第2章 - 1 四十一年前(4)

 1 四十一年前(4)




 だからそんなふうに見えたと、彼はその後すぐに気が付いていた。

 となれば、右目は見えていないのか?

 なんだとすれば、それは自分のせいだろうか?

 彼はしばらく玄関扉を見つめ、そんなことばかりを考えた。

 自分の部屋に戻ってからも、まゆみの右目のことが頭から離れ行かない。

 もしも、自分がああなってしまったら……そう考えると身体がズシンと重くなって、脳裏にあの日のシーンが蘇るのだ。

 あの時、自分はどうして、あんなに腹が立ったのか? 

 たった二年だけの歳月が、まるで遠い昔のようだった。あの夜にあったことすべて、無かったことにしたいと痛烈に願う。

 ――違うことが原因って、ことはないのか……?

 そんな可能性だってあるにはあったが、その都度まゆみの言葉が思い出され、その可能性を「あり得ない」んだと打ち消していく。

 ――達ちゃん、これは違うからね、右目のこととか関係ないの。

 彼女はそう言ってから、歳のせいだと声にしていた。

 これは右目のせいじゃない。

 まゆみはわざわざ達哉に向けて、そんなことを告げたのだ。

「クソっ!」

 久しぶりにムカついて、思わず声になっていた。

 しかし以前の達哉のように、それは誰かに向けてのものじゃない。

「ちくしょう! 俺ってヤツは!

 そう声にした後も、次から次へといろんな言葉が浮かび上がった。

 どれもが後悔の念から溢れ出たもので、いつしか強く思うのだった。

 ――帰ってきたら、ちゃんと謝ろう!

 土下座したっていい。

 そのくらいのことをしてしまったんだと、達哉は本気で思い始める。

 しかしすでに、二年という年月が過ぎ去っていた。今頃になって謝ったって、「今さらって何?」って言われるか、実際、変に思われるってのがオチだろう。

 そう考えた時やっと、達哉は元々の疑問をやっとのことで思い出した。

 ――じゃあ、俺になったやつは、いったいどうしたんだ?

 達哉になったその誰かは、ああなった経緯を知らなかったに違いない。両親との関係を想像すらできないうちに、そいつは次の日、どんな態度を取ったのか?

 先ずは、そいつが誰か?……が問題だ。

 ――何か、残されてないか?

 そう思い、自分の部屋を漁り始める。そうして三十分くらいが経った頃、達哉は驚きの事実をたくさん知った。

 そして抱いていた疑問の大半を、想像することができたのだった。

 達哉はなんと、大学一年生になっていた。

 それも私立ではトップクラスと言われる一流大学で、受験勉強をしたっていう痕跡があっちこっちに残されている。

 教科書に参考書、赤本にまで書き込みやラインマーカーがびっしりで、何度も読み込んだせいだろう……その厚みが本来あったものよりぜんぜん太い。

 本棚には見たことのない本がやたらと並んで、

 ――俺なんて、本なんか読んだことなかったし……。

 きっと、こいつは必死に頑張ったのだと、次第に達哉も悟っていった。

 記憶だけは残っていたが、当然頭脳や身体は別人なのだ。十七歳だった彼もヨボヨボになり、〝脳みそ〟の方だって一気に忘れっぽくなったと思う。

 しかしその分、知らなかった知識が増えていて、天野翔太の記憶が蘇ってからは、無性に活字を欲したりもしたのだ。しかしいざ読もうと思ったら、老眼のせいで読むのが結構辛かった。

 だからきっと、ずっとサボってきた達哉の頭で、受験なんてのはとんでもない荒技の筈だ。それも一流大学に合格するには、ちょっとやそっとの頑張り程度じゃ追いつきゃしないに決まっていた。

 ――それをあいつは、あんな歳でやり遂げたのか?

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