最終章 - 1  1980年(4)

 1  1980年(4)




「引っ越し屋さんの車、やっと渋滞を抜けたそうなの。だからね、先にお昼を食べてからいらしてくださいって、言っておいたわ」

 千尋が玄関に入ると、小走りでまさみが現れ、そんなことを言った。

 出前を取ったからと彼女は続けて、

「お寿司で、よかったかしら?」

 などと聞いたから、千尋は即行「大好きです!」と声にする。

 それからしばらく経って、出前が到着する頃になってやっと二人が帰宅した。

「いや、だってほら、コンビニのところにいるとさ、まだトラックが来てないってわかるでしょ? だからちょっとだけ、お疲れ様ってことでね……」

 赤い顔をして現れた達哉は、千尋の文句にニコニコしながらそんなことを言った。

「だからって、なに二人して乾杯しちゃってるのよ! それにわたし、すぐそこのコンビニには行ったんだからね、まったく、どこまで行ってきたんだか!」

 そこそこ本気で怒っていたが、寿司を目の前にすると一気に機嫌も直ってしまう。

 そうして無事にトラックも到着し、搬入後の作業も日暮れ前にはだいたい終わった。

 夕食の準備ができるまでの間、散歩でもしようと千尋が言い出し、

「ほら、いいじゃない! 新しいお兄さんにこの辺りのことをさ、いろいろ教えてあげなくちゃ!」

 こんな感じで、嫌がる達哉を半ば無理やり連れ出したのだ。

 そうして門を出た途端、

「でもさ、明日からずっとここに住むんだから、いやでも知れることなんだし、俺、今日はもうクタクタなんだけどなあ〜」

 などと呟いて、達哉はその場にしゃがみ込んでしまった。

 ところがそこで、そばに人がいるのにやっと気が付く。

 千尋や翔太とは自分を挟んで反対側、達哉の右手に男性が立ち、そのすぐ後ろに女性の姿も見えるのだ。

 達哉は慌てて立ち上がり、道の中央から二、三歩横に飛び退いた。それからチョコンと頭を下げて、「ゴメンなさい」って表情を男性に向ける。

 出て来ていきなりしゃがんだりしたから、何事かと思って驚いた……と、彼は思っていたのだが、実はまったくの見当違いで、

「あの、こちらの方ですか?」

 男性の方がそう言って、門の方を指出したのだ。

 達哉は慌てて「はい」と言い、そこで初めて相手の顔をちゃんと見る。

「あの、実は今日、こちらの方に引っ越して参りまして……」

 達哉の家のちょうど真裏に引っ越してきたと、その男性は小さな包みを差し出した。

 ところがそこで、いきなり千尋が声にする。

「あ! それって出雲そば、ですよね?」

 さも嬉しそうに歩み寄り、男性の手にある包みに顔をグッと寄せるのだ。

 つい先日まで島根県、松江にある支店に勤めていた。今年になって子供も産まれ、自分の育ったところで育てたいと思い、会社を辞めて独立した。

「一応、包みに名刺を付けてありますので、何かの時にはぜひ、ご用命をお待ちしています」

 などと、彼は照れた感じに笑って見せた。

 包みはすでに千尋の手にある。その包装紙に挟み込まれた名刺をコソッと見つめ、達哉はほんの少しの違和感を覚えた。

 初めて目にした筈なのに、どうにも見覚えがあるような気がする。

 ――どこかで……?

 社名は隠れていたが、名前ははっきり見て取れる。

 ――吉崎渉。

 記憶のどこかが、この名にしっかり反応していた。

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