第1章  -   3 天野翔太(4)

 3 天野翔太(4)




「俺は殴ってねえ!」

「俺だってそうだ!」

「黙ってろって言ったろう!!」 

 金子と福田のそんな声に、再び荒井の怒鳴り声が響いた。

 荒井は苦み走った顔を崩さず、翔太を見上げ、何か考えているようだった。

「とにかくだ。人を虐めてりゃ、こういうことだってあるってことだ。これからは、その辺をよおく、考えてやるこった……」

「お前が死んだからって、どうってことないぜ……」

「そうか? それならよかった」

「直接殺したわけじゃない。そんなので、年少にだって今時入れやしねえさ」

「それでも、人の噂はついて回るぜ、あいつは中学三年生の時に、一年生を自殺にまで追い込んだってな……ま、どうなるかは、やってみないと……」

 ――わからんよ。

 最後の言葉は、残念ながら荒井の耳には届かなかった。

 翔太の指先がフェンスから離れ、金子と福田の声が瞬時に響いた。

「やめろ!」

「やめてくれ!」

 そんな声を耳にしながら、翔太の身体は向こう側へと倒れていった。

 それからほんの数秒後……甲高い悲鳴が聞こえ、続いて怒鳴り合うような男の声が屋上まで聞こえ届いた。

「落ちちゃったよ、どうする?」

 福田の泣きそうな声だった。

「おい! どうするんだよ、荒井!」

 背中を向けたまま動かない荒井に向けて、金子が続けてそう声にする。

「おい! 何とか言ったらどうなんだ!」

「うるさい! 考えてるんだ! 黙ってろ!」

「黙ってろ黙ってろって、それしか言えないのかよ!」

「とにかく、俺は殴ってねえし、ここに呼び出したんだって、荒井に言われて教室まで行ったんだ。それだけの、ことなんだからな……」

「俺だって、俺だって関係ないぞ。ぜんぶ、おまえが指示したことなんだ」

 金子と福田はそれだけ言って、さっさと屋上から姿を消した。

 それから二、三分して教師が屋上までやってくる。

 当然何があったのかと聞かれるが、荒井は終始一貫しておんなじ言葉を繰り返すのだ。

 ――何も知らない。

 ――ここに来た時にはすでに、フェンスの上にいた。

 ――あいつの身体に触れてないし、飛び降りたことと、自分はまったく関係ない。

 幸い警察には通報されず、救急車が到着した頃には荒井も解放されている。

 後は翔太が死んでしまえば、事を荒立てたくない学校は何も言ってくる筈ない……そう考えていた荒井はその日の夕刻、施設の職員に驚きの事実を知らされるのだ。

「天野のやつ、助かったようだぞ」

「屋上から落ちて、助かったってか?」

「お前んとこ、校舎と校庭の間にさ、花壇と交互に生垣があるだろ? あそこに落ちたんで、運よく助かったってことらしい……」

 施設では一番の下っ端職員で、まだ二十代という林田が、妙に馴れ馴れしい感じで荒井に話しかけていた。

「あの二人がさ、帰ってくるなり俺んとこに来てさ、まあビビちゃって、可哀想なくらいだったぜ……」

 苦み走った顔で黙り込んでしまった荒井を見つめて、林田はなんとも嬉しそうに続けて言った。

「そう言えばお前ら、あいつが飛び降りた現場にいたんだって? なあ、おいおい、それって、大丈夫なやつか? まさか、僕は荒井くんに突き落とされました……なんて、言われちゃったりしないだろうな?」

 戯けるような林田の声に、「そんなことあるわけない」と答えはしたが、実際のところ、何を言われたって不思議じゃなかった。

 ――散々殴られて、僕は混乱してしまい、気付いたらフェンスの上にいたんです。

 なんて感じを告げたとしても、決して〝嘘〟ってことにはならないだろう。

 ところがそれから数日経っても、何も変わったことは起こらなかった。

 天野翔太は脚を複雑骨折していたが、意識はしっかりしているらしく、もちろん死ぬなんて状態ではまったくない。

 しかし……そうであるなら、

 ――何か言ってきても、よさそうなもんだ。 

 そう思いながらも月日は過ぎて、屋上騒ぎから三ヶ月が経った頃、天野翔太は退院し、施設に姿を見せたのだった。

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