第五四話 Let's have a crazy tea party

「魅了? というかあなた、複数特殊技量マルチアビリティなの?」


 私がすぐさま気づいたことを質問したのに、索田さんは声をあげて笑った。

「聞いていないのかい。メイン特殊技量アビリティの件といい、君は何も知らされていないんだな」

 索田さんがあまりにもおかしそうに笑うので、私はだんだん腹立たしく感じはじめた。


「和登くんは君に一から十まで話すつもりなど、さらさらないようだ。あはは、君って誰からも信用されていないんだね」



   ――――うるっさいな



「…………!」


 私は心の奥のほうから感情がこみあげてくるのに気づいた。


   ――ああ、本当にうるさい

   ――なんて耳障りな笑い声なんだろう



「…………っ」


 感情に飲まれてしまいそうな恐怖を感じ、私は慌てて深呼吸をする。



 大きく息を吸って、時間をかけてそれを吐くと、心はいくらか収まってきた。


「……ねえ、索田さんが私を誘拐したんだよね?」

 私は台所に向かって声を掛ける。よかった、普段通りの私だ。

「まさか。君を元の世界へ戻してあげただけさ」

 索田さんは平然と答えた。

「嘘。私が強き者プリオリだから、この屋敷に閉じ込めておくつもりだったんでしょ」


「だって君は、行くところがないだろ」

 索田さんが吐き捨てるように言うので、私の抑えていた感情はあふれ出そうになった。

「でも! だからってやっていいことと悪いことが…!」

 私は言葉を切った。


 落ち着くんだ。無意識に思考して、何かろくでもないことを願ったらまずい。


   ――いや、自由に好きなことをいいんだ


 そんなことはできない。

 だって、なんでも願いが叶えられてしまうだなんて、恐ろしすぎる。これ以上悪いことをするなんてダメだ。


「……この前も言ったけど、よく君がそんなこと言えたもんだね」

 索田さんが台所から出てきた。紅茶をれたカップを二つ持っている。


 これは索田さんの言う通りだ。間違いない。私は軽い気持ちで望みを言ったり考えたりしてきたし、たくさんの人を、向こうの意思など構わず殺してきた。でも、今の私はそんなのいけないことだと思っている。はずだ。

「私は……今は索田さんみたいな人間じゃない」


 私が落ち着きなく言う様子を、索田さんは冷ややかな面持おももちで見ていた。

「ふうん、僕らは同類だと思うけど」

 索田さんが化粧台に紅茶を置く。どうぞ飲んで、と添えて。


「いや……腹立たしいけど、君のほうがよりの悪い存在だね」

 私は紅茶を口へ運ぼうとしたが、聞き捨てならなかったため索田さんを睨んだ。索田さんは紅茶を持ってソファに向かっていて、背中しか見えなかった。


   ――もしあいつを殺したらどうなるだろう


 ダメだ。


   ――楽しいだろうなぁ

   ――鬱陶しいやつなんてみんないな



「ダメだってば!」


 心の中に留めておくはずの声が、私の口を突いて出てきてしまった。


 索田さんは私のことをちら、と見ると、訳知り顔で言う。

「――ああ、そうか。君はもうなんだね」


 違う。私は櫛江里佳。私は櫛江里佳なんだ。


「この世界に戻ってきたことで、〝櫛江里佳としての自我〟を見失いそうにでもなっているってところか」


 私は櫛江里佳。私は櫛江里佳。私は櫛江里佳。私は……


「まあ、いいんじゃないか。祈禱かなえがどんな女か知らないが、今みたいにぼんやりした女は見ていていら立つだけだから」

 索田さんが舐めるように私の全身に視線をやって、続ける。

「どんな感覚なんだい? 繕っていた自分が失われていく過程というのは」


   ――気持ち悪い

     気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

     お願いだから死


「うるさいな! あなたの思い通りになんて、ならないから!」


 私は言ったんだと思う。それに、今度こそ索田さんを睨むことに成功した。

 なぜか息切れがする。頭が痛い。


「ふふっ。本当に面白いね、君は」


 索田さんは怒っていないようだった。むしろ愉快なものを見ているかのような表情をしている。

 でも、揺れる前髪から覗く瞳が笑っていないのは私にも分かった。獲物を前にした爬虫類はちゅうるいのような目つき。まだ誰にも悟られていない、内なる狂気を隠した瞳の奥底。


「僕なんか、君に簡単にひねり潰される存在だ」

 索田さんが目にかかる前髪を払って言う。

 その美しい容姿の華麗な動作一つ一つが、私をまるで演劇を見ているかのような気分にさせる。陰と陽が混じった、はかなげにも見えるし気丈きじょうにも見える、中性的な顔だち。洗練された無駄のない動きに、完璧なスタイル。

 自分の置かれている状況を忘れて見惚みとれそうになるのは、きっと私だけではないだろう。

 

「君が願うだけで、僕は一瞬で消し飛ぶ」

 索田さんは悦に入ったかのように続ける。

「なんて力なんだ。自覚はないのだろうが、君は本当に芸術の結果だよ」

 前髪で隠れている右目をわし掴みにして、口元からは耐えられなくなって笑みをこぼす。索田さんは抑えきれない衝動を楽しんでいるように見えた。


 左目が私の姿を捉えると、私は身体が自由に動かせない感覚に襲われた。


 澄んだ瞳は私を見ていない。


 きっと、私の特殊技量アビリティを見てる。


「ああ、君がほしい……」

 そう言うと、索田さんは高らかに笑った。


「君は本当に魅力的だよ……! ふふふっ、あははははははっ」



   ――この人、私以上に狂っているのかもしれない


 私は必死に思考を張り巡らそうとしたが、その姿を呆然と眺めるだけで、たいしたことは考えられなかった。


 怖い。不気味だ。

 そう感じたのはたしかだ。


 私がまともに身動きもとれないままたたずんでいるうちに、索田さんは私にぐっと距離を詰め、両手で私の輪郭りんかくを包んだ。存在を確認するかのように少しずつ手を動かしながら、耳より後ろへと移動させていく。

「もっと君を研究したい……僕はずっと君の傍にいたいんだ。その力はやっぱり世界一だよ。僕が保証する」

 私は体中の毛が逆立ったかのように震えあがった。


 でも、動けない。

 本当の恐怖を感じると、人間はこうも動くことができなくなるものなのか。


「君の肌を汚すのも面白いそうだけど」

 私の耳元で索田さんがそうささやく。浴びせられた言葉の意味が分かった私は赤面した。

「残念なことに、君は扱いづらいんだよな」


 それから索田さんは左腕で私の頭部を抱き、もう片方の手でティーカップを取った。

 次に索田さんがすることは予想できたが、私の反応は遅れた。


「うぐっ……」

 索田さんの右手は、私の口へと紅茶を流し込む。


 つんとする香りが鼻にじわじわと立ち込め、喉からも溢れ出ているような感じがする。

 苦しくて、熱い――熱い、熱い熱い熱い。


 そのほかのことは、何も考えられない――


 紅茶が口元を伝って服にこぼれ落ちた。私は台に手をついて咳込む。


「なにするのっ……」

 私は息も絶え絶えに索田さんを振り払った。

 喉が燃えているように熱い。


「君だって、僕のことを好きではないみたいだね」

 索田さんは楽しそうに目を細めているが、私は身体に力が入らず、不規則な呼吸しかできない。



 そういえば、ずいぶん遠くで私を呼ぶ声が聞こえるような気がする。


 櫛江里佳を呼ぶ声が聞こえる。


 

 でも、ものすごく眠くて

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