第1章 - 5 天野翔太(藤木達哉)(4)
5 天野翔太(藤木達哉)(4)
きっとこれまでに、似たようなことがあったのだろう。
「わたし、しょっちゅうネームプレート外すの忘れちゃうんです。だから〝綾野〟って名前、この界隈で結構知られていたりして……」
そう続けて笑顔を見せる彼女とは、これ以降、あっという間に親しくなった。
と言っても週に何度か公園のベンチで話す程度だが、それでも彼にとっては何より楽しいひと時となる。
そしてこの日、久しぶりに出会った彼女は、彼を家まで送ると言い張ったのだ。
もう大丈夫だと声にしても、
「わたし今日、仕事お休みなんです。だから何を言われたって付いていきますからね、天野さんのご自宅まで……」
そう言って彼のそばから離れようとしない。
どうせボロアパートを目にすれば、さっさと退散するだろう。そう思っていたのだが、綾野という女性は全くもってそうじゃなかった。
鍵を開けた途端、さっさと自ら部屋に入り込み、
「押し入れ、失礼しますね〜」
そう声にしたと思ったら、いきなりせんべい布団を敷き出した。
――ひどい顔をしている。
――絶対どこか悪いか、どうしようもなく疲れているに違いない。
――だから素直に、横になってください!
さっき起きたばかりで、まだ寝ませんよ……と、笑いながら声にすると、彼女は一気にそんなことを捲し立てた。
きっとこっちはそんな顔に、もう見慣れてしまっているのだろう。
あと半年も経たないうちに、普通の生活ができなくなるのだ。このひと月ちょっとで、彼女が驚くくらいに変わったからって全くもって不思議じゃない。
――どうする? 話してしまうか?
しかし……朝の散歩でちょっと話すくらいの関係で、そんな話をされたらそれこそ大迷惑だ。すぐにそう考え直し、素直に横になろうと決めたのだった。
ところがあっという間に、彼は眠り落ちてしまう。
「お休みになられたら、わたしは静かに出ていきますから……」
鍵はポストに入れておくので、目が覚めたらすぐに取って欲しいと、そんな言葉までは覚えていたが……、
――あれで、俺はすぐに寝てしまったのか……?
それ以降のことを、彼はまったく何も覚えていない。
やはり彼女が指摘した通り、それなりに疲れが溜まっていたのだろう。
そうして目が覚めるのは、かなり日の傾いた頃。台所には夕食の惣菜が並べられ、彼女の置き手紙と食材の余りが残されている。
せっかく休みなのに、近所のスーパーまで買い物に出掛け、それなりに手の込んだ手料理をわざわざ作ってくれたのだ。
正直言って有り難かった。涙が出そうになる程ジーンと来たが、何がどうあろうとも、彼女と親しくなるのはまずいって気がした。
――未来が、ないんだ……。
だからもう河川敷には近付かず、これっきり会わないようにした方がいい。そう心に決めて、彼は翌日から朝の散歩もやめてしまった。
ところが当然、綾野の方はそうじゃない。
次の日も、その次の日も、彼が朝の公園に現れないものだから、三日目の夕刻に彼女がいきなり現れるのだ。
「天野さん、大丈夫ですか!?」
そんな声と一緒にアパートの扉を何度も叩いて、出て行かないと帰りそうもなかった。
それでもまさか、会わないようにしていたなどとは言えないから、半開きの扉から顔を出し、ここ数日、実は調子が悪かった……と、満更嘘とも言えない言葉を告げてから、
「でも、もう随分いいので、心配なさらないでください」
そう続け、彼は扉をゆっくり閉じようとした。
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