最終章 - 1  1980年(3)

1  1980年(3)




当時はすでに退職していたが、由美子の母はもともと役場に勤めていたらしい。

その時分、彼女にはそこそこ力があったのか、単に顔が広かったということなのか、驚くことに、偽造した母子手帳を由美子に送り付けていた。

生まれ故郷で子供を産んだという証明になる。

そんなことくらいなら、東京の役所に見せたからってバレたりしない。

子供は元気だという文面のすぐ次に、いきなりそんな感じが書かれてあった。

 そもそも由美子の方が頼んだのかは不明だが、少なくともはっきりしたのは、やはり山代は最低だったということだ。

 ――誘拐こそは最低最悪の行為だし、そんなことをやらせる男はろくでなし。

――殺されそうなら仕方がないが、こっちもそう長くは預かれない。

――こうなったら責任持って、しっかり育ててあげなさい。

ざっくりこんな感じが書かれてあって、ここからだいたいのことが想像できた。

――しかしどうして……?

わざわざ写真と一緒に保管したのか?

そこんところは想像でしかないと前置きをして、

「やっぱりいつか、伝えようと思ってたんじゃないかな、俺がさ、そこそこ大人になったら、本当のことを……」

 翔太はそこで一旦言葉を切って、ベンチからゆっくり立ち上がる。

 それから達哉の前に立ち、見上げる彼に向かって笑顔で告げた。

「でね、それ、捨てちゃおうと思うんだけど、それで、いいかな?」

そんな声に、達哉も必死に笑顔を作る。そして手紙を折り目通りにしっかり畳み、そのまま翔太へ差し出した。

彼はそれを黙って受け取り、ジーンズのポケットに押し込んでから、

「一応ね、お袋の、由美子さんの墓前で、燃やそうかと思ってさ……」

そう声にして、再びニコッと笑って見せた。

それからゆっくり空を見上げて、呟くように声にする。

「でも、結局、なんだったんだろうな……」

 後に続いた翔太の言葉に、達哉は初め、誘拐事件のことだと思い込んだ。

 しかしさらに続いた問い掛けで、彼の疑問の意味を理解する。

「やっぱり兄弟だったから、血が繋がっていたから、ということかな?」

「そう、だね……うん、それはもちろん、そうなんだろうけど、俺の方はね、なんとなくだけど、そうなった別の理由もあったような気がするんだ……なんと言っても酷かったからさ、あの頃の俺って」

「酷かった?」

「うん、所謂さ、ガキの反抗期ってやつ」

「へえ、そうなんだ。今はまるで、そんな感じには見えないけど……」

「そうでしょ? こんな俺でもさ、ちゃんと成長するんですって!」

「そうか、それでは、その調子で、これからもよろしくお願いします!」

「仕方ねえ、そうしてやるか!」

 そう言って達哉もやっと立ち上がり、翔太に向けてしっかり右手を差し出した。

 そんな右手を両手で包み、翔太は静かに告げたのだった。

「それで、手紙の話は、ここだけのことにして欲しいんだ。お袋さんや、出来れば千尋ちゃんにも言わないでくれると、有難いかな……」

「……了解。そうだね、その方がいいね、で、千尋ちゃんにも言いませんよ、はい、千尋ちゃんでしょ? 本間千尋ちゃん、うん、いずれは天野千尋ちゃん! あ、いずれは藤木千尋ちゃんかな? え? そうなったら、一人っ子だった俺がいきなり、三人兄弟になっちゃうよ〜」

「おい、それも言っちゃダメだからな!」

 翔太がそんな声を上げた時にはすでに背中を向けて、達哉は公園出口に向かって一気に走り出している。

 そしてちょうど同じ頃、

「あの二人、どこまで行ったんだろう?」

 なかなか帰って来ない翔太と達哉に、千尋は一人そう呟いていた。

「千尋さん、引越し作業が終わったら、みんなでお食事しましょうね。おばさん、一生懸命がんばっちゃうからね」

 待っている時間がもったいないからと、まさみはそんな言葉と一緒にキッチンに行ってしまった。

 広いリビングに一人になって、ただただ待つしかすることがない。

 どうせ待つなら、

 ――外で待ってようっと!

 さっさとそう決めて、千尋は門のところへ出て行った。

 そうして左右を見回せば、百メートルほど行ったところにコンビニがある。 千尋は迷うことなく門から離れ、コンビニに向かって歩き出すのだ。

 ところがだった。

店内どこにも二人がいない。

――なんでいないのよ!

そんなイラつきを必死に堪え、今来たばかりの道を歩き始めた時だった。

「あの、すみまぜん……」

 そんな声が背後から聞こえ、千尋は慌てて振り向いたのだ。

「あ、あなた……」

「すみません、いきなり……」

 その人物は申し訳なさそうにそう言って、ペコンと頭を下げるのだった。

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