には、異能感知装置がある。


 体育の授業では、異能感知装置を配置して異能の使用を徹底して禁止している。異能の発動が見られればすぐに運動を中止して指導に入る。場合によっては停学もあり得る。以前、異能による生徒の怪我から、そのようになった。


 紫苑が異能を使うのか使わないのか。もし使ったら、被害が拡大する前に止める必要がある。


 浜岡の笛の合図で、選手はグラウンドに入った。


 英司のポジションはゴールキーパー。紫苑はフォワード。


 男女共にキックオフの笛が鳴る。


 紫苑は、異能を使わずにプロ並みのプレイを見せつけた。


 相手プレイヤーをごぼう抜きするスーパーワンマンプレイでゴール。


 お次は相手フォワードからボールを奪ってからのロングシュートでゴール。


 最後はゴール前、味方からの浮いたパスにオーバーヘッドキックでゴール。


 華麗にハットトリックを決め、実力をなっきりと示した。これには無関心系学級委員の水瀬川皐も唖然あぜんとしていた。


 男子側のベンチでも、チームの試合そっちのけで観戦し、歓声を上げていた。


 英司はゴールに立ちながら、紫苑の動きをつぶさに観察した。


(あの身のこなし…………わかってはいたが、単純な身体能力は俺より上だ。これで3位か。ちょっと面倒だな)


 そんなことを考えているせいで、英司は不覚にもヘナチョコシュートを通してしまった。


 チームメイトからの暴言を浴びたところで2時間目が終了した。


 続く3、4時間目も問題無く終わった。


 昼休みの時間になる。


 いつも通り教室で食べようとしたところ、紫苑が教室を出て行くのが見えた。


 紫苑の動きに、不審さは感じられなかった。尾行を気にする素振りも無い。


(どうするか)


 英司は考える。


 このまま教室でボッチ飯か、それとも紫苑を尾行するか。といっても、尾行道具も鎧も無い。ブリッツガンのような武器も無い。戦闘になったら絶対に負ける。


(備えあれば憂無うれいなし、とはよく言ったもんだな)


 しかし、このままでは後手に回るばかり。守りに入っては、ジリジリと追い詰められるだけだ。


 ポケットからスマホを出す。凛からの連絡は無い。


 悩んだ末に、英司はコンビニの袋を持って教室を出た。


 ※


 校舎の裏にある青がげて白くなったプラスチックベンチに、紫苑は座る。昼過ぎの校舎裏は日陰になっており、心地良い涼しさが眠気を誘う。


 目の前には先程サッカーをしたグラウンドが広がる。今は、早弁したスポーツ女子が元気にバレーをしている。


 活気はあるのに、どこか静かさを感じる場所、それがこの校舎裏のベンチだった。座って間も無いが、紫苑はここをすでに気に入っていた。


 優しい風が、目を閉じた紫苑の顔をでる。


「この場所は、良い所だな。各務英司」


「そうだな」


 最近気になっている男が、隣に座ってきた。顔も割と好みだ。ただ、高校生には似合わない疲れが顔に表れているのが残念なところである。


「お前なら来ると思ってた。常に私を気にしていたからな。1人になれば来るだろうって」


「フェロモンでか?」


かんだ」


 紫苑はあんぱんをかじり、牛乳を飲んだ。一方、英司は食べずに紫苑を警戒している。いつ襲われても対応出来るよう、食事をせずに身構えていた。


「安心しろって。襲わねぇからさ」


 紫苑の言葉を疑うも、すぐに肩の力を抜く。


「……それもそうだな。殺す気なら、朝の時点で殺されていただろうし」


「勝てるとは思わないんだな」


「自分がどういう人間かは、自分が一番よく知っている」


 フッと笑う紫苑。


「その割に殺気が凄いけど?」


 英司は答えず、代わりにおにぎりを食べた。即座に動けるよう、一口を少量にしている。


 昼食を食べ終わった生徒が続々と集まり、グラウンドに活気が溢れる。それを眺めながら、2人は会話せずにご飯を食べる。冷戦のような空気感が、2人の間にはあった。


 あんぱんを食べ終わった紫苑が、独り言ようにつぶやく。


「しかし、相変わらず特徴的なニオイだな」


 彼から放たれるニオイは、ドス黒い感情が渦巻いていて、良いニオイではない。


 だが、そのようなニオイこそ、紫苑は大好きである。こういう人間こそ、追い詰められた時の爆発力は凄まじい。


「なぁ、どんな経験をして鎧を着るようになったんだ?」


「そんなことより、お前がどうやってあの状況から抜け出せたかが気になるな」


 怒りと憎しみのニオイが強くなった。その中に小さくなっていくニオイがあることに気付き、思わずいた。


「………なるほどな。勘違いしていたよ。お前のこと」


「?」


「恐れを知らない人間かと思ったが、違った。お前は人一倍恐がりなんだな。その恐怖を、怒りと憎しみで無理矢理押し潰している。今もそうだ」


 英司は何も言わない。ただただ、怒りを募らせるのみ。ニオイがそう伝える。


 怒りと憎しみをっておびえを隠し、格上の存在に立ち向かう。


 今でさえ、何かあれば戦う気でいる。絶対に敵わないというのに。


 —―――だから面白い。


 この生身では非力な無能力者を、紫苑はますます気に入った。こんな面白い無能力者は初めてだ。自然と口元が緩む。


「やはり、お前は面白いな」


「なら教えろ。ワールド・ペインってのはなんだ? 何が目的だ?」


「そうだな…………世の中に不満を持った異能者の集団、かな。世界中の異能者が迫害されないようにとか、大層なことをボスは言っていたが、私としては暴れられれば何でもいい」


「規模は?」


「知らね。私も自分のチームしか知らねぇしな。ただ、幹部の席は9つ用意されている。今は1つ空席だ。この間、”異能狩り”にパクられてな。9だけ安定しねぇんだ」


 異能を悪用した犯罪を扱う刑事部・捜査第5課の蔑称、それが”異能狩り”。設立当初、後ろ暗い出来事が多かったことから、異能者の間でそう呼ばれている。凛は5課と言うが、それは短いからという理由のみで、5課に良い印象は持っていない。


「ということで、提案だ。お前、ワールド・ペインに入らないか?」


「断る」


 間髪入れずに断った。


「お前らのような異能を持たない相手を痛めつける集団に入ったら、おしまいだ」


「断ると思ったが、やっぱり残念だな。断っていなかったら、やっぱりそれはそれで残念だが」


「残念?」


「お前には感謝してるんだ。おごっていた私の心を正してくれて」


「はぁ?」


「お前が私を叩きのめしてくれたおかげで、昔の自分を取り戻した。やはり人間、常にチャレンジャーの精神を持っていないとダメだな」


 紫苑は心の底から感謝した。


 ワールド・ペインに所属して5年、異能と持ち前のセンス、そして人間離れした身体能力で幹部に就任、30人ほどの舎弟を持つまでに至った。降りかかる火の粉は舎弟が振り払うことが多くなり、やがて自分で戦うことも減って鍛錬もしなくなった。


 日に日に退屈になっていった。


 次第に色が無くなり、ニオイがしなくなり、やがて無味乾燥とした世界となった。


 そんなツマラナイ世界に、一人の男が現れた。


 その男は、無能力者であるにも関わらず、異能者と対決した。


 機械を駆使して、敵を情け容赦無く過剰にぎ払う。


 格上だろうと、執拗しつように向かってくる。


 ついには、自分すら打ち負かした。


 その瞬間、紫苑の世界に色が、音が、ニオイが戻ってきた。


 久しぶりに体がうずき、みなぎる。動かずにはいられない。


「感謝するよ。お前のおかげで、私は自分を取り戻した」

 

 紫苑は英司の前へ背筋良く立つ。


 その行動に、英司は身構える。


 紫苑が息を吸い、口を開く。


 —―――来るか?


「この私、城ヶ崎紫苑は、世界で一番あなたを愛している」


「……は?」


 急に愛の告白をされた英司は、身構えた格好で紫苑の真顔を見る。


「だから、将来あなたを殺す」


 英司は抜けた力を呼び戻し、無言で睨む。


「今でもお前を殺せるが、それじゃあ面白くない。私もなまった体を戻し、さらにます必要がある。果実は熟した時に食べるのが1番だからな」


 紫苑は体の力を抜く。


「言いたいことは言った。もうここに用はない」


 体を校舎の扉に向ける。


「じゃあな、英司。安心して学校に来いよ。少なくとも1年間は、ここでお前の観察でもしながら学校生活を送るよ」


 去っていく紫苑の背中に、英司は座りながら、


「俺はお前を許したつもりはない」


 怒気の入った声に、紫苑が歩みを止める。


「お前が罪を犯した瞬間、いつであろうとどこであろうとお前を叩き潰す」


 憎悪。


 彼から放たれる激しい憎しみの刺激臭を、以前どこかで嗅いだことがあった。


 あれは確か――――


「フッ……」


 紫苑は理解し、笑った。


「お前、リーダーと同じニオイがする」


「リーダー?」


「……あ、そうそう。お前が知りたがっていたことだが」


 英司の疑問には答えず、紫苑は軽く英司の方へ向く。


、私は」


「……どういうことだ?」


 またもや疑問に答えず、今度こそ紫苑は去って行った。


 取り残された英司。先程まで全く聞こえなかった喧騒けんそうよみがえってきた。


 残ったおにぎりを食べようとした時、胸ポケットがブルっと震える。


 胸ポケットからスマホを取り出すと、ディスプレイには、”1件のメッセージが入っています”と表示されていた。


 ため息をつき、英司は暗証番号を打ってロックを解除する。


”モテモテね”


 案の定、凛からだった。


”嬉しくないね。どうせなら16歳の社長にモテたいものだ”


”指示通り動けば好きになるわよ”


 はぁ、と凛がため息が聞こえた気がした。


”勝手なことするな、って言ったのに”


”聞いていたのか?”


”もちろん。あなたが校舎を出たところで、スマホを通話モードにしたわ”


 凛から支給されたスマホは、英司の位置情報はもちろん、遠隔操作が出来る。内蔵されたデータも自由に改竄かいざん出来るので、わざと奪われて敵に偽の情報の握らすことも可能である。


 ついでに、電気を放出して人間を気絶させる”Eエレキボム”の機能もある。しかしこれは、英司が裏切ったり、敵に捕らえられて自白させられたりした時に使用する、対英司用機能である。そのため、英司はその存在を知らない。


”ごめん。先走った”


”まぁいいわ。こうなることは想定内だしね”


”で、どうする? 仕留めるか?”


”あの女のことは、とりあえず放置でいいわ”


”いいのか? 放っておいたらどんどん強くなるぞ?”


”じゃあ捕まえてどうするの? あの女を抹殺するか、捕まえてしっかり罰を与えられる環境を整えないと意味が無いわ”


 確かにそれもそうだ。


 —―――捕まっていない。


 紫苑が先程言った言葉が蘇る。あれは一体どういうことなのか。


”捕まっているかどうかは、あなたが考えることじゃないわ”


 英司は呆れながら思考を止めた。


”だから、どうして俺の思考を読んでくるんだ?”


”思考が凡人過ぎるのよ”


 酷い言われようだが、稀代きだいの発明家に言われれば納得するしかない。


”それに、どんな異能も叩き潰せる力を作れれば問題無い”


 結局、この結論に行きつく。だから凛は、兵器を作り続けている。


 そして英司も、そう思っている。犯罪が起こらない世界を作る事よりも、犯罪者を叩き潰す方が楽だ。難しいことは、官僚や政治家が解決すればいい。そのために高い金と地位をくれてやっているのだ、と選挙権の無い英司は思うのだった。


”それよりも、大きなチャンスが舞い込んできたわ。学校が終わったら仕事場に直行しなさい”


”チャンス?”


”ワールド・ペインの幹部を1人、特定できた”


 英司は驚いた。凛の仕事の速さにはいつも驚かされる。


”誰なんだ?”


三島みしま・クロスロード・譲二じょうじ


「三島……」


 つぶやき、英司はスマホを強く握った。その名は、誰もが知る実業家の名前だった。

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