第六五話 宵闇への招待

「お。ちょっと待てよー、嬢ちゃん」


 不死川さんが腕を上げて私を制止する。


 私は不死川が掘った穴を通って屋敷よりも北に出ていた。不死川さんはちょうど私の……祈祷かなえの家があるところから、屋敷に向かって斜めに掘り進めたらしい。

 和登君がバイクを引いて走っていくのを見届けたあとは雑木林に引っ込んで、南より林が深いところへ移動していた。

 和登君いわく、特徴的なものがない場所に身を隠したほうがいいのだという。柱があったり小道があったりすると、索田さんに居場所を特定されてしまうみたいだ。


「車か? 移動は……してないみたいだな」

 不死川さんには何かしらの音が聞こえるようだった。


 そして、私は緊張していた。

 不死川さんと二人で行動するのが初めてだからだ。いや、厳密には初めてなんかじゃない。私は祈祷かなえとして、二週間前に会って話している。今でも、思い出すと血のにおいが鼻腔びくういっぱいに広がってくるような感じがした。

「耳がいいですね……」

 私は頑張ってもこれくらいしか言えなかった。実際、私にはまったく聞き取れないのだから。どれだけ耳を澄ましても、葉の揺れる音しか聞こえてこないのだ。


「辰坊の車は裏にあったよなぁ」

 不死川さんがそうつぶやいたが、私には尋ねられているのか独り言を言っているのかよく分からなかった。

 ひとまず返事をしてみよう。

「は、はい。以前見たときも、それにさっき、も、裏にありました、ね」

 言うなり、あまりにもたどたどしくなってしまったことを悔やむ。最後なんて、ロボットのような口調になってしまった。

「んじゃ客か」

 不死川さんは気にすることなく、音のするほうを見ながら頬を掻いている。

「んでも、ひょっとすると業者かもしれんなぁ。坊主は明日っつってた気もするが」

 私が自分の鼻をもぎ取ろうとしていると、不死川さんがおもむろに手頃な木を触りはじめた。

「何してるんですか?」

 太い木の幹にしがみついた不死川さんを見て、私は驚く。


「ちょい様子見る」

 そう言いながら、不死川さんはどんどん木を登っていく。上空を覆う高い木だ。落ちてきた時のために両手を広げて待機することにしたが、よく考えたら私では不死川さんにつぶされて終わりだろう。

 そんなことを考えていたら、不死川さんの姿はすっかり見えなくなっていた。


「痛……」

 急に頭に痛みが走って、思わずこめかみを押さえる。



   ――――全部めんどくさい


 ああ、たしかにめんどくさいかも。



   ――――もう生きていたくない


 そうかなぁ。よく分かんない。



   ――――この世界を、人間を、すべて壊し――――


「…………!」


 脳裏によく知る感情がよぎるのに気づき、私は必死に首を振る。何度か深呼吸をして、感じはじめていた吐き気を振り払おうとした。


 不死川さんが上で何やら言っていたが、やがてすると下りてきた。

「ん? どうした、嬢ちゃん」

 不死川さんの目に映る私は、さぞ滑稽だったろう。冷や汗を垂らして胸を押さえ、大きく肩で息をしているのだから。


「――――なんでもないです」


 私は不死川さんに向かって笑ってみせた。


 感情を閉じ込めたのだ。

 自分以外、誰にも気づかれることのないように。



「……そっか。行こうぜ。あいつら、きっと例の業者とやらだ」

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