第8章 - 4 スタートライン

 4 スタートライン




「わたしの元夫ってね、医者というか、大学病院の研究員だったのね……」

 そう言って、〝彼女〟は自分の元夫について話してくれた。

 それから申し訳なさそうに、B型とO型の両親からは、決してA型、AB型の子供は生まれないんだと……、

「ごめんなさい。でも、これって、本当のことなのよ」

 そう続けてから、信じてほしいと深々頭まで下げたのだ。

〝彼女〟とは、天野翔太の妻であり、最期の時を一緒に過ごした女性のことだ。

 突然、年老いてしまった達哉にとっても、彼女との時間は唯一とも言える幸せなひと時だった。

 そして今さらながら、こんなことを思い出したのは……、

 ――血液型って変わっちゃう。

 何日か前の大山で、そんな千尋の言葉が始まりだった。

 千尋を連れて〝DEZOLVE〟に現れ、山代と翔太に追い出されてしまった男。

 そいつは医学部の大学院生で、血液内科を専攻していたらしい。

 ――血液のことばっかり、やたらと教えてくれたのよ……。

 そんな言葉の行き着く先は、千尋のまさしく言う通り、〝正真正銘の爆弾発言〟そのものだった。

 そのせいで、その日はただただ驚いて終わる。

 そうして結果、待ち受けていたその結末自体は最高だったが、それでもやっぱり父親の死はショックが大きい。通夜だ葬式だのと慌ただしく続いて、終わってみれば、その場で自分が何をしていたかをほとんど覚えていなかった。

翔太も千尋も気を遣ってくれて、姿はあったが話し掛けてこない。

 そして、そんな二人へ連絡したのは、葬式が終わって三日目、五月八日のことだった。

「ねえ、天野さんと本田さんを、うちに呼んでもらえないかしら?」

 朝食の時、まさみが突然そう言い出したのだ。

 もちろん断る理由などあるわけないが、それでも一応、達哉は聞いた。

「もちろんいいけど、なんて言って、呼んだらいいの?」

「今後のことをね、一度ちゃんと、天野さん……と、お話しなきゃいけないって、思ってるんだけど……」

 そんな答えにただただ達哉は頷いて、その日の夕刻、まずは千尋に連絡しようと居酒屋大山に電話を入れた。

 すると偶然、そこに翔太も来ていて、

「もうさ、やっぱり藤木くんって、なにか〝持ってる〟よね! ホントすごい!」

 ちょうど達哉に連絡しようと、店の電話に手を伸ばしかけたところで、いきなり着信音が鳴り響いたと言う。

「翔太さんがね、藤木くんといろいろ話したいんだって、だからさ、チャチャっと今からこっちに来れないかな?」

 ――チャチャっと?

「じゃあさ、待ってるからね!」

 ――じゃあ、さ……

 そんな千尋の言葉に何かを感じて、それでもそれが何かは分からないまま大山に向かおうと家を出る。足早にいつもの道を歩いていると、不思議なくらい唐突だった。

 もちろんそこは住宅街で、目を向ける意味などないはずなのだ。

 それなのに、どうして視線を向けたのか?

 ほんの偶然、気まぐれとしか言いようがないが、ただとにかく、偶然目にしたそれが過去の記憶を呼び覚ますのだ。

 綾野。

 そんな表札が目に入った途端、一気に記憶が結び付いた。

 ――チャチャっと?

 ――じゃあ、さ……。

 ――綾野。

 そんな言葉が連なって、やっぱり〝彼女〟が言ったのだった。

 ――結婚して欲しい……。

「だからさ、チャチャっと替えちゃいたいんです。もうね、綾野って苗字……」

 理由はこうだと、〝彼女〟は明るく告げたのだった。

「だってあなたは、私の初恋の人、なんだから……天野さんの方は、まるで全然、一ミリだってわたしのことなんか、覚えてないんでしょうけどね……」

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