🦢🦢

二羽(中二階──スキップフロアに設えた厨房設備)

 羅莉子らりこがキッチンに入ってくる。立ち込める蒸気。赤い火花が咲き乱れるオーブン。テーブルに並べられた無数の長方形は、真っ黒な、卵糖パン! まるでもう周知のことと、常識のようにさらされているそれに、彼女は驚愕する。


「な、なによう、これ……」


 鍋つかみを手にはめたまま、振り向く煮菜子。

「現段階ではまだ試作品よ。ちょうどよかった、あなた……。ライバルが登場してくれなきゃ、物語はどうにも広がらないもの」


 羅莉子はケモノ的直観で、煮菜子の背後に潜むあやしい影の脈動を感じ取った。ほとんど捉えると同時に顔を歪ませ、言う。


「あんた、私と寝たわね?」


「は? 唐突になに?」煮菜子は驚いた。


「皆まで言わせないで。わかってるでしょう? これは映画『ブラック・スワン』のパロディなんだから。作者が………………(チラと天井へ目をやる)まあ、いいわ。いろいろ言いたいことあんだけどさ、つまるところ、私たちは作者の奴隷よ。私たちに自由に物を言う権利などない」


「一番ひどい目に遭ってるのは私だろうが!」煮菜子までつられて本音をらす。それが物語環境を大きく突き崩す危険があるとも知らずに。「さっきからこの不気味な食べ物を四時間も作らされているのよ。もういいかげんヘトヘトよ。たった一羽しか登場しない人物に苦労を語られてもな」


「はっ。それはさ、あんたの持つどうしようもない業が導きだした世界じゃないの」羅莉子は肩をすくめた。「優等生決め込んでもさ、そのじつ、どさくさに紛れて私と寝たんじゃないの? 正直に言ってごらんなさいな。その破廉恥はれんちな頭の中で想像したんでしょ?」


「ばっ、ばか言ってんじゃねー。誰がおまえなんかと」煮菜子はやけくそになり、鍋つかみを床に叩きつけると、エプロンの紐を解く。「そんなん言うんだったら、脱いでやるよ。見な」


 剥がしたエプロンの下から、いつも着ている袈裟けさが覗いた。「私はね、気持ち仏道に入っているのよ。桑門そうもんに入るってね。三羽目を読めばわかるわ」


 羅莉子はそれを目にしても、自説を曲げず、挙げ句、こう言った。「じゃあ、その背中にいてる四十九対の瞳を持つ悪魔はなに?」


 羅莉子は物語の秘密をたった二羽目にして御法度ごはっと的に主人公に教えてしまう。彼女はそれくらい手に負えないキャラクターで、しき象徴であった。


 煮菜子は作者にマインドコントロールされていたので、聞かなかったことにして別の話をする。「この卵糖パンには石炭を練り込んであるの。私の生まれ故郷、福岡県は筑豊のシンボルでもあるわ」


 羅莉子は毒づく。「ふん。あんたはカステラの切れ端で糊口ここうしのぐのがお似合いだと思いますがねえ……。せいぜい、鬼教官と愛の炭坑節のステップでも踏んでな!」


「その愛、いいわね。響きがいい。一丁いただくわ」煮菜子は壁の換気扇スイッチの横にあるレバーを引いた。すると、羅莉子の足下の床下収納の扉がぱっくり口を開け、美しき肢体が空を引っ掻きながら奈落へ吸い込まれていった。


「なっ、ああぁぁぁぁ──────」


「手応えのないライバルだこと!」煮菜子はくらい微笑を灯す。「でもまあ、これで、私は『愛』を手に入れた。残るはあと二つ──」

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